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悪魔の生物 第2幕 1

カビ臭い空間に乾いた靴音が響いている。場所は魔法生物研究所と以前呼ばれていた場所だ。しかしそれは数か月前までの話であり、今は魔法生物研究なんて穏やかなものではない。もっと実直的な、それこそ培養や増殖を行うような生産工場(プラント)とでも言うべき環境。それがこの施設の新しい概要であった。

レイダーの準備は着々と進んでいた。

いや、正確な状態を言えば今はレイダーではなくヴェルージュなのだが、ヴェルージュがキヴォトスに取って代わり、その後キヴォトスが身体から抜け落ちた後もヴェルージュには戻らず、レイダーのままなのであった。そして今は、ヘルシャフト・シュレイダーとでも言うべきだろうか。人間から魔族に昇華した男が、そこには居た。

「よぉレイダー、今日もこっちに来ていたのか」

急ぎ足で進むレイダーに、もう1人の男が気軽に声を掛けてくる。施設の所長を務めるミゲラスという名の男である。レイダーはそのミゲラスの声に反応する。そして2人は自分たちしか知らない、地下深くの研究施設に足を向けるのであった。

ミゲラスとヴェルージュは共に神聖ヴァンスター帝国に籍を置き、研究の日々に明け暮れた学者仲間であった。そしてお互いにそれぞれ魔法生物と生物に精通した、いわば権威者でもある。2人は別に同郷の者だとか友人同士であるとか、そういった絆で繋がるような仲ではない。しかし、武力で覇道を唱えようとする神聖帝国において、武力となりえるものを開発する研究者としてはそれなりに理解を示す間柄であり、そういう意味では互いを尊重していた。

キメラというものがある。2つ以上の生物の遺伝情報をもった同一個体、と。概要を聞いても良く分からないが、いわゆる2種類以上生物を掛け合わせた魔造生物。魔改造。マッド・ブリーディング。そのキメラを軍備増強のために研究していた第一人者がミゲラスであると言えば、彼のマッド・サイエンティスト感が理解できるだろう。

そして魔法生物研究所と呼ばれていたこの場所は、そんな常軌を逸した男が建てた施設なのだから、危険この上ないのは明らかであった。

被検体、いわゆる実験用の生物として人間(ヒューリン)や妖精族の亜種である森の妖精族(エルダナーン)土の精霊族(ネヴァーフ)など、妖魔や虫、動物などを好きなように掴まえ、彼のミキサーにぶち込んでスイッチオン。その研究成果が戦力として如何に素晴らしかろうと、そのような反社会的な場所が地域に根差して立ちゆく訳がない。その為ミゲラスやヴェルージュなど、数人の権威ある者は神聖皇帝ゼダンとの密約において、独自のシステムを生成するに至った。

それは“ヴェーダ”という呼称で呼ばれている組織だった。ヴェーダは中心本部となる1つの集団と、その下に大きく分けて3つの集団があり、その1つ1つがそれぞれにトップ構える集団である。そしてトップは各ヴェーダのブレインとなり、ヴェーダ構成員がブレインの手足となって様々な活動を行っている。その際、社会的に最低限守るべきルールや、法を犯してまで進めるべき作業についてどのように対処するかなどが、中心本部である“リグ”に伝えられる。リグはその方針の是非を行う事ができる他、予算分配や皇帝からの勅書の受け渡しなども行っている。

なおミゲラスをトップに据える魔法生物研究のヴェーダを“ヤジュル”と呼んだ。ヴェルージュ=シュレイダーをトップに据える、邪神降臨を主題と据える集団を“サーマ”。そしてもう1つ、“アタルヴァ”と言う名の集団があった。

なおヴェーダの構成員は神聖ヴァンスター皇帝に忠誠を誓った者達で、多くは盗賊や斥候、暗殺者など、陽の当たらない場所に住まう者達や犯罪者がそれである。その為、裏情報や裏稼業に通じており、一切の遠慮なく他人に手を掛ける人材が豊富にいた。そしてヴェーダに所属する事で彼らにも利益がある。それはヴェーダとしての任期を満了すれば神聖帝国の市民権が得られる他、多少の財産を得る事ができるという内容である。常に死の危険と隣り合わせと言う環境ではあったが、彼ら日陰者にしてみれば市民権や財産などと言うのは魅力的な報酬なのであった。


「それはそうとエルヴ家の小娘はどうなった」

「とりあえず村は焼いた。しかしまぁ生き延びて黒翼馬(ダース・ペガサス)を打ち倒したがな。それについてはキヴォトス様になにやら考えがあるとかで、指示を待っているところだ」

「ふむ、姫様としても生かし遊ばせておくにはならんだろうに。いっそのこと、我が魔獣兵(ビースト・ソルジャー)に戦う機会を与えてもらえればのう」

「まぁ何か妙案あってのことだろう。勝手な行動は慎めよミゲラス」

「ああ分かっているともヴェルージュ。今は我らにとっても力を蓄える時じゃ。何よりワシとしては真なる魔獣兵(ビースト・ソルジャー)、それこそ魔神兵(デモンズ・ウォリア)の生成を確かなものにするのに心血を注いでおる。小娘と遊ぶのはお主の仕事じゃろうしな」

階段を降りながらミゲラスはケタケタと笑った。2段後ろから続くレイダーはその様子を見て、いっそのこと蹴落としてやろうかと少し本気で考えたが、やめた。そんな事をして何になる。今はもうミゲラスも人間ではない。レイダーの同士なのだ。バランスよく避けられるか、蹴落とされたふりをして石造りの階段を転げ落ちて見せるのがオチだろう。そして身体についたホコリを払い落としてまた何か小言をいうのだ。それならばやらない方がよっぽどましというものだ。

2人は石造りの螺旋階段を下りる。するとそこは巨大なシェルターのような広々とした空間だった。神殿のような大きな石柱が天井を支え、しかしその天井は光及ばず視認することはできない。そして石柱と一緒にこの部屋にあるものがある。それは象の大きさほどの高さと横幅をもった、縦長の試験体保管庫(シリンダー)だった。純度の高い透明な強化ガラスのようなものがはめられ、中の物体をしかと認識できる。それらの多くは奇形で異様な生物が多く、ある種グロテスクであり、ホラーな形状をしたものが様々いた。それらは全てミゲラスが作成した培養液に全身を浸し、水中を漂う海月のようにユラユラと小さく動いている。その動作は、内容物の生物が自らの意志で身体を動かしている訳ではなく、保管庫の下から上に向かっていくつもの気泡が浮かんでいき、それら気泡が内容物の身体に当たって揺らいでいる。ほぼ全ての試験体保管庫の気泡がポコポコとその身を割る音を携え、この巨大な空間自体が大きな水槽であるかのような、そんなこの場所はミゲラスにとっての研究成果、全てなのである。

試験体保管庫(シリンダー)の中の生物は一般的にはホムンクルスと呼ばれる。キメラの完成を目標に、実験を繰り返していたミゲラスだったが、そのほとんどの試験体はこのホムンクルスのような肢体をもった生物ではなかった。アメーバのようにただ増殖を繰り返す単細胞の生物であったり、容があるにしても臓物を模した、ただの臓器のような、そんな生きものとも言えないものがほとんどだったのである。

それがほんのここ数か月で、今目の前にあるような四肢を整えた生物がいくつも生成された。それらの技術提供をしたのは、もう1人の学者であるヴェルージュであり、そのヴェルージュに力を与えたキヴォトスなのである。

ヴェルージュの中にキヴォトスが宿り、さらにヘルシャフトを含むいわば「悪魔の技術」が得られたことで、キメラ(魔造生物)の生成は驚くべき早さをもって技術革新が行われた。

ヴェルージュは何もミゲラスを騙して魔神化させた訳ではなかった。もちろんヴェルージュの姿をしたキヴォトスがミゲラスの魔神化を行った訳だが、そこに悪意は全く介在していなかった。学者というのは一様に研究に明け暮れ、自らの仮定にそぐう答えが得られるまで、その研究を継続する生き物だとヴェルージュは認識していた。故に自らが欲する答えが容易に得られるのであれば、それが反社会的であれ、非道徳的なものや禁忌(きんき)に触れる物であろうと、迷うことなく自らの欲求そのままにその方法を得るものなのである。「悪魔の技術」がミゲラスの長年の夢を叶えるものだと伝えたところ、彼の方からその話に乗ってきた。そして今、ミゲラスは悪の化身(ヘルシャフト)となり、自らの研究が昇華に近しいところまで来ているのを肌で感じているのである。

ふと彼らの前方で、しげしげと1つの試験体保管庫(シリンダー)を撫で、恍惚の表情を浮かべる女性が現れた。その腰まで長く伸びた綺麗なブロンドの髪は、細身の高身長と、きらびやかな服装の上からでも分かるくびれた腰と相まって、よりその女性的魅力を引き出すのに一役買っている。そして重要な部分ばかりを隠しただけのような機能性のない露出度の高い服装は、この身の毛もよだつ実験工場(プラント)のような場所に大きなミスマッチをもたらしていた。そしてその娼婦のような女性と相対して、平伏する姿をとる2人の年老いた男たちという状況は、性風俗の女王役(マスター)奴隷役(スレイヴ)が土下座するような、そんな違和感が場を包み込んでいた。

「キヴォトス様、いらっしゃったのですか」

「ええ、少し前に。それにしても見事なものね。私の知る魔神兵(デモンズ・ウォリア)の姿には似ても似つかないものばかりだけれど、ここにある多くの試験体保管庫(シリンダー)は個人的に興味深いものばかりよ」

そういうと女は目をキラキラと輝かせ、周囲にある試験体保管庫をウットリと眺めた。それは多くの貴婦人が、ドレスやジュエリーに目移りするような表情に似ていた。

「あとレイダー、私の事はレティシアと呼んでと伝えたはずよ。命令に従ってくださらないかしら」

「は、申し訳ございませんキヴォ、いえ、レティシア様」

「うん、それで良いわシュレイダー。ところでミゲラス?」

「何でございましょうか、姫様」

「既に使える兵、えーっと魔獣兵ビースト・ソルジャーと言ったかしら? その兵はどのくらい出来上がっているの?」

「現時点ではまだ10に満たない数でございます」

「あと半年弱でどの程度出来るかしら?」

「ええ、このままの進捗で参りますと、50に達しない程度かと」

「50か。マァ、貴方の作る魔獣兵は今後も改良を行っていくのでしょう。期間でのその数、覚えておくわ」

「畏まりましてございます、姫様」

ミゲラスが何故キヴォトスを姫と呼ぶのかヴェルージュには分からない。分からないが、その単語自体何であっても気にしないでいた。皇帝陛下と呼んだり、魔将軍閣下と呼ぶのとさして変わらないだろう。そして姫と呼ばれているキヴォトス自身、まんざらでもない様子のように見えた。

「それでレイダー」

「はっ」

「エルヴの娘と自己陶酔の森妖精(エルダナーン)、グランフェルデンの者達の様子はどう?」

「娘と森妖精はキヴォ…、あ、いえ、レティシア様の流言(りゅうげん)のままルネスの街を目指し、行動を開始した様子。グランフェルデンの神官たちについても、レティシア様が流した依頼話に乗って南下していると、外に放った者から聞いています」

頭を垂れたまま話し、その後でチラと女を見た。その表情は何か思うところがあるのか、興奮してやまないような浮ついた表情に感じられた。

レティシアという女は、そもそもレイダー以前のヴェルージュ=シュレイダーを監視していた間者(スパイ)だった。パリス同盟のソーンダイクとか言う神官長が放った、神聖ヴァンスター帝国の内情を嗅ぎまわるために放った犬である。その存在自体は以前から知っていたが、かと言って学者としての力しか持ち合わせていないヴェルージュにはどうする事も出来なかった。それがヴェルージュがキヴォトスとなった後、キヴォトスが自らの宿り木として新しく手に入れた身体がレティシアという女だった。恐らくソーンダイクはその事も含めて何か感づいているだろう。だが、キヴォトス自身、エルヴと関連する小娘と幾ばくかの親交をもつ男の犬というのは、立場的に非常に使いやすいものであるようだ。そして元のレティシアが持っていた頭脳は、レイダーが持つ専門的過ぎる知識とは異なり、現世を俯瞰して見たようなあらゆる情報を得ていたために、キヴォトス自身気に入っている様子であった。何よりも喋り方が俗世間の女のようになり、最初にあった毒々しさもその身体からは感じさせないでいたのは、レイダーにとって何より喜ばしい事であった。

「では2人に新たな命令を下すわ」

「はっ」

「どのような要件でございましょう、姫様」

「まずレイダー。おまえはルネスの街に赴き、私たちを監視しているエルーランの騎士に取り入って中に潜ってちょうだい。そしてエルヴの小娘や神官の者達と顔見知りになるのね」

「了解いたしました、レティシア様」

「その後は私の指示に従い行動なさい。ルネスの街、今言った者達の中に入ってからは待機とします。そしてミゲラス」

「はい」

「おまえは私の用意した新しい環境で、自動生成する魔獣兵の工場ソルジャーズ・プラント設立に携わってもらうわ」

「か、畏まりましてございます、姫様」

「その後この地に戻り、新しい兵を創るのに(いそ)しみなさい」

「ははっ」

エルヴの小娘をこの地に呼び寄せる事、そして自身がその輪の中に入るのは良く意味が分からなかった。レイダーとしては自らの思惑とキヴォトスの行動が、徐々に外れているのではという違和感が生まれていた。が、それを進言したところで何も変わらない。それは神聖ヴァンスター帝国に身を寄せていた時と同じである。平伏した頭を少し上げて、改めて女を見た。その表情はさっきまでの浮ついた表情とは正反対の、蛇が獲物にかぶりつかんとするような、冷徹なまでの眼差しと微笑に満ちた様子であった。

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