悪魔の生物 第1幕 4
カリカリカリと紙にものを書く音が聞こえてくる。場所は図書館のような、自習室のような、そして学校のような。同様の机がいくつか、整然と並べられた小さくはない部屋だ。その部屋には数人の男女がおり、それぞれ別々に作業を行っている。
彼らが作成しているのは報告書であった。神殿から依頼された冒険に出、その依頼の成功失敗問わずして神殿に提出すべき書類、それが依頼内容報告書である。
報告内容は多岐に渡る。街や村、洞窟などの場所に到着し出立した日時、冒険の旅で使用した経費、実際に旅した冒険の顛末、冒険の中で獲得した財宝、町村で見聞きした様々な噂話、そして出会った敵などなど。これらを1枚の紙にまとめて書ければ良いのだが、神殿は経理部や物資調達部、依頼内容調整部など様々な部署があり、面倒な事にそれら部署別に書類を提出する必要があった。そして馬鹿げた事に、それぞれの部署ごとに提出する書類の仕様が異なるのである。その為、この場所で作業する者を「棺桶状態」などと称する者もいた。物書きが締め切り間近に特定の場所に篭る事をカンヅメ状態と言うが、それを準えて表現したらしい。これを上手いと評する者は、一度でも棺桶状態を味わった者に違いなかった。
いずれにせよこの机型の棺桶が並ぶ場所は暗い墓地でも静寂に包まれた納骨堂でもなく、古めかしい神殿の1室であった。それもパリス同盟領の中で600年ほどの歴史ある街、グランフェルデンの、その大神殿であった。そして皮肉にも清々しい陽光と鳥のさえずりが鳴り響き、初秋を感じさせる涼しい風が窓辺のカーテンをヒラヒラと靡かせている。そんな中で報告書を作成する者達は欠伸を堪えながらある者は頭を抱え、またある者は身体を神経質に揺らしながら作業をしていた。そしてとある1人は部屋の隅に机を追いやり、ブツブツと独り言を愚痴のように漏らしながら作業をしていた。黒衣の集団の報告書をまとめていた半狼族の少女、リュネットである。
「っていうか、なんで2人分もこのあたしがやらなきゃいけないのさ」
「トイレとか言って出て行った割には、もうかれこれ57分と40秒が経過するじゃない。全く意味が分からない!」
リュネットの吐露はもちろん、同じ冒険を共にしてきた仲間である特定の人物に向かっての愚痴なのであるが、あからさまに本人が周囲に居たら聞こえるだろう声量で呟いているがために、同様の報告書作成作業をしている者は彼女の小言が逐一耳に入ってしまうのだった。そのため何度かに一度リュネットの方を見たり、見ないように耳を塞いでみたり、大きくため息を漏らしてみたり。リュネットの行為が周囲に悪影響を与えているのは明らかだったが、その問題を解決するには当の本人が帰ってくる事が絶対条件であり、帰って来ない限り彼女の愚痴は続くのである。故に止める方法がありつつも止められない、そんな負のスパイラルが部屋全体に蔓延していた。
「苦労してるみたいですね、リュネットさん」
そんな重い空気を完全に無視して、負のオーラ全開のリュネットに声を掛ける人物がいる。この大神殿の神官長であるソーンダイクだ。いつも変わらぬニコニコした笑顔は、時として人にストレスを与える事を彼は知らないようだった。
「っていうか毎回この作業になるとダレンは、いっつも誰かのところに行って。で、あたしは毎回貧乏くじを引くんだ」
「えーっと、リュネットさん?」
「こんな報告書の束、あたし1人でどうやって片付けろっていうの?」
「えーっと、リュネット…」
「あたしばかり棺桶状態になるなら、今度の冒険でダレンは棺桶送りになれば良いんだわ!」
ソーンダイクは自分の呼びかけがリュネットに全く届いてない事を悟った。無視されている訳ではないと考え、肩を叩いて呼びかけてみる。
「何よ!あたし今忙しいの!」
肩に置かれた手を邪険に振りほどくリュネット。そしてふと、神官長と目が合う。
それは一瞬の出来事だったかもしれない。
しかしリュネットには、にこやかな笑顔を見せるソーンダイクの表情を、長い間見つめていたような、そんな気分に陥った。
「えっと、ダレンくんはいるかな?」
「知らん!あんなヤツ!」
しかし振り上げらた拳を何事もなかったかのように納める事など容易にはできない。素直に謝る事が得意ではないリュネットは、照れ隠しするかのようにソーンダイクにキツく当たる。しかしそれでも神官長は自身の笑顔を崩さず、柔らかい物腰で話しかける。
「そうか… では彼が戻ってきたら伝えて欲しい事があるんだが、聞いてくれるかい?」
にこやかな笑顔で話すソーンダイクに、これ以上キツく当たる事はできないと感じたリュネットは、それでも邪険な様子を装うように、ずいと白紙とペンを神官長に渡した。これに依頼の概要を書けとでも言わんばかりに。
ソーンダイクはその紙を受け取り、紙に依頼内容を書く素振りを見せながら、しかしリュネットに話しかける。
「実は、先の依頼の継続をお願いしたくてね。黒衣の集団の一件だ」
「またぁ?」
「ああ、今度はエルーラン王国領北西部の街ルネスで、先の黒衣の集団と思しき者達が、何やら暗躍しているという噂でね。この調査。そしてもし拠点などがあったら、この無力化をお願いしたい」
黒衣の集団の報告書をまとめている最中のリュネットに対しても、あくまでにこやかに依頼内容を話すソーンダイク。リュネットは徐々に、この神官長の笑顔に毒気を感じ、故の疲労感にさいなまされていた。重いため息をつきながら、机上に積まれた紙束の方に身体の向きを戻す。
「人手不足での依頼はしんどいわ。そろそろまとまった休みが欲しいんだけど?」
「黒衣の集団の件について、キミ達が適任だと思って依頼しているんですよ。休みについては、この依頼完了後に作れるよう、便宜を図るようにしますので」
そう言うとにこやかな表情のまま手を振って、ソーンダイクは退出する。残されたリュネットは暗澹たる気分のまま、再び渋々と作業報告書の作成に戻るのであった。そしてもちろん、仲間の猫族の青年が帰ってくる様子は一向にないのであった。