悪魔の生物 第1幕 3
小雨は霧雨に変わったが、未だヴァイスの街に降り続いていた。
セスチナは宿の主人に言われた道を進んでいる。と、その道でキレイな金髪女性と目が合った。豊満でふくよかな胸を隠しもしない服装ながら、筋の通った姿勢で歩くその姿に、村娘であるセスチナでさえも品の高い何かを感じた。
「あら、あなた」
その金髪美女から声を掛けられた。近づいて女性の顔を見るが恐らく知り合いではない。そもそもセスチナは、フェゼント村とグランフェルデン神殿だけを行き来していた日常を送っていたのだ。村が壊滅し、黒衣の集団を数人の仲間と共に壊滅させたが、旅の道中で出会う以上の顔見知りはほんの一握りしかいない。よってこの女性にも面識はなかった。
「あなた、酒場で飲んでいた美青年さんのお仲間じゃないかしら?」
「ナルシのことか?」
「ええ確か、そんな名前だったと思うわ」
「ナルシと知り合いなのか?」
「知り合い…と言えるほどのものかしら?」
そう言って女性は可愛らしく笑った。笑い方や声の出し方にも、何か上品な雰囲気を感じ取れる。
「彼とお酒を飲みながら、炎の巨鳥について情報交換をしたの…」
「フェニックス!」
セスチナは思わず大きな声を上げた。ふと我に返り、女性を見る。セスチナのその様子にもクスクスと可愛らしく笑った。
「あいつは、ナルシは今どこにいる?」
「この通りをつき当りまで行って左。“白磁の晩餐会亭”って店にまだいると思うわ」
ありがとう、セスチナは簡単に謝辞を言って別れた。この通りをまっすぐ行って左、頭の中で道順を反芻しながら後ろを振り返る。しかし金髪美女の姿は既になかった。存在感のある金髪美女は、姿も存在感も霧雨の街の中に霧散していた。
「セシィ、セシィじゃないか?」
呼びかけられたので振り返るとそこにナルシがいた。酒場で飲んでいたという言葉どおり、白い頬に薄く酔いを示す赤みがさしている。喋り口調も少し上機嫌なように見えた。
「ナルシ、炎の巨鳥はどこにいる」
「藪から棒になんだよ。しかし驚くな、今酒場でだな…」
「ああ、金髪美女から聞いた。ナルシと炎の巨鳥について情報交換をしたと」
「へぇ、レティシアに会ったのか。で、どうするんだいセシィ」
「どうするも何も、私はまだ何も聞いてない! 炎の巨鳥はどこにいる!ナルシっ!」
「分かった分かった!分かったよ! 分かったから胸ぐらをつかむのはやめろ!」
セスチナは勢いよくナルシにつかみかかる。騒ぎ立てるナルシは羽交い絞めされそうになるセスチナの腕を解くと、小さく咳込んで見せた。
“温泉の街ルネス”。その街の近郊に炎の巨鳥はいるらしい。
フェゼント村に飛来する前から、ルネスの近郊では良く見られていたという話だった。温泉を訪れる観光客には街の名物の1つになっていたと言う。しかしフェゼント村での一件や、暴れ狂う炎の巨鳥を見たと言う冒険者らの風聞から、ルネスを訪れる客数も減少傾向にあるのだそうだ。そしてルネスの街の近くに飛来するという話は半年以上も前からあるという。それならば何故今まで気づかなかったのかとなるが、それはルネスのあるエルーラン王国領と、現在セスチナ達のいるパリス同盟領の距離のせいかもしれない。ヴァイスとルネスは直線距離にしておよそ千キロ。そして現在は休戦状態であるとしても互いにいがみ合っている国同士である事。さらにそれらの間には砂漠や山脈、深い森などのいくつもの旅の要所があるのだった。王様が死んだ、新しい国が出来たなどの広がりやすい噂もあれば、方々を移動する炎の巨鳥の居場所について、あれこれ噂するほど、エリンディルの民も暇ではないということなのだ。
しかしセスチナは迷わない。どこに居ようと、それが南海の孤島だろうと、砂漠を越えた東の果てであろうと、炎の巨鳥を倒すまで駆け続ける。それが彼女の想いであり、唯一の願いであった。頭の中で大よその位置を理解すると、踵を返し宿に足を向ける。その様子に動揺を隠せないのはナルシだった。
「どうしたセシィ、まさか」
「ああこれからすぐに向かう。ナルシはどうする?」
「どうするって、オイオイ今は夜だぞ。道もそうだが道中盗賊や妖魔だって出るかもしれない」
「盗賊が出ようと妖魔が出ようと私は向かう、今すぐに」
「さっきまでセシィも長旅で疲れていただろう。部屋に入るなりすぐに寝ていたじゃないか」
覗いたな!とは言及せず、代わりに歩く速度を上げる。
「まて待て、待てったら! 分かった、分かったよ! 行くよ!ついていく! ついていくが今晩は英気を養う上でも休息を取ろう。そして明朝早くに出立しよう。ブレッザも今日は休みたいはずさ!」
ブレッザという名を聞いてセスチナは歩調を緩めた。ナルシとの旅の道中、立ち寄った村で手に入れた馬だった。馬の商人からは戦闘には適さないと聞いていたが、セスチナが思う以上に果敢に動き、そして駆けた。またセスチナと出会ってすぐに心が通じ合うかのように懐いてきた。ナルシとの出会いよりもブレッザとの時間は短いが、セスチナにとっていつの間にかかけがえのない友のように接している。その為ブレッザの疲労の事は考えなくてはならない問題であった。自分の身1つで炎の巨鳥の元に行けないのは悔やまれるが、ここはナルシの言葉を尊重し、彼の言うとおりにする事にした。
とそんな時、セスチナの腹の虫が周囲に合図でも送るかのように鳴った。その様子を見てナルシは、改めて今夜の晩餐会をする事を決めたのだった。