悪魔の生物 第1幕 2
夕刻、ナルシの感覚的には比較的早い時間であると感じてはいるものの、入った酒場のテーブル席は既に埋まり、カウンター席の幾つかも客がいた。そして華やいだ声がそこら中から飛び交い、賑やかな喧騒に包まれていた。そんな盛況ある店で空腹よりもまずは酒、そして美女との楽しい会話、そう考えながらナルシはカウンターまで来て腰かける。空席を1つ空けて隣には素朴な、いかにも純情そうな町娘らしい少女が1人佇んでいる。
「旅人の方ですか。何かご注文は?」
ナルシのようなスラリとした身なりながら、大地の妖精族のような野太い声で、酒場のマスターが声を掛けてくる。テーブルにあったメニューや周囲を見ながら、ラズベリー酒を注文する事にした。疲れている時のラズベリーは疲労回復の効果があり、またラズベリーの赤い色はナルシの雪のように白い肌に相まって、華やかな気分と見栄えを与えてくれる事を、この美青年はよく知っていたのだ。
「お嬢さん、何飲んでるの?」
席を1つ空けた向こうからナルシに話しかけられた純朴そうな少女はナルシに顔を向け、しかし自身の酒を見つめ直す。
「えっと、お酒…です」
「何のお酒?」
「えっと、スクリューです」
「スクリュー? スクリュー・ドライヴァー?」
「えっと、はい。私、ええと、オレンジが好きなもので…」
人見知りなのか、それとも男性に話しかけられたのが意外だったのか。うつむき加減の少女は、アルコールのせいか頬を少し紅潮させながらナルシの問いに答える。
ちょうどその時、ナルシの前に真っ赤なカクテルが出された。付け合わせとして、オリーブの実が小皿に載って出される。ナルシは注文したラズベリー酒のグラスを持って、身体を少女の方に向き直し、にこやかに杯を掲げる。
「それじゃ乾杯だ。オレンジ色の純粋な心を持ったお嬢さんと、情熱的な真っ赤なハートを持った、このナルシとの出会いに」
控えめに出されたスクリュー・ドライヴァーのグラスに、ラズベリーのグラスが優しくぶつかる。グラスの衝突にカクテルが反応し、浸った氷がぶつかり合ってカランと音を鳴らした。
「キミはこの街に住んでるの?」
「はい…、ええと生まれてこのかた、ヴァイスヴィントに、住んでいます」
「今日は仕事帰りなの?」
「えっと、はい…そうです」
少女は見るからに男慣れしていなそうなはにかんだ表情で、ナルシの発言に自身のグラスを見つめながら言葉を返す。照れた様子の少女は可愛らしかったが、毎回言葉に詰まってしまう事で間が生まれ、会話の歯切れは良くなかった。ナルシは添えられたオリーブを1つかじり、ラズベリー酒のグラスを傾ける。口の中に酸味ある甘さが広がり、ナルシをフレッシュな気分にさせた。
炎の巨鳥を目指しセスチナと2人旅をするようになって数週間。ナルシの個人的な用事から、水の都クラン=ベルを経由しそのまま東進。一行は陶芸の街ヴァイスを訪れていた。それまで通った道すがらで旅人や商人、冒険者などから炎の巨鳥についての情報を聞いて回ったが、めぼしい収穫はなかった。フェゼント村に関する話が多く、その都度セスチナは重いため息を漏らすのだった。
「なぁ、炎の巨鳥って知ってるか?」
おもむろにナルシは声を掛ける。会話に少々間があったのか、少女は小さくビクンと反応し振り返るが、あからさまにイヤそうな表情のまま首を横に振った。魔物は全て怖いもの、少女の様子はそんな感じだった。
「あら~、炎の巨鳥について嗅ぎまわってる美青年さん。あたしならお望みの情報をもっているかもよ?」
2人の間に割って入って来たのは、キレイなブロンドの髪を靡かせた美女だった。年齢は少女よりも、そしてナルシよりも上だろう。ブロンド女性はそのまま2人の間の席に腰掛け、ブラッディ・メアリなるカクテルを注文する。
「炎の巨鳥について、どんなことを知ってるって言うんだい、お姉さん」
「あら~、お姉さんは余計じゃない。あたしもお嬢さんと呼んでくださらないの? 美青年さん」
言葉に詰まり、急に主導権を奪われたような気分になったナルシは自らの名前を名乗った。名乗り返したブロンド美女は自らをレティシア・ビュケンスと言った。
見た目の年齢は不詳だった。喋り口調や雰囲気からナルシよりも上な気がするが、濃いシャドーやルージュのせいで余計にそう感じるのかもしれない。くびれた腰はグラマーで背が高く、一見すると娼婦のような男を誘うきらびやかさもあった。正直ナルシはこの手の女性が得意ではない。ナルシは自身が美青年であると信じているが故、ナルシ同様に周囲に対してきらびやかさを現す女性と居合わせるのが苦手なのだ。化粧っ気のない純朴な少女こそ、ナルシの洗練された美形を他に類のない美しさであると理解するだろうし、そのような女性と居て幸せそうな表情をする女性にこそ、ナルシの美しさはさらに光るのである。自らを美しい者であると理解し、きらびやかな服装や装飾品、香しい香水を身に着ける女性は、ある意味ナルシの真逆の存在と言えるのであった。
とは言え情報交換については別である。レティシアとナルシ、陶芸の街ヴァイスの酒場“白磁の晩餐会亭”における美貌対決は一時休戦状態とし、情報交換のために互いのグラスを重ねたのであった。