悪夢
夜明け頃、一人の女性はベットから飛び起きた。
呼吸は乱れ、肩で息をし腰まで長い髪は汗で濡れ、その髪が額に頬にべったりとくっついている。
その髪を掻き分け耳に掛けると、部屋の扉が大きな音を立て叩かれた。
「ミ、ミリア様! 大丈夫ですか?!」
部屋の扉を開くと慌てた老婆が不安そうに部屋を覗きこみ、小首を傾げた。
ミリアは老婆を見ると軽く頷き、不安な表情を浮かべ口を開いた。
「ええ、目覚めの悪い夢を見ました。
この島に何かが起こる様な、そんな気がするのです。なのに、わたくしは……。」
「ミリア様……。」
ミリアの微かに震える身体を見ると老婆はいたたまれない気持ちになった。
この島の未来を占う巫女でありながら、星を詠み過ぎた故に魔力を枯渇させ、魔力を失った娘だった。
星を詠み、占うためにはマナの力を有する。
マナを扱えるほど、先の未来を感じ取れるのだ。
星を上手く詠めないミリアは、唇を噛み締め悔しさに震えていた。
そんな彼女を見る老婆は恐る恐る、口にした。
「ミリア様。禁じられた森を……、御存じでしょうか。
そこはマナが沢山集まると……。」
「知っています。深く占おうとした先代さまたちが訪れた場所。
けれど……、そのマナに侵されたくさんの方が亡くなった場所でもあります。」
頷き答えるミリアは何処か心苦しそうに話す。
その場に足を踏み入れたら最悪、命を落とす危険性もある。
けれど、未来を読み取り霧を晴らしたい気持ちもあるミリアには苦しい二択でもあった。
長い沈黙の中ミリアは一つの考えが浮かび、決断したように真剣な目をした。
「わたくし、決めました。禁断の森へ行きます。」
「私が話題には出しましたが……、ですが……、危険です!
ミリア様に何かあっては……。」
「大丈夫ですよ、ばあや。
わたくしはもう魔力を……、有しません。マナに侵されないと思います。」
心配する老婆にミリアは微笑む。
その微笑みを見ても老婆は不安になっていた。だが、決意したミリアを止めれず、ポケットから小さな木箱を取り出し開くと流れ星の髪飾りが入っていた。
それをミリアの手に包ませ、小さく頷いた。
「わかりました。ミリア様、どうかご無事で。」
「ええ、ばあやも身体に気を付けて。
行ってきます。」
ミリアは髪飾りを身に付け、老婆を抱きしめ別れを告げると部屋から出て、一階へ繋がる階段を降りた。
小さく見えなくなる背を見て無事を祈りながら、老婆は涙を流していた。
ミリアは階段から降りると、一階を見渡した。
誰もいないこの部屋はとても静かで、暫く離れるため心がキュッと締め付けられた。
「あの方……、もう行ってしまったのね。」
呟きを漏らし外へ出るとまだ薄暗く、遠くに見える暗い霧が不気味に見える。
ミリアは少し身震いすると近くの洞窟に向かう。
洞窟には、穢れを清める場所があり彼女はそこで何時も身体を清めていた。
ミリアは旅立つ前に禊をしようとここに訪れた。
着替えを用意し、身体を流すと、水面に足をつけ徐々に中に入り身を清める。
これからの事を思っては、考えまいと気を付けながら。
身を清め終ると、着替えに身を包み森へ向かうため、洞窟の外へと出た。
外へ出るとミリアの方へ不意に言葉が投げられた。
「ミリア、俺に別れはナシか?」
ミリアは声の主へ視線を向けると、男性が洞窟の入り口の壁に寄りかかって、哀愁を漂わせていた。
「バズさま……、出て行かれたと思っていました。」
「あー、ああ、少し出てただけだ。
帰ったら婆さんが泣いて……っ、ミリアが旅出るって聞いたからなー。」
バズは頬を人差し指で掻き、ミリアの憂いを帯びた瞳に途中まで出た言葉を引っ込めて、言葉を続けた。
そんなバズの優しさにミリアは小さな笑みを見せた。
バズはミリアに近寄り頭をポンと撫でるとふっと笑った。
「俺も一緒に行ってやるよ、どうせまた旅に出るつもりだったしな。」
「な、なりません! 危険な、場所ですから……っ!」
バズの申し出に慌ててミリアは首を左右に振り、断った。
彼の申し出は不安なミリアへは喜ぶものではあるが、それと同時に危険な選択だったからだ。
自分の気が変わらない内にと、ミリアは踵を返そうとした。
だが右手首に圧迫感がし手に視線を移すとバズにより力強く握りしめられていて、女性の手では解けないと悟った。
ミリアはバズの方へ向き直ると、か細い声を漏らした。
「バ、バズさま……。」
「危険だからだろ……。
禁断の場所だ、何があるかわからねぇ……。」
「で、ですから、わたくしは……っ!」
貴方に迷惑はかけたくない。
ミリアはそう続けようとしたが、手首に痛みが走った。
バズは握りしめるミリアの手に、無意識に力を入れていた。
痛みに顔を歪める彼女に気付かず、バズは声を荒げた。
「だからだ! だからだろ……ッ!
お前には、いつも世話になってる。
たまには返させてくれよ。」
「……っ! わ、わかりました……。
あの、痛いので手を、手を離して下さい。」
普段怒らないバズの怒りと悲しみを含む声にミリアは肩を震わせた。
真剣な彼を止めることは出来ないと確信し首を縦に振った。
そのミリアの仕草にバズは安心し、そっと手を放した。
彼が握っていた場所はくっきりと赤くなり、バズは申し訳なさそうに視線を落とした。
「ありがとな。
それと、悪かったな……、手。」
「いえ……、わたくしの方こそバズさまの気持ちを蔑ろにしてしまいました。
本当は、嬉しかった。」
ミリアは緩やかに首を左右に振った。
右手首を左手でさすりながら、ミリアは言葉を続けた。
嬉しそうに、柔らかな笑顔で。
「これからよろしくお願いしますね、バズさま。」
「ああ、よろしくな、ミリア。」
バズも言葉を返すと自然と口元が綻んだ。
ポンポンとミリアの頭を撫でると、ミリアは不服そうにしていた。
子ども扱いしないでください、と。
だがバズは気にせず歩を進めた。
禁断の森へと一歩ずつ。彼女を守ろうと、心に秘めて。