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フラスコの中の少年 ――異世界で過ごす夏休み!――  作者: 奥野 丁路
第三章【空中都市とクレスケンス大陸】
8/25

01

「すいませんでした……!」


 伊織がウォルターに頭を下げている。


「まあ、その手じゃ仕方ないな。メモリア、皿洗いはお前がやってくれ」

「お任せ下さい、ウォルター様」


 食事の後、伊織は皿洗いを任されていたのだが、手を滑らせて数枚ほど割っていた。

 そもそも鍋つかみのような形状の手で皿洗いをしろと言うのが無理な話なのだが、割ってしまった当人としては申し訳ない気分でいっぱいだった。


 ウォルターも、伊織の突起のないすべすべつるつるの手ではしっかりと皿を掴む事が出来ないのはわかるので責めようとはしない。のだが――――


「嬉しそうだな、メモリア?」

「い、いえ! 決してそのような事は! 申し訳ありません、私がついていたのに!」


 澄まし顔をかすかに緩ませていたメモリアが慌てて頭を下げた。


「まあ良い。それで、もう今日の仕事は終わりか?」

「は、はい……終わりました」


 ウォルターの声に咎める感じはなかったのだが、メモリアは叱られた子犬のように身をすくませている。


「なら、今日はもう休んで良いぞ。こっちの事は気にすんな」

「わ、わかりました……」


 しゅんとうなだれるメモリア。


「あの……僕はどうすれば……」

「ああ、イオリ、お前は俺の話し相手な。どうせする事もないだろうし、お前にはこの世界の事を色々と教えておかないとな」

「……それは、そうですね。お願いします」


 現状、伊織にはわからない事ばかりだった。フィード達の言葉から察するに、ウォルターは――性格はともかく――かなりの識者らしい。質問をする相手としては申し分ない筈だ。


「お、なんだ意外と乗り気か? 良いねぇ、今夜はじっくりと話し合おうじゃないか」


 ウォルターの方も屈託の無い笑顔を浮かべて喜んでいる。だが、それとは対照的に浮かない表情のメモリア。


「どうした、メモリア。まだ何かあるのか?」

「い、いえ……失礼します……」


 退室しようとしするメモリアに背後から声をかける。


「身体を動かすのは良いが、風邪ひかないようにちゃんと風呂に入るんだぞ」


 そして、ついでとばかりに伊織にも話を振ってきた。


「――ああ、そうだ。言い忘れていたが、伊織のその身体には代謝機能が無いからな。基本的に汚れる事がないから風呂も不要だぞ」


 理屈の上ではそうなのかもしれないが、やはり一日の疲れをとるという意味で風呂には入りたい。だが、それよりも伊織には引っ掛かる事があった。


「あの……『お風呂』があるんですか?」

「おっと! そうだったな、こっちの世界には風呂という文化があってな。体を清潔に保つために――――」

「いや、お風呂自体は僕の世界にもあったんですけど、この世界のお風呂はどういうものなんですか?」

「なんだ、そうなのか。ま、身体の汚れをとる発想くらいどこの世界にもあって当然か。だが『どういうもの』と言われてもなぁ……浴槽っつーもんに湯をはって肩までつかるんだが……何なら実際に見てみるか?」

「良いんですか? ……それじゃあ、お言葉に甘えて」

「それじゃあメモリア、案内してやってくれ。ああ、案内がすんだらお前はそのまま自由にして良いからな」

「わかりました、ウォルター様。それじゃあイオリくん、行きましょう」


 メモリアと共に三階の別室に移動する。


「ここが衣服を脱ぐスペースで、この奥が浴室になっています」


 脱衣所を抜けて浴室を覗くと、その中はかなり広い造りになっていた。浴室には浴槽と洗い場があり、浴室の広さに比例して浴槽もかなり大きい。まるで旅館の大浴場のように見える。

 異世界の筈だが、見た感じ伊織の知る風呂場と大差なかった。


「……ねえ、この湯船には毎日つかっているの?」

「ええ、そうですね。特に理由が無ければ毎日はいります」

「……本当にお風呂なんだね。って事は、やっぱりヨーロッパじゃないのか……」

「イオリくん、何か言いました?」

「あ、いや……何でも無いよ。ちょっとアテが外れたというか……」


 がっくりと肩を落とす伊織にメモリアが首を傾げている。この世界で使われている言語がイタリア語かスペイン語なのは恐らく間違いない。なので、伊織はこの世界がヨーロッパに近い――もしくは同じ――世界だと思ったのだ。


 だが、ヨーロッパは基本的にシャワーが主だった筈だ。日本と同じ風習があるのは嬉しいが、やはりここは似て非なる世界だという事になる。


「どうかしたんですか? どこか身体の具合でも……?」


 がっくりと八の字に垂れ下がる眉毛を見て、心配そうに顔を覗き込む。


「大丈夫、何でもないんだ……ちょっと、ね」


 何となく気まずくなり、話を変えるついでに気になっていた事を聞いてみる事にした。


「その、メモリア……ごめんね、お仕事の邪魔する事になっちゃって……怒ってる、よね……?」

「い、いえ! 私は、決してそのような事は!」


 慌てて頭を振って否定するが、その言葉をそのまま受け取るのは難しかった。


「でも、たまに睨むとまではいかないけど、キツイ目で見てたし……」

「あ、あれは……!」


 自覚があったのか、思わず口ごもる。


「ごめん……頑張って出来るだけ迷惑をかけないようにするから――――」

「違います! そんなのじゃないんです!」

「え、でも……」

「と、とにかく違うんです! あれは、イオリくんに怒ってるとかじゃなくて……自分でもよくわからないんですけど……とにかく違いますから!」

「そ、そうなんだ。それなら良いんだけど……」

「あ……私ったら……大きな声を出してしまって、すいません……」


 声のトーンを落とし、表情をうつむかせた。


「……それに、イオリくん……さっきは……その……」


 何やら口ごもっているが。さっきと言われて思い当たるのは一つしかない。


「ご、ごめん! 今まで自分でお皿を洗う事なんてほとんどなかったから……」

「え……? ち、違います! だからそういう事じゃなくて……食事の時に、あの……」


 食事の時。という事はウォルターに詰め寄った事だろうか。


「もしかしてウォルターさんに意見した事……? あれは、何て言うか……余計な事だったよね……」


 あの時のメモリアは傍から見てもわかるほど追い込まれていた。

 ウォルターがあっさり受け入れたので深く考えなかったが、ホムンクルスであるメモリアから主人であるウォルターに意見させる形になってしまった。


「いえ、その……怒ってるとかじゃないんです……え、と……何て言えばいいのか……」


 短い時間とはいえ一緒にいたのだ。仕事中のメモリアは淡々とはしているが、その言動は無駄なく洗練されたものだった。外見こそ少女のものだが、やはりホムンクルスという『役割』のために生み出された存在なのだと納得する程に。


 だというのに、今のメモリアはそれとはまるで違う。桜の花びらのような瞳は落ちつかず、所在なさげに胸の前で手を握っている。

 うつむいて言葉に迷う姿は、見た目通りの少女かと間違いそうになる。内心、伊織は驚いていた。


「ごめん、なさい……こういう時、どう言えば良いのかわからなくて……」


 迷った末の言葉は、やはりハッキリとしないものだった。


「えー、と……僕が勝手な事をしたんだし、イヤだったならそう言ってもらって――――」

「違います!」


 思いがけない強い返事に、伊織は驚いてわずかに後ずさる。


「あ……ご、ごめんなさい……また大きな声を出してしまって……」


 メモリアは両手で顔を隠すが、それでは真っ赤になった耳までは隠せない。この感じはさっき見たのと同じだ。ウォルターに意見した時の追い詰められた様子。


「別に、少しくらい大きな声を出したからって謝らなくても……」

「いえ、メイドたるもの常に平静でなくてはならないのです……少なくとも、私はそう教えられました……」


 伊織にはよくわからないが、メモリアなりにメイドとしてのこだわりがあるらしい。


「で、でも……ほら、そういうのって主人に対してのものだよね? 僕はメモリアの主人ってわけでもないんだし、ちょっとくらい普通に接しても良いんじゃないかなー、なんて」


 その言葉に、メモリアはハッとしたように顔を上げた。


「言われてみればそうですね! ――――で、でも、イオリくんは人間なのですし、やっぱりホムンクルスの私が対等に接するなんて――――あ、でも確かに私の主はウォルター様ですし、そういう意味では――――いえいえ、いくらイオリくんの身体がホムンクルスだからといって、私なんかとは違うわけで――――い、いけない! そう言えば、事情を知らない方の前ではどうするのか考えていませんでした……」


 混乱しながら自問自答を繰り返すメモリアの表情は目まぐるしく変化している。

 ぱぁっと明るい表情になったかと思えば、すぐに落ち込んだ表情に変わり、それからまた明るい表情に、そして肩を落とした後は不安そうにうつむいてしまった。


 仕事中のすまし顔はどこにいったのか。ころころと変わる表情には小動物のような愛らしさがある。なんとなく微笑ましくなり、伊織は小さく吹き出していた。


「わ、笑いごとではないですよ! イオリくんもちゃんと考えて下さい!」

「ご、ごめん、でもなんだかおかしくって……あはは」


 慌てて謝るが、頬をふくらますメモリアの姿には笑いがこみあげてしまう。抗議の声を上げるメモリアに、伊織はようやく解決策を提示した。


「それじゃあ、事情を知らない人の前では友達みたいな感じで良いんじゃないかな。その、何て言うか……他の人から見たら同じホムンクルス……なんだろうし……」


 同じホムンクルス――――それを自分の口から認めるのは抵抗があった。だが、まるで普通の少女のように振る舞うメモリアを見ていると、まだ救いがあるように思えたのだ。


 そんな葛藤を知ってか知らずか、メモリアは虚を突かれたように目を丸くしている。


「友達、ですか……?」

「そ、そうだよ? 友達じゃ駄目かな」


 伊織としては無難な表現を選んだつもりだったのだが、メモリアには違ったようだ。


「友達……友達……イオリくんは、私の友達……」


 何度も何度も、言葉の響きを噛みしめるように呟き、その表情は穏やかに満ち足りているように見える。そんな姿を見ていると、伊織の頭にふと疑問が浮かんだ。


(あれ……? もしかして、メモリアって友達がいない――――?)

「ワンッ!」


 いきなり響いた吠え声に、伊織は驚いて振り返った。


「あ、いけない! ウォルター様がお待ちでした!」


 メモリアが慌てて廊下への扉を開くと、一匹の犬型ホムンクルスが待ち構えていた。昼間に見かけて説明を受けた、黄色いモップのような毛並みの掃除担当のホムンクルスだ。


「ワンワン! ワンッ!」

「イオリくんを呼びに来てくれたんですね、御苦労さまです」


 伊織に向かって吠えるホムンクルスをねぎらうように撫でてやる。


「それじゃあ、僕はそろそろウォルターさんの所に戻るよ……メモリアはどうするの?」

「私は……日課をすませてからお風呂に入ろうかと。あ、でもまた後でウォルター様のお部屋に伺いますので」

「そうなんだ。その……できれば早めに来てくれると嬉しいかも……」


 ウォルターと二人きりは不安なので――――そんな思いが言外に込められていたのだが、メモリアは不思議そうに首を傾げていた。


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