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フラスコの中の少年 ――異世界で過ごす夏休み!――  作者: 奥野 丁路
第二章【フィードとグラティア】
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04

 料理を乗せたタイヤ付きのワゴンを押しながら、伊織とメモリアが廊下を歩いている。流石は豪邸といった所だろうか、調理場から食事をとる部屋までは手で運べないほどの距離があるらしい。ワゴンを押す伊織達の姿はまるでホテルのルームサービスのようだ。

 ワゴンには蓋が付いているが、焼き立てのパンと、パスタのソースの良い匂いが隙間から漂っている。伊織としても食べられる人が正直うらやましかった。


 こちらの世界で目覚めてそれなりの時間が経過しているのだが、ウォルターが言った通り、伊織は空腹感も喉の渇きも感じていない。


「ワゴンで階段は難しいので昇降機を使います。……あ、昇降機ですが、食事や大きな荷物を運ぶ時以外は出来るだけ使わないようにして下さいね」

「そう言えば、調理場に行く時は使わなかったよね。何か理由が?」


 昇降機――――どう見ても、元の世界のエレベーターだ。やはりこの世界の技術はかなり進んでいると考えて間違いないだろう。


「それは、その……動力にも限りがあるので……」


 珍しく口ごもっている。言いづらい事情があるのだろうか。


(でも、動力? もしかして電力の事かな?)


 つまり電気代を節約しろと言いたいのだろう。となると、フィード達はあまり裕福ではないのか? だが、これだけの豪邸に住んでいながら困窮していると言われてもぴんと来ない。


 しかし、そういう理由ならメモリアが口ごもるのもわかる。家主が困窮しているなどと、大きな声で言える訳が無い。


「やあ、いつもながら美味しそうだね! ありがとう、メモリア、イオリくん」


 食事を届けるとフィードが笑顔で出迎えた。グラティアの分と、二人分の食事をテーブルに並べる。さっき話をした書斎のような部屋とは別の部屋だ。流石に仕事部屋で食事は取らないのだろう。


「お皿はそのままにしておいて頂ければ、後で回収しておきますので」

「うん、わかった。お願いするよ」


 食事の準備を整えながら、伊織は家主であるフィードについて考えていた。

 いつも愛想の良い笑顔を浮かべるフィードは、こう言ってはなんだが、あまり人の上に立つ人間には見えない。しかし、この人の力になりたいと思わせる不思議な魅力があった。


 グラティアの姿は見えない。多分まだ仕事中なのだろう。珍しくない事なのか、メモリアは気にせず二人分の準備を整えていた。


 次に伊織達は三階に上がり、ウォルターの実験室に向かう。


「――おう、ご苦労さん。そのへんに置いといてくれ」


 ウォルターは机に向かって何か作業をしているようだ。背中越しなので良く見えないが、パチパチと何かを打つような音が聞こえる。タイプライターのような物だろうか。


 実験室はかなり散らかっているが一つだけ何も置かれていないテーブルがある。メモリアが慣れた様子でそこに配膳している所を見ると、これが食事用のテーブルなのだろう。


(それにしても、よくこんな部屋で食事が出来るなぁ……)


 薬品らしき匂いが漂い、所狭しと並べられた巨大な試験管とその中に浮かぶホムンクルス。お世辞にも食欲がわくとは思えない部屋だ。

 せめてもの救いは、試験管の中のホムンクルスはよく見るとどれも愛嬌のある姿をしている事だろうか。小動物や大型犬のようなものばかりで、グロテスクなものは見当たらない。


 ふと気が付くと、メモリアは配膳を済ませテーブルについているが、食事に手を付けようとはしない。ウォルターの方に目をやると、作業を中断する気配も無い。


「ウォルターさん、食事の準備ができましたけど……」


 気付いていないのかと思い、声をかけてみる。


「おう、ご苦労さん。そのへんに置いといてくれ」


 さっきと全く同じ言葉が返っていた。どうすれば良いのだろうか。

 メモリアはと言えば、テーブルについたままじっと待ち続けている。多分、いつもこんな感じなのだろう。という事は、ウォルターの気がすむまで待ち続けるのか? これではせっかくの温かい食事が冷めてしまう。


「あの、ウォルターさん……ごはんが冷めちゃいますよ……?」


 恐る恐る声をかけてみる。


「別に冷めても栄養価は変わらんだろ。問題ない」

(それは……そうなのかもしれないけど。温かい方が美味しいのに……)

「その、メモリアも待ってるんですけど……」

「なら、先に食ってて良いぞ」


 返事は返ってくるが、こっちに振り返ろうともしなければ、手を止める気も無いようだ。メモリアに目をやると、思った通り手を付けようとはしない。


「ウォルターさん……その、何て言うか……温かい方が美味しいですし……」


 駄目だ、上手く言葉にできない。どう言えばわかってくれるのだろうか。

 しかし何時の間にかタイプライターを打つ音が止まっている。わかってくれたのか?


「――――つまり、お前は何が言いたいんだ?」


 背を向けたままだが、意識だけはこちらに向けてくれたみたいだ。


「あの……先に食事をすませる事は出来ませんか……?」

「何のために?」

(何のため、って。食事は冷める前に食べるのが当たり前――――って、しまった! この人に常識を求めても無駄なんだった!)

「……理由が無いなら、聞く必要は無いな」


 確かにそうなのかもしれない。そもそも、伊織は食事を取る事が出来ない。だからこの食事が冷めようと関係が無い話だ。しかし、やはりそれはおかしいと思う。受け入れがたいと思う。だが、何故そう思うのだろうか。


 視線を感じて振り返ると、メモリアが不思議そうな顔で伊織を見ていた。


(――――そうだ。栄養価がどうのなんて問題じゃない!)


 伊織はメモリアが料理をする様子をそばで見ていた。食べやすいように蒸し上がった貝の殻を半分取り除いたり、海老の内臓を取り除いたり、少しでも見栄えがよくなるように盛り付けにこだわったり。栄養価だけが大事なら、そんな苦労をする必要は無い。

 相手に喜んでもらいたいからそこまで手間をかけたのだ。それなら食べる側もそれに応えるべきではないのか。


「ウォルターさん、メモリアの視界からこっちの様子を見てたんですよね? なら、メモリアが……丁寧に下準備をして、きれいに盛り付けて……少しでも美味しく食べられるようにしていたのも見てましたよね?」

「…………」


 ウォルターの手は止まっている。恐らく耳は傾けているのだと信じて言葉を続ける。


「確かに冷めてしまっても栄養価とかは変わらないのかもしれませんけど……少しでも美味しいものを食べてもらおうとした、メモリアの気持ちはどうなるんですか……?」


 メモリアは驚いたように目を見開いている。そんな事は考えた事も無かったという表情だ。


「……もう一声。お前は、具体的にどうして欲しい?」

(ここまで言ってもわからないのか!? この人、本当は馬鹿なんじゃないのか!?)


 あまりのウォルターの察しの悪さに思わず伊織は声を荒げていた。


「だから! 食事が冷める前に食べて下さい! メモリアも待ってるんですよ!」


 くるりと回転椅子を回し、ウォルターが二人に向き直った。作業を中断させられて不機嫌かと思いきや、特にそういう訳でもなさそうだ。だが、まだ椅子を立とうとはしない。


「メモリア、イオリはこう言っているが、お前の意見は?」

「えっ! わ、私は……!」


 これまでずっと落ち着いた物腰だったメモリアが目に見えてうろたえている。

 伊織も、もしかしたら余計な事をしているのかもしれないとは思ったが、一人ぽつんとテーブルに座って待つメモリアの姿を見せられて黙っている事は出来なかった。


「えと……ホムンクルスの私が、仕事をするのは当たり前の事で……私は、その、ウォルター様に喜んで頂ければ、それで……」


 それっきり俯いて黙りこくってしまった。考えてみれば、これは主人に意見するようなものだ。第三者の伊織が二人の関係も理解せずに口出ししたのは間違いだったのかもしれない。


 伊織は内心ハラハラしながら成り行きを見守っていたのだが、意外な事に、ウォルターも辛抱強くメモリアの言葉を待ち続けていた。


「…………でも、イオリくんが言うように……温かい方が、美味しく召し上がって頂けると……思います……」


 消え入りそうな声で呟くと、また黙り込んでしまった。

 ウォルターの方に目をやると、不機嫌になるでもなく、じっと続きを待っている。


 伊織の時と同じだ。メモリアが自分の考えをはっきりと口にするのを待っているのだ。


「……もし……差し支えなければ……冷めてしまう前に……一緒に……召し上がって頂きたい、です……」


 緊張で声はかすれ、赤面して涙ぐみながらも、メモリアは最後まで自分の意見を言いきった。


「――わかった、ならそうしよう」


 あっさりと椅子から立つウォルターの表情はどことなく満足しているように見える。


「やればできるじゃないか……お前はお前なんだから、お前の意見を言えば良いんだ」


 伊織とすれ違いざまに耳元でそう囁き、肩をポンと叩いた。

 予想もしなかった言葉に驚く伊織をよそに、ウォルターはメモリアの向かいに座ると、さっそくパスタを食べ始めている。すぐに美味いじゃないかと料理を褒め、メモリアも嬉しそうに感謝の言葉を口にしている。


 一人佇みながら伊織は考えていた。

 ウォルターは酷い人だ。僕をこっちの世界に拉致し、おまけにこんな身体にされた。


 なのに、そんな酷い人なのに……


 さっきの言葉が頭から離れない。『僕』を『僕』として見てくれる。何かをさせるのではなく、何をしたいのか、何を考えているのかを聞いてくれる。そんな人は今まで――――





 二人の食事がすみ、皿を片付ける時まで、伊織はずっと考え続けていた。


 ――――この何も無い顔、そして骨格すら無いあやふやな身体……これらは僕の内面を反映しているのだろうか。期待に応える事しか考えなかった、『自分』の無い生き方。


 もしも、僕が自分を見付ける事が出来たなら。これが僕なのだと胸を張って答えられるようになったなら。

 その時こそ、僕は元の姿を取り戻せるのかもしれない。


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