03
「――――とまあ、家主への紹介がすんだ所で仕事の話に移ろうか」
話が終わるのを待っていたのか、それまで静かにしていたウォルターが話を切り出した。
(どうやらこの人は空気が読めない訳ではなく、意図的に読まない人なんだ。ある意味、一番タチが悪い。いや、まあ……薄々わかってはいたけど)
「さて、それじゃあイオリの仕事だが……ま、しばらくはメモリアと一緒に雑務でもしてもらうか。天道術の知識がないんじゃ、専門的な仕事は難しいだろうしな」
「……頑張ります」
ウォルターに与えられた知識によって『天道術』がなんらかの技術の総称だという事はわかるが、その中身まではわからない。恐らく先程見せられた魔法のようなものなのだろうが、あんなもの自分に真似できる訳が無い。
「じゃあ、さっそく夕飯の支度でもやってもらうか。任せたぞ、メモリア――――と、その前に……フィード、『あれ』貸してくれ」
「え? ああ、はい……それは構いませんが」
そう言ってフィードが懐から取り出したのは、宝石で飾りつけられた片眼鏡。それを受け取ると、ウォルターはメモリアに手渡した。
メモリアは視力が悪いのだろうか。それにしても、片眼鏡とは珍しい。伊織はそんな感想を抱いた。
「わかりました、ウォルター様。……では、参りましょう。炊事場は一階になります」
そう言って部屋を出るメモリアに、伊織は置いて行かれないよう慌てて後を追った。
パタン、と扉が閉まると、フィードは崩れ落ちるように椅子に腰を下ろした。
「ウォルンタース殿、あなたは何という事を……」
弱々しく咎めるのが精いっぱいの様子から、この場における力関係が窺い知れる。本来出資者の立場は研究者より上の筈なのだが、この場においてはその限りでは無いらしい。
「なに、自由に研究していればこういう事もある。おかげでまた禁術指定食らっちまったがな」
「……ウォルンタース殿、さきほど言われていた『別の世界』とは自在に行き来できるのですか? もし可能なのであれば、これは途轍もない商機になるのでは……」
半ば放心状態のフィードとは対照的に、グラティアは真剣な表情で何やら考えこんでいる。言わんとしている事を察し、ウォルターが感心するように笑みを浮かべた。
「さすがは商人だな、グラティア。だが、残念ながら俺がくらった禁術指定は『別の世界にアクセスする方法』と『不定形のホムンクルスを精製した方法』について、だ」
「つまり……不定形のホムンクルスの量産はできず、イオリくんが『別の世界』の人間である事も証明できないと……?」
「ま、そういう事だ。……いや、不定形のホムンクルスなら作れない事も無いんだが……『素材が手に入らない』という意味で量産はできないな」
「そ、それでは……イオリくんは完全に孤立無援という事ではないですか……」
「フィード、お前はそれでも商人か? コインの片側だけを見てどうする。損と得は表裏一体だろうが。……ま、イオリに関しては俺も失敗だったと思う。それは認めよう。」
フィードとグラティアが目を丸くして顔を見合わせている。ウォルターが自らの失敗を認めたのは初めてだった。
「まさか学生なんぞが釣れるとはな……向こうの世界の学者、とまでは言わなくても、何らかの専門知識を持ったやつが欲しかったんだが……くそっ、外れクジを引いちまった――――って、おい、どうかしたのか?」
がくっと脱力した二人に、ウォルターが怪訝な表情で首を傾げる。
結果の失敗は認めても、行為そのものの非を認めるつもりは無いらしい。むしろこの口ぶりから察するに、非であるという発想すらないようだ。
「いえ、何でも無いです……とにかく、イオリくんについては僕達が責任を持って保護する事にしたいのですが、ウォルンタース殿もそれでよろしいですね?」
「ああ、異論ない。それはそれとして、俺達が今取り組むべき事は明日の展示会だ。商品はオーダーの通りに精製しておいたが、客の入りはどうなんだ?」
「愛玩用ホムンクルスは常に安定して需要がありますし、問題なく全て販売できると思われます。精製者が誰かは伏せてありますので、見学希望者も堅気の方々ばかりです」
グラティアが見学希望者のリストに目をやりながら答える。
「だが、商品の数は十体だけで良かったのか? 準備の規模を考えると、全部売り切ってもほとんど利益が出ないだろ?」
「ええ、それについては問題ありません。今回の展示会の目的はあくまで人脈を作るためのもので、利益を出すためのものではありませんから。告知を行ったのも、ホムンクルスを扱う商会の人間に対してだけです。本命は購入者からの追加オーダーの方ですからね」
「……なるほどな。『十体のホムンクルスを売る』のではなく『十軒の得意先を作る』のが目的って事か。現状、お前達二人で対応できる範囲と考えれば、妥当な所だろう」
「あくまで今回の展示会はホムンクルスの『品質』だけで売り込みたいと考えています。なので、申し訳ないのですが、ウォルンタース殿は来場者に姿を見せないようにして頂きたいのです。……その、ウォルンタース殿は、少々目立ちますし」
本来色素の薄い天上人でありながらウォルターの褐色の肌は非常に人目を惹く。そしてそれ以上に目立つ五芒天道士の証である金色の瞳。
ウォルターが姿を見せるだけで、展示されているホムンクルスの精製者が誰なのか、来場者達はすぐに見抜くだろう。それでは色々と都合が悪いのだ。
「物を売るのはお前達の仕事だ。お前達がそのやり方が最善だと思うなら、俺から口出しするつもりはない。ま、理由も無しに出しゃばるつもりはないさ」
「……ご理解、感謝します」
つまり、理由があればその限りでは無いという事だ。フィードとしてもそれを止める権利は無いと判断し、それ以上は口を挟まなかった。
「ここの施設でも、十件程度なら新規のオーダーに応えられるだろう。だが、更に事業を拡大するなら設備への投資も忘れてくれるなよ?」
「わかっています。あなたに不自由をさせるつもりはありません。没落したパクス商会を復興させる為にも、私達にはあなたの力が必要不可欠なのですから」
グラティアの言葉を受け、ウォルンタースは満足そうに頷いていた。
「やはりお前達はミネルヴァの馬鹿共とは違うな。ま、投資してもらった分はきっちり回収させてやるから、大船に乗ったつもりで任せてくれ。――――と、話もまとまった所で……グラティア、イオリの様子を見たいからお前のを貸してくれ」
「……それは構いませんが、イオリくんに何かあればフォローしてあげて下さいよ」
そう言ってグラティアは自分の懐から取り出した片眼鏡を手渡した。先程メモリアに渡したのは右眼用の片眼鏡、ウォルターが受け取ったのは左眼用だった。
「お、見える見える――――ふむ、今日の夕飯はペスカトーレとフォカッチャのサンドか……楽しみだな。あ、馬鹿、こっちに返事をするんじゃない。お前は普段通りに仕事をすれば良いんだ――――いや、別に責めてる訳じゃ、ってだから返事をするなと……――――」
調理場に入った伊織は二度拍子抜けしていた。
一度目は、調理場の構造が元の世界とあまり変わらなかった事について。もちろん電化製品などは置いていないが、かまどや鍋などは同じ構造をしているように見える。用途のわからない器具もいくつかあるが、恐らく元の世界の電化製品にあたるものなのだろう。
そして、二度目は水の張られた鍋に入れて準備されていた食材を見た時。伊織は料理をした事は無いが、それでもこれが何かぐらいはわかる。
「イカにハマグリに海老……それに、まな板の上にあるのはトマトとニンニク……!?」
驚いた事に食材は元の世界と全く同じだった。少なくとも見た限りでは。
「――――これは驚きました。そちらの世界にも同じ食べ物があるのですね。……では、これが何かは御存じですか?」
何時の間にか片眼鏡をかけていたメモリアが、細い薄黄色の束を伊織に差し出した。
「え、これって……パスタ、だよね?」
それはどこからどう見てもパスタだった。固さも長さも、伊織が知るものと同じに思える。
(どういう事なんだろう……ここは別世界の筈なのに、食べ物は元の世界と同じ……?)
頭に浮かんだ日本語をこちらの言葉に訳してみる。
メイドがancella……鍋がpentola……包丁がcoltellaccio……やっぱり知らない言葉だ。
聞き覚えの無い言葉が並ぶが、もう少し続けてみる。
イカがcalamaio……ハマグリはvongola……海老はgambero……トマトがpomodoro……ニンニクはaglio……パスタはpasta……え、pasta……?
「――――ッ!」
単語を頭の中でなぞっていると、ある事に気付き落雷のようなショックに見舞われた。今話している言語を何処かで見たような気がしていたのだが、ようやく思い当たった。これは恐らくイタリア語やスペイン語に属する単語だ。
「あの、メモリアさん……この食材で何を作るんですか?」
仮説をより確かなものにする為、メモリアに料理の名前を確認する。
だが、メモリアは驚いたように伊織を見ている。
「メモリアとお呼び下さい、イオリさん」
どうやら『さん』を付けた事に反応したようだ。
「え……女の子を呼び捨てにするのはちょっと……」
気恥ずかしい、というのも勿論あるのだが、それとは別に何となく失礼な気がした。
「そう、ですか……いえ、差し出がましい事を言ってしまい、申し訳ありませんでした……それと、今日の献立ですか?」
言葉では受け入れたようだが、どことなく納得していないように見える。この世界では敬称を付ける事がそんなにおかしい事なのだろうか。基準がよくわからない。
しかし今の伊織にそれは重要な事ではない。仮説を証明するのが先だ。
「うん、作る料理の名前を教えてもらえたらなって」
(僕の予想が正しければ……)
「はい。今日はペスカトーレとフォカッチャのサンドにしようかと――――」
(やっぱりだ! 魚介類のパスタ、ペスカトーレ! 元の世界と全く同じだ!)
「ここはイタリアなの!? それともスペイン!?」
メモリアの肩を掴み、揺さぶるように問いただす。
「イタリ、アにスペイン? すみません、イオリさん。そういった単語は聞いた事がないのですが……」
首を傾げたまま、桜色の瞳が伊織を見つめている。
「――……あ! ご、ごめん!」
肩を掴んでいた事に気付き、慌てて手を離した。小さな肩は華奢な女の子の身体だった。
間近で美少女と見つめ合っていたのだ。こんな身体でなかったら赤面していただろう。
「別に構いませんが……苦痛でもありませんでしたし。むしろ、柔らかくて心地良かったくらいで……あ、そうでした、少しお手を拝借しますね」
メモリアが伊織の手を取りぎゅっと握った。メモリアの手は女の子特有の柔らかさなのだが、伊織の手はそれ以上に柔らかいようだ。むにむにもちもちと、メモリアが力をいれる通りに形を変えている。
「やはりその手では包丁を握るのは難しそうですね。ペスカトーレの準備は私がしますので、イオリさんにはサンドの準備をお願いします」
(料理はした事ないけど、パンに具材を挟むくらいなら僕でも何とか……)
「――――はい、市場で良いハマグリが手に入りましたので。サンドの具材はハーブと生ハムで良いですか? ――――え、あ、申し訳ありません! 私の考えが至らないばかりに……」
「…………?」
いきなりメモリアが独り言を呟きだした。いや、独り言にしては声が大きすぎる。
「イオリさんに説明を? よろしいのですか? ――……はい、わかりました。イオリさん、これをつける事は出来ますか?」
そう言うと、メモリアは片眼鏡を外して伊織に差し出した。メモリアが付けていたのだから危険なものではないだろう。恐る恐る、目と思われる部分を探して付けてみる。
「――――よう、イオリ! こっちの様子が見えるだろう? 驚いたか?」
耳に引っかける部分からウォルターの声が響き、レンズの向こうにはフィードとグラティアの姿が映っていた。
「これは……無線のカメラとマイクですか? この世界にもこういった物があるんですね」
別の世界という事で、剣と魔法が支配するファンタジー的な世界かと思ったのだが、意外とそうでもないらしい。調理場の作りといい、思っていたより元の世界と違いが少ない。これなら一ヵ月ぐらいならどうにか耐えられそうだ。
「ふむ、この天道具はかなり珍しい性質なんだが……その反応から察するに、お前の世界ではありふれた物みたいだな。……いや、良いぞ! 実に良い! やはりそうでなくてはな!」
伊織は率直な感想を漏らしただけなのだが、片眼鏡の向こうのウォルターは何故かテンションを上げている。どうやらうっかりウォルターの好奇心を煽ってしまったようだ。伊織にしてみれば失敗したと言わざるを得ない。
「ま、それは今は置いとくとして……この通り、そちらの様子はしっかり見聞きしてるからな。何か聞きたい事があればメモリアに聞け。俺が答えてやろう」
「……? メモリアさんを経由しなくても、このまま聞けば良いのでは?」
「おいおい、お前がそれを付けてたらお前の姿が見えないだろうが。お前も俺の姿が見えてないだろ? それじゃあ意味が無いからな、そろそろメモリアに返してやってくれ」
なるほど、カメラマンの姿はカメラに映らないという事か。ウォルターが何をしたいのかさっぱりわからないが、今はそれに付き合うしかない。
片眼鏡を外そうと手をかけたが、さらにウォルターが話しかけてきた。
「――しかし、あれだな。メモリア『さん』だのイオリ『さん』だの……今は同じ立場なんだから、もう少し何とかならんのか? 呼び捨てで構わんだろ」
手を止めた伊織を不思議そうな表情でメモリアが見ている。桜色の長い髪と愛らしい瞳は元の世界ではありえないものだが、それは置いておいて体付きや骨格だけを見るなら、外見の年齢は伊織の元の身体より少し下のように思える。
高校三年の伊織は今年で一八になるが、メモリアは中学生……もしくは、高校一年程度の年齢のように見える。親しい後輩なら呼び捨てにする事はあるかもしれないが、メモリアはそうではない。やはり呼び捨てにするのは抵抗がある。
「その、お世話になる人を呼び捨てにするのはどうかと思って……」
「ふむ……その考え方は評価するがな、この世界では、『人』ではない存在に敬称を付けないのが常識なんだよ」
元の世界でも『道具』に敬称を付けて呼ぶ人はいない。そう考えれば呼び捨てにするのが当然に思える。そして、たったこれだけの事で、この世界におけるホムンクルスの立ち位置が容易に窺い知れた。
――――これは驚いた……随分流暢に言葉を話すんですね。
(そうだ、フィードさんは僕が話すのを聞いて驚いていた。恐らく、この世界のホムンクルスの大半は知性が無いんだ……だから家畜みたいに扱われている。普通に会話が出来る僕やメモリアさんが少数派……元の世界で言うなら、言葉を話す動物みたいなものだろう。いや、流石にそれは言い過ぎか? それだと珍しすぎる気がするし……)
そして、それなら先程のメモリアの態度も納得がいく。社会常識として呼び捨てにされるのが当たり前なのだ。となると、もしも敬称をつけて呼ぶのを他者に見られたなら奇妙に映るだろう。下手に目立たない為にも、ここはこちらのルールに従うべきだ。
「メモリア、……これ、返すね」
少々ぎこちないが、思い切って呼び捨てにしてみる。呼ばれたメモリアも不快な表情は浮かべていない。むしろ、安堵しているように見えた。
片眼鏡を受け取るとウォルターと会話を始めたが、少し困惑しているように見える。
「――……え? いえ、しかし、ウォルター様、イオリさんは人間ですし――――いえ、流石にそれは――――確かに、私の方がホムンクルスとしては年長かもしれませんが、実年齢はイオリさんの方が上ですし――――はい、先輩と後輩の関係? しかし、それでは……」
何にでも素直に頷いていたのに、これに関しては頑なだ。何気に頑固なのかもしれない。
「――――え、フィードゥキアさんがされているのと同じ呼び方ですか?……そうですね、それでしたら……でも、イオリさんが了承されなければ今の呼び方を継続させて頂きます」
よくわからないが、話がまとまった気配がする。メモリアは何かを思案するように目を伏せていたが、決心したのか、おずおずと口を開いた。
「――あの、イオリさん……もし差し支えなければ、イオリ『くん』とお呼びしてもよろしいでしょうか……?」
慣れないお願いに緊張しているのか、メモリアの声はかすれ、上目遣いの表情は不安そうに見える。まるで告白されているみたいで、伊織の方が恥ずかしくなってくる。
「い、いいよ、別に! と言うか、僕としても『さん』付けはちょっと変な気がしてたから……そっちの方が、僕としても助かるよ」
「……ありがとうございます」
安堵しているのか、はにかんでいるのか。伊織の答えを聞いたメモリアは、控えめにだが喜んでいるように見える。もじもじと桜色の髪をいじるその姿は、掛け値なしにかわいらしい。
ウォルターは酷い人だが、メモリアは良い子だと思う。元の世界に帰れるその日まで、波風を立てずに仲良くしたい。伊織は素直にそう思っていた。