02
廊下に差し込む光は強く、時刻は恐らく昼過ぎといった所だろうか。
実験室の外に出てわかったのは、この建物がとても大きな洋館だという事だ。廊下の雰囲気から察するに、元の世界の高校の校舎ほどの大きさに思える。
医者の家系という事で、それなりに上流の生活を知る伊織ですらこれ程の豪邸を訪れた事は無く、スケールの大きさに圧倒されそうになっていた。
だが、建物の大きさの割には、やけに人の気配が少ない気がする。防音がしっかりしているだけかもしれないが、何となく、建物の中の空気が動いていないような。
視界の先で何かが動いているのが目に入った。
(あれは黄色いモップ……? モップが動いてる?)
「お勤め御苦労。しっかり働けよー」
すれ違う際にウォルターがねぎらいの言葉を投げかけ、それを受けてモップがワン! と声を上げた。胴長短足の体型はコーギーのようだが、それにしては毛足が長すぎる。
さっきの実験室で見たフラスコとその中身を思い出す。そうだ、これがホムンクルスなのだ。
もちろんこれは伊織の推測なので事実は確認してみないとわからない。
「あの、今のは……?」
「あの子は掃除用のホムンクルスです。体から静電気を発して埃を集める事が出来ます」
恐らく、日本でも普及し始めていた全自動掃除機のような位置付けなのだろう。あのように、この世界では人造生物であるホムンクルスが様々な役割を担っているのだ。
知識としては与えられていても、実際にそれを目にする事でここが本当に異世界なのだと思い知らされる。ホムンクルスが雑務をああして引き受けているのだとしたら、この洋館の人気の無さも頷けた。
「ああ、そうだ、言い忘れていたが……お前はここではただの『イオリ』だからな。これからここの家主に紹介するが、向こうの世界のファミリーネームについては忘れろ。『イオリ=シライシ』ではなくただの『イオリ』だ。間違えるなよ」
「え……どうしてですか? 別に名前くらい名乗っても……」
「人の手によって生み出された私達ホムンクルスは、家族が代々受け継いでいくファミリーネームとは無縁の存在です。ここではそういうルールなのだと割り切って下さい」
「なに、お前はただの『イオリ』として考えて行動すれば良いんだ。簡単な話だろ?」
何となく引っ掛かる言い方だが、どこに引っ掛かりを感じたのかがわからない。
それからはウォルターは特に口を開かず伊織達は黙って廊下を歩いていた。階段で一つ下の階に下りしばらく歩くと、とある扉の前に辿り着く。
「邪魔するぞー」
ウォルターがノックをし、若い男の返事を待って扉を開いた。
実験室ではとてもそうは見えなかったが、このウォルターという男は意外と礼儀正しいのかもしれない。
「おや、今日は一日中実験室かと思ったのですが……まさか、商品に何か問題でも?」
書斎、といった様子の部屋に二人の男女がテーブルについていた。どちらも金髪碧眼で、思わず目を奪われてしまうほどに整った顔立ちをしている。男女なのでまだ見分けがつくが、もし同性であればとても見分ける事が出来ないと思わせるほど、二人の顔立ちはよく似ていた。
「――――はて、そちらの方は?」
にこやかにウォルターを出迎えた青年が伊織の姿に気付いて首を傾げている。
「新たに精製したホムンクルスを紹介しようと思ってな。こいつはイオリ、俺の新しい従者だ。ほら、フードを外して挨拶しろ」
目深にフードをかぶっていたので青年には伊織がどんな姿か見えていない。驚かせるかもしれないが、ウォルターの指示に従い恐る恐るフードを外す。
「お、おお……? これはまた、変わった外見のホムンクルスですね。……えーと、何でしょうか、ゆでたまご?」
(……なにその面白い感想……でも、何となくこの人は良い人な気がする)
それを聞いたウォルターも思わず苦笑していた。
「ンな訳ないだろ。いくら俺でも、そんな面白すぎるホムンクルスは精製せんよ」
伊織からすれば異様な外見もこの世界の人間にとってはそうでもないのかもしれない。嫌悪感を抱かれなかったことに安堵しつつ自己紹介をする。
「あの、白――――じゃない、イオリといいます。よろしくお願いします……」
習慣から苗字を名乗りそうになり、慌てて言い直す。
「これは驚いた……随分流暢に言葉を話すんですね。精製した直後からこれほどの知性を宿しているとは、流石はウォルンタース殿だ!」
「確かに。外見は珍しいタイプですが、ここまで発達した知性があるなら従者の役割も務まるでしょう。ですが、メモリアだけでは不足なのですか?」
何時の間にか女性の方もそばに来て話に加わっていた。
「……………………」
何だろうか、またメモリアが微かに頬を膨らませて不満そうにしている。
「いや、そういう訳じゃない……まあ、こいつの本来の役割は別にあったんだが、それが無理そうだから従者に流用しただけだ」
(本来の役割は別にあった……?)
状況に振り回されて考える事すらできていなかったが、ここでようやく伊織は当然の疑問を抱いた。
(そうだ……そもそも、どうしてウォルターは僕をこっちの世界に引き込んだんだろう。 そう言えば、しきりに『ヘタを引いた』『外れクジ』とぼやいていたが、それと何か関係が……?)
だが、その伊織の考察は女性からの提案で頭から吹き飛ばされた。
「でしたら、次の展示会で売りに出しませんか? これだけ珍しいホムンクルスですし、展示会の目玉としてオークション形式で売り出せば大きな利益になるに違いありません」
(え、ちょっと待って!? なにを言ってるの、この人!?)
「へぇ、それも面白そうだが……どうする、イオリ?」
「そんな、待って下さい! 約束が違うじゃないですか! 一ヵ月だけ言う事を聞けば、解放してくれるって!」
底意地の悪い笑みを浮かべるウォルターに慌てて抗議する。いきなりぷるぷる震えながら声を上げるゆでたまごのようなホムンクルスに青年と女性が目を丸くしているが、売り飛ばされそうな状況でそんな事に気を回す余裕はない。
「だから、『どうする?』って聞いてるだろうが。誰かに買われて飼われるのも意外と面白いかもしれんぞ? ま、どう扱われるかまでは保証できんがな」
「いやです! やめてください! 事情を知ってるだけあなたの方がまだマシです!」
そう訴えると、ウォルターは満足気に頷いた。
「グラティア、本人もこう言っている事だし、競りにかけるのは諦めてくれ。ま、実の所、仮に本人が希望したとしても俺はこいつを手放すつもりは無いんだがな」
ウォルターに自分を売り飛ばす気が無いとわかり、伊織はホッと胸をなでおろした。だが、今のやり取りを聞いた二人は戸惑うような表情を浮かべている。
「ウォルンタース殿……今『本人』と仰いましたが、それは言葉のあやですか? いや、もちろんそうだと思うのですが、このホムンクルスの言動は少々、何と言うか……」
「ええ、出来が良すぎて、まるで、その……人間、のような……いえ、そんな事は有り得ないとわかってはいるのですが……それに、よく見ると『刻印』もありませんし……」
グラティアの言う『刻印』、それはメモリアの首筋の赤いタトゥーを指すのだが、焦る伊織はそれどころではなかった。
これは、もしかするとマズい状況なのだろうか。もしも異世界の人間であることがバレたらどうなるのか。捕まった宇宙人よろしく、解剖されたりするのだろうか。
恐怖に言葉を失い、身をすくませている伊織をよそに、ウォルターは軽い調子で答えた。
「ああ、イオリの中身は人間だ。ただ、これまでは別の世界で生きてきたからな。こちらの事情や常識には疎いんだ。二人もそのつもりで接してやってくれると助かる」
(あっさり言っちゃったよ……やっぱりこの人は頭がおかしいんだ……泣きたくなってきた……涙も出ないのに)
――――とぷんっ
絶望した瞬間、突然全身の力が抜けて視界が反転した。
「うわっ!? ウォルンタース殿、これは!?」
「と、溶けてしまいましたよ!?」
(な、何が……起こったんだ……何故自分は下から皆を見上げてるんだ……? この高さ、もしかして床……?)
「おい、気をしっかり持て。その身体は自我を保てないようでは人の形も保てんぞ」
実験室で見た、白い液体がフラスコに溜まっている光景が脳裏にフラッシュバックする。
(い、いやだ! あんな姿は! あれだけは……あれだけは絶対にごめんだ!)
嫌悪と恐怖で一気に意識が覚醒した。
「よし! そうだ、良いぞ、やればできるじゃないか! 気を抜けばさっきみたいになるからな、ちゃんと自分を保つんだぞ」
人の形を取り戻し、よろよろと立ちあがるのをウォルターが嬉しそうに見ている。
「し、信じられない……まさか、不定形のホムンクルスだったなんて……いや、それより、彼――で良いんですよね? 彼が人間とはどういう意味なんですか?」
「別の世界、と仰いましたが、何かの冗談ですよね……? それか、『住む世界が違う』のような比喩表現とか……」
伊織は二人の反応から、別の世界云々などという話は『この世界』でも普通ではないのだと理解した。だというのに、二人はそれを笑い飛ばす事が出来ない。それはウォルターならやりかねないと思われているからではないか。
「さて、とにかくだ……理論理屈は知らん方が良いだろう。だから結論だけ言うが、『別の世界』は存在する。全部で幾つの世界があるのかはまだ研究が必要だが、最低でも一つは存在し、イオリはそこの住人だ。ただし、肉体に関してはこの世界に合わせるのに応用が利く不定形の肉体に再構成してあるがな」
二人は唖然とした表情で言葉を失い、メモリアは小さく口元をほころばせている。無表情を装っているが、どことなく誇らしそうだ。心なしか胸を張っているようにも見える。
「……? おいおい、俺はお前らが馬鹿じゃないと思っているから教えたんだぞ。まさか理解できないのか? あまりがっかりさせてくれるなよ」
ウォルターは片眉を上げて溜め息をつき、やれやれと首を振った。
青年は頭痛をこらえるように頭を押さえながら、もう片方の手を挙げる。その手はふるふると震え、今にも力なく垂れ下がってしまいそうだ。
「どうした、フィード? 何か質問か?」
ウォルターは不思議そうな表情で首を傾げている。
「普通なら笑い飛ばす所ですが、あなたが言うなら本当なのでしょうし、あなたなら実際にやってのけるでしょう……ですが今の言葉をそのまま受け取ると、あなたは『別の世界』からイオリ殿を拉致してきたばかりか、肉体をスライムとして再構成した、という事になるのですが」
まさか、違いますよね? そんな事は無いですよね? 何かの間違いですよね?
そんな感じの問いが、言外にたっぷりと込められた言葉。
「結果的にはその通りだ。よくわかってるじゃないか。やはりお前は優秀だな」
「う……ッ」
ウォルターに得意顔で頷かれ、青年はくらりと気を失い倒れ込んでしまった。
「フィ、フィードゥキアさん! どうしたんですか!?」
「――兄さん!? 兄さん、しっかりして下さい!」
慌ててメモリアが青年を抱え起こし、女性が心配そうに顔を覗き込む。伊織は自分の直感が正しかったのを理解した。この人は良い人だ。間違いない。
ようやく話が通じそうな人間と出会え、伊織はホッと胸をなでおろしていた。
「――――情けない所を見せてしまってお恥ずかしい限りです……早速ですが、自己紹介をさせて下さい。僕はここ第十空中都市メルクリウスでF&G商会を営んでいる、メルクリウス=フィードゥキア=パクスアシオと申します。フィードとお呼び下さい。彼女は僕の妹兼F&G商会の共同経営者のグラティアです」
「メルクリウス=グラティア=パクスアシオと申します。兄ともども、よろしくお願いします――――……? あの、イオリ殿、どうかされたのですか?」
グラティアがぷるぷると小刻みに震えている伊織を気遣うように声をかける。
「いえ……ちゃんと話が通じる人に会えたのが、本当に嬉しくて……!」
こんな身体でなければ、感極まって涙をこぼしていただろう。心中を察したのか、二人は同情の眼差しで伊織を見ている。どうやら二人もウォルターには苦労させられているようだ。
「不躾な質問で申し訳ないのですが、イオリ殿は、その……『別の世界』でどのようなお仕事を? 突然姿を消す事になって、混乱が起きていなければ良いのですが……」
一瞬質問の意図がわからなかったが、よく考えると当たり前の心配だ。伊織がただの学生だからまだ良いようなものの――本人からすれば全く以って良くないが――もしもこれが要人なら大変な事になっていた。
話が通じる常識人に余計な心配をかけたくないので伊織は正直に自分の素性を説明する。
「学生、それも十七歳ですか……しかも試験を控えた身で……何と申しましょうか、心中お察し致します……」
「申し訳ありません、イオリ殿。ウォルンタース殿の出資者として、私達に責任が無いとは言いきれません。F&G商会として、出来る限りの補償をさせて頂きたいと思います」
(何て良い人達なんだ! 比較対象が酷過ぎて、二人が聖人に見えてきた……)
変人ばかりの世界かと絶望しかけていたのだが、どうやらそんな事は無かったようだ。
「あの、補償とか必要無いので、どうにかして僕を『元の世界』に戻す事は出来ませんか? お二人に迷惑をかけたくないですし、それさえ叶えてもらえるなら、僕はそれだけで……」
藁にもすがる思いで尋ねてみたが、二人はぐっと言葉を飲み込んでしまった。その表情が全てを物語っている。
「……残念ですが、ウォルンタース殿の天道術はまごう事無き天才の業です。彼と同じ事が出来る人間はこの世界には存在しないと断言できます」
「そんな……!」
「ただ、ウォルンタース殿の思考はハッキリ言ってどうしようもなく歪んでいますが、今までに約束を違えた事だけはありません……今は、彼の言葉を信じるしか……」
「やれやれ、『天才とは孤独なもの』とはよく言ったもんだ。ま、別に構わんがね」
グラティアの直球の批判にも何処吹く風だ。
伊織は確信した。やっぱり頭おかしい、この人。
「ウォルター様、私はウォルター様の味方ですから!」
メモリアが必死でウォルターを慰めようとしている。物腰は丁寧で外見は文句無しの美少女なのだが、残念ながらウォルター同様、常識をどこかに投げ捨ててしまっているらしい。
どうやらこの場で伊織が頼れるのは、フィードとグラティアだけのようだ。
「あの、フィードさん、グラティアさん、僕はただの学生です。それ相応の扱いで構わないので、どうかよろしくお願いします。本当に、お二人しか頼れる人がいないんです!」
フィードは少し思案した後、にこりと微笑んで手を差し出してきた。その表情はさっきまでの硬いものではなく、親愛を感じさせるものだった。
「わかりました。こちらこそ、よろしくお願いしますね、イオリくん」
「はい!」
友好の握手を交わしたのは良いものの、ふにふにとした伊織の手触りが気に入ったのか、しばらく手を離そうとしなかった。