01
よく似た外見の男女がテーブルに向かい合って座っている。男の方は目元が穏やかで、女の方は少しばかり険のある目元だ。髪の長さと男女の体型の差を除けば、まさに瓜二つといった感じである。
テーブルには多量の書類が並べられ、二人はそれに目を通しているようだ。
「うんうん、やっぱり耐用年数の長い愛玩用ホムンクルスは当たりだったね。高めの値段設定でもこんなに展示会の見学希望が届いたよ」
「……精製者がウォルンタース殿である事を前面に押し出せば、倍の値段でも買い手が殺到する筈なんですけどね」
ホクホク顔の男とは裏腹に、女の方は何処となく不満げだ。
「グラティア……それについては何度も話し合っただろう? ウォルンタース殿の名前はブランドにするには有名すぎるんだ。高値で売れても、結局は転売屋を喜ばせるだけだよ」
「フィードが言いたい事もわかりますが、現実問題、私達の懐事情は火の車なんですよ。多少転売屋を喜ばせる事になったとしても、私達の取り分を増やしたいと思うのは当然でしょう」
グラティアが溜め息混じりに頬杖をついた。
「それは、まあ、そうかもしれないけど……それで売り上げが一時的に伸びたとしても、F&G商会の名前が売れる訳じゃないだろう? ウォルンタース殿のホムンクルスが売れるのは当然として、今は商会の名を上げてそれ以外の商品も扱えるようにならないと」
「はぁ……言わんとしてる事はわかるんですけど……」
「それに、転売屋なんかに渡ったらホムンクルスがかわいそうじゃないか! 商品として扱う以上、彼らの幸せも考えてあげるのが一流の商人ってものだよね」
フィードはこれ以上ない満面の笑顔で胸を張っている。
「またそんな理想論を……夢だけで食べていけるほど、世の中甘くないんですよ?」
「う、それは……わかってるよ。僕のわがままで、その分グラティアに苦労をかけてるよね……ごめん」
「あ、謝らないでくださいよ、まるで私が責めてるみたいじゃないですか」
「……違うのかい?」
「私は……兄さんについていくと決めたんですから、兄さんが正しいと思うようにしてくれて構わないんです。ただ、今みたいに口出しだけはさせてもらいますけど……」
微かに頬を染め、ふいと顔を逸らす妹の姿に、フィードは柔らかい笑顔を浮かべていた。
「ウォルター様、私はそろそろ夕飯の準備に取り掛かってよろしいでしょうか?」
「おっと、もうそんな時間か。ああ、イオリの分は必要ないからな、普段通りで構わんぞ」
「そんな! 僕には食事すらないんですか!?」
「おいおい、何を言ってる。お前には食事を『与えない』んじゃなくて、『必要ない』んだ。それとも、腹が空いてるのか? 喉が渇いてるのか?」
言われてみると空腹も喉の渇きも感じていない。あれだけ大声を出したと言うのに、喉――から声を出している訳ではないが――のかすれもなかった。
「お前は特別製だからな。他のホムンクルスのようにエネルギーを食事という形で摂取せずとも問題ないんだ。生命の維持に水分も使っていないから、水分補給も同様に不要だ」
そんなの、まるで化け物じゃないか!
思わず声をあげそうになったが、そんな抗議をした所でこの狂人には通じないだろう。伊織は言葉を飲み込んでぐっとこらえるしかない。
「さて、と……それではさっそく働いてもらうとするか。イオリ、お前料理の経験はあるか?」
「そ、それは……ありません……」
家族と同居している高校生なら、そうそう包丁を握る機会は無い。別に恥じる理由はないのだが、聞かれた事に対してできないと答えるのは何となく申し訳ない気持ちがあり、伊織の返事は弱々しかった。
「なら、この機会に覚えておいても損は無いだろう。何にせよ、まずはフラスコから出てもらわないとどうにもならんな……やってくれ、メモリア」
「はい、ウォルター様」
声をかけられたメモリアは、タッチパネルのような何かを操作している。
(そう言えば、ここの文明はどうなっているんだろう……?)
ウォルターの白衣とメモリアのメイド服。二人の服装は洋服に似ている。少し違和感はあるが、誤差はファッションの範囲内だ。
「――え、ちょっと……うわぁあ!」
フラスコが高く持ち上げられたかと思うと、ゆっくりと傾いて上下が逆さまになった。当然、伊織はフラスコの口から外へと滑り落ちてしまう。床でぶにょんとはねたが痛みは無かった。
「ふむ……面白い感触だな。パン生地に似ているが……微かに温もりがある」
外に出た伊織をウォルターがぺたぺたと触っている。伊織は肌を触られるくすぐったさに身をよじるが、相手の気分を害すると何をされるかわからないので我慢する。
「――――う、あっ……!?」
突然、伊織の腹部が言いようの無い不快感に襲われた。驚いて目をやると、ウォルターが無遠慮に人差し指を伊織の腹部に突き刺していた。
「うわあぁぁぁぁ!」
次の瞬間、伊織は思い切りウォルターを突き飛ばした。恐怖からの反射だったため、後の事も考えずに身体が動いてしまっていた。
のけぞったウォルターはすぐ後ろにあった機材に頭をぶつけ、ゴツンと大きな音が響き渡る。
「ウォルター様!」
「騒ぐな、メモリア。大した事じゃない。」
慌てて駆け寄ろうとしたメモリアをウォルターが手で制した。
しゃがみこむという不安定な体勢でなければ、恐らくびくともしなかっただろう。
ゆっくりと起き上がり、伊織を見下ろすウォルターにはそれだけの威圧感があった。
「ご、ごめんなさい! すいませんでした!」
ウォルターを怒らせれば約束を反故にされて一生奴隷同然にこき使われるかもしれない。恐怖と絶望に塗り潰されそうになっていたのだが、当のウォルターは満足そうに伊織を見ている。
「どうやらその状態でも人並みの力は出せるみたいだな。雑用程度なら十分こなせるだろう。励めよ、イオリ」
気安く肩を軽く叩くと伊織の手を取って立ち上がらせた。
予想もしなかった反応に、伊織は言葉が見つからない。
「なんだ、どうかしたのか? ……ああ、今ので罰を受けると思ったのか。安心しろ。お前が仕事でヘマしようと、俺にどんな暴言を吐こうと、さっき交わした約束は決して違えんよ」
ウォルターの表情は晴れやかで、そこに嘘や偽りの気配は一切存在しなかった。
「さて……働いてもらう前に、ここの家主に挨拶をしておかなくてはな」
だが伊織の顔の無い顔を見て少し考え込む。
「しかし……さすがに表情が無いのは不便だな。あまり余計な手は加えたくないんだが……それだけは追加しておくか」
「えっ!? ちょっと、待って下さい! 何をするつもりなんですか……?」
尋ねる伊織の問いには答えず、ウォルターは白衣の袖をまくり何かの準備をしている。ぐっと拳を握り締めると、その手を包むように立体的な魔法陣のようなものが浮かび上がった。
「ちょ、ちょ、ちょ! ちょっと待って下さい! 何なんですか、それは!? ま、魔法!?」
「何って言われてもなぁ……ちょっとお前の身体をいじるだけだから心配するな」
「い、いやだ! やめてください! 不安しかないです!」
ウォルターが拳を開くと、球状の立体魔法陣はその手の平にとどまっている。
「ま、痛みは無いから。……多分」
「多分って何ですか!? 多分って! ちょ、まっ、やめ…………うわぁぁーーーー!」
ペチーンと気持ちの良い音が響き、手の平から伊織の顔面に魔法陣を送りこんだ。
「う……あ……! 顔に、何かが……!」
「わぁ……!」
成り行きを静かに見守っていたメモリアが目を輝かせた。
「ふむ……シンプルだが何処となく愛嬌もある。良い感じじゃないか」
「うう……鏡……鏡を……」
不安に襲われながら、よろよろと姿見を覗き込む。
「な、なんなんですか、これは……」
そこに映っていたのは、焼き海苔を張り付けたような太い眉、丸い瞳、そして眉と同じく焼海苔を張り付けたような真っ直ぐな口。日本人なら、『雪だるまの顔』と言えばわかるだろうか。
それは伊織の感情の揺らぎに反応して形を変えるらしく、目まぐるしく変わるその様は、まるで顔文字やアスキーアートのようにも見える。
今はげんなりとするその心境を裏付けるように、両眉が八の字の形に垂れ下がっている。
「どうせならちゃんとした顔にして下さいよ! こんな顔文字とかユルキャラみたいな顔は嫌ですよ!」
「そうか? 何を言ってるのかわからんが、結構いい感じだぞ。なぁ、メモリア」
「はい。とても良いと思います」
力強く頷くメモリア。
(ああ、そうか……ぬいぐるみとかユルキャラとか、女の子は好きだよね……)
項垂れ肩を落とす伊織をよそに、ふと思い出したようにウォルターが口を開いた。
「――――ああ、そうだ。メモリア、お前イオリに仕事を教えてやれ。この世界の事情もわからんだろうからな、しばらくは付きっきりでイオリをフォローするんだ」
「……はい、わかりました」
メモリアは伏し目がちに頷いた。
「お前にとっても、会話が出来る初めての後輩だ。しっかりやれよ――――って、なんだ、不服そうだな。何か言いたい事でもあるのか」
「あ! いえ、何でもありません! 失礼いたしました!」
慌てて否定したが、メモリアは微かに頬を膨らましているように見える。
どうやらメモリアは伊織に対して何やら思う所があるようだが、ウォルターの言葉が優先されるようだ。
「イオリ、俺の古着で悪いが、とりあえず今はそれでも使ってくれ」
そう言ってウォルターが投げてよこしたのは、丸まった毛布のような何か。広げてみると、フードがついた厚手のコートのような上着。いわゆるローブというものだろう。
「そっちの世界にも服ぐらいあっただろ? いや、全裸が希望なら別に止めはしないが」
(そうだった! 今の僕は素っ裸じゃないか!)
言われて初めて気がついた。伊織の視点では真っ白な着ぐるみでも来ているように見えるが、実際は一糸まとわぬ姿なのだ。
「ありがとう、ございます……」
慌ててローブを着込むと、礼を言ってウォルターに頭を下げる。
「ふむ……ま、わかっちゃいたがサイズはぶかぶかだな。まあ良いか、まともな服が用意できるまでそれで我慢してくれ」
本当の身長はもっと高かったのだが、今の伊織の身体は女の子であるメモリアと同じ程度にまで縮んでしまっている。当然、長身のウォルターの上着を渡されてもサイズが合う訳が無かった。
すそが床にこすれているが、足を取られる程では無いので我慢する。
「じゃ、行こうか。今の時間なら二人とも揃ってる筈だ」
そう言うと、ウォルターは実験室の扉を開け、伊織を外へ連れ出した。