03
「よし、これであらかた必要な器官は設計できたな。もう喋れるだろ。どうだ?」
「なんなんだよ、これは!? 僕にいったいなにをしたんだ!?」
姿見に映っているのはのっぺらぼうの出来の悪い土人形のような姿。手足の関節は曖昧で、まるで白い粘土細工のように見える。
言葉を発する事は出来るようになったが、舌を使ってしゃべるのではなく、身体を振動させて音を発生させるような状態だ。伊織は言葉を発するたびに、まるでスピーカーのように身体が震えるのを感じていた。
口だけでなく、目や耳や鼻といった器官も見当たらないが、どうやらその機能は人体と似たような位置に存在しているらしく、それらの感覚に不都合は無かった。
ウォルターは伊織が説明するよう声を上げても、まるで動じていない。
「そろそろ自分の置かれた状況が理解できただろう? ここはな、君が元いた世界とは別の世界だ。意志疎通ができないんじゃ都合が悪いから、この世界の基本情報は追加させてもらった。――とは言っても言語ぐらいだが」
有り得ない! 咄嗟にそう口にしかけた所で、ウォルターとメモリアの容姿がそれを思いとどまらせた。二人の外見は、まさに別世界と呼ぶしかない姿だからだ。
「夢だ……こんなの、夢に決まってる……!」
そうとしか思えない。こんなものが現実な訳が無い。
「ほう、そっちの世界にも『夢』という概念があるんだな! となると、やはりどっちの世界も人間の作りは大差ないという事か……これは興味深いぞ!」
今にも倒れてしまいそうな伊織をよそに、ウォルターはテンションを上げている。
「よし、じゃあこうしよう。これは夢だ! 夢なんだから、何でもありだ! そうだろ?」
(……は?)
いきなり突拍子の無い事を言われ、伊織は言葉を失う。
「もう一度自己紹介をしておこうか。俺はミネルヴァ=ウォルンタース=ニゲルセプス。君に敬意を表し、特別に『ウォルター』と呼んでもらって構わない」
「――ッ!?」
(何を……言ってるんだ、この人は……それになんでこの女の子は僕を睨んでるんだ……)
メモリアがキッと伊織に鋭い視線を向けている。これまで一歩下がった位置で淡々と手伝いをしていたのだが、小さな手で服の裾を握り締め、何かに腹を立てているように見える。
「で、そろそろ君の名前を教えてもらいたいんだが、どうだ?」
(夢、か……は、はは……うん、夢なら……)
ウォルターはメモリアの変化にも、燃え尽きてしまいそうな伊織の状態にもまったく注意を払おうとしない。
話が通じないウォルターに半ばやけになり、伊織はうわ言のように名前を呟いた。
「僕は……白石 伊織といいます……」
「シライシイオリ……聞いた事の無い響きだ。やはりこちら側とは違うんだな……パーソナルネームとファミリーネームの区別はあるのか?」
ウォルターが自己紹介の時に名乗ったいくつかの単語は理解できなかったが、今言った意味は理解できた。パーソナルネームはいわゆる『名前』で、ファミリーネームが『苗字』にあてはまる。
どうやらこの世界には共通語と天上語という二つが存在し、伊織に理解できるのは共通語だけのようだ。
「パーソナルネームは伊織……ファミリーネームが白石になります……」
「そうか、じゃあイオリだな。うん、なかなか良い響きじゃないか!」
何故かウォルターは楽しそうに頷いている。
「なら、イオリ。その身体は君が望めば、本来の君の姿になる事が出来るんだ。……という訳で、やってみてくれないか? やはり俺としても、『君』自身と話がしたいんでね」
(元の身体に戻れる!? でも、どうすれば……)
戻れると言われても方法がわからない。戸惑う伊織をよそに、ウォルターは目を輝かせながら元の姿に戻るよう促してきた。
「ほら、これは夢だと言っただろ? 夢ならなんだって出来る! さあ、やってみてくれ」
いくら夢だと言われても、伊織にとってはどうしようもなく現実だった。もちろん元の姿には戻りたいが、やり方がわからない。
「……おかしいな、出来ないのか? 何か理由が……って、ああ、もしかして――――」
変化が無い伊織に、ウォルターは何やら考察を始めている。そのあくまで他人事な姿勢に、とうとう伊織は膝をついて両手で顔を覆い、言葉にならない嗚咽を漏らす。
「なんだ、泣きたいのか? 泣くならちゃんと涙を流さないと不自然だぞ。ほら、涙腺から涙が滲み出るのをイメージするんだ。ああ、その前に眼球の構成を先に――――」
「もう、いい加減にしてよ! お願いだから、僕を家に帰して! ここが違う世界だって言うなら、今すぐ元の世界に戻してよ!」
伊織は思わず大声を上げていた。今までこんな大声を出した事はなかったが、状況も接している相手も異常なのだ。ただの学生の伊織にはもう限界だった。
「――ふむ、イオリはそんなにこの世界が嫌なのか? だが、来たばかりでロクに情報も無い筈なんだが……何故そう感じるのか、是非とも聞かせて欲しいな」
一見すればようやく伊織の声に耳を傾けたようだが、その目に同情や罪の意識といったものは一切存在しない。ウォルターの瞳に浮かぶのは純粋な好奇心のみだった。
それを理解した途端、伊織にこれまでで最大の絶望がのしかかった。
「――――いや、この場合は逆の質問にするべきか……イオリ、君は元の世界でそんなにやりたい事があったのか?」
(――ッ! ここで説得できれば、もしかするともしかするかもしれない!)
伊織は一縷の望みを懸けて、必死で元の世界に戻りたい事を訴えた。
自分は将来医者にならなければいけない事を、その為に勉強をしなければならない事を、ひいては大学受験に合格しなければならない事を、言葉の限りに訴える。
「――――なるほどねぇ……どこの世界にも似たような試験があるんだなぁ」
きちんとウォルターに伝わったのか、少なくとも今までで一番まともな反応に見える。
「医者、か……立派な目標じゃないか。俺は応援するぜ?」
「な、なら――――」
「そうだな、お前さんの人となりも大体わかったし……条件を出そうか」
(条件だって!? そんなの嫌な予感しかしない! やっぱり伝わってなかった!)
もしかしたら、と思ったのだが、やはり駄目だった。
「お前をこちらに呼び込んだ天道術は非常に大規模なものでな……準備に一ヵ月は必要だ。その準備が整うまでの間、お前には俺の従者として働いてもらおう」
「そんな! そんな事をしてたら夏休みが終わってしまう!」
ウォルターはにやりと笑みを浮かべた。伊織の嫌な予感が加速していく。
「つまり、一ヵ月の間は夏休みとやらなんだろう? なら何の問題も無いじゃないか。別に俺は一年でも二年でも構わないんだがね」
「な……!」
返す言葉が出てこない。不平や不満ならいくらでも思い浮かぶが、ウォルターを説得できる言葉が全く浮かんでこない。そんな伊織の様子を眺めながら、ウォルターはクックと喉を鳴らし、楽しそうに笑みを浮かべている。
「状況が理解できたようで大いに結構。なに、これは夢だよ。ただし、一月の間は目が覚めないだけの話だ……それでは、お前も知識としては理解しているだろうが一応言っておこうか」
(嫌だ! 聞きたくない!)
伊織がどれだけ拒否しようと、この現実が変わる訳ではない。
耳を押さえてうずくまる伊織にウォルターは逃れられない現実を突きつけた。
「ホムンクルスとして生まれ変わったイオリ=シライシ……第十空中都市メルクリウスにようこそ。歓迎するぞ。――――ああ、そうだ。別にここから逃げたきゃ逃げても良いが、そんな身体で行くあても無いだろ? ま、短い間だが仲良くしようじゃないか」
――――ある夜目を覚ました僕は、この狂人の下で一ヵ月もの間、家畜同然の身分のホムンクルスとして使役される事になってしまった。