05
「ああああアアァァァァ!!」
アルターリアの咆哮が轟き、庭園を業火が飲みこんだ。熱を操る魔眼で視界に映るもの全てを焼き尽くそうとしたのだ。だが――――
「どうした、もう終わりか! その程度じゃ俺には届かんぞ!」
燃え盛る炎はウォルターの周囲を避けるように広がっている。魔眼の力も天道術に属するもの。当然天道術で防ぐ事が出来るのだ。
「ハァ……ハァ……ハッ……う、グッ……!」
アルターリアが膝をついた。その呼吸は荒く、青ざめた顔には幾筋もの汗が流れている。
魔眼もその発動にエーテルを必要とし、それは接続された肉体から供給される。エーテルを大量に消費した肉体はその意識を保つ事が出来なくなる。
主人同様、水蛇のホムンクルスも内包するエーテルを使い果たし、主の懐へと戻っていた。
「……どうして…………どうして一度も手を出さないのですか……! 命を奪おうとした相手に侮られるなど……先生はどこまで私を辱めれば気が済むのですかッ!」
最後の力を振り絞り一点に魔眼の力を収束させたが、それもウォルターの腕の一振りでかき消された。アルターリアの衰弱に比例して鮮やかな真紅のローブはその色合いを失っていく。金糸もその輝きを失い、まるで真鍮のようになっていた。
「ローブに蓄えていたエーテルも枯渇寸前だな。……悪いが、拘束させてもらうぞ」
ウォルターが手をかざすとアルターリアの足元に魔法陣が浮かび上がった。瞬時に魔法陣から無数の鎖が伸び、動く体力もないアルターリアの全身を縛り上げる。
「う、ぐッ……あ、アアァァァァ!!」
拘束から逃れようとアルターリアが力を振り絞るが、鎖はびくともしない。鎖は視界をふさぐように目元を覆い、視認が必要な魔眼をも完全に封じていた。
「大人しくしていろ。別にお前を傷つけるつもりはない。俺は……もう俺に構っても意味が無い事をイグニスレオに理解して欲しいだけだ。本当は次期当主であるベラーレに伝えたかったが……この際、お前でも構わないだろう」
疲労のあまり抵抗する気力も失せたのか、アルターリアは大人しくなっている。聞く気はあると判断し、言葉を続ける。
「いいか、さっきも言ったが、俺が精製した『哲学者の石』はもう存在しないんだ。あれはホムンクルスの材料として消費してしまったからな。これからお前にも紹介するが――――」
不意に書斎の窓から男が飛び降りてきた。その肩には意識を失った何者かが担がれている。
「お嬢、陽動役を見事に果たされたな。おかげで無事に『哲学者の石』を回収できたぞ」
「――なッ!? 貴ッ様ァァ!」
フルカが担いでいるのが誰か。それに気付いた瞬間、ウォルターが激昂していた。
「その反応……やはり、という事か」
烈火の如く怒るウォルターを前にしてなお、フルカは不敵な笑みを浮かべていた。
――――その少し前。
「ウォルターさん、自分から手を出してない……?」
「そうみたいだね。どうやら相手を消耗させるつもりらしい。……あの娘とは縁があったらしいし、多分傷つけたくないんだろう」
「でも、それではウォルター様が!」
「落ち着きなさい、メモリア。ウォルンタース殿の防御陣は並大抵の力ではびくともしないわ。現に、押されているように見えるけど一度も攻撃は受けていないでしょう」
アルターリアの猛攻によりウォルターが防戦一方のように見えるが、その実ウォルターは傷一つ負っていなかった。
「そ、そうですね……これなら――――何者ですッ!」
突然何かに反応したメモリアがダガーを投げつけた。皆がそちらに目をやると、何時の間にか一人の男が書斎に入り込んでいた。扉が壊されていたとはいえ、誰も気付けなかったのだ。
「おっとと、これはこれは。手荒い歓迎痛みいる」
男は投げられたダガーを指で受け止め、笑顔を浮かべている。ウォルターを超える長身にウォルター以上に鍛えられた褐色の肉体。その姿は明らかに普通の天上人とは一線を画していた。
「あなたはホムンクルスに操られている訳ではないようだ。話が通じる相手と思ってよろしいでしょうか?」
「ええ、その通り。ここには話をしに参った次第です。フィードゥキア殿、グラティア殿」
「あら、それは助かります。話の通じない者をよこされて困っておりましたので」
冷やかな皮肉を浴びせられ、男が肩をすくめる。
「それについては申し訳ない。しかし、こちらにも色々と事情がありまして。……まあ、単刀直入にいきましょうか。『哲学者の石』はどちらです? 屋敷の中はあらかた見て回ったんですが、他にそれらしいのが見当たらなくて。あれはホムンクルスの材料に使ったんでしょう?」
「え?」
「――ッ! 動くな!」
よくわからない質問に伊織とメモリアが首を傾げたが、フィードは即座に命令を発していた。
「ほう、これがメルクリウスの『法則』か……術者の命令に従い、それを実現するために必要な天道術を自動で構築する……初めて体験したが面白いな。天道具はこの屋敷か? いや、領地そのものか? どちらにせよ大したものだ!」
「わかっているなら話が早い。あなたは何者ですか? ここには何の目的で?」
「俺はマルス=フルカ=ニヒルネブラ。イグニスレオの、なんだ、雑用係って所だ。目的は『哲学者の石の』回収――――って、凄いな面白いな! 自白させる事もできるのか!」
ぺらぺらと素性を明かした後、フルカが声を上げて笑い出した。捕らわれている現状に気付いていないのだろうか。
「第六空中都市マルス……農耕と闘争を研究する空中都市……あなたはどちらだ?」
「さて、どっちだと思う?」
フルカが質問に対する回答を拒否すると、ぎしりと空間が音を立てて軋んだ。そのまま更に停止の命令を無視しフィード達へと一歩前に進み出る。
「馬鹿な……!?」
「制圧します!」
ありえない光景にフィードが驚愕し、危険を察知したメモリアは即座にフルカへ刃を向けた。
「――ほう、その構え。いくらか心得はあるようだな。来いよ、ホムンクルス。遊んでやるぜ」
「気をつけて、メモリア! その男は普通じゃない! イオリくん、あなたは下がりなさい!」
「え、あ、ちょ――――」
グラティアに肩を掴まれ、伊織はむりやり後ろへと押しやられた。
「……参ります」
一気に懐に入ったメモリアが胴を薙いだ。紙一重で回避されたが、もう片方のダガーが腿を狙って突き放たれる。
「良い動きだ、やるじゃないか! 誰かに師事したのか? 自己流ではないだろう?」
(当たらない……!? 私の方が速いのに、どうして……!?)
「動きを見ればわかる。それは持って生まれたものではなく、努力によって鍛え上げたものだ! 素晴らしいぞ、ホムンクルス!」
フルカの動きは重しが乗せられているように緩慢だが、メモリアの斬撃はかすりもしていない。ダガーと体術を織り交ぜた高速の剣舞は全て紙一重で回避されていた。
(駄目……! この人、私の動きを完全に見切ってる……このままじゃ!)
メモリアとフルカの身長差はこの場合不利にはならない。メモリアの目的は動きを封じる事で、その狙いは急所ではなく脚なのだ。本来、小さく小回りが利く相手の攻撃は回避が難しい。なのにそれを完全に回避されるという事は彼我の実力の差がそれだけ大きい事を意味する。
「……しかし、妙だな。このホムンクルスからは天道術の匂いがしない。何の能力も与えられていないとでも……? いや、それでもマテリアルを含んでいれば多少は匂う筈だ」
「どうなってるんだ……!? どうして彼は法則を無視して動く事が出来る!」
「考えられる可能性は一つ……あの男の身体能力が法則の縛鎖を上回っているとしか……」
「馬鹿な! 戦闘用ホムンクルスですら動きを封じられるんだぞ! いくらマルスの戦道士でもその強制力を振り切れる訳がない!」
「ああ、実際たいしたもんだぜ。おかげで一割の力も出せやしない……だが、そもそも法則なんてものは力を背景に機能させるもんだ。つまり、それ以上の力を持つ相手には意味がねぇんだよッ!」
空間の軋みはさらに大きくなっている。まるで鎖に繋がれた猛獣が暴れ狂い、その拘束を引きちぎらんとしているようだ。
「くっ――――!」
「ぬるいぞ、ホムンクルス!」
ダガーの剣舞をかいくぐり、フルカの拳がメモリアの腹部を打ち抜いた。
「う……ッ……――――」
「なるほど、普通のホムンクルスとは違う特別製……ってことは、こいつが……? そうか! 『哲学者の石』で人間と変わらないホムンクルスを生み出したのか! 完全な人間の創造こそがホムンクルス精製の終着点! ウォルンタースはそれをついにやり遂げたという事か! 素晴らしいぞ、五芒天道士と呼ばれるだけの事はある! 最高じゃないか!」
「メモリア!」
「駄目だ、イオリくん! 君は下がっているんだ!」
思わず前に出ようとした伊織をフィードが押しとどめる。
「ん……? ああ、そうだった。もう一体いたんだよな」
フィードごしに伊織を見据え、すんと鼻を鳴らす。
「……ふむ。微かではあるが天道術の匂いがするな。って事は、こいつは普通のホムンクルスか……なら、どうでもいい」
それきり伊織には興味をなくし、気を失ったメモリアを抱え上げる。
「さてと、目的は果たした事だし――――」
パチンとフルカが指を鳴らした。
「――ッ!? ――――ッ――――ッッ!!」
倒れていた男が声にならない悲鳴を上げ、激しくもがきはじめた。背中に寄生していたホムンクルスが溶け始め、宿主の肉体ごと溶解しているのだ。
ホムンクルスと共犯者をまとめて消去する、あまりに悪辣な手段。
「なんて、ことを……ッ!」
「おや、ホムンクルスの不具合かな? いやはや、なんとも不幸な事故だ」
「この、腐れ外道!」
フィードとグラティアが激しく非難するが、フルカは他人事のようにうそぶいている。
「だが安心してくれ。あなた方には手は出さんよ。没落したとはいえ、パクスアシオの跡取りを殺したとなると余計な波風が立ちかねんからな」
「待ちなさ――――!」
グラティアが制止するより早く、フルカはメモリアを担いで窓から飛び降りていた。
火の粉が舞い散る庭園でウォルターとフルカが向かい合っている。
「初めまして、ミネルヴァ=ウォルンタース=ニゲルセプス。俺はマルス=フルカ=ニヒルネブラ。以後お見知りおきを」
芝居がかった仕草でフルカが頭を下げる。
「ここで死ぬ奴の名など、覚える気は無い!」
ウォルターが吠えると同時に、フルカの足元を氷山が飲み込んだ。
「おっと、危ない危ない。しかし、流石は五芒天道士。お嬢の魔眼以上の天道術を自力で行使するとは!」
フルカの動きは緩慢だった。だが、まるで氷に包まれるのを事前に知っていたかのように、術が発動する前にその場から跳躍したのだ。
「こいつ、今の動き……――――まさか、マルスの上位戦道士か!?」
「さすがはウォルンタース殿。知識が豊富でいらっしゃるな。俺の階級は『魔人』。マルスの戦道士の頂点に位置している。なかなか遊び相手に恵まれなくて退屈していたんだが、お前なら俺の飢えを満たしてくれそうだ!」
常人なら気を失う程の闘気を叩きつけられ、ウォルターが守りの構えをとる――――
「だがその前に、やるべき事をやっておかないとな」
ウォルターに襲いかかると思われたフルカだが、それとは逆に背後へと大きく跳躍した。そこにいたのは天道術の鎖で拘束されたアルターリア。
「ちぃ……しまっ――――!」
「遅い!」
闘気の放出がフェイントだった事に気付くウォルターだったが、それより早くフルカの手刀が一閃し、鎖の束縛を断ち切っていた。
「――ぐっ……フルカ殿、申し訳ない……結局、私は足をひっぱる事しか出来なかった……」
「なに、気にする事は無い。これから大いに役に立ってもらうのだから」
「え――――?」
「逃げろ! アルターリア!」
フルカの不穏な気配を察し、ウォルターが声を上げる。だが、それも手遅れだった。
「魔眼は回収するように言われているのでね、悪く思わないでくれよ」
次の瞬間、フルカの指がアルターリアの両の眼球をえぐり取っていた。
「ア、ああアア!? が、ああァァあああアアアーーーーッッ!?」
不意に視界が真紅の暗闇に包まれ、両眼は焼けるような激痛に襲われている。
「ふむ……書斎よりはマシだが、やはりパクスアシオの領域では力が制限されるな。これでは俺が全力で遊べない。……という訳で、この続きはミネルヴァでやろうじゃないか」
「あ、あアぁぁ……痛い、痛いィィ! 何も、見え、ない……!? どうして、ですか! どう、して……こん、な……ッ!」
「何故って言われてもなぁ。眼球から魔眼を構成する天道術だけ抜き取るなんて事、機材も無しに出来る訳ないだろ。なら、眼球ごと回収するしかないじゃないか。――ああ、それとお嬢、痛いのはわかるが少し安静にした方が良いな。でないとコロッと逝っちまうぞ?」
フルカは両眼を抉ると同時にアルターリアの手首にも傷をつけていた。本人は気付いていないが、動脈まで達した傷口からは今この瞬間もおびただしい量の血液が噴出している。
「さて、と。それではまた会おう、ウォルンタース殿。再会の日を楽しみにしているよ」
「この、クソ野郎が……!」
ウォルターは全て理解した。こいつは自分がアルターリアが見捨てられない事を見抜いていたのだ。いや、そもそも、そのためにアルターリアを連れてきた可能性すらある。
ここでフルカを追うなり逃亡を阻止するなりすれば、まず間違いなくその間にアルターリアは失血死する。奪われたメモリアを奪還する機会はあるかもしれないが、ここでアルターリアの命が失われればそれを取り返す事は絶対に出来ない。
そして、ミネルヴァの天道士がメルクリウスでこれだけの事をしてただで済む訳が無い。誰かが相応の責任を取らなければならないのだが、それをアルターリアに押し付けたのだ。
アルターリアはイグニスの直系に連なる者。責任を取らせるには十分すぎる。
つまりアルターリアはイグニスレオに切り捨てられた。全ての状況がそう物語っている。
「――――おっと、護衛の犬型ホムンクルスがこちらに向かっているな。別に追って来ても構わんが、ホムンクルス相手なら加減はせんぞ」
メモリアを肩に担ぎ、ホムンクルス以上の速度でフルカは夜の闇へと消えていった。
「ウォルターさん!」
「あ、ちょ、イオリくん!」
制止の声を無視し、書斎の窓から伊織が飛び降りた。きれいな着地ではなかったが、ぶにょんぶにょんと数回バウンドしただけですぐに立ち上がる。
「メモリアは!? って、アルターリアさんどうしたんですか!? 血が、そんなに!」
「オクトー、来い!」
ウォルターが声を張り上げると、森の中からオクトーが飛び出し駆け寄ってきた。
「こいつを実験室に運べ。止血も頼む」
「――ッ! ひどい……これ、手首が……!」
アルターリアはオクトーの背に乗せられると、伸びた純白の毛によりしっかりと固定された。ウォルターの命令通り、二の腕には止血帯が施されている。
「それとセプテム! お前はメモリアを追え! ただし、探知できるギリギリの距離をキープしろ! 近付けば確実に潰されるぞ!」
それに応えるようにワン!と吠え声が響き、ガサガサと茂みを走る音が遠ざかって行った。
「イオリ、俺はこれからこいつの手当てを行う。質問があるならついて来い」
「メモリアはどうするんですか!? さっきの人に連れていかれたんじゃ!?」
「黙れッ! 見ればわかるだろ……こいつをこのままにしておけるか!?」
「そ、それは……そうです、けど……でも――――!」
「……手は打ってある! 今は、こいつを何とかするのが先だ……!」
噛み砕かんばかりに歯を食いしばり、ウォルターは拳を握りしめていた。




