02
「ぐすっ……ぐすん……」
「メモリア、大丈夫……?」
「ぐすん……大丈夫、です……ぐすっ……」
朝からずっと、泣いては泣き止んで、泣いては泣き止んでを繰り返していた。
泣きだしてしばらくすると『泣いてはいけない』と思い泣き止むのだが、しばらくするとまた朝のウォルターの「邪魔になる」という言葉を思い出し泣きだしてしまうという悪循環に陥っていた。見かねたフィードが気分転換をさせようと買い物を頼み、二人はそのために公共馬車で市街地に向かっている所だ。
フィードの屋敷は市街地から遠く離れ、周囲を森に囲まれているというかなり辺鄙な場所に建てられている。使用人に働かせることを前提に静かな場所を選んだのだろうが、お世辞にも生活に便利な立地条件とは思えなかった。
馬車が森を抜けると、オレンジの煉瓦屋根に白い壁という色鮮やかな街並みが目に飛び込んできた。その統一され整然とした街の作りは、伊織にヨーロッパの街を連想させる。
(やっぱりこの世界ってヨーロッパっぽいよなぁ……偶然かな? でもなぁ……)
「ねえ、少し休んでからにする? フィードさんも急がなくていいって言ってたし……」
「ううん……ぐすっ……もう大丈夫」
馬車を降り、伊織が気を遣うがメモリアは涙をぬぐい背筋を伸ばした。メモリアにもメイドとしての矜持があるのだ。
「――――えーと、後は……日用品かな?」
「うん。確か雑貨屋さんに置いてたと思うから……向こうだね」
二人はいくつか店を回り、頼まれた品物を手際よく買いそろえていた。最後の品物を手に入れるため、近道に裏路地を抜けようとしていたその時――――
「おーっと、悪いなぁ。ここから先は通行料が必要なんだよ」
「おら、通行料として有り金全部置いて行きな。なぁに、そうすりゃぶっ壊すのは勘弁してやるからよぉ」
人気の無い路地を塞ぐように二人の男が現れた。身なりは薄汚れ、その目は淀みきっている。これではまるでチンピラだ。今まで伊織が見てきた天上人とは明らかに違う。
「え、あ……ねえメモリア、別の道から行った方が――――」
「そいつは無理だなぁ。来た道を戻りたきゃ、通行料をもらわねぇと」
「いや、通行料よりかっさらった方が金になるんじゃねぇか? この人形、かなりの上物だぜ。中古品でも結構な値がつくだろ」
何時の間にか、来た道にも二人の男が現れ道を塞いでいる。最初からここを通る相手を狙うつもりだったのだ。
「……我々は主の命により行動しています。それを妨げるというなら、それは我らの主を侮辱する事を意味します。どうか、お引き取り下さいませ」
静かだが毅然とした言葉で悪漢の要求を退ける。しかし、それを素直に聞き入れる彼らではなかった。警告を無視し、男がメモリアの肩を掴んだ。
「ハッ! ホムンクルスの分際で随分と口が回るじゃねぇか! つべこべ言わずに大人しくしやがれ。その『刻印』上書きしてやっから――――ッ!?」
メモリアが男の手首を掴んだ次の瞬間、男が宙を舞い、したたかに地面に背中を打ちつけていた。受け身の知識が無いのか、投げられた男は白目をむいて意識を失っている。
「な、何をした!? 警備用でもない限り、ホムンクルスは人間に能力を向けられない筈!?」
傍にいた男が慌てふためくが、瞬時に間合いを詰めたメモリアが手刀で顎を打ち払った。
「――――ッ」
脳を揺らされ、意識を絶たれた男がその場に崩れ落ちる。
「こ、この人形風情が――――ウガッ!?」
武器を取り出そうとしたのだろう。離れた場所にいた二人が懐に手を伸ばそうとしたが、それより早くメモリアの投げたダガーがその手に突き立てられていた。
「まだ続けると言うのなら、次はその目を射抜かせて頂きます。その次はもう片方の目を。その次は首を。その次は――――」
再びダガーを両手に構え、コツコツと靴音を響かせながらゆっくりと距離を詰めていく。
「ひ、ひやぁぁぁああ!!」
「か、勘弁してくれぇぇ!!」
二人は悲鳴を上げ脱兎のごとく駆けだしていった。
「ふぅ……まったく、迷惑な人達です」
「大丈夫なの、メモリア!? どこか怪我とかしてない!?」
「これくらい平気だよ、身を守れるだけの技術は磨いているから」
「――――あ、もしかして前言ってた身体を動かす『日課』って……」
「うん、ナイフと徒手の訓練。地上にいた頃にメイドの先生に習ったんだけど、ウォルター様も『自分の身は自分で守れるようになれ』って仰ってたから、今でも毎日続けてるの」
身体を鍛える習慣がなさそうな天上人にはさぞかしこたえた事だろう。
「でも、こういう人達もいるんだね……今まで会った人はきちんとした人達ばかりだったから、空中都市は凄く治安が良いと思ってた……」
「地下都市に住む人はこういった悪事で生計を立てているみたいだよ。グラティアさんが前に、メルクリウスで生活する際の注意事項として教えてくれたの」
これが、昨夜フィードが言っていた『下層』の住人なのだ。天道術という魔法のようなものが存在する世界でも、ドロップアウトする人間は存在するという事か。
「……この気絶しちゃってる人はこのまま?」
「うん。私達ホムンクルスには証言能力が認められていないから、このまま無視して立ち去るのが一番だね。人が被害を申告しないと、警備隊も取り合ってくれないの」
「まあ……メモリアが一方的にやっつけた訳だし、下手に騒がない方が良いかもしれないね」
「うん。そういう訳だから、買い物の続きをしよ? 身体を動かして少しスッキリしたし」
良い汗かいたと言わんばかりに晴れ晴れとした笑顔を向けられ、伊織は何とも言えない苦笑いを浮かべていた。
――――そして夜。
戻ってきたウォルターに伊織はその日あった事とその感想を伝えていた。
「――――って事があったんですけど、空中都市にも危ない人がいるんですね」
「ま、競争していれば落伍者が発生するのは避けられん。絡まれたのは運が悪かったが、メモリアがついていれば問題なかっただろう?」
「ええ、あっという間にやっつけちゃいましたよ。……あ、その事でちょっと気になってたんですけど、メモリアって何の能力を持ったホムンクルスなんですか?」
「――――うん?」
「いや、トリアは掃除の為に電気を発生させる事が出来て、力仕事を任されているオクトーは自在に毛を操るじゃないですか。そんな風に、メモリアにも何か能力があるんでしょう?」
「ああ、そういう事か。メモリアの場合は……そうだな。炊事洗濯掃除戦闘なんでも対応できる万能メイドだ。なかなか良い出来だと俺も自信が――――」
「待って下さい。それは能力じゃなくて、後天的に修得したものですよね? メモリアも言ってましたよ。『メイドの先生に教わった』って」
「――――……ほう、つまり?」
「……ずっと気になってたんですけど、メモリアって本当にホムンクルスなんですか? 仕事中とか色々と話をしてますけど……僕には、メモリアが普通の女の子としか思えないんです」
「…………なら聞くが、メモリアの年齢はいくつくらいだと思う?」
「年齢ですか? ――そうですね、だいたい十五か十六くらい?」
「違うな、正解は十歳だ。俺がメモリアを精製して今年で十一年目だからな」
「えっ!? 十歳、なんですか……?」
十歳だとしたら、人間なら小学校高学年くらいの年齢だ。しかしメモリアの身体は幼いながらも、どう見ても中学生か高校生くらいには発育している。
「ついでに付け加えておくと、メモリアは十年前からあの姿だ。他にも、お前にしたように言葉や一般知識を最初から与えてある。それでもあいつがホムンクルスじゃないと思うのか?」
「――ッ! それ、本当なんですか」
「疑うなら本人に聞いてみれば良い。恐らく自我が芽生えた瞬間から全て記憶しているだろうからな。――さて、それで? 他に疑問はあるか?」
「えっ、あ、いえ……変な事言ってすいませんでした……」
「別に構わんさ。人間に間違われる事は人型ホムンクルスの精製者には最大の褒め言葉だ」
ふふんとウォルターは不敵に笑っていた。
――――伊織がこちらの世界に呼び込まれてから四日目。その日はこうして過ぎ去った。
五日目、六日目、七日目、八日目、九日目。それらもメモリアの手伝いをしている内に過ぎ去って行った。この間、ウォルターは接待と称して毎日遅くまで出歩き、伊織は半ば放置されていた。毎晩その日にあった出来事と、それに対する伊織の感想を話す機会は設けられていたが、積極的に何かをさせるような気配は無かった。
――――そして伊織がこの世界に連れて来られて十日目。
「また変な人に絡まれると困るので、人の多い所を通りましょう」
「そうだね。僕も荒っぽいのは好きじゃないし――って、あれ? あの人……」
今日も買い出しに市街地を訪れていた二人だったが、伊織が何かに気付いたのか声を上げた。その視線の先には一人の少女が慌ただしく何かを探すように周囲を見渡している。
見た感じ、年の頃や背丈はメモリアとそう変わりない。伊織が注意を惹かれたのはその少女の燃えるような真紅の髪。まるでルビーのように輝く赤髪は素直に美しいと思えた。すらりとした体型と首筋までの長さの髪からは活動的な印象を受ける。
「あ、珍しいね。髪が金色じゃないって事は、別の空中都市の方かな?」
一瞬、ホムンクルスか? と思ったがどうやら違うようだ。首筋に『刻印』も見当たらない。
「何か困ってるみたいだけど……声をかけるのはまずいかな?」
「うーん、どうだろう。もしかしたら道に迷ったのかもしれないし……迷惑に思われるかもしれないけど、声をかけるくらいなら……」
そう思うのは二人だけではないらしく、道行く人が声をかけるが、少女はそれを辞退しているようだ。とはいえ、少女はかなり焦っているように見える。見て見ぬふりで通り過ぎるのはどうにもバツが悪い。
「あのー、何かお困りですか?」
「い、いや、気遣いは無用だ! ――――む、もしや君達はホムンクルスなのか?」
「はい。何かお手伝い出来る事があれば、と思いまして」
声をかけられ、慌てて申し出を拒もうとしたようだが、二人がホムンクルスと気付くと少し態度を和らげた。遠目では気付かなかったが、少女の瞳は髪と同様鮮やかな真紅に輝いている。
少女の羽織るゆったりとしたローブは伊織と似ているが、その真紅の生地は見るからに上質で、彩るように金糸で刺繍がされている。明らかに伊織の着古したモノとは格が違う高級品だ。
「なら、少し手を貸して――――いや、駄目だ! 君達の主に借りを作る訳には……!」
伊織とメモリアは目を見合わせた。どうやら少女には何か事情があるらしい。
「……もしかして道に迷ったんですか? 道案内ぐらいならできますよ。メモリアが」
「私達は主から自由に行動するよう仰せつかっておりますので……もしお望みでしたらお手伝いした事は秘密とさせて頂きます。見た所、別の空中都市からいらしたようですし、お困りならと思いまして」
「そ、そうなのか? メルクリウスのホムンクルスは変わっているのだな。しかし……故あって身分を明かす事は出来んのだ。なので、手を貸してもらっても礼すら満足に出来ん……気持ちはありがたいのだが――――」
「でも、さっきからずっとこの辺りをうろうろしてましたよね? お礼とか別に良いので、せめて何に困ってるのかだけでも言ってもらえれば」
「ご迷惑でしたら無理にとは言いませんが……私見ながら、かなりお困りの様子ですし」
「う、うう……そうだな。すまないが、手を貸してくれると助かる。実は連れとはぐれてしまったのだ。目立つ外見故すぐに見つけられると思ったのだが、どこにも見当たらなくて……」
「なるほど、そうでしたか。そういう事でしたらはぐれた際の集合場所も決めていなかったのでしょうし……どうにかしてその方を見付けるしかないですね」
「そうなのだ! あの長身で褐色の肌は目立つ筈なのだが、いったい何処に行ったのか……」
「褐色の肌……? ってことは、その人は地上人なんですか?」
「いや、そうではない。だが、恐らく地上に滞在していたのだろう。兄の招いた客人故、私も詳しくは知らないのだ――っといかんな……勝手を言ってすまないが、あまり詮索はしないでもらいたい」
うっかり内情を話しかけ、少女は慌てて口をつぐんだ。
「はい、それはもちろんです。それでは……そうですね、役所で人探し用のホムンクルスを依頼しましょうか。恐らくそれが一番確実でしょうから」
「おお、そんなサービスがあるのか! 是非頼む!」
メモリアの案内で役所を訪れ、無事にナビゲート用のホムンクルスをレンタルできた。
糸でつながれた蝶々型のホムンクルスがぱたぱたと羽ばたいている。
「後はこれについていけば彼の元に辿りつけるという訳か……いや、君達には本当に助けられた。感謝の言葉も無い」
少女が深々と頭を下げている。身に付けた高級なローブといい、礼節を重んじる態度といい、かなりの良家の人間である事が見て取れる。
「もったいないお言葉です。ホムンクルスは人を助けるために生み出されたモノ……私もあなたの力になれた事を光栄に思います」
「はぐれた人がすぐに見つかると良いですね。あ、でも路地裏とか人気の無い場所は変な人がいるかもしれないので、選ぶ道には気をつけて下さいね」
「ああ、心得た。それにしても、聞いていたよりメルクリウスのホムンクルスは進んでいるのだな。ミネルヴァにも君達ほどのホムンクルスは――――」
「ミネルヴァ?」
しまった! と少女が口を押さえた。
「いや、何でも無い! 忘れてくれ!」
二人に背を向け立ち去ろうとしたが、歩きかけた所で立ち止まり、少し悩んだ後に二人に振り返った。
「……身分を明かす事は禁じられているのだが、やはり世話になった相手に名乗らないのはあまりに不義理だ」
「え、いや、別にそんな無理しなくても――――」
ただ手を貸そうと思っただけで相手を困らせる気はなかったのだ。思わず伊織が止めようとしたが、それより早く少女は名乗っていた。
「私はミネルヴァ=アルターリア=イグニスレオ。良ければ、君達の名を教えてはもらえまいか?」
「えー、と……僕はイオリです」
「メモリアと申します」
それを聞いたアルターリアは記憶に刻むように深く頷いている。
「イオリとメモリアか……良い名だな。もしミネルヴァを訪れる事があれば是非声をかけてくれ。イグニスのアルターリアと言えばすぐにわかる筈だ。君達の主人共々歓待させてもらおう」
「ええ、そうですね。いずれ機会があれば」
「主にもその旨伝えさせて頂きます」
「ああ、楽しみにしている。では、またいつか!」
そう言うと、アルターリアは颯爽と去って行った。
「……うーん、なんだか凄い女の子だったね。何て言うか……お嬢様って感じ?」
「名前を言うだけでわかるって事は、多分ミネルヴァでも有数の名家なんだろうね。ウォルター様の出身都市だし、もしかしたら御存知かも――――」
『ああ、知っているぞ』
「ウォルターさん!?」
いきなり響いたウォルターの声に慌てて周りを見渡すが、その姿はない。
『おい、こっちだこっち。屋根の上』
「あ、セプテム! ……と、フィードさんの片眼鏡?」
近くの屋根の上から見下ろしていたのは、屋敷で雑用を任されている犬型ホムンクルスの一体、セプテム。無駄な肉がついていないほっそりとした体型は猟犬のサルーキによく似ている。何故かその目にはフィードの片眼鏡を装着していた。
『とりあえず、買い物を済ませたら今日はまっすぐ帰ってこい』
「どうしてセプテムがここに……――それにその片眼鏡。もしかして、僕達を尾行してたんですか?」
『……やれやれ、相変わらずお前は敏いな。だが、まあそういう事だ。まさかお前達がイグニスと接触するとは思わなかったが……偶然とは厄介なものだ』
片眼鏡から響くウォルターの声は普段より固く強張っているように思える。
『買い物がすんだら今日は屋敷から出るんじゃないぞ。俺もなるべく早く戻る』
「え、何なんですか急に。ちゃんと説明――――」
『説明なら後でしてやる。とにかく今は早く屋敷に戻れ』
一方的にそれだけ伝えると、質問には答えず片眼鏡は静かになった。
ウォルターが強引なのはいつもの事。二人はそう納得し、セプテムが気を張り詰め周囲を警戒している事に気付く事は無かった。




