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短編集

恋をするなら

作者:

 『自分に誇れる己であれ』


 死んだ祖父は口癖のように孫である自分にそう、言い聞かせていた。

 剣術道場の師範であった祖父は生まれてくる時代を間違えたかのような武士のような信念を持つ人物であった。

 そんな祖父に自分―林疾風は心のあり方と大切なものを護る為の力の使い方を教わった。


 『自分に誇れる己であれ』


 祖父の口癖はそのまま自分の信念となった。

 そして自分は十八歳になり、高校三年へ進学することができた。

 祖父を真似た口調や女性の平均身長より高い身長、そしてなにより双子の兄と間違えてつけられた「疾風」という名前が自分を構成する大きな特徴である。

 だから、ガラの良くない男数人に絡まれている女人を助けに入った時に体操服姿の自分を男達が「兄ちゃん」と呼ぶのは仕方がないことなのであろう。多分。


 「嫌がっている女人を数人かかりで車に連れ込もうとするとは男の風上にも置けない。誠心誠意彼女に謝罪をした上で即刻この場から立ち去れ」


 女人を背に庇いながら自分は男たちに順に視線を走らせる。

 制服は着ていないが年はどうみても自分と同じ高校生かせいぜい大学生ぐらいに見えた。

 しかし、目が濁っている。

 にやにやと人を小馬鹿にした笑いと見下したような視線が言葉にされずとも雄弁の男たちの性根を自分に伝えてくれる。


 「へぇぇぇぇ・・・兄ちゃん。正義のヒーロー気取り?」


 「きゃはははははっ!!馬鹿でこいつ!時代遅れな喋り方してるぜ!!」


 「怪我したくなかった有り金とその女置いてさっさと失せな」


 馬鹿にしたようなことしか言わない男達に言葉は通じないと判断した自分は早々にケリをつけることにした。

・・・・決して祖父の口調を馬鹿にされて怒ったとかではないことを念のため、言っておく。


「言いたいことはそれだけか?」


 静かに言う自分に男達一瞬顔を見合す。自分の意図がよく読み取れていないらしい。

 全員の視線が自分から外れた一瞬を利用して自分は腰を低く落とし行動を開始する。足が地面を蹴った。


 「なっ!」


 男たちがこちらの動きに気付いたときには自分はもう相手の懐に入り込んでいた。


 「はぁあ!」


 かけ声と共に男の腹に小掌を叩き込む。祖父直伝の技で相手の行動を封じることを目的としているためそう威力は強くない。

 だが、受身もろくに知らない素人に使うのなら手加減しても多少の痛い目ぐらいは見せられる。

 剣術を主としていた祖父だったが剣がない場合の戦う方法も教えこんでくれていた。これはその一つ。

 ものの数秒で男たちを行動不能にした自分はしきりにお礼を言って引き止めてくる女人に(どういう訳か頬が紅潮し、目が潤んでいる)気をつけるように厳重に注意し、人通りの多い道まで送ると途切れていたマラソンに戻った。

 剣道部の体力つくりの途中で先ほどの騒動に出くわしたからな・・皆、もう学校に戻っている頃だろう。

 自分も早く帰なければな。

 そう思いながら再び走り出した自分を観察している人間がいたなど欠片も気付かなかった。


 次の日。

 剣道部の朝の鍛錬を終えた自分は己のクラスに向かう途中で見知った顔を見つけた。


 「雨沢?」


 声を掛けると黒い髪を肩口で切りそろえた自分の親友。雨沢秋が振り向き挨拶してくる。


 「あ、はやて君。おはよう」


 その隣にいた少年―雨沢の幼馴染で去年すったもんだの末に彼女と恋仲になった一学年下の風間勇太も振り向き、軽く会釈をしてくる。


 「おはようございます。林先輩」


 「おはよう。相変らず仲が良いな」


 「ええ。ラブラブですから」


 にこやか・・・・ではなく真面目に真剣にそう言う幼馴染殿の頭を間髪いれずに雨沢の拳が唸りを上げて叩き込まれる。

 その顔は真っ赤であった。


 「な、な、なに言っているのよ!あんたは!!」


 照れ屋で天邪鬼なところのある雨沢にしてみれば幼馴染殿が言ったようなことを言われるのはかなり厳しいのだろう。


 「ばかばかばか~~~~!!」と殴りかかってくる雨沢を慣れた様子で押さえこむ幼馴染殿。

 これは・・・主導権がどちらにあるのか一目で分かる光景だな。

 しかし・・・・側から見ていると恋人同士の他愛のないじゃれ合い以外の何者にも見えない。

 ・・・自分はもしかしてお邪魔虫になっているのか?当てられているのか?気を利かせて立ち去るべきか?

 う~~むと考え込んでいると不意に雨沢に腕をつかまれそのまま強引に歩き出される。


 「お、おい。雨沢・・・」


 「行くよ。はやて君!!」


 真っ赤な顔をしたままこちらを見もしないで雨沢は細い体のどこにそんな力があるのかと思うぐらい強い力で自分を引っ張っていく。

 あ~~~。雨沢・・・そんな態度を取ると幼馴染殿が怒る・・・と思ったのだが意外なことに幼馴染殿は怒ってはいなかった。

 この一年ですっかり大人びてきた顔に優しい笑みを浮かべてずんずん進んでいく雨沢をみていた。

 その瞳の眼差しが視線の先にいる人物のことを大切で大切でどうしようなく想っていることを感じさせる。

 驚いた自分に気付いた幼馴染殿がにやりと雨沢に向けるものとは違う不敵な笑みを見せる。


 (う~~む。どうやら自分はあの御仁を甘く見すぎていたようだ)


 こんなことで腹を立てたりまして自分に嫉妬したりするほど狭い器量の持ち主ではないらしい。

 ズルズルと引っ張られる自分と引っ張る雨沢に向かって幼馴染殿は小さく手を振っていた。



 「雨沢」


 「なによ!?」


 「そんな顔するぐらいなら天邪鬼、治せ」


 教室に入るなり全身全霊で自分の行動を後悔して落ち込む雨沢に自分はそんな助言を与えることしかできなかった。


 「まぁ・・・あの御仁はあまり気にしてはいないようだからそこまで落ち込むことはないんじゃないか?」


 「で、でも・・・さっきの態度は自分でもいけないって思う」


 ずんと落ち込む雨沢。どうにもこうにも自分の感情を上手くコントロールできずにいるらしい親友は一日に一度はこんな風に落ち込み、自分は彼女の愚痴を聞いてやるのがこの一年の日課になっていた。

 ぽんぽんと頭を撫でてやるとやっと落ち着いてきたらしい雨沢が小さく笑顔を向けてくれた。


 「はやて君って・・・理想のお父さんみたい」


 かっこよくて優しくて頼りがいのある。と嬉しそうに言う雨沢に自分の顔が盛大に引きつる。

 全然嬉しくない評価である。


「雨沢・・・何度も何度も何度も言っているが自分は女なんだが?」


「あら?何度も何度も何度も言っているけどそんなこと百も承知よ?」


 ふふっと笑う雨沢は先ほどまでの落ち込みが嘘のようだ。

 基本的に恋愛事と幼馴染殿が絡まなければ口が達者で頭の回転も速い人物なのだ。

 そしてそう口の達者な方ではない自分はいつもいつも雨沢の達者な口に黙らされる破目になるのだ。

 はぁ・・と溜息をついてとき教室中に実に痛そうな音が盛大に響いた。

 自分と雨沢は無言で顔を見合す。


 「・・・・椎ちゃんね」


 「多須賀だな・・・」


 自分たちの予想を裏つけるかのように廊下から「いたたたっ」という少女の声が聞こえてくる。

 からからと開けられた扉の向こうにいたのは赤くなった鼻を押さえている高校生とは思えないほど小柄で童顔な少女。

 自分たちと同じ柏木高校の制服を着ており、無雑作に伸ばされた前髪のせいで顔の半分は隠れてよく見えない。

 彼女は多須賀椎奈。雨沢と同じく自分の親友だ。


 「うにゅ~~~。鼻、ぶつけた」


 「どれ、見せてみろ」


 「はやて君・・・」


 小動物のようにつぶらな瞳が自分を見上げてくるのに苦笑しつつも多須賀のぶつけたという部分をみる。多少赤くはなっているが大事には至っていない。


 「大丈夫だ。少し赤くはなっているが傷もない」


 「ほんと?」


 「ああ」


 頷いてやると多須賀は安心したようににぱっーと笑う。まるで赤子のように邪気の無い笑顔を浮かべる多須賀は悩みが無いように思えてしまう。

 そんな自分たちを雨沢がにまにまと頬杖をついて観察している。その顔になにかよからぬものを感じた自分の目が自然と据わってしまうのをとめられない。


 「雨沢?」


 「やっぱり・・・お父さんみたい」


 自分は無言で逃げる雨沢を追いかけた。




 「席に着け~~~~」


 自分と雨沢がぎゃーぎゃーとはた迷惑な追いかけっこをしていると担任が入ってきた。

 どうやらいつの間にかHRの時間になっていたようである。

 雨沢の襟首を捕まえている自分に担任が諦めの極致のような笑顔を見せつける。


 「林、雨沢・・・「また」お前らか・・・」


 どうも自分と雨沢はこのクラスの問題児扱いされているような節があるような無いような・・・・。

 担任は疲労の濃い顔で溜息をつく。

 すっと息を吸い込みそして―


 「小学生のような馬鹿騒ぎしてないでさっさと席に着けぇ!!」


 怒鳴った。

 それに逆らうほど自分も雨沢も愚かではない。

 以心伝心。すぐさまそれぞれの席につく自分たちに担任は酷く達観したような諦めきったような表情で出席簿を持ち直す。


 「あ~~それではHRに入る前に皆さんに新しいクラスメイトを紹介します」


 担任の言葉に教室中がざわめく。

 彼の言葉を信じるなら転校生がこのクラスに来るということだが・・・高校三年になって三ヶ月過ぎようというこの時期に転校生?

 すこし、興味が湧いた自分は視線を窓の外から教壇に移す。

 担任の「入ってきなさい」という言葉と共に教室の扉が開かれる。

 教室中から感嘆の声が漏れた。

 担任が黒板に特徴的な文字で「朝倉蒼一」と書く。

 静かで低く、耳に残る声が水に落とされた波紋のように教室に広がった。


 「朝倉蒼一です。どうぞよろしく」


 朝倉蒼一という御仁は声の良さに見合うだけの整った容姿に控えめな笑みを浮かべながら自己紹介をした。

 第一印象は好青年。だが・・・・・。

 不思議とその顔に見覚えがあるような気がして自分は一人首を捻っていた。

 柔らかそうな今時珍しい黒く真っ直ぐな髪。誠実そうな柔和な表情を浮かべる顔。

 身長も高い。そこらの男子より高い自分と同じぐらいか相手の方が少し高いかもしれない。

 むっーと眉間に皺を寄せ、観察していると不意に朝倉蒼一が自分の方を見た。

 視線が合う。

 恐らくは数秒。周りにはまったく不自然に思われないほどの時間だ。

 だけど、その時、彼の瞳に浮んだ光は第一印象を大きく裏切っていた。

 その瞳はまるで獲物を見つけた野生の猛獣のように自分には思えてならかった。

 驚きのあまり動けない自分を小さく笑うと彼は視線を外した。

 なんだ?一体この男は何者なんだ?

 こっそりと視線を送っても二度と朝倉は自分を見ることはなかった。


 休憩時間になると女生徒に囲まれ質問責めにされる朝倉蒼一を自分はじっと観察していた。

 ちょっと困った顔をしながらも丁寧に対応している様子はどこにでもいる・・・というには顔が良すぎるが、好青年のように見える。

 パクリとむすびにかぶりつきつつ思考を巡らす。

 思い出すのは朝のあの瞳。

 どう考えてもあの瞳を視線の先で女生徒に囲まれている青年が浮かべたとは信じ固い。

 「はやて君?どうしたの?さっきから朝倉君の方を気にしているみたいだけど?」


 自分の前で弁当に下つつみを打っていた多須賀がからあげを食べる手を止めて不思議そうにそう聞いてきた。

 因みに雨沢は美形の転校生のうわさを聞いて血相を変えた幼馴染殿に強制的に拉致されたためこの場にはいない。


 (朝は案外と器の大きな男かと思ったが・・・)


 案外狭い。何がとはあえて言及しないが。

 あの慌てぶりを見ると買いかぶり過ぎたようだった。


 「ふむ・・・少々、気になる御仁だと思ってな」


 「気になるの?」


 「ああ・・・どうした?多須賀。変な顔をして」


 多須賀は何かに弾かれたように背筋を伸ばすと次いでブンブンと首を振る。


 「ううん!なんでもないよ!!男の子に全然興味のないそこらの男の子より男前なはやて君が朝倉君に興味を持ったことが意外すぎて驚いたなんてこと全然ないよぉ!!」


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・多須賀・・・・全然誤魔化せてないぞ」


 心の内にとどめておくべきことが全部ただ漏れの多須賀に自分は思わず食べていたむすびを喉に詰まらすかと思った。


 「多須賀が思っているような「気になる」ではない。第一自分はまだ修行中の身で色恋に現を抜かすことの出来る身分ではない」


 「相変らずお侍さんみたいに厳格な生き方だね~~~」

 またこの御仁も微妙に気になる表情で微妙な気分になる言葉を言ってくれる。


 「厳格でなにが悪い。自分に甘い生き方をしていたら堕落していくだけだ。厳しいぐらいで丁度いい」


 多須賀が呆れたように溜息をついた。


 「はやて君は厳し過ぎだよ・・・」


 一口お茶を啜りつつそう多須賀は締めくくった。


 「とにかく!自分はそういう意味で「気になる」訳ではない!」


 「うん。それは分かったけど・・・・はやて君」


 「なんだ?」


 多須賀が横を向く。自分も釣られてその方向へと視線を向ける。

 視線の先にはこちらを見るいくつもの瞳。

 多須賀が申し訳なさそうに小さく説明をしてくれる。


 「私たちの会話、どうも筒抜けみたいだったよ?」


 朝倉蒼一もばっちり自分たちを見て、自分は思わず動揺してしまう。

 本心の読めない今は一応愛想の良い瞳が自分に注がれているのがものすごく居心地が悪い。

 しかもその居心地の悪さに拍車をかけるかのように教室中の視線が自分に集まっている。

 だらだらと気持ちが悪い汗が背中を流れ落ちていく。


 (ど、どうするべきだ?)


 答えは出ない。

 まるで悪戯をして祖父に説教をされ、そのままずっと無言で向き合う破目になった幼い頃に感じたのと同じ居心地の悪さにどうすればいいのか分からなくなる。

 誰も喋らない動かない状況で事態は硬直したままだ。

 「・・・・林さんは、「そういう意味で」僕のことが気になるわけじゃないんだ」


 不意に朝倉蒼一が口を開く。

 柔らかい笑顔。だけどその笑顔に不吉なものを感じて自分は無意識のうちに彼から距離を取ろうとしていた。

 な、なんだ。ものすごく嫌な予感がする。

 朝倉蒼一は本当に残念そうに溜息をつく。だけど自分には分かる。

 あれは演技だ。

 その証拠にあいつの目は初めて目があった時のあの目をしている!


 「僕は「そういう意味で」林さんのことが気になって仕方が無いのに・・・残念」


 爽やかにそう言い切って肩を竦める転校生に誰一人反応を返すものはいない。


 爆弾発言。


 あまりの威力に自分の脳裏から日本語が一瞬綺麗に消え去った。

 い、いまのは一体どこのどういう国の言語だ?

 なぜだが日本語のように聞こえたがきっと異国の言葉に違いない。

 きっと全然関係ない意味を持った言葉だ!!

 そう言い聞かす自分の隣で多須賀が握り拳を震わせ、キラキラした目で朝倉蒼一を見ていた。

 それを横目で確認した自分の胸に嫌な予感が生まれる。

 自分が多須賀を止めるよりも早く多須賀が口を開く方が速かった。


 「朝倉君ははやて君のことが好きなの~~~~~~!!」


 うぁぁぁぁぁぁぁぁ!!人が折角聞き間違いで済まそうとしていたことをずばり本人に聞いてしまった~~!!

 多須賀の直球な質問に朝倉蒼一はうっとりするような笑顔を浮かべて大きく頷いた。


 「ああ。その通りだよ。僕は彼女のことが好きだよ」


 「えええええええええええええっ!!」

 

 クラス全員の声が重なった。

 その声を綺麗に聞き流すと朝倉蒼一は優雅な足取りでむすびを持ったまま硬直している自分の前まで来るとにこやかに自分の手を取りそのまま口に・・・・・って!!


 「・・・・・・・・・・・・・・・なっ!!」


 手、の・・甲に・・・・せ、せ、接吻された・・・・!!

 自分の顔が瞬間湯沸かし器のように湯気が出そうなほど真っ赤にそまる。手を振り払いたいのに意外なほど強い力で摑まれてそれも敵わない。


 「お、お前!!一体なんのつもり・・・・」


 「林さん。僕と付き合いましょう」


 は?

 にこやかな顔でこいつは何を言っているんだ?

 事態が急展開過ぎて自分も周囲もまったくと言っていいほどついていけてない。そんな中、朝倉蒼一だけが涼しげな顔で事態に乗っていけている。

 というか進んで事態を自分たちがついていけてないものに変えているのはこいつだ。


 「阿呆か!!」


 がんがんと特大の五寸釘を脳天に突き刺されたような気分で叫ぶ自分。

 掴まれた手を無理矢理剥す。

 衆人観衆の目の前でいきなり告白してきた男が心底憎かった。


 「阿呆?ひどいな。僕は自分の気持ちに正直になって行動しただけだよ?」


 ぶちりと堪忍の緒が切れた。


 「貴様のような男などお断りだぁぁぁぁぁぁぁぁ!!」


 反射的に拳を繰り出す。が、鋭く風を切る自分の拳を朝倉蒼一はあっさりと避けてしまう。


 「おや・・・」


 軽々と拳を避けられて自分の武道家として自尊心が大いに傷つけられる。

 避けられた?本気の拳を何でもないかのように避けられた自分はムキになる。


 「貴様・・・・・・っ!!」


 どうみても武道に縁のなさそうな素人に感情が高ぶっていた一撃とはいえ避けられて本気の本気で悔しかった。

 ごわっ!と背後に見えない炎が燃え盛る。

 だがそんなことを知る由も無い朝倉蒼一はにこやかに自分の手を掴みそのまま引っ張る。

 当然自分の身体は彼の腕の中に倒れこむ形になる。

 きゃー!と周りから悲鳴がいくつも上がった。

 硬直してしまった自分の耳にだけ聞こえる音量で朝倉蒼一は囁く。


 「俺と付き合えよ。はやて」


 一人称が「僕」から「俺」に変わっている。しかもどう考えても性格のよろしくないしゃべりをしていた。

 ばっと離れて彼を見ると彼は仮面のような笑顔に戻っていた。

 さっきの言葉が嘘だと思えるぐらいの変わりよう。だが、自分は確かに聞いた。


 「お前は・・・一体・・・・」


 「はやて君?」


 様子の違う自分に多須賀が心配そうに自分の制服を引っ張る。だが、それに答えるほどの余裕が自分にはなくただただ目の前の男の正体を見極めるのに意識を集中していた。

 自分の喉がからからに渇いた声を出す。


 「お前は一体・・・何者だ?」


 自分の言葉に朝倉蒼一は不可思議な笑みを見せるだけだった。


 昔、まだ両親が健在で祖父に引き取られる前。自分は今の自分とは似ても似つかない外見と性格をしていた。

 泣き虫で人見知りで甘ったれで怖がり。

 背中まで伸ばした髪。いつもいつも俯いていた顔。

 振り返ってみてもうっとうしい暗い子供だった。

 双子の兄である葉月が闊達で明るい性格だったから余計に自分の性格は浮き彫りになっていた。

 そんな自分が変わったのは両親が交通事故で死んでしまって兄と2人祖父に引き取られてから。

 自分で背中まである髪をばっさりと切ったときに「わたし」は「自分」になった。

 強くなる。

 そう決めた。

 だから弱くなんてなりたくない。


 「やあ、林さん。今、帰り?」


 部室から出てきた自分の前には似非臭い笑顔を浮かべる少年が一人部室の側の木に背中を預けながら手を挙げてきた。

 自分は無言で少年―朝倉蒼一を睨むとその脇を通り過ぎようとする。そんな自分を朝倉蒼一は引き止めることはしなかったがきっちり声を掛けることは忘れない。


 「つれないな。僕、そんなに嫌われている?」

 

 困ったような悲しそうな表情に自分の後ろにいた後輩たちが一気に奴の擁護に回る。

 

 「林先輩!!駄目ですよ。そんな態度!」

 

 「そうですそうです。朝倉先輩にあんな顔させちゃいけません!!」

 

 「好きな人にそんな態度をとられたら誰だって悲しくなっちゃいます!」


 連発して繰り出される擁護攻撃にさすがの自分もウンザリしてくる。

 例の告白事件から一週間。

 朝倉蒼一は自分の近くに出没するようになった。

 部活の終わりを狙って現われるのもその現象の一つだ。

 その度に自分は睨むなり帰れと促したりするのだが奴の顔と紳士的な態度(自分は外面だと思うのだが)にすっかり懐柔されてしまった女子部員がこぞってそんな自分を非難するようになってしまい本気で自分は孤立無援の状態に陥っていた。

 あ~~そろそろ来るぞ・・・。

 そう思っていると案の定朝倉蒼一が申し訳なさそうに口を出してきた。

 

 「皆さん。そんなに林さんを責めないで。僕が勝手にここにきているんです。だから・・・林さんは悪くないんだ」

 

 そこで儚げで健気そうな表情。どんな態度を取られても僕は気にしてないんだと思わせようとして失敗したようなその表情にその場にいた自分を除く全員の胸が高鳴る。


 ・・ああ・・・今日もまた逃げられない・・・・。

 頭を抱えて座り込みたい気分に陥る自分の肩を後輩の一人がものすごい勢いで揺さぶる。

 

 「林先輩!!絶対絶対朝倉先輩と一緒に帰ってあげてください!!」

 

 「そうですよ!!逃げちゃだめですからね!!」


 鼻息も荒く自分に言い聞かす後輩たちが本気で怖い。

 ぐいぐいと自分を朝倉蒼一の方へと押し出すと全員が朝倉蒼一に向かって笑顔でこう締めくくる。

 

 「それではごゆっくり~~~~~」

 

 ごゆっくりできるかぁぁぁぁぁぁ!!


 

 大変不本意ながら自分は朝倉蒼一と2人きりで帰宅の徒についていた。

 会話なんてない・・・と言いたいところだが実のところ会話はある。

 ただし、普段の朝倉蒼一とは掛け離れた喋りと内容であったが。

 

 「ったく・・・相変らず不機嫌そうな顔しかしないな。お前」

 

 「自分たちの間に不機嫌になる以外の要素があるのか?」

 

 素っ気無くそう返すとなにが可笑しいのか朝倉蒼一はくっくっと喉の奥で笑う。唇と片側だけ上げた皮肉めいた笑みはだけどいつもの作り笑顔より数倍もこの男に似合っていた。

 

 「くくっ・・・本当に面白いやつ。まぁ、そういう所が気に入っているんだけどな」

 

 「・・・・だからなんでお前は自分に付きまとう」

 

 何度も何度もした質問に何度も返された答えがまた返された。

 

 「理由なんて些細なことだろ。気にするな」

 

 飄々とそう受け流す朝倉蒼一に自分は今日もまた苦々しい気分を味合わされる。

 

 「からかうな。冗談に付き合うほど自分は暇じゃない」

 

 「奇遇だな。俺も冗談じゃない。本気の本気でお前を口説いている」

 

 面白そうにそんなことを言う。

 

 「貴様・・・」

 

 殴りたい。

 だが、不用意な暴力での解決は祖父がもっとも忌み嫌っていたことだし自分もそのようなことは好かない。

 自身もしくは他人を護るためだけに身につけた武芸は使われるべきだ。

 うっかり初対面で拳を繰り出したことは不可抗力だ。本来なら全身全霊で謝罪すべきなのだろうが朝倉蒼一が相手だと腹が立つことが多すぎて謝罪する気になれない。

 

 「疾風?どうした?」

 

 気に喰わないことにこの男は他人の目がないと自分を下の名で呼び捨てにしてくる。貴様とそこまで親しくなった覚えはないと怒鳴っても糠に釘のように手ごたいがなくかわされてしまう。

 

 「・・・・・どうもしない」

 

 だから子供のように無視するかはぶてるしか方法がないではないか。

 どうにも勝手が狂う男だ。

 隣で歩く男に自分はいつも調子を出せずにいる。

 むかむかしながら歩く自分を朝倉蒼一が目を細め「ふ~~ん」と意味ありげに見てくる。・・・なんだ?

 

 「疾風」

 

 「なんだ?」

 

 ぶっきら棒にそういう自分に対して朝倉蒼一はにっこり笑顔。

 

 「好きだよ」

 

 ガンッ!!


 自分は無言で電柱に顔からぶつかった。

 涙が滲むぐらい痛かった。


 「~~~~~~~~っ!!いきなり何、戯言をほざいている!!」


 痛みのせいでいつもより五割増しで怒りが増幅された。


 「何って俺の本心」


 しれっとそんなことを言うと朝倉蒼一は赤くなっているであろう自分の額に触れ前髪を掻き分ける。

 見た目よりずっと大きく逞しい手に自分の心臓が一度大きく鼓動を打つ。

 な、なんだ?鼓動が早くなっている?

 心なしか頬も熱い。な、なぜ?


 「ふむ・・・怪我はないな?って疾風顔、赤いぜ」


 にやりと笑いながらそんなことを言う朝倉蒼一はなんでもお見通しだぜといわんばかりの態度で自分の頬に手をやる。

 なぜ!頬に手をやる必要がぁ!!


 「なに?動揺してんの?」


 図星だ。

 だが、理由が自分でもわからない。

 分からないから自分は反発する。


 「動揺などしてはいない!!」


 「意地っ張りだなぁ・・・」


 「い、意地ではない!!真実を言ったまでだ!!」


 頬に添えられたままの手を振り払い再び歩き出す。後ろはなぜか振り向けなかったが「照れてやんの」という声と笑い声が聞こえてきたので振り向かなくて良かったと思った。

 振り向いたら自分は祖父に嫌われることをしてしまいそうだ。


 「お~~い。疾風」


 無視だ無視。

 スタスタと意地になって前を歩く自分は前方不注意だった。


 「おい!」


 鋭い朝倉蒼一の声。


 「え?」


 気付いた時には朝倉蒼一が自分の腕を力任せに摑んで彼の方へと引っ張っていた。

 自分の身体が勢いよく彼の身体にぶつかる。

 今、まさに自分が渡ろうとしていた横断歩道を車が通り過ぎる。


 「あぶねぇ・・・」


 朝倉蒼一の驚きと安堵の混じった声が吐息と共に自分の耳のすぐ側を通る。その感覚に自分の心臓の鼓動が一瞬だけ大きく狂って聞こえた。


 「あさ・・」


 「この馬鹿!!」


 耳元で大音量で怒鳴られて自分は思わず目を瞑ってしまう。な、なんだ?

 恐ろしく怖い顔した朝倉蒼一の顔に自分は混乱していた。


 「前も見ないで何やってんだ!!」


 事態をようやく把握した自分はかっと頭に血が上った。


 「馬鹿とはなんだ馬鹿とは!!」


 「車が来ている横断歩道を渡ろうとするのは立派な馬鹿だろうが!!」

 

 ぽんぽんと言い争う自分たちはさぞ滑稽であろう。

 しかも自分は朝倉蒼一に後ろから抱きとめられたままの体制なのだ。だが、本人達はいたって真剣に舌戦を繰り広げていた。


 「貴様の物言いは高圧的なんだ!!腹が立つ!!」


 「高圧的って・・・そんなに強く言ってねぇだろうが!!」


 「言っている!!」


 「言ってない!!」



 「言っている!!」


 「言ってないって言ってんだろうがぁ!!」


 自分は自分より少しだけ高い位置にある朝倉蒼一の顔を睨みつける。彼も負けじと睨んでくる。


 「貴様のように高圧的で裏表が激しくて言動の全てが一々自分の気に障る男は初めてだ!」


 「俺だってお前がここまで意固地で意地っ張りで捻くれ者でオマケに無鉄砲だとは思ってなかったよ!!」


 ぎゃーぎゃーと返す刀で言い争う自分たちにやけにのんびりとした声が割って入ってきた。


 「あれ~~~?朝倉くんとはやて君だぁ~~~~」


 一体いつの間に現れたのか多須賀がのほほんとした顔で自分たちのすぐ側に立っていた。

 多須賀は自分たちを見ると微かに驚いたように目を丸くする。


 「・・・・ねぇ、どうしてはやて君を朝倉くんが抱きしめているの?」


 !?

 

 言われて自分たちの状態に初めて気付いた。

 

 「のぁ!!」


 「あ、しまった。気付かれた」


 慌てて朝倉蒼一から離れる自分。そして残念そうな顔をした朝倉蒼一。先ほどの発言内容と一緒に考えるとこの男、気付いていてワザと自分のことを離さなかったな!


 「な、き、あ、・・・・・・!!」


 衝撃のあまり罵倒の言葉すら上手く出てきてくれない。

 そんな自分の背を多須賀が撫でてくれる。


 「大丈夫?はやて君お口をぱくぱくさせて顔が真っ青だよ~~?」


 「っていうか息してねぇ!!疾風!!吸ってばかりじゃなくて吐け!!あぁぁぁぁ!!今度は吐き続けている!!」


 ガクガクと自分の肩を揺さぶる朝倉蒼一をどこか遠くに感じていた。





 「由々しき事態だ・・・・・」


 夕餉の仕度をしながら自分はチラリと居間の方を見て溜息を零す。

 今、我が家の居間にいるのは兄である葉月。友人である多須賀。そしてもう一人招かざる客である―――朝倉蒼一が楽しげに談笑していた。


 「どうして・・・・こんな事態に・・・・・・」


 考えるまでもない。自分のせいだ。呼吸混乱に落ちいった自分を無理矢理家まで送ってきた朝倉蒼一を見た葉月がくっいてきた多須賀共々夕餉に誘ったからだ。


 (多須賀ならともかく朝倉蒼一の奴・・・初めて訪れた家でちゃっかり夕餉をたかる気か!!)


 ムカムカする。

 だんだんと手元の野菜を親の敵のように切り刻む。


 (腹が立つ。腹が立つ。腹が立つ!!)


 玉ねぎと人参を細かく切り刻むとそれをひき肉の入ったボールに入れ軽く味付けをした後に手で混ぜ合わせる。

 ただひたすらに捏ねて捏ねて捏ねまくる!


 (このこのこの!!)


 ほどよく捏ねたひき肉を今度は手で成形していく。空気抜きも忘れずにやる。ものの数分で見事なハンバーグ(焼く前)が出来上がる。

 それらを冷蔵庫に入れて寝かせる。


 「よし!これで主食の下準備終わり。次は・・・・」


 スープとサラダ。

 スープは玉ねぎのコンソメスープでいいとしてサラダは・・・・ジャガイモがあるか・・・ならジャガイモと人参をマヨネーズであえて・・・。


 「へぇ~~。手際いいな」


 「!?」


 突然現れた気配に手にしたジャガイモを反射的に声の主に投げ付けてしまう自分。

 あ。しまった!


 (食物を粗末な扱いに~~~!)


 「おっと」


 ぱしりと音がして投げたジャガイモは朝倉蒼一の手に収まった。


 「あぶねぇな・・・・それと食い物を粗末な扱いするな」


 ぽんと自分の手にジャガイモを乗せながら朝倉蒼一が言う。


 「・・・す、すまな・・・・い・・・・」


 自分が全面的に悪いと分かっているが朝倉蒼一相手だとどうにも素直に謝罪の言葉が出てこないためどうしても途切れがちになる。

 それに何故か朝倉蒼一はジロジロと自分の上から下を見ている。


 「エプロン姿、結構似合うじゃん」


 「・・・・・・・・・・・・・・・」


 恥ずかしい。エプロンが似合うなどと言われた事生まれてこのかた記憶にない。

 自然と顔が俯く。


 「照れた?」


 「煩い!!」


 図星を突かれ、反射的に怒鳴る自分を朝倉蒼一は何故だか楽しそうに見ている。

 ・・・なぜだ?


 「お前、想像以上に面白いな」


 どういう意味だと言いたかった。いや、言いかけたのだ・・・朝倉蒼一の表情を見るまでは。

 その表情をどう表せばいいのか自分には分からない。ただ何かを懐かしむような愛しむような表情を彼は浮かべている。


 「目が離せない」


 そっと壊れ物に触れるように朝倉蒼一の手が自分の頬に触れてくる。


 「一度見つけたらもう二度と目が離せない。触れたら離せなくなる。ずっと側に置きたくなる」


 「あさく・・・」


 「朝倉くん。はやてくん何かあっ・・・た・・・・・・・」


         ?!


 慌てて台所の入り口を見れば絶句している多須賀の姿。


 「なっ!こ、これは!!」


 前々から思っていたが多須賀。お前はいつも間が悪い!!


 「ご、ごめん!なにも・・・・なにも見てないから~~~~~!!」


 怒涛の勢いで居間に取って返す多須賀。

 この状況でその言葉が信じられるかぁ!


 「おやおや」


 「なにをのん気に感心しているんだ!貴様は!多須賀に誤解されたぞ!」


 「誤解?別に誤解じゃないしょ」


 何を言い出すのだこの男は!

 絶句してしまう自分にぐぐっと朝倉蒼一は腰に手をしながら顔を近づけてくる。

 思わず一・二歩後すざりしかけるがまるで奴に怯えたような気分になるので直前で耐え、きっと睨みつける。

 そんな自分に朝倉蒼一はにやりと他の人間には決して浮かべない自分にだけ見せる笑顔で囁く。


 「俺はお前が好きなんだからさ。誤解?大いに結構。むしろ・・・」


 「な、なんだ」


 意味ありげに言葉を途切れさせるとこつんと軽い衝撃が額に走る。

 気が付くと頭に回された手で朝倉蒼一が額をあわせてきた。信じられないぐらい近くに他人の・・・しかも異性の顔がある。

 かっと頬が熱くなるのをとめられなかった。


 「誤解じゃなくて本当にするけどな。俺は」


 朝倉蒼一の言葉は希望ですらない確定事項であった。


 「なっ!」


 「覚悟、決めろよ?」


 にやりと笑う顔はまるで獲物を狙う肉食獣で。

 絶句してしまった自分は狙われた草食動物の気分で。

 そんな自分に朝倉蒼一は満足したようににっと笑うと自分から離れる。


 「うんじゃ!メシができるまで未来の「義兄」さんの機嫌でもとっておくよ」


 ひらひらと手を振りながら居間に向かう背中を見送りながら自分はずるずるとその場に座り込んでしまった。なにやら聞き捨てならないことを言われた気がするがそれに突っ込む気力は残されていない。

 情けない話。腰が抜けてしばらくの間立ち上がれなかった。




 「いや~~朝倉くんっていい人だな」


         ばきっ!!


 双子の兄の馬鹿な発言に自分は洗っていた箸を真っ二つに折ってしまった。


 「うぉ!どうした疾風!」


 「・・・・・・・・・・・・なんでもない」


 朝倉蒼一も多須賀も帰り兄妹二人で夕餉の洗い物をしているといきなり葉月が訳のわからないことを言い出した。

 ・・・・・兄よ。騙されている。騙されているぞ!

 だがここで声高に朝倉蒼一の本性について語ったとしてもすっかり朝倉蒼一を気に入ってしまったらしい葉月が聞き入れるとも思えない。

 

 だから自分は無言で皿洗いに戻る。

 その隣で洗った食器を拭きながら葉月は尚も朝倉蒼一について語る。


 「礼儀正しいし、社交的だしさりげない気配りもできて男の俺からみてもいい男だよ。彼は」


 本性は口が悪くて腹が黒く、人の弱みはしっかりと見つけてなければ作り出すような男でもか?


 「疾風の彼氏には朝倉くんみたいな人が似合うと思うな」


     ドスッ!!


 自分の手から泡の付いた包丁がすべり落ち、数ミリの差で足をさけ床に突き刺さる。その光景を見ていた葉月の顔から血の気を一気に引いた。


 「のぁ!疾風!!」


 隣でおろおろする葉月の言葉は完璧に自分の耳を素通りしていた。

 呆然と今、聞いた言葉を頭の中で繰り返す。そして朝倉蒼一の言った「機嫌でもとっておく」という言葉の意味。

 そ、外堀から埋めていくつもりか!あいつ!

 学校でも周囲を味方につけその上たった一人の家族までも味方につけられたら孤立無援もいい所だ。

 本気でどうにかしないとこのままでは・・・・・・・。

 恐るべき未来図が思い浮かび自分はぞぞっと悪寒に肩を震わせた。





 「で、私に電話してきたわけね・・・・・」


 呆れたような雨沢の溜息が受話器越しに自分の耳に届いた。


 「あ、呆れたように言うな!こっちは死活問題で!本気で悩んでいるんだぞ!」


 「はいはいはい・・・で?」


 「で?とは・・・」


 電話の向こうの雨沢の呆れがさらに酷くなったように感じて自分は慌てる。


 「だから・・・はやて君は何を私に相談したいの?」


 「それは勿論朝倉蒼一をどう撃退すべきか、だ」


 「撃退って・・・・あなたねぇ。害獣駆除の相談じゃないんだから・・・」


 気分的には似たようなものだ。


 「闘いだ。このまま何もせずにいたら敵の思う通りになる。すでに学校も家も敵の手中に落ちている。焦らないほうがおかしい」


 このままでは周囲に流されかねない。


 「くっ!真正面からくれば「アホか出直せ」と撃破できるのに周囲を囲まれたらなかなか突破できん!」


 「私はいま、恋愛相談されているのか戦闘のアドバイスを求められているのか分からないわ」


 気分的にはほぼ似たようなものだ。


 「雨沢!」


 「はいはい・・・・で結局ははやて君に朝倉くんと付き合う気はさらさらない無いんでしょ?」


 「当たり前だ!!」


 「だったら話は簡単でしょうが!それこそ真正面からどっきぱりと断ればいいだけの話でしょう?」


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・ああ!」


 ポンと思わず手を叩いてしまう。

 そうかそうだな。交際を求められたこの状況を打破するには雨沢の提案が一番確かだ。


 「もしかして・・・・全然思いつかなかった、とか?」


 ほどほどあきれ果てたと言わんばかりに雨沢が「叶わないわ」とぼやいた。

 だが自分はようやく見出された光に浮かれていた。


 「雨沢、感謝する!明日さっそく朝倉に断りを伝えるぞ!」


 「・・・・お役に立てたならいいけど・・・・なんか嫌だな・・・人の失恋に加担したみたい

で・・・・」


 ぶつぶつと電話の向こうの雨沢は納得がいかないようだが自分は浮かれていた。

 さぁ、明日でこの茶番劇を終わらせるぞ!





 「ふ~~ん。それで?」


 朝一番に朝倉蒼一を捕まえ、人気の無い屋上に連れて来て


 「自分はお前と付き合うことはない。諦めてくれ」


 と頭を下げた自分にかけられた言葉が前述のそれであった。


 「そ、それでとは・・・・」


 それでもこれでもなく断ったのだから潔く諦めてくれればいいのに朝倉蒼一の返事は自分の想像の範囲を超えていた。


 「別に俺、お前がどう思っていようが関係ないし?」


 「なっ!」


 幾らなんでもそれは無いだろうと猛然と顔を上げた自分に朝倉蒼一はさらに続けざまに言い放つ。


 「だって俺のことを好きにさせるから」


 「・・・・・・・・・・・はっ?」


 いま、なんと?


 「今は俺のこと好きじゃないんだろ?そんなのは見てりゃわかる。だけどお前、好きになるよ。俺のこと」

 

 俺が惚れさせるからと笑顔で言い放つ男の正気を本気で疑う。


 「誰が惚れるか!!」


 「惚れる」


 「惚れない!!」


 「惚れるね。だって俺がお前に惚れているから」


 「~~~~~~~~~~~~~~~~っ!!」


 そんなの理由にならないと言いたかったのに「お前に惚れている」の言葉で想像以上に動揺してしまった自分は何も言い返せない。

 パクパクと口を開閉させるしかない自分の頬に朝倉蒼一が唇を寄せる。逃げようとした時には既に遅かった。

 柔らかな感触が頬を風のように触れた。


 「#$★☆¥!!」


 声にならない叫び声を上げつつ自分は朝倉蒼一を押しのけると全速疾走でその場から逃げ出した。

 茶番劇は終わらなかった(泣)。それどころか手痛い反撃まで喰らってしまった!



 当たり前の話だが同学年でクラスも一緒なら同じ教室で同じ授業を受けるわけで・・・・。


 「林さん」


 「!?(脱兎)」


 休憩時間の度に律儀に声を掛けてくる朝倉蒼一。

 そしてその度に全力疾走で教室から逃げ出し授業開始まで逃げ回る自分。

 そんな自分たちの姿を遠巻きに見ている級友達。


 「なにやってんのあんた達は」


 放課後、中庭の茂みに隠れていた自分を見つけると呆れたように雨沢が溜息をついた。


 「ちゃんと断ったんでしょ?そんな風に避ける方が相手にしつれ・・・・ってはやて君?なんでそこで赤い顔で座り込んでんの?何かあった・・・・」


 「・・・・・・・・・・・・・・・・・・・」


 「なんで更に赤くなるの!本当になにがあったのよ」


 自分は一体どうしてしまったのだろう。

 おかしい何かがおかしい。

 自分の中で狂ってきているのが分かる。

 どくどくと心臓が常にないほど活発に動く。顔面に血が上がる。

 挙動は不審だしおまけに・・・・。


 「~~~~~~~~~~~~~~~っ!」


 油断するとあいつの顔が浮ぶとはどんな奇病だ!

 頭を掻き毟りたい衝動を必死になって堪える。

 泣きたい。逃げたい。誰かどうにかしてくれ。

 そんな軟弱な考えが頭に浮ぶのをとめられない。


 「うぁ・・・はやて君がいまだかってないほど可愛い」


 可愛い!自分のどこをどう見たらそんな感想が!


 「だって真っ赤な顔で蹲っておまけに少し涙目だし・・・意外だけどはやて君って小動物系の可愛さがあるわ」


 なんだ!人が真剣に悩んでいるというのにその感想は!

 一言文句を言ってやろうと立ち上がった自分を背後から伸びてきた強い手が抱き寄せる。


 「あら」


 雨沢が目を丸くして自分の後ろに立つ人物に目をやる。

 自分は反射的に振りほどこうとしたが易々と押さえ込まれてしまう。


 「やっと捕まえた」


 いま、一番聞きたくない声に身体から血の気が引く。

 振り向くのも怖い自分は俯いてそして呼んだ。


 「朝倉蒼一」


 背後で奴が微かに笑ったのが気配で分かった。




 悪いんだけど席、外してもらえないかな?

 外面モードの朝倉蒼一の言葉に雨沢は必死に懇願する自分を無視してあっさりと背中を向けた。

 まて、行かないでくれ!

 散々ごねたし暴れたのにそれら全て朝倉蒼一に阻止された。

 健闘むなしく自分は朝倉蒼一と二人きりにされてしまった。

 だらだらと冷や汗が流れる。


 「疾風」


 「・・・・・・・・・・・・なんだ」


 引きつった表情で振り向いた自分を一体誰が責められるだろうか。

 しかもこの男、未だに自分を離さない。

 後ろから抱きしめられた状態のまま会話続行らしい。

 朝倉蒼一は恐ろしく不機嫌な顔で自分を見ていた。


 「なぜ、俺を避ける」


 低い声が自分を責めるのを聞いて自分は何故だが無性に泣きたいような怒り出したいような気分にさせられる。


 「お前、こそ・・・なぜなんだ」


 「?」


 訳がわからないという顔をした朝倉蒼一に自分の感情が爆発した。


 「お前こそ一体どうして私に付き纏うんだ!!好きだからとかそんな理由で納得できない!私はどう考えてもお前に好かれる人間じゃないし女らしくもない!可愛くもない!どこをどう見ても好きになられる要素なんてないんだ!

 なんなんだ!お前のことがちっとも分からない!」


 激昂の余り抱きしめられた手を振り払いそのまま相手の胸をどんどんと叩く。


 「どうして・・・どうして私が好きだなんて言うんだ。どうして私を強いままでいさせてくれないんだ!お前がいると私は・・・・「自分」に戻れなくなる!」


 長い髪の女の子らしい自分。甘ったれで泣き虫で誰かに迷惑をかけないと生きていられないような弱い自分をなぜ引きずり出すようなことばかりする!

 頬を涙が伝う。

 「私」は泣いている。強くなると決めたのに「自分」は強いのに弱い「私」が泣いている。


 「私は・・・・強くならないといけないのに!」


 泣き喚いてどんどんと叩いているというのに朝倉蒼一はなにも言わない。されるがままだった。


 「なんで・・・お前、私の前に現れたんだ」


 こつんと相手の胸に額を当ててわたしは目を瞑る。


 「どうして私なんかを好きだと言うの」


 声が口調が心が戻る。

 自分が消え私が現れる。

 心が冷える。涙ももう流れない。


 「どうせいなくなるくせに・・・」


 耳の奥で閉じられた扉の音が聞こえた。

 帰ってきたら皆でご飯を食べに行こうって約束した。

 だけど、約束は果たせなかった。

 誰も帰ってこなかった。


 「どうせ、ずっとは居られないのに!」


 繰り返し繰り返し思い出す。お父さんとお母さんが出て行く。その背中が閉じられた扉にさえ切られる。

 次に扉が開いた時には二人の顔に白い布がかけてあった。

 どんなに声を掛けても揺さぶっても答えは返ってこない。

 冷たい体。返って来る静寂。

 怖い。怖いの。私は・・・怖い。


 「心を預けるのが、怖いのよ・・・」


 喪った時の衝撃を知ってしまっているから。


 「もう、嫌なの。入ってこないで・・・」


 胸が痛い。苦しい。どうしようもないぐらいの恐怖があった。

 ずっとずっと胸に穴があった。

 それを普段は無視していても不意に気付く。

 深く大きな穴の縁に私はずっと立っていた。


 「怖いの・・・・」


 か細い声。「自分」だったら決して出さない声に嫌悪感が増す。


 「疾風・・・」


 一瞬なにが起きたのか理解できなかった。

 強く抱き寄せられたと思ったら唇を奪われていた。


 「!・・・・っ!」


 押しのけようとしてもびくりとも動かない。

 怖い・・・。

 先ほどとは違う恐怖が「私」を襲う。

 全てを奪われるような全てを明け渡せと言われているような抱きしめられた腕の強さ。触れあった唇の感触。感じる体温。全てが恐怖だったのにどうしてだろう恐怖とは違う感情もある。

 怖いのに本当に怖いのにどうして手は彼を掴んでいるんだろう。

 突然の口付けはまるで実感が湧かない。だけど不思議と嫌悪感はない。ぼんやりとした頭でそんなことを考えた。


 「好きだ」


 口付けの合間に何度も囁かれた。その言葉に涙が出そうになる。


 「甘えればいい。俺に甘えろ。喪うのが怖いなら手放すな。俺は決してお前の前から消えない」


 大きな手が私の頬を撫でた。 


 「二度と離れたりなんてしない。ようやく見つけたんだ」


 優しい瞳がとても近くで愛しそうに私をしていた。


 「だから俺を選べ」


 自信満々な自分が断れることなんて微塵も疑っていない強い声。

 多分、逃げられない。捕まったのだと本能的に悟った。

 彼の顔が再び近寄る。

 私は答えの代わりに彼の口付けを受け入れた。


 涙が一粒頬を流れ落ちていった。


 

 『一年一組の住田くん。至急職員室まで来てください。繰り返します・・・・』


「!?」


 前触れもなく流れた放送に私・・・いや「自分」は正気に返った。

 今、まさに口付けをしていた相手と真正面から顔をあわせ、それから自分たちがしていた行為の意味に気がつき羞恥心で顔が真っ赤になった。

 そんな自分に朝倉蒼一が怪訝そうな顔で覗き込んでくる。

 そうすると自分たちの距離は必然的に先ほどの行為を思い返させるものになるわけで・・・。


 「・・・はやて?」


 「ひゃ!」


 全然自分らしくない声を上げてしまう。


 「な、な、な、な・・・・・・・・!」


 顔中から火が出るとはまさにこのようなことを言うんだ。

 心臓が口から飛び出るも。

 今、死んでも可笑しくないぐらいに心臓がバクバクいっている。


 「は・・・・」


 「は?」


 「離して・・・・・・!」


 ああ、まだ動揺している。「私」が抜けきれていない。

 だけど朝倉蒼一は少し驚いた顔をしてからにやりと性質の悪い笑みを浮かべた。


 「へぇ・・・離して欲しい?」


 当たり前だ。何を言うんだこの男は・・・!


 「だったら・・・・」


 えらく嬉しそうな顔で何を要求しようというのだこの男は!


 「蒼一」


 「はぁ?」


 「蒼一と呼んでくれないか?」


 「何故!」


 「・・・・・呼ばないのならもう一度するぞ」


 何をと問うまでもない。ばっと口を押さえると自分は悔しさと羞恥で俯いた。


 「疾風?」


 にやにやと笑う朝倉蒼一の顔が自分を見ているのが分かった。


 「そ・・・・ち・・・」


 「聞こえない」 


 「くっ!そう・・・・い・・」


 「疾風・・・・そんなにされたいの?」


 まぁ、俺は嬉しいけどなどとふさげたことをほざきながらぐいっと顎を掴まれ上を向かされた。


 「蒼一!」


 言った途端、自分は再び俯く破目になった。・・・・なんで、なんでそんな・・・・嬉しそうな幸せそうな顔をする!

 たかが下の名前を呼んだぐらいで!

 日本男児ならもっとしゃきっとしろとぶつぶつと照れ隠しで呟いている自分のつむじに口付けを落とすと朝倉蒼一はぎゅっと自分を抱き締める。

 な、何!


 「貴様!約束が違うぞ!」


 「いいんだよ!俺がお前を抱き締めたいんだから」


 珍しくはしゃいだ声でそう言うと朝倉蒼一は軽々と自分を抱き上げる。


 「うぁ!」


 思わず首に抱きついた自分を抱えたまま朝倉蒼一は楽しげに笑った。


 「疾風!だいすきだ!」


 「~~~~~~~~~~~~~っ!大声でそんなことを言うな!うつけ者!は、はしたない!」

 

 自分の名前は林 疾風。

 双子の兄 葉月と間違ってだされた名前と女子平均身長を大きく上回る身長と男のような言動でよく男に間違われる。

 自分は恋などしないと思っていた。

 両親を亡くしたあの日からずっと大切なものが増えるのが怖かった。

 喪えないものを喪った時の喪失感、その時空いた穴はまだ塞がってないから恋など出来ない。

 だけど・・・・・・。


 「蒼一!」


 「ん?」


 もし、恋するならば・・・・・・。


 「『わたし』は手ごわいぞ!そう簡単にお前のものになるとは思わないことだ!」


 それはお前かもしれないと少しだけ・・・ほんの少しだけ思ったりもするんだ・・・・付け上がるから絶対に朝倉蒼一には言わないがな。

 自分たちがどんな関係に落ち着くかなんてわからないけど・・・。

 きっとこれが自分たちの本当の始まり。



 


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― 新着の感想 ―
[一言] むむぅ・・・ かなり謎だけど、面白い話だ!!
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