庶民の私がなぜか王子様に告白されました。身に覚えは、……多分ないはず
学園に入学して、早くも二ヶ月が経った。
ある日、私の机の上に一通の手紙が置かれていた。
『学校の花園にあるベンチでお待ちしています』
それだけだった。
名前も書いておらず人気のない場所に呼び出すなんて、タイマンか、と私は疑った。
しかし、いざ戦闘モードで肩を回しながら花園へ向かうと、そこで足を止めた。
「待っていたよ、エマ」
「……殿下」
私を待っていたのは、この国の第一王子、ルシアン様だった。私と同い年で、同じ学園に通っている。ただし、クラスは違う。
私は庶民。王都から離れた宿屋の娘だ。王子様と接点など、あるはずない。
「座って、エマ。今日は君に大切な話があるんだ」
「……私の名前、ご存じなんですね」
この時点ですでにおかしい。庶民の娘の名前なんて、第一王子が本来知るはずがない。
「エマ、結婚を前提に付き合ってほしい。いいよね」
「??」
よくねぇよ。結婚って意味分かってますよね?
「君が戸惑うのは分かる。でもね、僕は君に恋をしたんだ。だから、お願い」
恋? 私は絶世の美少女ではない。王子様なら、晩餐会などで綺麗な令嬢を腐るほど見ているはずだ。
それなのに、どうして私なんだろう。
「あの、いくつか質問をしてもいいですか?」
ルシアン様は、嫌な顔一つせずに頷いた。
「もちろん、できる限り答えるよ」
その態度だけを見るなら、とても誠実な人に思えた。だからこそ、余計に分からなかった。
思い切って尋ねてみた。
「私のどこに恋したんですか?」
すると、ルシアン様は少しだけ考えるように視線を上げた。
「はっきりとしていて、献身的で家族思いで、笑うと可愛いところ」
「……」
私は言葉を失った。ずいぶんと具体的だ。まるで、昔から私を知っているみたいな言い方だった。
「あの……私たち、会うの初めてですよね?」
ルシアン様は、慌てたように声を上げた。
「違うよ!」
……やっぱりか。
私は思わず身を乗り出した。
「では、いつです?」
「それは、ヒ・ミ・ツ」
「……一番重要な情報が聞けないですか」
「君があのときのことを思い出したら、すべてを話すよ」
なんだろう。この人は私を困らせる天才なのだろうか。好きになった理由は具体的なのに、一番大事な部分だけ教えてくれない。
これでは納得できない。
私は小さく息を吐いて、別の問題を尋ねることにした。
「申し訳ございませんが、私は庶民なので身の丈に合いません」
「大丈夫だよ」
「……何がですか?」
嫌な予感がした。
ルシアン様は、まるで何でもないことのように微笑んだ。
「僕、そのために国内の結婚制度変えたから」
「え!?」
思わず声が裏返った。
結婚制度を変えた?
私と結婚するために?
この人、本当に王子様なんだ。
そして、王子様だからこそできてしまうことを、私のために平然とやっている。
いや、待って。
私はまだ、この人と付き合うとも言ってない。
それどころか、好きになった理由すら聞き終えてない。
なのに、どうして結婚制度まで変わっているのだろう。
「………この場ではお返事できません。失礼します」
これ以上ここにいたら、頭がおかしくなりそうだった。
私は立ち上がり、深く頭を下げた。
「いい返事を待ってるよ、エマ」
「……」
私はその場を離れながら、胸の中で小さく呟いた。
……怖い。
☆ ☆
こうして、謎の殿下の発言により、私の学園生活が一変した。
私は学園の図書館でゆっくりと本を見ていた。すると、満面の笑みでルシアン様が近づいてきた。
「エマ、やっぱり図書館にいたね。君の大好きな『バトルマニア』シリーズでも読んでるの?」
「なんでそれをご存じなんですか……」
私は思わず本を閉じた。
どうして知っているんだ。誰にも話した覚えはないのに。
「調べたもん。君のこと」
「調べた?」
悪びれる様子もなく、ルシアン様は笑っていた。
「エマが好きそうな本、ピックアップしたよ。読んでみてね」
「あ、ありがとうございます……」
差し出された本を受け取ると、内容は確かに私が好きそうなものばかりだった。
……それが余計に怖い。
周囲の生徒たちも、当然ながら気づいている。
「殿下が庶民の娘とお話してるわよ!?」
「殿下とお友達なんて羨ましい……」
私は苦笑いをした。
友だち。そうなのだろうか。
いや、私は殿下に告白されて、それを保留にしているだけだ。
なのに、どうしてこんなに自然に私の隣にいるのだろう。
……無理だ。
このままでは、私の平和な学園生活が本当に終わってしまった。
こんなこと、親にも友だちにも相談できない。
王子様に告白されたなんて話をして、信じてもらえるとも思えない。
でも、一人で考えていると、もっとモヤモヤしてくる。
私は大きく息を吐いた。
ここは私からきちんと言わなければならない。
私は意を決して、ルシアン様を見た。
「殿下」
「なに?」
「私は平和で普通の日常が送りたいです。なので、私に干渉しないでください。来ないでください」
「そ、そんな……」
ルシアン様の顔から、みるみる笑顔が消えていく。
まるで捨てられた子犬のような顔になった。
思わず叫んだ。
「泣きそうな顔しないでください!!」
……どうして私が悪いことしたみたいになっているのだろう。
☆ ☆
ルシアン様を突き放してから数日後。
「すみません、エマさん」
放課後、教室を出ようとした私に声をかけてきたのは、見覚えのある少年だった。
「僕は第二王子のレイモンドと申します。」
第二王子。私は思わず姿勢を正した。
王子様が二人とも、私に何の用があるというのだろう。
「どのような……ご要件で」
「兄のことです。兄がご迷惑をおかけしてしまい申し訳ございませんでした」
「あ……そのようなことでしたか」
なるほど。
どうやら、兄のルシアン様が私に迷惑をかけていることを知っているらしい。
「兄は貴女が初恋で、女性の接し方がまるでなっていません」
「……初恋」
私が初恋って……。
「兄は優しく一途な人です。……まあ、信じられないほど距離感がバグっていますが、適当にあしらって対応してください」
「……」
第二王子が、私に第一王子への対応方法を教えている。
私はなんだかおかしくなって、少しだけ笑ってしまった。
「……意外ですね」
「何がでしょう?」
「王子様が、そんなふうに兄君を扱っているなんて」
「私も適当にあしらっていますので、問題ありません」
「……意見が合いそうですね、レイ様」
レイ様は小さく笑った。
「僕もそう思います。
お困りのことがあれば、相談ください。兄の好物や、些細なことでも構いません」
「早速ですみませんが……殿下は大丈夫ですか? 干渉するなと言ったときにかなり落ち込んでいましたので」
「大丈夫ですよ。はっきり貴女が「来るな」と言ったおかげで大人しくなっただけです」
「……私、殿下と出会ったきっかけが思い出せません。レイ様、ご存じですか」
「いえ、私もそこまでは。でも、貴女への愛は本物です。少しずつでいいので兄を理解してやってください」
「……はあ」
「失礼します、エマさん」
「……」
ルシアン様を遠ざけるのは簡単であるが、私のモヤモヤの解消にはならない。ここは私からルシアン様を訪ねてみるか……。
翌日、昼休み。ルシアン様がいるクラスへ向かった。
「エマ、どうしたんだい!?」
「……殿下、よければ一緒にお食事でも」
「する!!!」
「では、なるべく人目につかない場所で」
「うん!!」
庶民の私と王子が二人きり、何もないはずがない。わけあるか!!!
ただ、食堂だと目立ちすぎるから避けただけ。二人きりになれる場所なんて限られるし、私が気軽に声をかけるのもどうかと思ったのだ。
私とルシアン様は学園の屋上へ向かった。
私は手作りのサンドイッチをルシアン様へ渡した。
「サンドイッチを作りました。殿下のお口に合うか分かりませんが……」
ルシアン様は嬉しそうに目を輝かせていた。
「いただきます!」
サンドイッチを食べると笑みを見せてくれた。
「美味しい……。エマが作ってくれたサンドイッチって考えるだけでも美味しいよ」
「……そ、それは嬉しいです」
「こうして君からお誘いとは珍しいね。どうかしたの?」
「殿下は私をご存じですが、私は殿下を知りません」
「どんなこと知りたい?」
「ご趣味はなんですか……」
「僕は乗馬と読書」
「乗馬……私も乗ってみたいです」
「いいよ。初めてかな」
「ええ、馬をかっこよく乗りこなすのが夢なんです」
「いいよ、僕が教えてあげる」
「ありがとうございます」
放課後、学園の外れにある厩舎で待ち合わせた。
「……よろしくお願いします、殿下」
ルシアン様は、意外なほど丁寧に教えてくれた。
手綱の握り方、姿勢、重心などを穏やかな声で説明してくれる。
「怖がらなくていいよ。馬は正直だから、騎手の気持ちが伝わるんだ」
「はい……」
初めて鞍に跨がったときは、少し緊張した。
けれど、馬がゆっくりと歩き出すと、頬を撫でる風が気持ちよかった。
ルシアン様も馬に乗り、私の馬に並走しながら、ときどきアドバイスをくれた。
「膝をもう少し締めて。そう、その調子」
「……楽しいですね」
思わず本音がこぼれた。
隣から、ルシアン様の小さな笑い声が聞こえる。
「でしょう? 僕も、こうしてエマと並んで走れるのは楽しいよ」
何度か往復しているうちに、私の動きも自然になっていった。
馬のリズムに体を預けていると、自然と肩の力が抜けていった。
いつも距離を置いて見ていた相手が、今はただの指導者として隣にいて、一緒に笑っている。
休憩の時間になり、木陰で水を飲みながら、私はちらりと隣を見た。
ルシアン様は汗を少し浮かべているものの、表情はどこか晴れやかだった。
国民の前で見せる完璧な王子の顔でもない。私室で見せる、執着の混じった顔でもない。
ただ、純粋に乗馬を楽しんでいる顔だった。
「……あれ?」
私は心の中で小さく呟いた。
怖いと思っていた相手と、こうして普通に並んでいる。
権力を振りかざすわけでも、無理に距離を詰めてくるわけでもない。ただ、乗馬を教えてくれているだけだ。
意外と、ルシアン様といるのも悪くない。
そんな考えが浮かんだ瞬間、自分でも少し驚いた。
恋愛感情と呼べるほどではない。
ただ、以前のように、何もかも疑ってかかる必要はないのかもしれない。
「殿下。もう少し、乗ってもいいですか?」
「もちろんだよ。今日は時間があるから、好きなだけ」
ルシアン様の声は穏やかだった。
私は小さく頷き、再び馬に跨がる。
このまま、もう少しだけ、この時間を続けてもいいのかもしれない。
そんなことを思いながら、私は手綱を握り直した。
しばらく馬を走らせていると、ルシアン様の様子がおかしいことに気づいた。
先ほどの穏やかだった顔から、少しずつ血の気が引いていた。
「殿下……顔色が……」
「そうかな? ごめん、そろそろ乗馬やめるね」
そのとき、兄の帰りを待っていたレイ様が慌てて駆け寄ってきた。
「兄さん、大丈夫ですか!」
「えへへ、これくらい平気」
「……全く。エマさん、どうか兄のこのような姿はご内密に。
兄さん、肩につかまって。保健室へ行こう」
「うん……」
レイ様が手を伸ばしたが、私は反射的にルシアン様の体を支えた。
「いえ、私が運びます」
「え?」
そのまま、ルシアン様を抱き上げる。
いわゆるお姫様抱っこである。思っていたよりも軽く、しっかりと支えられた。
腕の中のルシアン様は、なぜか顔を真っ赤にしていた。
「どうしよう、ますますエマのこと好きになっちゃうよ」
己の体を心配してほしい……。
「静かにしてください。行きますよ」
ルシアン様は素直に返事をした。
「はい……」
いつもなら、何かしら私を困らせるようなことを言うのに、今は大人しい。やはり、相当具合が悪いのだろう。
「レイ様、すみませんが馬を厩舎に戻しておいてください」
「任せてください。あとで保健室へ薬を持っていきます」
「ありがとうございます」
私はルシアン様を抱えて保健室へ向かった。
保健室でルシアン様をベッドに寝かせた。
「……殿下」
なんか、これ以前にもあったような……。
「殿下、こちらは水です。お飲みください」
「ありがとう、エマ。君がいてくれて、少し楽になったよ」
「まだ顔色が悪いですよ。無理をなさらないでください」
「うん。エマが心配してくれるなら、ちゃんと休むよ」
私は呆れながら、ルシアン様の顔を見つめた。
儚げな瞳。どこか頼りない笑顔。
そこで、ふと記憶の奥に眠っていた景色が浮かんだ。
五年前、実家の宿に、体調を崩した男の子が泊まったことがある。
あのときも、こんな目をしていた。
私は思わず、ルシアン様の顔をじっと見つめた。
「あの……もしかして、五年前に私の実家の宿にお越しになりましたか」
ルシアン様は、静かに微笑んだ。
「……覚えていたんだね、エマ」
「では、私が看病した男の子って」
「僕だよ」
「まさか……。なぜ、あのような場所に」
「あの頃、僕は身分を隠して見聞を広めるために国中を回っていたんだ。その旅の途中で倒れてしまってね」
「それで、私の家に……」
ルシアン様は、懐かしそうに目を細めた。
「『私の家は宿屋だからお休みできます。早く休ませてあげてください』ってね」
「……よく覚えていましたね」
「宿についたときも、君はずっと僕のそばにいてくれた。本当に嬉しかったよ」
「……当然のことをしたまでです」
あのとき、目の前で苦しそうにしている男の子を放っておけなかっただけだ。相手が王族だと知っていたわけでもないし、特別なことをしたつもりもなかった。
「僕にとっては当然ではないんだよ」
「……」
その言葉を聞いて、私は何も言えなくなった。
私にとっては、ただの親切だった。
けれど、ルシアン様にとっては、五年経った今でも覚えているほどの出来事だった。
「エマ、二度目だね。ありがとう」
私は小さく首を振った。
「いえ……」
☆ ☆
一ヶ月後。
ダンスパーティーの会場には、華やかな音楽が流れ、色とりどりの照明が灯っていた。
貴族の子女たちが優雅にステップを踏む中、私は壁際で目立たないように立っていた。
宿屋の娘なので体力には自信がある。けれど、正式なダンスなどほとんど経験がない。足の運び方すらおぼつかず、「苦手」を通り越して「無理」に近かった。
「エマ」
後ろから声をかけられ、振り返る。
そこには、いつもの礼服姿のルシアン様が立っていた。
国民の前では完璧に振る舞う第一王子が、静かに手を差し伸べてくる。
「僕がリードするから、ついてきて」
「殿下、私、ダンスは全然ダメですよ。足を踏んじゃいます」
「いいよ。踏まれても痛くないから」
冗談めかしているけれど、その目は真剣だった。
断ろうとした私に、ルシアン様はもう一度、穏やかに言う。
「怖がらなくていい。乗馬のときみたいに、僕についてくれば大丈夫」
乗馬のときのことを思い出し、私は一瞬だけ口をつぐんだ。
あのときも、意外と悪くなかった。
最近は以前ほどルシアン様を警戒しなくなった。そんな状態で改めて誘われると、完全に突っぱねる気にもなれない。
「……一曲だけですよ」
「約束する」
差し出された手を取る。
ルシアン様の指は華奢で、少し冷たかった。それでも、握る力は意外としっかりしている。
音楽が流れ始め、ルシアン様がゆっくりとステップを踏む。
私は何度も足元を見下ろした。右か左か分からなくなり、危うくルシアン様の足を踏みそうになる。
「上を向いて。僕の動きだけ見て」
「無理を言わないでください……きゃっ」
軽く引き寄せられ、体勢を整えられる。
ルシアン様は強引に引っ張るでも、放っておくでもなく、私の動きに合わせて丁寧にリードしてくれた。
「そう、その調子。力まないで」
「殿下こそ、無理していませんか? お体は……」
「大丈夫。エマと踊れるなら、少しくらい平気だよ」
さらりとそんなことを言うので、私は返す言葉に困ってしまう。
やがて曲に合わせて回り始めると、周囲からちらちらと視線が飛んできた。
第一王子が、庶民の娘を相手に丁寧にダンスを教えている。
そんな光景が珍しいのは分かるけれど、見られる側としては気恥ずかしい。耳まで熱くなった。
それでも、ルシアン様の動きについていくうちに、足の運びは少しずつ滑らかになっていった。
曲が終わる頃には、最初ほどぎこちなくはなくなっている。
「……なんとか、乗り切れました」
息を整えながら呟くと、ルシアン様が小さく笑った。
「僕がついているからね。次の曲も――」
「一曲だけって言いましたよね」
「そっか。残念」
ルシアン様は名残惜しそうにしながらも、私の手を離した。
その瞬間、絡んでいた指先が、ほんの一瞬だけ名残惜しそうに触れ合った。
私は、それをすぐには振りほどかなかった。
こうして踊りきれたことが、胸のどこかに残っていた。
ルシアン様と一緒にいる時間が、また少しだけ、悪くないものに感じられた。
「殿下、あとで花園のベンチへお越しください」
ルシアン様の表情が、目に見えて変わった。
「!?」
「あのときのお返事をいたします」
「わ、分かったよ」
さっきまで余裕のある笑顔を浮かべていたのに、今は明らかに落ち着きを失っていた。
……そんなに驚くことだろうか。
私はこれ以上の返事の保留をやめたかった。
ダンスパーティーが終わると、ルシアン様は花園のベンチへ来た。
私は立ち上がって、さっそく本題を言った。
「お付き合いするかどうかは、まだ決められません」
「そっか……」
「……ですが、私とお友だちになってください。殿下が私を大切に思ってくださっていたことは、十分伝わりましたので」
「それって、まだ僕にチャンスあるよね」
「……あなた次第ですけど」
「やった!!!!」
ルシアン様は、両手を上げて喜んだ。
第一王子が、花園のベンチで友だちになれることを喜んでいる。
……そんなに嬉しいものだろうか。
「では、これから友だちとして、よろしくお願いしますねルシアン様」
「うん! よろしく、エマ!」
差し出された手を握る。
もう、最初の頃のように逃げたくなるほどの圧はなかった。
ただ、目の前の人が嬉しそうに笑っている。
私はその笑顔を見て、ほんの少しだけ頬を緩めた。




