第6話 風と雷の交差点
シノ=グリモワールは、一人きりで魔力の流れを読み取ろうとしていた。
静かな夜の演習場。水との激闘の余韻はまだ、体にも心にも残っていた。
(届いた、はずなのに……)
水の天才、レイ=ルナティクスとの戦いは互角だった。
観客も教師も絶賛してくれた。けれど――
「……違うんだよな」
彼の中で何かが足りないと叫んでいた。
風の刃は届いた。魔力の流れも見切った。けれど、**あの“本質的な重み”**が、まだ自分にはなかった。
そのときだった。
「お前らしくもない」
涼やかで、どこか棘を含んだ女性の声が、背後から響いた。
シノは驚いて振り向いた。
そこに立っていたのは、青みがかった白銀の髪を風になびかせた、長身の女性だった。
鋭くも美しい目元。長く裂けたスリットの入った黒と紺のローブ。腰には飾り気のない一本の杖。
「……師匠」
その名を口にすると、彼女――かつて“風の帝”と呼ばれたジル=アルヴァレストは、肩をすくめた。
「顔を見に来たら、迷子になった子猫みたいな目をしていて拍子抜けした」
「俺は……」
「何も言わなくていい」
彼女はすっと手を上げる。その瞬間、風が演習場に舞い戻ったかのように空気が震えた。
「お前の風が乱れている。それだけで十分だ」
シノは黙ってうつむいた。
彼女の前では、幼い頃から言い訳など一度も通じたことがない。
「魔力の量に怯えているのか?」
ジルの問いに、シノは少しだけ頷いた。
「レイは、すごくて。俺がどれだけ操作しても、ぶつかる力の差が……」
「くだらない」
一言で切り捨てられた。
「魔力とは、“生まれつきの器”に過ぎない。だが、風はそんなものに縛られはしない。
お前が見てきた風は、そんなにも安っぽいものか?」
「……違います」
「なら、聞かせてみろ」
彼女の声が鋭くなる。
「お前の風は、何を斬り、何を守る?」
「……俺の風は」
シノは少しだけ目を閉じ、ゆっくりと呟いた。
「俺の風は、誰かの涙を止めるためにある。
怖がってる誰かを前に進ませるために、俺は、風になるんだ」
ジルの唇が、ほんのわずかに動いた。笑みか、それとも呆れか。
「――よく言った」
彼女は背を向ける。
「来なさい。教えてやるわ、あんたの“次の段階”を」
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同じ頃。学院の中庭では、雷属性の少年――ヴァルト=グランゼリオが鼻歌を歌っていた。
「ふんふん、来たる雷の咆哮が、風を裂く日も近いってね」
彼は空を見上げ、黒雲がかすかに浮かぶのを見て不敵に笑った。
「グリモワール、君がどれだけ操作を極めようと、雷の圧倒的な力には敵わない」
貴族の中でも上級にあたる彼は、雷帝の縁者とも噂される。
けれど、ただの血統ではない。彼の魔力は、まさに“力”そのものだった。
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翌日。
演習場の一角で、シノは風の刃を集中して生み出していた。
「……風は、ただ流すだけじゃない。感じて、折って、ねじって……変える」
ジルとの特訓は苛烈を極めた。
風を立体的に“面”として捉え、構造を理解し、風圧の方向を計算する――
「“流体”としての風を操るのが、次の段階。風を空間そのものとして扱え」
彼女の言葉は抽象的で、時に無慈悲だ。
けれど、そこに込められた信頼と期待は、誰よりも強い。
「シノ?」
フレアが木陰から顔を出した。ミアとリリィも並んでいた。
「ちょっと、また一晩中修行? あんた、倒れるわよ」
「……大丈夫。体より、頭の方が限界かもだけど」
ミアはにこっと笑って、小瓶を差し出す。
「これ、栄養補助。飲んでおいて」
シノはありがたく受け取った。リリィは何かを言いたげに、ただ彼を見ていた。
「……昨日の風、綺麗でした」
「え?」
「あなたの風。あたたかかったです。兄さまの魔法より、私は……好きです」
それを聞いたフレアとミアが少し目を丸くした。
そして、木陰の奥――レイがこちらをじっと見ていた。
(……やっぱり、気にしてる)
ミアはレイの複雑な表情を見て、そっとリリィの肩に手を置いた。
「もうすぐ、あなたの体も、もっと自由になる。私、絶対治すから」
リリィが小さく頷いた時、演習場に雷が走った。
「さあて、そろそろ準備はできたか、風の申し子」
ヴァルトが腕を組み、雷をまといながら現れる。
「今度の公開演習、俺とお前の“本気”をぶつけようじゃないか」