第4話 水の天才、そして新たな挑戦
セレフィア魔導学園に、静かに変化の兆しが訪れていた。
春の終わり、特別転入生が1人、学院に加わることが発表された。
水属性の天才魔導士、レイ=ルナティクス。
かの《蒼水の家系》と呼ばれる名門の出身で、幼い頃から魔力量と制御技術の双方で飛び抜けていたという。
朝の大講堂。全校生徒の前に、涼しげな風貌の少年が姿を現した。
「私は、レイ=ルナティクス。水属性適性・特級。以後、よろしく」
それだけを口にすると、レイは軽く一礼し、静かに壇上から降りた。
——銀色が混じる水色の髪に、深海を思わせる碧眼。どこか冷たい印象を持たせる整った顔立ち。
その立ち居振る舞いには、一切の無駄がなかった。
観客席のざわめきの中、シノはその背中をじっと見つめていた。
(……あいつ、只者じゃない)
心の奥で、風がざわつく。
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午前の授業。演習場では、水属性の制御演習が行われていた。
普段は各属性ごとに分かれて行われるが、今日は特別に全学年混合、上級生と新入生を交えた「魔導技術の公開演習」が予定されていた。
理由はただ一つ——レイ=ルナティクスの実力を測るためだ。
その場に居合わせたシノ、フレア、ミア、そしてヴァルトも、固唾を飲んで見守っていた。
「よくある貴族の天才かと思ったけど、雰囲気が違うわね」
フレアがぽつりと呟く。
「魔力量だけじゃなくて、精神の均衡が尋常じゃない……あれは、鍛えてる」
ミアが水魔法の感応力でそう評する。
ヴァルトは興味なさそうに腕を組んでいたが、薄く目を細めていた。
「見せてもらおうか。自称天才の実力とやらをな」
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レイの演習が始まった。
指導教師が提示したのは、五つの的に対して瞬時に異なる水属性魔法を繰り出し、制御しきるという課題。
通常は三的が限界とされており、成功者は上級生にもほとんどいない。
教師が開始の合図を出す前に、レイは軽く右手を前に出した。
「《アクア・シャード》《ウォール・フロー》《ミスト・ブレイク》《リフレクター》《ハイドロ・バインド》」
瞬時に、五つの異なる魔法陣が展開される。魔力の流れに一切の無駄がなかった。
一つ一つの術式が、それぞれ別の役割を持ちながらも、同時に維持・発動・制御されていた。
水の弾丸が、光の軌跡のように正確に的を撃ち抜いた。
水の盾が別の的を受け止め、霧の斬撃が第三の標的を貫き、残る二つを拘束と反射で無力化する。
——静寂。誰も言葉を発せなかった。
やがて教師がゆっくりと口を開く。
「……完璧、だ。文句なしの“S”評価」
拍手すら忘れた生徒たちに代わって、観客席からぽつりと声が漏れた。
「化け物かよ……」
シノは拳を握りしめていた。
(操作技術も、魔力量も、……完敗だ)
風が、凪いでいた。
公開演習が終わって間もなく、講堂近くの廊下で、シノは一人佇んでいた。
演習中のレイの姿が、頭から離れない。
(完璧な操作、魔力の奔流。それでいて、無駄が一切ない……)
彼の中で何かが軋んだ。焦りなのか、羨望なのか、自分でもよく分からない。
だが確かに、心の奥にある“何か”が刺激されていた。
「……風が止まってるわよ」
背後から声がかかった。振り向けば、フレアだった。
「いつもなら、あなたの周りには風が流れてるのに。今は……静かね」
「……あいつの魔法を見て、ちょっとね」
「レイ=ルナティクス、か。あの人、確かにすごかったわね。でも、あんたの風も、私は好きよ」
優しい声だった。けれど、その一言でシノの心は少し軽くなった。
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翌日。学院内の中庭。
「君が……シノ=グリモワールか」
後ろから声がした。振り向くと、あのレイが立っていた。
「昨日の演習、見ていた。君、魔力量は少ないらしいのに、制御は正確だった」
「……ああ。量がない分、技術で補ってる」
「珍しい。いや、正確には、魔力を“繊細に刻んで操る”方法は、私の周囲ではほとんど見ない技術だ」
レイは一歩前に出た。
「君と一度、戦ってみたい」
その言葉に、シノは目を見開いた。
「理由を聞いてもいいか?」
「君が“自分に似ている”からだ。……正確には、“大切なもののために強くなろうとしている”匂いがする」
レイの言葉には、熱が込められていた。
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その日の午後。公式戦の組み合わせが発表された。
シノの名前の隣に、レイ=ルナティクスの名があった。
周囲がざわつく中、シノはゆっくりと笑った。
「……来るか」
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一方、フレアは別の場所で、ある少女と出会っていた。
小さな診療室の奥、窓辺で咳き込みながらも本を読んでいたその少女は、淡い水色の髪を持っていた。
レイとよく似た顔立ち。彼の妹——リリィ=ルナティクス。
(この子……病気なのね。ずっと寝たきりなの?)
フレアは心の中でそう感じ取った。
その傍らには、ミアが控えていた。
「この子の体、まだ完全には癒せていないけど……私、きっと治してみせる」
自然属性の癒し手としての力を賭け、ミアはリリィの病に挑もうとしていた。
それが、レイとシノの関係に新たな波紋を呼ぶとは、このとき誰も知らなかった。