前編
饗庭家に生まれた末娘のあらせ、つまり私は木陰に潜み、息を殺し、気配を殺していた。
まさかお世話係の忍に習った気配の消し方が、帝都のど真ん中で役に立つとは思わなかった。
(はやく終わってくれないかな……)
私が隠れている木陰の向こう側に逢引らしき男女がもじもじと向かい合っている。
私がいるのは帝の座す居城の一角だ。もっとも、実際に帝とその一族が生活している場所ではなく、客間とも呼ぶべき離れだが。
客間というには少々広大すぎる離れの、隅の隅の、木陰に私は隠れている。
なぜそんなことをしているのかといえば、ただ単に間が悪かっただけだ。木登りしようとしてたら人が来るから隠れただけ。
両親は自分たちと同じく集まった他家との交流に忙しく、兄姉も両親のように他家との人脈を築くために茶会だ、狩りだ、とあちこちの催しに参加している。
末娘の私は特に人脈を広げる必要もなく、兄姉か両親がそのうち見つけてくれるだろう相手と婚姻を結べばいいだけなので、こうやって遊びに出たのだ。
礼儀だ作法だとうるさく口すっぱく言ってくるお世話係も今日は兄姉の護衛の助っ人として駆り出されているので、家では見つかれば怒られる遊び、例えば木登りでもしようと人気のない裏庭に遊びに出てきたのだが、まさかこんな裏寂れた場所に人が来るとは。せっかくの帝都なんだから、見事な枝ぶりの木々に登ろうと思っているのに、ついてない。
しかもなんだか込み入った話をし始めたので、陽気に「そこのお二人さん、暇なら一緒に木登りしない?」と誘うこともできやしない。
つい先日から帝都で行われている藩主たちの集まりで、子どもの嫁入り先や婿入り先を探す藩主たちはそれなりにいて、当事者たちも自分の気に入る相手を探して躍起になるのも珍しくない。
仕方なく私は婚活中であろう二人のいい雰囲気を邪魔しないよう、大人しく話が終わるのを待つしかないのだ。けして人さまの恋愛事情に興味津々なわけではない。けして。
「先ほどは助けてくださってありがとう存じます」
「いえいえ、転ばなくてなによりでした」
「わたくし、あなたのような逞しい方は初めてですわ……」
「おれも、あなたのようにたおやかな方は初めて見ました!
その長くて美しい髪は手入れがさぞたいへんでしょう。それをかかさず行う貴女はたいそうな努力家なのですね!」
「まあ、ありがとうございます……」
お、いいぞ。内面や努力を褒めるのは好感触じゃないか? ま、お姫様の髪の手入れは侍女の仕事だが。
そのまま褒めたおしてさっさとまとまってこの場を去ってくれ!
「わたくし、お茶屋お花を習っていまして、短歌も少々……。お師匠様たちにはよく褒められますの……」
「そうなんですね、すごいです!」
なるほどなるほど、お相手は教養がしっかりある、と。教育に金をかけられる、イコール実家が太いだからな。これは高ポイントだ。
さて、男の方はどう出る……?
「恥ずかしながら、おれは座学が苦手でして……。
褒められるのは遠乗りに行ったときくらいなのですが……」
ふーむ、馬術以外取り柄がないのか……? これはちょっと減点か……?
「この間、飛んでる鳥を射落とせまして、師匠にもよくやったと褒められました!」
おお、弓術もそれなりなのか。飛んでる鳥を落とすなんてけっこうな腕前じゃないか。
鳥が落とせるなら他の獣も仕留められるだろうし、実家次第では婚約待ったなしでは?
ほらはやくまとまれ!
「まあ、素晴らしい腕前ですのね……!」
「へへへ……いやあ、それほどでも……」
うんうん、双方まんざらでもなさそうだな。結婚式には呼んでくれよ、ご祝儀袋を厚くしてやるぜ。私はまったく無関係だが。
「羽も綺麗で、とても美味しかったですし、よければ今度おれの故郷に食べに来ませんか?
伽羅鳥という鳥なのですが、ご存知でしょうか」
「え」
お、流れ変わったな。
伽羅鳥といえば妖獣じゃねーか。
都会やその周辺ではめったに見られないが、どや超がつく田舎ではそれなりに見られると聞く。
つまり、男のほうはど田舎か超田舎の出身、と。
身なりからして帝都かその周辺出身っぽいお姫様的にはマイナスなんじゃ……うん、マイナスっぽい。
ものすげーキレーな愛想笑いに切り替えたぞ、あの姫さん。今までのかーいらしー恥じらう恋する乙女顔はどこいったよ。
おい、姫さんの顔色に気付いてやれ、空気読め。甘酸っぱい空気は綺麗さっぱり消えちまったぞ。
「あと、その日は猪も熊もひとりで仕留めることができ……」
うーん、猪はまだいいとして、熊を単独で仕留めるのは都会育ちの姫さんには刺激が強すぎないか?
ほら、引いてるよ姫さん。精神的にも、物理的にも。後退りしてるのに気付けー。
「その後、肉を焼いていたところ匂いにつられたのか絡新婦に襲われたのですが、返り討ちにすることもできました。
そういえば、あなたのその指も絡新婦の指のようにほそくて白くてうつくしいですね!」
「…………」
絡新婦かー。うん、妖魔だね。
妖魔みたいと褒められて喜ぶ姫さんがいるだろうか。いや、いない。
「田畑を荒らしていたので退治を頼まれていた大百足も……」
「そっ、そうなんですねっ、すごいですねっ! では、わたくし用事を思い出しましたのでこれで失礼させてもいますわ!」
あっ、姫さん逃げた。
うんうん、田畑を荒らすような大百足なんて帝都周りじゃ聞くこともないし、想像するだけでも気持ち悪いもんね、しょーがないよ。
残念ながら婚約成立はならず。次の機会にご期待くださーい。
さあ、はやく君も帰るんだ、私がいつまでも木登りを満喫できないじゃないか。
「えっ、あの、待って……行っちゃった……。
なんていきなり……? いい感じだったのに、なんで……?」
うーん、強いて言うなら君が超のつく田舎出身だからかな。
「ど、どうして……なんで……? なにが悪かったんだろう……。
教えてもらえますか、そこでずっとうずくまってる方」
うわっ、気付いてたんかーい。
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