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偽りのキス

「あちきはディーネの幸せを実現するための存在。お主らもディーネのことを想うなら、大人しくあちきに捕まってはくれぬか?」


エリギュラからこの絵の世界の成り立ちを聞かされたアレスたち。

ディーネの辛すぎる境遇にアレスはぶるぶると拳を震わせていた。


「俺が、俺が1人この世界に残る。だから他の皆は現実の世界に戻してくれないか……?」

「アレス君!」

「ダメじゃ。貴様1人ではこの世界を維持できるだけの魔力は賄えん。そこの氷使いはかなりの魔力を秘めておるようじゃからの。貴様とその女と、あとは数人残ってくれればあとは帰してやらんでもないが」

「そんなこと……そんなことできるわけがないだろ……」

「はぁ……あちきも初めから首を縦に振ってもらえるとは思うてはおらん。だから、こうするしかないんじゃ」

ピキッ!!……ピシ……バキバキッ!!

「なに!?いったい何の音!?」

「この音は……まさか!!」

バシャァアアアアン!!


ディーネ1人を犠牲にする選択肢を選べず、かといってティナたちを犠牲にすることも選べない。

この現状に答えを出せずにいたアレスだが、その時城の外から何かがバキバキと砕ける音が聞こえ、その直後に大量の水が流れ出る音が響いてきたのだ。


「うっ……」

「ッ!!ティナ!?」

「すまない……流石に、城の周囲を全て凍らせるのは無理があった……」

「じゃあ今の音は……」

「ずいぶん厚い氷が張ったものでのう。突破するのに時間がかかってしもうたわ」

「くそっ!さっきまで長々と話してたのは時間稼ぎだったか!」


アレスたちがゆっくりと話をしている間に、エリギュラはティナが凍らせた城の周囲の氷を砕き再び城を海に沈めようと画策していたのだ。

すでに城の周囲の氷は砕かれ城内への浸水が始まっている。


「皆!!ひとまず城の上の階に避難してくれ!!」

「アレス君は!?」

「俺は……奴を倒す」

「ほう?ディーネを見殺しにする決意が固まったか?」

「違う!!俺たちは外に出るが……ディーネを助ける方法も必ず見つける!!そのためにはお前が邪魔なんだ」

「出来もしないことを易々と口にしおって」


砕かれた氷に阻まれ城の沈むスピードは緩やかだが、着実に城内は水で満たされてゆく。

そんな中アレスはソシアたちを上階に逃がしエリギュラとの決着をつけることにしたのだった。


「……、わかった!ティナさん、私の背中に!」

「すまないソシア……」

「それではアレスさん!僕らは上に向かいます!アレスさんもどうか……」

「ああ。わかってる」

「……お先に失礼します!ディーネさんも!早く来て下さい!」

「……」


体力を使い果たし膝から崩れ落ちてしまったティナをソシアが背負い、ジョージに促されたディーネも共に城の上階へと向かったのだ。

そしてエリギュラと2人になったアレスは震える手で剣を構える。


「本当に、ディーネを救えるとでも?」

「救う……救わなきゃだめだ!!どんな手を使ってでもあいつが助かる方法を探す!!」


次の瞬間アレスは膝下まで上がっていた水位のなか、全力で飛びあがるとエリギュラに勢いよく斬りかかったのだ。

直線的なアレスの斬撃をエリギュラは槍で防ぐと、一歩下がり中間距離での攻撃を開始した。


「ディーネが今生きられているのは健康な体でいたいというあの子の理想を叶えたこの世界のおかげじゃ!!外に出ればあの子は死んでしまうぞ!!」

「それなら俺だけでも外に出て……何とかあいつも外に出られる方法を探す!」

「そんな都合のいい方法があるものか!!決断から逃げ己だけ外の世界に行くだけだろう!?」

「違う、違う……違う!!」


エリギュラの激しい槍での刺突攻撃を、アレスは苦悶の表情で捌き続ける。

本当はアレスも頭では理解していた。

ディーネを助けるのは困難なことだと……恐らく自分がその方法を見つけられないと。

そんな現実を否定したく、アレスは自分に言い聞かせるようにディーネを救うと叫んでみせるが自分の発言を信じることができない今のアレスの声は大きくも頼りなく、その剣筋は普段と比べ物にならないほど錆びついていた。


「これがあの子が憧れた勇者の姿とは情けない!せめて心からあの子を助けると言い切ってくれるのならあちきも貴様に託せただろうに!!海龍神の咆哮!!」

「ッ!?しまっ……うわっぷ!!」


決断をできないアレスの姿にエリギュラは呆れ果て、なんと渾身の突きを城の床に向かって放ったのだ。

その直後、地面が大きくひび割れその隙間から海水が流れ出してくる。

勢いよく噴き出した水は一瞬でアレスを押し流し、あっという間に城の1階部分の半分ほどまで溜まってしまったのだ。


(くそ……くそ……くそっ……)

「それが出来ぬなら自分の手でディーネの命を終わらせるとくらい言うて欲しかったわ。貴様に殺されるのならあの子も納得するじゃろうて」

「……」


城内に流れ込んだすさまじい水の流れに浮上することすらできないアレス。

エリギュラはそんな水の中でも元居た場所から微動だにせず悲しそうな表情で溺れ行くアレスを見上げていた。



「……私は、戻らないと」


アレスが迷いを断ち切れず水の流れに飲まれてしまう少し前、上階へ続く大階段を上っていたディーネは2階に差し掛かったところでその脚を止めたのだった。


「ディーネさん?今なんて言ったんですか!?」

「皆さんには謝らないといけません。私の身勝手な願いのせいで、たくさんの人にご迷惑をおかけしてしまいました。この世界は私が創り上げたものだから……私が終わらせないとダメなんです!」

「ディーネさん!?」


この世界に来る前の記憶を鮮明に思い出してから、ディーネはずっと2つの想いの間で揺れていた。

1つは偽りだろうと安寧に満ちたこの世界でこのまま生きていきたいという気持ち。

そしてもう1つは……


「アレスさん!」


城の上の階へ逃げるソシアたちに謝罪をし、別れを告げたディーネは今上がってきた階段を勢いよく下りはじめたのだ。

すでに1階の天井に迫るほど水位が上昇している中、ディーネは階段の手すりを乗り越え荒れ狂う波の中にその身を投じたのだ。


(なんだ?今……ディーネの声が聞こえたような……そんなことあるわけないよな。もうこんなに水の底に沈んでいるのに……)

「アレスさん!」

「っ!?」


水の流れにもまれ、意識が遠ざかるアレス。

だがそんなアレスは薄れゆく視界の中、窓から差し込んだ光をバックに自分の元に近づいてくる人影を発見したのだ。

その人物は薄暗い水の中で太陽の光をキラキラと反射させ、真っ直ぐに自分に向かってくる。


(お前……ディーネ!?)

「すみませんアレスさん!今助けますから!」


そう、溺れかけていたアレスのもとにやってきたのは他でもないディーネだったのだ。

僅かな太陽光を下半身の宝石のような鱗で反射させ、激しい水の流れの中でも真っ直ぐにアレスの元前辿り着いた。

アレスの手を取ったディーネのその姿は、至高の美と称えられる人魚そのものだった。


「ディーネ……お主なぜ……」


アレスをかかえ、猛スピードで水面へ浮上するディーネ。

そんなディーネの姿をエリギュラは小さくそう呟きながら見送っていた。


「ぷはぁ!!はぁ……はぁ……」

「アレスさん!大丈夫ですか!?」

「あ、ああ……またお前に助けられちゃったな。ありがとう……ディーネ。その姿は……」

「今までずっと隠していてすみませんでした。もうアレスさんも知っていると思いますけど……私、本当は人魚だったんです。この世界に流れ着いたあの女の子から人間の体を借りて……ずっと人間のふりをしていました」


水面へ顔を出すことが出来たアレスは大きく水を吐き出しながら苦しそうに呼吸をする。

水はまもなく1階の天井に達する。

アレスとディーネはその僅かな時間に短い会話を交わした。


「アレスさん。もう時間がありません。どうかアレスさんの手でエリギュラさんを倒してください」

「……いいのか?エリギュラは……お前のために行動してるんだぞ?もし俺がエリギュラを倒すのならそれはつまり……」

「いいんです。私はもう、これ以上誰かに……アレスさんに迷惑をかけるのが耐えられないんです」

「そうか……わかった、と言いたいところだが。もうこんなに浸水した状態じゃとてもあいつを仕留めることは……」

「アレスさん!私のスキルを使ってください!」

「っ!!」


アレスに加担するということは自身の破滅を加速させるということ。

しかしそれでもディーネはアレスにエリギュラを倒すことをお願いしたのだ。


「つまり……俺が人魚になるってことか?」

「はい!人魚になれば水中で呼吸も出来ますし、泳ぎ方も感覚でつかめるはずです!」

「……悩んでる時間はないな。頼む!どうすればいい?」

「……」

「ディーネ?」

(最後に1つだけ……わがままをしても許してもらえるよね?)

「私のスキルの発動には長い詠唱が必要です。ですが、1つだけ……それを省略する方法があります」

「なんでもいい!早くしないと水が……っ!?」


ディーネは短い沈黙の後、溺れないように支えていたアレスの体を思い切り自分の方に抱き寄せたのだ。

その瞬間、ディーネはアレスの言葉を遮るようにそっとアレスの唇に自分の唇を重ねたのだった。


ドボォオオオン!!


その直後、ついに城内に流れ込んだ水は1階の天井にまで達し一切の空気を奪ってしまった。


「くっ!?ディーネ!!これは……!!」

(ごめんなさいソシアさん……アレスさんの運命の相手は私じゃないかもしれませんけど……私にとっての勇者様は、この人なんです……)


激流により引き裂かれてしまったアレスとディーネ。

しかし水中に放り出されたアレスは溺れることはなかった。


「本当に人魚に……」


アレスの下半身は先程のディーネと同様、鮮やかな輝きを放つ魚の下半身へと形を変えていたのだ。

一方のディーネは再び人間の下半身に戻っており、水中で呼吸が出来なくなった彼女は流されないよう壁の装飾に必死につかまり息を止めていた。


「ディーネ……なぜ……なぜだ!?あちきはお前のためを思って……」

「エリギュラぁあああ!!」

「くっ!!来るなぁあああ!!」


人魚とは生まれながらにして泳ぎのエキスパート。

その人魚の体を受け持ったアレスは無意識的に水の流れに逆らって泳ぎ始めたのだ。

もうスピードで迫ってくるアレスの姿を見たエリギュラが悲鳴をあげる。


「紫電一刀・朧斬り!」

「かはっ……」


そして次の刹那、アレスの一刀がエリギュラの体内に会った魔力の核を正確に両断したのだった。


「ディーネ……ディーネよ……あちきは、お主を、幸せにするために……」


核を両断され体が崩れ落ちてゆくエリギュラは、薄れゆく意識の中でディーネに向かって手を伸ばしたのだった。

その魔力が消える最後の最後まで……彼女の幸せを願って……


「くそっ!!早く戻らねえと!!」


エリギュラを両断したアレスだったが、一瞬の間も置かずに踵を返すと自身が来ていた上半身の学生服を脱ぎ下半身に巻き付けながら上に残したディーネの元に急いでいった。

人間の体になったディーネは水中では呼吸が出来ない。

アレスはディーネにスキルを解いてもらうべく彼女の元に急いだのだった。


「ディーネ!!エリギュラは倒した!これでゆっくりお前が生きられる方法を探せるはずだ!!まずはここから出よう!!早くスキルを解いてくれ!!」

「……」

「ディーネ……?」


エリギュラが消えてもこの世界が崩壊する直接の原因にはならない。

アレスたちを捕らえようと躍起になっていたエリギュラが居なくなりディーネを救うための方法を探すために外に出られる余裕が出来たアレスは、まずはディーネと共に地上へあがろうと考えていた……しかし……


「おい!!何やってんだ!!今のお前はこのままじゃ溺れるんだぞ!?」

「……」

「水中じゃスキルが解けないのか!?じゃあ俺がお前を上まで連れていくから手を掴め……っ!?」


アレスはディーネを連れて海面へ浮上しようと彼女に手を伸ばした。

しかし……ディーネはそんなアレスの手をはらうと地上へ行くことを強く拒んだのだ。


(手っ取り早くこの世界を終わらせるなら自ら命を断てば早かったのに……私、勇気がないからこんな回りくどい方法しかできなかったよ……)

「おい……何考えてんだディーネ!!!」


アレスは必死の形相でディーネを地上へ連れていこうとする。

しかしディーネは壁の装飾にしがみ付き是が非でもここにとどまる意思をみせたのだ。


(ああ……あなたと出会ってから、こんな事何度考えたんだろうか。初めに出会った人間がアレスさん……あなただったらどれだけ幸せだったろうか)

「ぶはっ!!」

「ディーネ!!」

『あ……り……が……と……う』

「ッ!!!」


ディーネは決心を固めると、なんと水中で大きく口を開き体内に残っていた空気をすべて吐き出してしまった。

それを見たアレスが喉がつぶれんばかりに叫ぶ。

だがディーネはその状態でアレスに感謝を伝えようと、アレスを真っ直ぐ見て口パクで『ありがとう』と伝えたのだ。

そんなディーネの行動にすべてを察したアレスが衝撃のあまりに固まってしまう。


(そんな辛そうな顔しないで……私は本当はあの絵を描き終えた時に死んでしまう運命だったんだから、これ以上理想にしがみ付いていていい存在じゃないの……それにね、アレスさん……)


空気を失ったディーネの体から力が抜けていく。

アレスはそんなディーネの体を受け止め強く抱きしめた。


(私、あの時は死ぬのが怖くて、苦しくてたまらなかったけど……大好きな海と貴方に抱きしめられているから、今はちっとも怖くないよ……)



「ディーネさん行っちゃった!!アレス君も戻って来ないし……」

「ッ!?今度は何の揺れですか!?」

「これは……城が揺れているんじゃない。空気が……この世界語と揺れている様な……」

「っ!?きゃぁああ!!」


城と共に改定へ沈んでしまわないように城の上階へ逃げようとしていたソシアたち。

だが突然空間ごと震えるような異様な気配を感じ、その直語、空間にできたひび割れに真っ逆さまに吸い込まれて行ってしまったのだ。



「……はぁ。本当に図書室から移動してよかったよ」

ザバァァアアアアアアアア!!!


そして現実世界、生徒たちの帰還を待っていたエミルダのもとにも異変が起こった。

アレスたちが中に入ってしまった本が振るえたかと思うと、突如大量の水を吐き出し始めたのだ。

その勢いはとどまることを知らず、エミルダがいたグラウンドが一瞬のうちに水浸しになってしまった。


「げほげほっ……一体何が起きたの!?」

「これは……ソシアさんティナさん見てください!」

「っ!!ここはもしかして……外の世界か!?」

「えっ?ほんとだ!?私たち外に出られたの!?きっとアレス君とディーネさんが……」

「頼むディーネ!!目を開けてくれぇ!!」

「っ!?」


大量の水と共に現実世界に押し流されてきたソシアたち。

周囲を見ると気を失ってはいるが人間の姿に戻っていたアリアやほかの生徒たちの姿もみられる。

そんな光景にみんな無事に現実世界に戻って来られたことを喜んだソシアだったのだが、直後聞こえたアレスの悲痛な叫びに言葉を失ってしまったのだ。


「なぁ!!お願いだから……頼む……頼む!!」


ソシアが振り返ると、そこには一切の生気がなく横たわるディーネの姿が。

アレスはそんなディーネに必死に声をかけながら心臓マッサージと人工呼吸を繰り返していた。

だがそんなアレスの想いも虚しくディーネはぴくりとも反応しない。


「こんな……こんなこと。こんなことがあっていい訳がないだろうが……」


すでにディーネは帰ってこない。

そのことを悟ったアレスは心肺蘇生の手が止まる。

眠っているように穏やかな顔のディーネの隣で俯くアレスの顔から滴る水滴が海の水なのか涙なのか、アレスに掛ける言葉が見つからないソシアには確かめる術はなかった。

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