ホワル大洞窟
前回のあらすじ:決闘に向けて順調に準備を進めるアレスは、バンドの本当の目的には気づくことが出来ず決闘の当日を迎えてしまうのだった。
ハズヴァルド学園から馬車で1時間かからない程度の距離に存在するホワル大洞窟周辺。
本来王国の管理下にある五級以上のダンジョンには一般人は立ち入ることは出来ないのだが、今日は学園の許可があるということでアレスたち三人は二名の学園職員が待つ洞窟の入り口にやって来ていた。
「あなた方が先にご到着ですか」
「はい。彼らを待たせるとさらに大変なことになりそうなんで」
「貴族であるボンド様方を待たせないようにとするその考えは正解ですが、そもそも下民である自分が彼に逆らわないようにするといった思考には至らなかったようですね」
「……あー、はいはい。結局あんたら教師もそんな考えなんだな」
「それがこの国の常識ですよ。それが気に入らないのならこの国から出て行けばいい」
剣聖のスキルを持つ自分が国外に行ってしまえば困るのは誰だろうな。
そんな言葉が思わず口から出かかったアレスはスキル絡みの問題に巻き込まれたくないという過去の自分の発言を思い出しぐっとこらえた。
スキルがない物として生きていくにはそれ相応の苦労もある。
そんなことはとっくに覚悟していただろうとアレスは自分に言い聞かせたのだ。
「まあそんなどうでもいいことは置いておいて、いくら五級ダンジョンだといっても準備を怠らなかったことは評価に値しますよ」
「どうも……」
アレスたちに嫌味を言ってきた教師だったが、その後は最低限の教師としての立場を示しておくためかアレスたちの装備品に着目しその準備を褒めたのだった。
ジョージは動きやすさを重視した革の鎧に木で作られた直径1mほどの盾を。
ソシアは魔術師がよく持っているようなシンプルな杖に何やらたくさんのものが詰まったウエストポーチを身に着けていた。
そしてアレスはそんな二人に比べて普段から持ち歩いている愛用の剣に機動力さえあれば十分だと言わんばかりの普段着のような恰好をしており一見準備不足には見えたものの、そこは流石にあのハズヴァルド学園の教師というべきだろう。
アレスの戦闘スタイルが剣で相手の攻撃をいなし機動力で戦うものだと見抜いており、盾役のジョージがいることも含めて最適な準備だと判断したのだ。
「それで、そろそろ時間だけど肝心の奴等は……」
「おやおや、逃げずにきちんと来ていた様だね」
「バンドにマリーシャ。それに……誰だあいつ?」
「た、たぶんこの前バンドさんの傍に居た取り巻きのうちの一人……かと」
「すげえなお前。俺全然覚えてなかったぞ」
先に集合場所でアレスたちが待っていると、狙ったかのようなギリギリの時間にバンドと残りのメンバー二人が姿を現したのだ。
バンドが決闘のメンバーに選んだのはあの日アレスに並々ならぬ敵意を向けていたマリーシャに、あとは適当にその場にいた取り巻きの男子生徒から一人。
彼らの装備は見るからにアレスたちのものよりも上等なもの。
アレスたちを見下しながらもその準備は万全なものだった。
「やれやれ。無知は罪とよくいうものだが可哀そうなものだ。ウィーベル家長男であるこの僕の恐ろしさを知らないんだろう。今すぐに土下座をして先日の非礼を詫びるなら慈悲を与えてあげなくもないぞ?」
「よくペラペラと喋るな。悪いが早く始めてくれないか?俺はお前の声など聞きたくないんでね」
「貴様……本当ならここで八つ裂きにしてやりたいが……。いいだろう。さっさと始めようじゃないか」
「ちょうど予定の時刻ですね。それでは決闘を始めさせていただきます。決闘のルールを改めて説明させていただきますと……」
いかにもマニュアル通りに進行しているということが分かりやすいやる気の感じられない教師の決闘の前置きが始まった。
ルールはすでにアレスたちが知らされていたものと全く同じものであり、まだアレスにはバンドのたくらみは見えてこない。
「……以上です。それでは説明はこれくらいにして、先行のチームには早速ダンジョンに入っていただきましょう」
「そういえばどっちが先に洞窟に入るのかは聞かされてなかったが……」
「先行は君たちに譲るよ。僕らは君たちの後でいいさ」
(相手のタイムを見てからの方が断然有利ではあるが……あいつの機嫌がいいうちにさっさと始めたほうが吉かな)
「そうか、それじゃあありがたく先に行かせてもらうよ」
このルールでは当然相手のタイムを把握して攻略するほうが有利なのは間違いなかったが、ここでバンドとその駆け引きをしても話がややこしくなるだけだと考えたアレスは素直に先にダンジョンへ向かうことにしたのだ。
「それでは、先頭の人が洞窟に入ってから計測を開始します」
「よし、行くぞ二人とも」
「うん!」
「は、はい!」
こうして目的のホワル洞窟の目の前まで来たアレスたちは、ためらうことなく一気に洞窟の内部へと潜っていったのだ。
◇
「うわぁ。洞窟の中なのにすごく明るい……」
アレスたちが洞窟に潜ってすぐ、地上の光が差し込まない辺りまで来た三人は初めて訪れるホワル大洞窟の神秘的な空間に驚嘆の声をあげた。
ホワル大洞窟内部の床や壁、天井には光苔が大量に生えており、光のチューブを進んでいるような感覚を味わえた。
「ホワル大洞窟には光苔が大量に自生していて明るいとは知っていましたが、実際に見ると想像とは全然違いますね」
「これは松明は要らない訳だ。ひんやりとして思いのほか居心地が……って、あんまり感傷に浸っている場合じゃないな。先を急ごう」
神秘的な景色に思わずじっくり観察したくなるが、すぐに気を引き締め直したアレスたちは暗闇苔が生えるという洞窟最深部へと向かう。
相手のタイムが分からない以上できる限り速い攻略が求められるため、歩くスピードは自然と速くなる。
「光苔のおかげで明るいのはいいが、滑りやすくなってるから気を付けて進めよ」
「大丈夫!私は森の中で育ったからこのくらいへっちゃらだよ!」
「僕は……気を付けて進みます」
あまりよいとは言えない足場の中でも素早く進むアレスに対し、大自然の中で育ったというソシアは軽やかな動きで難なくついてきていた。
一方のジョージはあまり余裕のなさそうな感じではあったが、二人の足を引っ張らないようにと必死にペースを上げていた。
「ねえアレス君。ちょっと聞いてもいいかな?」
「流石だな、このペースでも平気でお喋りできる余裕があるなんて。まあ何でも聞いてくれ」
「アレス君は将来何になりたくてこの学園に来たの?王国軍か騎士団か、それとも冒険者か」
「俺は普通に冒険者だよ。ソシアもそうじゃないのか?」
「私も冒険者だよ。ジョージ君は?」
「ハァ……ハァ……」
「……よし、もう少しペースを落として進もうか」
「い、いえ!僕は大丈夫です……」
「まだ先は長いぞ。帰りも考えたら無理はしないほうがいいと思うぜ」
「も、申し訳ないです」
すでに息切れを起こし始めていたジョージの様子を見たアレスは進行スピードを少し落とした。
出来る限り早く攻略を進めたほうがいいのは事実だが、それで怪我などすれば元も子もない。
スピードを落としたことでジョージもすぐに呼吸を落ち着かせることが出来、二人の会話に混ざることが出来る余裕が生まれ始めた。
「えっと、僕もお二人と同じで冒険者志望です」
「そっか。それじゃあみんな一緒だね。二人が冒険者になりたいって思ったきっかけは?」
「俺は自分が育った教会のためにお金を稼ごうと思って、それで一番自分に合ってるのが冒険者だと思ったから。まあそうじゃなくても英雄ラーミア様に憧れてたからもともと冒険者には興味があったけど」
「そうなんですね。僕が冒険者を目指すきっかけになったのは、本ですかね」
「本?」
「はい。僕は小さい頃から本を読むのが大好きだったんですけど、いろんな本を読んでいるうちにその中に出てくる広い世界を自分の目でみてみたいなって思うようになったんです」
「ふふっ、素敵な話だね。私はお父さんとお母さんが冒険者だったからただ漠然と自分も大きくなったら冒険者になるんだってくらいにしか考えてなくて、ちょっと恥ずかしいな」
「自分が将来何になりたいかなんて人それぞれ違った理由があるんだから恥ずかしく思う必要なんてないと思うよ」
「そうですよ。それにお父さんとお母さんが冒険者であることにソシアさんが誇りを感じているからこそ二人の背中を追いかけたいと思った訳で、それはむしろ素敵な理由だと思いますよ」
「そ、そうかな?ありがとう二人とも」
「それじゃあなおさらこの決闘に負けるわけにはいかないな……と。ようやくお出ましか」
「え?アレス君、どうしたの?」
「っ!ソシアさん、前!」
三人がそれぞれの冒険者を目指す理由を話しながら進んでいると先頭を走っていたアレスが何かの気配を感じ取り意識を前方に集中させた。
ソシアとジョージがそんなアレスの様子を見て気を引き締め直す。
するとそのすぐ直後、三人の視線の先にあった分かれ道から数匹のゴブリンの群れが姿を現したのだ。
「キシャヤッ!」
「あれは、ゴブリンの群れ!?」
「流石に道中ずっと魔物に出くわさないなんていう幸運は起こりませんか」
ゴブリン、それは全世界に広く生息する魔物。
人間と同じ二足歩行であるがその身長は1メートル前後と人間よりも小さく手足が細い。
緑色の体に鋭い爪、小さな牙に尖った耳、体のわりに大きな頭は髪の毛などは生えておらず角の出来損ないのような小さなこぶが二つ付いている。
地上に生息する昆虫型を除く魔物の中では最も数が多いとされているがその戦闘能力はとても低く、単独ならば武器を持った素人でも撃退できる雑魚モンスターだ。
しかしゴブリンの恐ろしい点は数であり、群れたゴブリンに襲われて命を落とす冒険者なども珍しくはなかった。
「ゴブリンがえっと……5、6……いや、7匹!」
「道があんまり広くないから無視することも難しそう。戦うしか……」
「二人とも、止まるな」
「えっ?」
「アレスさん!?いったい何を……」
「大丈夫、一瞬で終わらせるから」
「ウキャァアアア!!」
相手がそこそこの数ということで足を止めて撃退しようとするソシアとジョージだったが、アレスはそんな二人に足を止めるなと言ってそのまま走り続けたのだ。
接近してくるアレスたちに気が付いたゴブリンたちは奇声をあげながら真っ直ぐ三人に襲い掛かる。
「あ、アレス君!」
(月影流、秘伝……)
「ギィ!?」
(叢雲・一閃!!)
「「ぴぎゃぁああ!!」」
「っ!!」
「すごい……」
しかしそんなゴブリンたちを前にしてもアレスは眉一つ動かすことはなく、剣を抜くとそのまま走り抜けるようにゴブリンたちをまとめて切り刻んだのだ。
(甘い……まあ、剣聖を使わなきゃこの程度か)
「す、凄いよアレス君!あの数のゴブリンを一振りで!」
「ぼ、僕なんてほとんど目で追えませんでしたよ!」
「別に大したことはないよ。それより今後も魔物は全部俺が退けるから、気にせず先を急ごう」
一切足を止めることなくゴブリンの群れをやり過ごしたアレスたちは、そのままの勢いで洞窟最深部を目指していった。
遡ること数分、アレスたちを見送った地上では――
(そろそろ行こうかな……)
「先生方、少しよろしいでしょうか?」
「バンド様、いかがなされましたか?」
アレスたちが洞窟に入ってタイミングを伺っていたバンドは、頃合いを見計らって決闘の見届け人の教師に声をかけていた。
「一つ提案なのですが、彼らが戻ってくる前に僕たちも洞窟の中に入ってもよろしいでしょうか?」
「なんと。それはどういうことでしょうか?」
「暗闇苔を取って戻ってくるまでのタイムを競うなら一緒に潜って先に戻ってきたチームの勝利としたほうが分かりやすいと思いましてね。そっちの方が時間も短縮されて先生方も都合がいいでしょう?」
「しかし、彼らが洞窟に入ってからすでに数分が経過していますよ。これではバンド様が不利となってしまいますが」
「なあに、相手はただの平民。これくらいのハンデがあった方が平等といったものです」
「……」
バンドは交互に洞窟に潜る予定だったところを、今から自分たちも暗闇苔を採取しに向かい先に地上に戻ってきた方の処理にしようと言い出したのだ。
この条件では遅れて洞窟に潜るバンドたちが圧倒的に不利になるが、そのバンドからの提案ということでそれは問題にはならない。
事前に決めた決闘のルールでは交互に攻略しなければいけないとまではなっていないうえ、あまりこの決闘に興味のない教師たちからしたら早めに決闘が終了することはむしろ喜ぶべきことだった。
「よろしいでしょう。では先に彼らが洞窟に入ったことはハンデとし、先に地上に出てきた方を勝者とします」
「柔軟な対応ありがとうございます。それじゃあお前たち、早速洞窟に潜るぞ」
こうしてバンドたちはアレスたちが洞窟から戻ってくるのを待つことなくホワル洞窟へと入っていったのだ。
時間は戻ってアレスサイド、洞窟の最深部の手前。
「ジョージ君大丈夫?あともう少しで最深部だよ」
「ハァ……ハァ……はい。まだまだ平気です」
「……」
ここまでずっと足を止めることなく進み続けてきたジョージはだいぶ息を切らしており、それをソシアは平気そうな顔で気遣っていた。
しかしソシアと同じように一切息を乱していなかったアレスは、なぜか浮かない表情をしていたのだ。
「どうしたのアレス君?」
「いや、ここに来るまで全然魔物に出くわさなかったなって」
「うーん、確かにあまり出くわさなかった気がするけど。でもむしろいいことじゃない?」
「それはそうだが……」
ここに来るまでの道中にアレスたちは数度魔物に襲われており、そのたびに一度目のゴブリンの群れと同様にアレスが一瞬で魔物を切り刻んできた。
しかし魔物に襲われた回数は洞窟の長さから考えるとかなり少なく、そのことをアレスは疑問に思っていたのだ。
「ホワル洞窟は魔物の強さは大したことはないがその数は割と多いって情報だったはず」
「確かにその通りですが、特段気にすることではないのでは?洞窟内の魔物の発生率にも多少はムラはあると思いますし」
(確かにそうだが、洞窟内に漂う魔素は別に少なくはない。むしろ少し多いと思うくらいで……)
「っ!!誰だ!?」
「な、なに?」
魔物に出くわした回数が少ないことを疑問に思いながらも今までのペースで進んでいたアレスは、次の瞬間この洞窟に潜ってから初めて足を止めたのだ。
アレスは腰に帯びた剣に手をかけ、周囲の気配を探る。
「ど、どうしたのアレス君?」
「今……何者かの気配を感じた」
「ま、まさか魔物の気配ですか!?」
「いや、今の気配は魔物には出せない。おそらく、人間だ」
「人間……?どうしてこんな洞窟の奥深くに?」
アレスはいつでも剣を抜けるように構えつつ鋭い眼つきで周囲の分かれ道を警戒する。
しかしいくら待っても気配の主は姿を現さず、天井から滴る水滴の音だけが小さく洞窟の内部にこだましていた。
「何も……起こらないですね」
(気のせいか?いや、俺の警戒を見て姿を消したか。つまり姿を現すと都合の悪いことがあるか、それとも……)
「やぁっっっと追いついたぜぇええ!!」
「なっ!?バンド!?」
ガギィイイイン!!
「きゃあ!?」
「うわ!?」
すでに何の気配も感じられなくなりアレスが居合の体勢をやめ剣から手を離そうとしたその時だった。
なんと背後からバンドが大きな声をあげながら、ジャンプをしアレスを上から切りつけようとしてきたのだ。
そのことに気が付いたアレスはとっさに剣を抜きバンドの斬撃を受け止める。
洞窟内部に二人の剣がぶつかり合う重い金属音が響きわたり、その衝撃で傍に居たソシアとジョージはひるんでしまった。
「会いたかったぜぇ、アレス君よぉ!」
「バンド、てめえなんでここに……」
「やっぱり俺たちも早く洞窟に潜りたくなったんだよ」
「じゃあ別に切りかかってくる必要はな……っ!?」
ゴオォオオゥ!!
「火炎魔法!?」
「今度は一体何!?」
「ったく。俺様がいるのに容赦がないぜ」
「この魔法は、まさか」
「もっと雑魚モンスターに苦戦して浅いとこにいると思ったらこんな深いところまで来てたなんてね」
さらに少し遅れてバンドの背後からアレスを狙った火炎魔法が勢いよく飛んできたのだ。
アレスはそれを後ろに大きく飛び退いて躱し、バンドも横方向に大きくそれる。
するとバンドの体で遮られていたアレスの視線が開け、そこにはマリーシャの姿があったのだ。
「なるほど。初めからこのつもりだったわけか」
「正解だ。俺様をコケにしたお前らを退学程度で済ませるわけないだろう?学園の目が届かないところでお前らを地獄に葬ってやる」
「ようやくこの時が来たわ。アンタのせいで私の人生無茶苦茶になって……今その復習をさせてもらうわ」
バンドとマリーシャは殺気を剥き出しにアレスに向かう。
洞窟の少し開けた空間で三人が戦闘態勢に入る中、ソシアとジョージはアレスの背後の最深部に潜る道の前に居た。
「アレス君!」
「俺は大丈夫だ。それより二人とも、先に下に行って暗闇苔を取って来てくれ」
「な、なにを言ってるんですかアレスさん!早く逃げましょう!」
「そんなのあの二人が逃がしてくれるわけないだろ。あいつらに追われながら逃げるのなんて面倒だから、俺がここであいつらを無力化しておくよ」
「バカが。二対一で勝つつもりか?」
「当たり前だろ。お前らを実力でねじ伏せて、ついでに暗闇苔も持って帰って決闘にも完全勝利する」
「舐めやがって……私の魔法で消し炭にしてやるわ!」
「……、ソシアさん行きましょう!」
「え、でも……」
「僕たちが居たらアレス君の足手纏いになっちゃいます。それならこの場を離れる意味でも先に進みましょう!」
「……。……わ、わかった!アレス君、絶対に死なないでね!」
「ああ、二人が戻ってくる前に終わらせておくよ」
自分が残っても戦えない。
そう判断したソシアはジョージに促されアレスを残し洞窟の最深部へと向かったのだ。
「さあ、遊んでやるよ。かかってきな」
そしてアレスは右手で剣先を二人に向けるように構え、余裕の表情でそう煽った。