同じ穴の狢
「はっ!?ソシア!?」
それは見張りを終えたアレスが1日の疲れを癒すため露天風呂に入っていた時のことだった。
景色が見渡せる崖側を向いて岩に背を預けていたアレスだったのだが、岩にその姿が隠れてしまっていたせいでアレスの存在に気付かずソシアが露天風呂に入ってきてしまったのだ。
「きゃぁああああああああああ!!///」
「っ!!」
自分よりも先に露天風呂に入っていたアレスの姿を見たソシアは一瞬思考が停止してしまい固まってしまったのが、その直後耳を劈くような悲鳴があたりに響き渡ったのだ。
突然の事態に混乱状態に陥ったアレスとソシアは露天風呂の中央の岩を挟むように移動する。
「な、なな、なんでアレス君が露天風呂に居るの!?///」
「それはこっちのセリフだぞ!ソシアはさっきスフィア様と一緒に入ったんじゃなかったのか!?///」
「入ったよ!!でも考え事をしちゃってなかなか寝付けなかったからもう一度お風呂に入ろうと思って!アレス君こそここに来る前にオルティナ様に聞いたけどアレス君がいるなんて全然言ってなかったよ!?」
(くっそ!!ソシアたちを起こさないように静かに出てきたのが仇になったか!!見ちまった……見ちまったよ!!忘れなきゃいかんのに頭にこびりついて……)
(見られたよね?絶対見られたよね!?もうだめだ、恥ずかしくて死にたいぃ~///)
忘れなければいけないことほど頭に強く残ってしまうもの。
ましてや衝撃の光景を目の当たりにしてしまったのだ。
アレスは強烈に焼き付いてしまった記憶に頭を抱えていた。
そして当然ソシアは露天風呂でアレスと遭遇してしまったことに顔を真っ赤にしていた。
「とっとと、とにかく俺は風呂から出るから、ソシアは陰からでてくるなよ!?」
「う、うん……」
「ソシア君!!大丈夫かぁああ!!」
「はっ!?この声は……」
「オルティナ様!?」
あまりにも気まずすぎるこの状況に、アレスは一旦露天風呂から出ようとする。
しかしその時ソシアのただならぬ悲鳴を聞きつけたオルティナが全速力で露天風呂の方にやってきてしまったのだ。
「それはやべぇ!!」
「は、早く隠れないと!」
オルティナの声を聞きつけたアレスとソシアはオルティナから姿を隠すため露天風呂の中央の岩の崖側に移動する。
しかし当然2人同時に同じ側に動けばアレスとソシアは再び対面してしまうことになる。
(あああああああ!!///なんでアレス君までこっちに来るのぉ!?///)
(馬鹿!!オルティナ様がお前の声を聞きつけて来たなら俺が風呂に入ってるのはまずいだろうが!!)
「はぁ……はぁ……ソシア君!大丈夫か!?」
「え、ああ、はい!だっだだ、大丈夫です!」
狭い岩陰に身を隠そうとして至近距離に近づいてしまったアレスとソシアは声にならない悲鳴をあげる。
そして2人が岩陰に隠れたその直後にオルティナがソシアの悲鳴を聞きつけ露天風呂に駆けつけて来たのだ。
オルティナの問いかけにソシアは岩の上から顔を少し出し返事をした。
「もの凄い悲鳴が聞こえたが何かあったのか!?」
「いえ、ちょっと足を滑らせちゃって……///」
「……どうした?普通じゃないほど息が上がっているようだし、顔も真っ赤だが本当に大丈夫か?」
「ほ、ほんとに大丈夫です!それよりも恥ずかしいので早くあっちにいってください!」
「むっ!それは失礼した!だが1人で行動するのは危険だから気を付けるんだぞ?」
「は、はい」
ソシアとオルティナが話している間、アレスはその存在を気付かれるわけにはいかないため必死に気配を消していた。
固く瞼を閉じ、胸を叩くように響く心音を聞きながらオルティナがいなくなるまで息を殺し続ける。
ソシアの無事を確認したオルティナはすぐに露天風呂から引き上げていったのだが、そのほんの少しの時間はアレスとソシアにとって恐ろしく長く感じられたのだ。
「ぷはぁ!!はぁ……はぁ……死ぬかと思った……」
「私も……もう心臓が破裂しそう……」
「ああ。人生で1番ドキドキしたかも……」
オルティナが去った後、アレスとソシアは疲れ切った様子で再び岩を挟んだ位置に座る。
たった数分の出来事だったはずが2人は数時間の運動を終えた後のように息を切らせ精神もすり減っていたのだった。
「でも……これで安全に出られそうだな。言いたいことはあるだろうがひとまず俺は風呂から出てるからな」
「……ま、待って!」
だが少ししてようやく落ち着きを取り戻したアレスはソシアにそう言って露天風呂から出ようとしたのだ。
しかしそれの言葉を聞いたソシアは少し考えこんだのちに、なんとアレスを呼び止めたのだ。
露天風呂から出ようと立ち上がったアレスはソシアに呼び止められその動きを止めた。
「な、なんだよ?やっぱりその……怒ってたりするのか?」
「ううん。ただの事故だったってのは私もわかってるから。そうじゃなくて……その……」
「?」
「せ、せっかくだし……このまま一緒にお風呂に入らないかなって……///」
「っ!?」
アレスを引き留めたソシアは驚きの提案をアレスにしたのだ。
それを聞いたアレスは分かりやすく動揺する。
「ちっ、違うよ!?///別にそんないやらしい意味じゃなくてね!?ちゃんとお互いの姿が見えないよう岩を挟んだままってことで……」
「もっ、もちろんわかってるよ!」
「ほら最近アレス君とゆっくり話す機会とか無かったでしょ!?だからちょうどいい機会だと思っただけで本当に変な意図とか全然……」
「大丈夫だから落ち着けってソシア!わかったよ、じゃあしばらくこのままで話でもしようか……」
「う、うん……///」
今の提案をアレスに変な意味で捉えられたと思ったソシアは酷く焦り、誰もいない方向に向かって身振り手振りで言い訳を開始したのだ。
そんなソシアの焦りが伝わったのか、アレスはソシアの言い訳を中断させ元のソシアと岩を挟んだ反対側の位置に座り直したのだった。
「……」
「……」
露天風呂でばったりと出くわしてしまうというトラブルに見舞われてしまったアレスとソシア。
悲鳴を聞きつけたオルティナが駆けつけてくるなどの危機はあったものの、何とか落ち着くことが出来た2人はソシアの提案でそのまま一緒に露天風呂に入ることにしたのだった。
しかし小さな岩を挟んで露天風呂に浸かった2人はその後会話もせず、ただただ時間だけが流れていたのだ。
(あー、気まずい。話をするったってこの状況で何を話せばいいんだ)
(ああ~……勢いに任せて一緒にお風呂に入ろうなんて言っちゃったけど大胆過ぎたよね?///それに何を話せばいいのかわかんないし……)
「なあ……」
「ねえ……っ!?ごめんね!アレス君話していいよ!」
「いや!あんまり話すこと決まってなかったから!ソシアから話していいよ!」
クラスメイトの異性と一緒に露天風呂に入るという気まずすぎる状況に、2人はなかなか会話を見つけることができないでいたのだった。
このままでは一言も会話することなくのぼせてしまう。
そう思った2人が同時に喋り始めてしまいさらに気まずい雰囲気になってしまうなどということもあったが、何とか2人は会話を始めることに成功したのだ。
「えっと……あのね、アレス君。実は私、スフィア様に攻撃魔法を教わるのをもうやめることにしたんだ」
それは先程この露天風呂でスフィアと話をして決めたことについて。
ソシアは今まで頑なに諦めようとしなかった攻撃魔法の習得をやめるとアレスに明かしたのだ。
「え?ほんとうか!?でも急にどうして。お前絶対に諦めたくないって言ってただろ?」
「うん。でももういいんだ。私には攻撃魔法の才能はないから。本当は分かってた。でも絶対に諦めたくない理由があって意固地になってたんだ」
「絶対に諦めたくない理由?」
「私ね、アレス君の力になりたかったの。守られるだけの足手まといになりたくなくて。それで自分も戦えるようになりたかったんだ」
ソシアは恋心は明かさずアレスに自身が戦えるようになりたかった理由を話したのだ。
その時のソシアの顔は決意を済ませ清々しいものだった。
「そうだったのか。俺は別に足手まといなんて考えたことなかったのに。パーティーで役割分担をするのは当たり前のことじゃないか」
「そう、だよね。私ったらそんな当たり前のこともわからなくなっちゃうくらい焦ってたんだね。でも、もう大丈夫。私は私のやるべきことを理解したから。私は回復魔法でアレス君をサポートするよ。どんな怪我をしても私が治せるようになる。アレス君が安心して戦えるように」
「そっか……頼もしいよソシア。ありがとう。でも、今まで理由を教えてくれなかったのにどうして急に話してくれたんだ?」
「……」
「……ソシア?」
「アレス君はさ、私に内緒にしてることってない?」
「っ!!」
その時、突如ソシアはアレスにそんなことを聞いたのだ。
その質問は自身の剣聖のスキルのことを黙っているアレスにはクリティカルヒットなもの。
それを聞いたアレスは心臓に悔いが撃ち込まれたかのような衝撃を感じた。
「……なんで、急にそんなことを?」
「別に何でもないよ。ただちょっと聞きたくなっただけ」
「俺は……」
ソシアにそう聞かれたアレスはいろいろと思考を巡らせた。
自身のスキルのことがバレたのか、それともスキルのこととは関係ない話なのか。
だがスキルを隠していることを負い目に感じていたアレスにはソシアが自身のスキルについて聞いているのだとしか思えなかった。
(どうして急にそんなことを……ソシアは俺が剣聖のスキルを持っていることに気付いた?いや、とぼければまだ誤魔化せるか?今更スキルがありましたなんて言えない。それに剣聖のスキルのことを秘密にしたいならソシアにだって話すわけには……いや、違う)
ソシアになんて返答すればよいか、アレスは必死に考えた。
何度もスキルがないと言ってしまっている以上今更実はスキルを持っていましたなんて言えない。
さらに剣聖のスキルのことが王族や貴族に知られないようにするには親しい人間にでも話すべきではないのだ。
秘密を知る人間が増えればうっかり話されてしまうリスクが増えるだけでなく、敵のスキルや魔法で本人の意思とは関係なく情報を抜き取られる危険も増す。
そんな風にアレスはスキルを明かせない理由を必死に心の中で並べていたのだが、その時アレスはついにソシアたちに自身のスキルについて明かせない本当の理由に気が付いてしまったのだ。
(俺は……これまでの自分の力がスキルのおかげだって皆に知られたら、もう皆と今までの関係を続けられないかもしれないって恐れているんだ……)
それは自分が本当は剣聖のスキルを持っていたんだとソシアたちに明かすことによって、今まで自分が築いてきたソシアたちとの友情や信頼を失ってしまうのではないかという理由だった。
いや、本当は自分でも気付かないふりをしていただけでずっと気付いていたのかもしれない。
それっぽい理由を並べてその事実から目を背けてきた。
アレスはソシアたちの今の自分への信頼が『スキルがないのに努力でここまでの力を身に着けたことがすごい』というものに支えられていて、その力が本当はスキルによるものだったと知られることで皆に失望されることが怖かったのだ。
それはアレスが今まで嫌っていたスキルのみでその人の価値を判断するという考え方そのもの。
つまりアレスはスキルで人を判断する人間を嫌いながらも、自分も自身の価値がスキルによって支えられているものだと潜在的に感じていたのだ。
(ははっ……なんてことだ。結局俺もスキルで人の価値が決まるって考えてるクソ野郎じゃねえか……大嫌いだった奴らと同じだ……)
「アレス君……?」
アレスはそのことに気付き頭を抱え絶望に打ちひしがれたのだった。
ソシアはそんなアレスの胸中を、湯船から伝わってくるアレスの微かな体の震えから感じ取ったのだった。
「ごめんアレス君!別にアレス君を疑って問いただしてるわけなんかじゃないの!私は誰にも話せない隠し事があっても別にいいと思うよ。それに私も……アレス君に隠してることがあるから」
「……っ」
アレスに何か秘め事を話せない深い事情があると考えたソシアは、アレスのその悩みを肯定し自身もアレスに隠していることがあると伝えたのだ。
「打ち明けたいけど勇気が出なくて話せない。話したら今の関係が終わってしまいそうで打ち明けられない。私もそんな風に隠し事をしているから、アレス君が私に何か隠していてもなにも悪いとは思わないよ。人にはそれぞれ悩みがあって、誰かに打ち明けられない秘密だって当たり前だと思うから」
アレスはソシアの話を黙って聞きながら考えていた。
恐らくソシアは自分と違い自身の保身のためのための嘘でないと。
そんなソシアと自分の隠し事を一緒にするのはあまりにも都合がいいことだと……それでも、ソシアの話してくれたことに深く共感でき、少し救われたような気がしたのだった。
「……ごめんソシア。ちょっと、楽になった気がするよ」
「ううん、全然大したことは言ってないから」
「先にあがってる。あまり遅くならないようにするんだぞ」
ソシアの話を聞き終えたアレスはあまり浮かない表情のままソシアを残し露天風呂を後にしたのだった。
アレスはソシアがあれだけ優しく寄り添ってくれたのに結局スキルのことを話せなかった自分に嫌悪感を抱いていた。
だから、せめてこの力はソシアの……友人たちのためにすべて使うと決意したのだ。
自分がどうなっても構わない。
アレスは静かに夜の闇へと消えていったのだ。
そして翌朝。
日が昇り切る前のまだ薄暗い時間に、目を覚ましたアレスは見張りをしてくれていたオルティナのもとにやってきた。
「おはようございますオルティナ様」
「むっ!おはようアレス君!十分睡眠は取れたか!?」
「はい」
「うむ!覚悟が決まったいい顔だな!ヴァルツェロイナ様の気配はどうだ!?」
「昨晩よりかなり近づいてます。たぶん……昼前にはここに来るかと」
「よし!それならよて通り儀式を行い迎え撃とう!俺はスフィアを起こしてくる。君たちは準備を進めていてくれ!」
昨晩からヴァルツェロイナの気配を感じ取っていたアレスだったが、今朝目を覚ましてみるとその気配は確実に自身のいるこの場所に近づいてきていたのだ。
もう戦いは間近に迫っている。
アレスたちは軽い朝食を済ませ、身なりを整え、儀式に必要な道具をヴァルツェロイナ様が眠っているとされていたカンサーチャの樹の前に運んだのだ。
「凄く大きな木。なんだか神聖な雰囲気を感じる……」
「あの木の左右にあるあの祭壇が儀式で僕たちが躍る場所です」
「ではあそこを破壊されないよう守る必要があるな!」
兄妹たちに案内されたカンサーチャの樹は、周囲の木と比べても明らかに大きくどことなく神聖な雰囲気を放っていた。
そんなカンサーチャの樹の近くに高さ3mほどの祭壇が2つあり、階段を上りその祭壇の上のスペースで兄妹が踊りを踊ることとなっていたのだ。
あの家に代々伝わる神官の由緒正しき正装に着替えたウェンとミルは緊張した面持ちで祭壇の上へと上がった。
「それでは、ヴァルツェロイナ様をお呼びする舞から始めます」
「いや、その必要はなさそうね」
「え?」
兄妹がヴァルツェロイナを呼び起こす儀式をしようとしたその時、神聖な雰囲気に包まれていたあたりの空気が一変したのだ。
息が詰まりそうな重苦しい雰囲気に包まれ、それは明らかに不吉なことが起こる前触れのようなものだった。
それを感じ取ったオルティナとスフィアはそれぞれ祭壇を守るように位置取る。
そしてアレスはオルティナに言われた通りヴァルツェロイナと正面から戦うべく祭壇の目の前の開けた広場に歩き出したのだ。
「ウゥウウウ……」
「あれは!?この前王都で見た狼!?」
「それにしてはずいぶん……」
「禍々しい見た目になったわね」
そうして万全の状態で待つアレスたちの元に、ついにヴァルツェロイナが姿を現したのだ。
ヴァルツェロイナは王都を襲撃した時と大きく様子が異なり、以前とは比べ物にならないほどのどす黒いオーラが体を何倍にも膨れ上がらせていた。
その見た目はまさに地獄の番犬と称するのにも相応しい、闇を振り撒く厄災の狼といったものだった。
仕事終わってからの時間は一瞬で溶けていっちゃう……




