悪意は霧の中に
「すごい……」
圧倒的な実力差で暗殺者ルークを撃破したアレス。
剣士の枠に囚われない、野蛮で力強いその戦いを、少し離れた場所から見ていたセレナは、思わずそんな感嘆の声を漏らしていた。
「アレス様、とおっしゃいましたよね!?命を救ってください、本当にありがとうございます!」
戦闘が終わり闘気が静まったアレスの元に駆け寄った彼女は、驚きと興奮が混ざったような声色でアレスに話しかけた。
さらにそこへ少し離れた場所からこの戦いを観戦していた付き人の男性も駆け寄ってくる。
「アレス様……! 主人を、セレナ様をお救いくださり、心より感謝いたします!」
「別にいいですよ。こいつは個人的にも許せなかったですし」
「あ、あの……アレス様?」
「ん、なんだ?」
「どうすれば……どうすれば、あなた様のように強くなれますか?」
真っ直ぐな瞳。
自身が積み上げてきたものをルークに打ち砕かれた彼女は、目の前で圧倒的な強さで自分を救ってくれたアレスにその強さに辿り着くにはどうしたらいいか質問したのだ。
それに対してアレスは一瞬だけ目を伏せ、そして静かに首を振った。
「……俺のようになんかなっちゃいけない」
「え……?」
そう答えたアレスの背中は酷く寂しさを感じさせるものだった。
今のアレスはティナを傷つけられたことに対して怒り、感情的に剣を振るっている。
それがどれだけ脆く危険なものかをアレス自身も自覚しており、そんな自分と同じようになってはいけないと、自分に憧れるセレナを冷静に制止したのだ。
「それより、早くあの男を手当てした方がいい。今なら、まだ助かるはずだ」
「……え?」
「情報を絞り出さなきゃいけないだろ?奴はフォルワイル家を狙った大罪人だ」
その言葉に、付き人の男性がはっと息を呑む。
「そ、そうですね……!」
すでにルークは虫の息。
早く応急処置をしなければ命が危ないと、付き人の男性は慌ててルークの元へと走り出した。
「私も行きます!」
周囲にはルークにやられた護衛たちも倒れている。
命に届く傷ではないと言ってもかなりの重症であり、人手が足りないと考えたセレナも彼らの応急処置に向かった。
その様子を少し離れた場所から見ながら、アレスは一人、思考を巡らせていた。
(……最後の目潰し。こいつの性格的に、自分の左目を潰されたことへの復讐じゃないよな)
思い返すのはあの無謀な突進について。
あれは感情の爆発などではないとアレスは冷静に分析していた。
回復魔法は万能ではない。
皮膚や筋肉、骨などの損傷であれば並の回復術師でも治癒が可能。
だが複雑な部位……例えば視覚器官のように部位が潰されると回復魔法による治癒が困難なのだ。
(だから素手で破壊が可能な目を狙ったんだ。俺の視力を奪えばあとで戦う仲間が俺を殺せる可能性が上がるから)
「まったく。根性だけじゃなく忠誠心も大したもんだな」
一時的な勝敗ではなく、先を見据えた一手。
自分がこの場で死ぬことになろうとも組織単位で暗殺任務を完了できるよう命を懸けたルークを見て、アレスは彼の厄介さを感じたのだった。
「アレス様~!」
「っ!シフォンさん」
するとその時、戦闘を終えたアレスの元に1人のメイドが息を切らせながら走ってきたのだ。
彼女はシフォン・ドドルネ。
ティナの専属メイドの1人であり、リグラスが王都に居るフォルワイル家の人間の情報を調べさせたメイドだった。
一時的にアレスの下に就くように命じられていたシフォンは、アレスとリグラスの連絡係として行動していた。
「はぁ……はぁ……アレスさ……げほっげほっ」
「落ち着いてください。まずは呼吸を整えて」
(あれほど整ったメイドが付き従うほどのお方……いったいどこの家の方なのでしょう!)
シフォンと面識のないセレナは、その光景から、アレスがどこか格式ある貴族家の人間なのではないかと思いを巡らせた。
だがアレスは、そんな視線や推測など意に介した様子もなく、リグラスの伝言を預かっているはずのシフォンの言葉を静かに待つ。
「……アレス様、敵の拠点が分かったかもしれません」
「なんですって!?いったいどこですか!?」
「リグラス様が王国軍から伝え聞いた情報によりますと、どうやら敵はブラルトルインの中にアジトを構えているようです」
その名前を聞いた瞬間、アレスは小さく息を吐いた。
(……また、あそこか)
以前にも事件に巻き込まれた経験があるダンジョン。
全てを飲み込む深い霧が悪事を隠すのにちょうどいいのかと、厄介ごとを溜め込むそのダンジョンにアレスは内心呆れていた。
そんなアレスをよそにシフォンは言葉を続ける。
「この情報は今朝捕縛した暗殺者から聞き出したものだそうです。敵が拠点を移す前に叩くべきだと判断され、ゼギン様はすでに少数精鋭の部隊を率いて、先程制圧に向かわれたそうです」
「そうか……」
その時、その場の空気がぴたりと張りつめた。
短く返したアレスのその声色は冷たい不吉さを孕んでいた。
「アレス様……どう、なさいますか?」
シフォンが恐る恐る問いかける。
するとアレスは一拍も置かずはっきりと答えたのだ。
「俺も行く」
「さようでございますか……」
「当然だろう。ティナをあんな目に遭わせた連中だ。王国軍に任せて後から結果だけ聞くなんてできるわけがない」
その言葉と共に、
アレスの周囲にはっきりと分かるほどの殺気が溢れ出す。
「必ず――落とし前をつけさせる」
低く、噛み締めるような声。
アレスは王国軍に任せることなく自らティナを殺そうとした犯人たちを仕留めることにしたのだった。
一方その頃、昼下がりのハズヴァルド学園。
午前の授業が終わり各々が訓練や勉学に励む中、人気のない男子寮棟の裏庭に忍び込む1つの影があった。
「ロイさん!聞こえますか!?」
それはソシア。
周囲を見渡した彼女は誰もいないことを確認すると、全力には届かない7割程度の声量でロイを呼んだのだ。
「ッ!?ソシア様?」
アレスの部屋の中にいたロイまではかなりの距離がある。
だが人間よりも優れた感覚を持つロイはかすかに自分を呼ぶソシアの声を感じ取った。
部屋の掃除を行っていたロイは窓から顔を出すと、自身を待つソシアの姿を視認する。
「ソシア様、どうかされましたか?」
窓から飛び出したロイは軽い身のこなしで階下へ降りると、即座にソシアの前に歩み出た。
「ロイさん、急に呼んでしまってすみません。でもどうしても話しておきたいことがあって……」
ソシアの表情は暗く、不安を隠し切れず肩がわずかに震えていた。
そんなソシアの内面を見抜いたロイは柔らかな表情を作りソシアに話しかける。
「お気になさらず。アレス様からは、ソシア様をお守りするよう仰せつかっております。ですのでソシア様のご不安を取り除くことも私の務め。どうぞ、安心してお話しください」
「ありがとうございます……実は、昨日アレス君に話そうかなって思ってたことがあって」
ロイのその言葉に不安が和らいだソシアは、一呼吸を置いて用件を口にし始めた。
「本当は昨日話すつもりだったんですけど、ティナさんがあんなことになって……とても話せる状態じゃなかったから。でも、やっぱりアレス君に話しておきたいと思ったんです」
「承知しました。でしたら私の方からアレス様にお伝えさせていただきます。何なりとお聞かせください」
「私、アレス君たちがリューランさんのコンサートに行っている間、フリーダ様に時間を作ってもらってコクーン・オブ・ブレインで魔法薬学についての勉強をさせてもらってたんです。でも、その時……その施設で保管されてた黒祟の壺が盗み出されちゃったんです!」
「なんですって!?」
ソシアが打ち明けた話、それはどんな話をされても冷静に受け止めようと心掛けていたロイですら驚くほどのとんでもない話であったのだ。
黒祟の壺……それはもともとメーヴァレア遺跡の最奥に眠っていた悪魔が封じられているとされていた壺。
ロイが暴走した原因もその壺に封印されていた悪魔が原因であり、そんなこの世界に厄災をもたらす呪物が何者かに奪われてしまったのだ。
「本当はこんなこと研究所の職員以外の人には行っちゃいけないんですけど、ロイさんは前にアレス君からその壺のことを知ってるって聞いてたから。ごめんなさい。事件とは関係ないかもですけど、ずっと不安だったから……」
「……いえ。お話しくださりありがとうございます。このことは私が責任を持ってアレス様へお伝えいたします」
(悪魔の封じられたあの壺が?この事件との関連性は不明だが……嫌な予感がする)
ソシアの言う通り、フォルワイル家が狙われているこの事件との関連性は一切ない。
だが胸のざわめきを抑えられないロイは、主人の身にとんでもない危険が迫っているのではないかと嫌でも考えてしまうのだった。




