ハズヴァルド学園
ハズヴァルド学園。
それはエメルキア王国郊外にある王立学園。
元王国軍や騎士団の立場の人間が教師を務める講義に通常なら資格が無ければ立ち入れないような危険地域での実践訓練など、優秀な人材を育てるための環境が整っている。
「ここがハズヴァルド学園。話には聞かされてたが立派な建物だな」
花は咲き、小鳥たちも囀っている様なとても穏やかな気候の中。
モルネ教会から1日以上かけて歩いて来たアレスはハズヴァルド学園の校門の前に立ち、長い歴史を感じさせる重厚感あふれる校舎に見入っていた。
(王都に住んでた時はこんな建物も大勢の人も当たり前だったけど、久しぶりにこっちに来ると流石に圧倒されるな。これから俺はこの中で学んでいくんだな)
「クスクス……」
「ひそひそ……」
「っ?」
校門の目立つところに立ち校舎を眺めていたアレスだったが、その時周囲の自分と同じ新入生らしき生徒たちからジロジロと見られ笑われていることに気が付いたのだ。
彼らはアレスには聞こえないような声で会話をしているつもりなのだろう。
しかしそれは常人以上に感覚の研ぎ澄まされたアレスには容易く拾うことが出来たのだった。
「みてよあいつの胸の紋章」
「ああ、アイツ7組だろ?落ちこぼれ君じゃんw」
「あんな堂々と目立つところに居て恥ずかしくないのかねw」
「……なるほどね」
彼らの会話の内容が自身に対する嘲笑だったことを知ったアレスは、それを態度には表さなかったものの内心では酷くあきれ返っていた。
彼らが見ていたのはアレスの胸につけられた紋章であり、それは生徒の所属するクラスを判別するためのもの。
今年の1年生は1から8のクラスに振り分けられているのだが、その中でアレスが入ることになった1-7は大したスキルも持たない落ちこぼれクラスに分類されていたのだ。
(まあ、大方予想通りとはいえここまで露骨だとはな……)
学園の敷地に足を踏み入れる前からこの有様ということで、この先の苦労を想像したアレスは数日前の教会でのやり取りを思い出していた。
――9日前
「えっ!?アレス、スキルが元に戻ったの!?」
それはアレスに剣聖のスキルが戻ったすぐ後のこと。
教会へと帰ったアレスはシスターたちにそのことを報告していたのだ。
「うん。さっきそこで試し切りをしたけど間違いないよ」
「すげぇーんだぜシスター!さっき俺が石を投げたんだけどよ、石が地面に落ちる前にアレスが剣で10等分にしちまったんだ」
剣聖のスキルが戻ったことを確信したアレスはすぐにそれを確かめるべく、その時傍に居たモッブに頼んで試し切りをしていたのだ。
モッブが近くに転がっていた手ごろな石を投げ、それをアレスが切るという単純なもの。
その結果はやはりというべきか剣聖のスキルを使用したアレスは華麗にその石を切り刻んで見せたのだ。
「そう。スキルが戻ってよかったわねアレス。しかも学園に入学する直前だなんて。きっと神様が皆のために一生懸命働くアレスを見て施しを与えてくださったんだわ」
「うん、そのことなんだけどさシスター。俺、剣聖のスキルが戻ったことは学園の誰にも明かさないつもりなんだ」
「なんでだよアレス!剣聖ってスキルはすげぇーんだろ!?じゃあそれがあれば学園で一瞬で最強になれるじゃん!」
「別に剣聖のスキルを使わないってわけじゃない。ただ入学申請をしたときの”スキルなし”ってことでやっていくんだ」
「アレス、嘘はいけませんよ。一体どうしてそんなことを?」
アレスはハズヴァルド学園に入学の願書を提出した際に記入した『スキルなし』の申告を訂正することなく剣聖のスキルを隠していくことをシスターに伝えた。
「ごめんよシスター。でも剣聖のスキルが戻ったことをみんなに伝えたら、また昔みたいに騒ぎになることは目に見えている。正直嫌なんだ、スキルの有無で周りの人間から手のひらを返されるのは」
「アレス……」
アレスは剣聖のスキルが判明した子供の頃に周囲の人間にもてはやされ、それを失った時には真逆のひどい扱いをされていた。
スキルの価値で人を判断する王族や貴族の対応に嫌悪感を覚えるアレスは、剣聖のスキルが復活したことを公表して再びそのような輩からすり寄られることを避けたいと考えていたのだ。
「剣聖のスキルの持ち主ってだけで周囲に人が群がって来て称賛してくる想像をしただけで吐き気がしてくる。そんなことになるくらいなら俺は学園になんて行かない」
「……そう。そういうことなのね」
普段のシスターなら嘘や隠し事をするようなことを許すはずが無い。
しかしアレスがスキルの有無で両親から酷いことをされたことを知っているシスターは、アレスの心の傷を考えそれを否定することが出来なかったのだ。
「本当はそんなことは止めるべきだけれど、わかったわ、私はアレスの気持ちを尊重するわ」
「本当にありがとう、シスター」
「このことは私とアレスだけの秘密にしましょう。……あっ、あとモッブもね」
「酷いよシスター!!今俺の存在を完全に忘れてたでしょぉ!?」
「ごめんなさい!本当に悪気はなかったの!」
(こいつら、俺の人柄や実力も知らないで肩書きだけでバカにしやがる。まあいいさ、今に見てろよ)
落ちこぼれクラスの生徒だからと自分を見下す周囲の人間に対し、アレスは奴らに痛い目を見させてやろうと考えた。
自分がスキルを隠して彼らよりも優れた成績を残せば、スキルの優劣で人を判断する人間にスキルのない人間に負けたという屈辱を与えることが出来る。
「ふう、いちいちあんな連中を気にしたっていいことないな。そんなことより、気を取り直してハズヴァルド学園入学の第一歩を今踏み……っ!?」
自分と価値観の合わない連中のことを考えていてもよいことはないと気持ちを入れ替えて学園へ足を踏み入れようとしたその時、アレスの耳に何やら騒がしい声が聞こえてきたのだ。
聴力を研ぎ澄ませていたアレスは大勢の生徒で賑わう学園の正門通りの奥からただならぬ騒ぎが起きていることを察知出来ていた。
聞こえてきたのは女子生徒の叫び声。
それを聞いたアレスは頭で思考するよりも早く駆けだしていた。
「ほ、本当に申し訳ありませんでした!」
「おいおいてめえ!!このお方が誰か知っての狼藉か!?」
「このお方はな!かの有名なあの上流貴族、ウィーベル家の長男バンド様だぞ!!」
騒ぎの中心にいたのは深々と頭を下げる一人の女子生徒に、いかにも身分の高そうな貴族の御曹司に取り巻きの2名の男子生徒。
ゆるめのパーマをかけたようなロングボブで新緑を思わせる明るい緑色の髪をした彼女は整った身なりをしており、頭を深々と丁寧に下げるその様子からも彼女の性格の良さを感じられる。
しかしそんな女子生徒の胸につけられていたのはアレスと同じ7組を示す紋章であり、それゆえか丁寧な謝罪をする彼女に対する男子生徒のあたりは厳しいものだった。
「わ、私の不注意でぶつかってしまい、ほ、本当に申し訳ありませんでした!これからは周りに注意するようにしますので、どうか……」
「謝って済むなら王国軍は要らねえよ!どう落とし前付けてくれんだ!?」
「お、落とし前……」
「やめないか2人とも。そんな野蛮な振る舞いは選ばれし貴族である我々には相応しくない」
取り巻きの2人の男子生徒たちは女子生徒に向かって高圧的で荒々しい態度をとっていたが、バンド様と呼ばれていた金髪の男はそれを制止して青ざめる彼女に話しかけたのだ。
「不注意ならば仕方がないさ。ぶつかってしまったのには僕にも非があるしね」
「あ……ありがとうござ…」
「ところで君、スキルは何かな?」
「え……?」
2人よりも身分の高そうな彼が一体どんな言葉を放つのか震える思いで身構えてた彼女は、笑顔を浮かべ優しそうな言葉を放った彼に安堵の表情を浮かべた。
しかしその直後、バンドはその笑顔を崩すことなく異様ともいえる雰囲気で彼女にどんなスキルを持っているのか質問したのだ。
「あ、スキル、ですか……?いったいどうして……」
「聞かれたことにはきちんと答えろって親に教わらなかったのかい?」
「っ!?あ、あ……えっと、私のスキルは……嗅覚が、鋭くなるっていう……」
「……ぷ、ぷぷぷ。ぶひゃひゃひゃひゃ!!なんだそりゃ!?」
「嘘だろお前!ハズヴァルド学園に来たのに雑魚スキル過ぎるだろぉ!?」
「……っ」
女子生徒の答えを聞いた取り巻きの2人は全力で彼女をバカにするような笑い声をあげる。
しかし彼女の意識はそんな2人にはなく、能面のように生気の感じられない冷たい表情をするバンドに対しての恐怖を積もらせていた。
「お前さ……この学園から消えろ」
「ひっ!?」
次の瞬間、バンドは今までの穏やかな口調とは違い彼女に対して明確な敵意を向けてそう言い放ったのだ。
その雰囲気はもはや殺気と言ってもいい程の禍々しい圧を孕んでおり、それに当てられた彼女は恐怖のあまり言葉を失ってしまった。
「聞こえなかったのか?もう一度だけ言ってやる。この学園から消えろ」
「え、あ……そんな。私、今日この学園に来たばかりで……」
「んなこた知らねえよ。お前みたいな身の程知らずの無能が俺様と同じ学園に通ってるなんてな……虫唾が走るんだよぉ!!」
「っ!!」
流石の事態に周囲が騒然とする中怒りを抑えきれなくなったバンドはおもむろに拳を振り上げ、何の手加減もなく彼女に向けて振り下ろしたのだ。
それをみた彼女はとっさに身をすくめ目を閉じてしまう。
一体自分はどれほど強く殴られるのだろうか。
本来ならそんなことを考える間もなく彼女をバンドの拳が襲っていたはずなのだが、どういう訳かその拳がいつまで経っても彼女の頭に振り下ろされることはなかったのだ。
「っ……、え?」
「なんだ、お前は」
そこには先ほどの彼女の悲鳴を聞きつけて現場に駆け出していたアレスの姿があり、彼女に拳が当たる寸前でアレスはバンドの腕をつかんでいたのだった。