豊穣神
「あなたには、私と子を成してもらいたいのです」
「……ッ!!??」
ついにジゼル・ネレマイヤ本人と対面したアレス。
しかしジゼルがアレスを呼び寄せた理由はアレスの想像だにしない衝撃なもので、アレスはあまりのことに完全に言葉を失ってしまったのだ。
「では、早速始めましょうか。寝所はすぐ近くにありますのでそちらで……」
「いやいやいや!!え?はっ……ちょっと待ってくださいよ!」
驚きのあまり固まってしまったアレスの手を引き、ジゼルは早速アレスと身を重ねようとする。
だが何の説明も無しにそんなことを受け入れられるはずもなく、アレスはジゼルの手を振りほどいた。
「どうかされましたか?身を清めるのでしたらあちらに水場がありますよ」
「いやそうじゃなくてですね……」
「あっ!明るい中では気が進みませんか?でしたらすぐに光量を下げて……」
「説明が先でしょう!?急に一体何なんですか!?」
「……ジスパーから事情を聞かされていないのですか?私はてっきりすべて知らされたうえで合意してくれたと思ったのですが……」
「ジスパーって……まさかあの影武者の人ですか?あの人名乗る名などないとか言ってたのにあっさりバラされちゃってんじゃん……」
アレスの戸惑いようにジゼルはようやくアレスがなんの事情も把握していないことに気が付いたのだ。
ひとまず説明をして貰えそうだと安どのため息を漏らすアレスに、ジゼルはなぜこのような要求をしたのか1から説明することにしたのだった。
「どうぞ、この家の紅茶よりおいしくはないですが気分が落ち着きますよ」
室内庭園の中央に置かれた白い椅子と机の元にやってきたジゼルは、彼女が普段飲んでいるお茶を淹れアレスに提供した。
いきなりアレスに子作りをせがんだジゼルだが事情を聞かされていなかったということで一度きちんと説明をしないといけないと落ち着いて話ができる環境を設けたのだ。
「ありがとうございます……それではさっそくなんですけど、先程はなぜあのようなことを?」
「先程も言いましたが私に遠慮する必要はありませんよ。もうすぐ私たちは一つになるんですから」
「いやなりませんよ。申し訳ないですけど私はそう言うことはあまり好きではありませんので」
「あら?あなたくらいの年齢の男の子はそう言ったことに興味津々だと思っていましたが」
「スキルのために子供を作るってことに乗り気じゃないって言ってるんですよ」
「っ!……なるほど。元王族ということでこのようなことは心得ているということですね」
あくまでアレスとの関係を持つことは絶対だと考えていたジゼルに、アレスは確固たる意志を持ってその要求を断る姿勢をみせたのだ。
相手が御三家の当主ということでその言葉遣いは丁寧だが、その目には敵意にも似た圧力が含まれていた。
「しかしそれならば国のために子を残すことの大切さもわかっているはず。剣聖のスキルを授かったあなたならそう言った教育をされてきたのではないのですか?」
「それはその通りです。私も剣聖のスキルを失わずあのまま王族であり続けたら後世に剣聖のスキルを残すために多く側室を持ったでしょうし、そのことに何の抵抗も感じなかったでしょう」
「……しかし王族でなくなったあなたはそれを受け入れないと。一体なぜでしょう」
「スキルの価値だけで生き方を決められ子供を残すための道具にさせられるなんてまっぴらごめんです」
「……」
剣聖のスキルを失った途端に親からも見捨てられたアレスは、もうスキルに縛られて生きるのは絶対に嫌だと考えていた。
しかしスキルのために初めて会ったような女性と結ばれ子を残すなど最もスキルに人生を左右されるようなことである。
アレスはそう考えジゼルの要求を断ったのだ。
「……私の、豊穣神のスキルはこの国には無くてはならないものです。これを失うということはすなわち何千何万の民が飢えに苦しみ命を落とすということ。国のためにはこのスキルを後世に残す必要があるのです」
「私はそもそもそれが間違っていると考えています。人1人のスキルに国の命運が左右されるなんて不安定過ぎるのもほどがあります」
アレスの言う通り、事実ジゼルが体調を崩し国中に豊穣神の恩恵を与えられなかった年には多くの餓死者が出ている。
この先も豊穣神のスキルに頼った国の体制を続けていくならその道が辿るのは破滅であると考えていた。
「それは事実でしょう。そのためにネレマイヤ家は豊穣神のスキルに頼らない食物供給の方法を確立させようとしています。ですがそれでも豊穣神のスキルが国にとって大きな影響を与えるのは変わりない。必要なのですよ、エメルキア王国を支えるために犠牲となる者が」
「犠牲……わかってるじゃないですか。国のために自分が犠牲になってるって。ジゼル様はこのままでいいんですか?こんな部屋に閉じこもってるのは豊穣神のスキルを持っているから命を狙われる恐れがあるからでしょう?好きでもない、ましてや初めましての相手と子供を作らされることも」
「ふふっ、私を心配してくださるのですね。そんなあなたなら私は喜んで子を授かりたいと思えますよ?」
「そんなことが言いたいんじゃない!!あなたは自分の人生に納得してるかもしれないですけどね。この自由のない人生をあなた、自分の子にも背負わせられるって言うんですか!?」
「っ!」
アレスの目にジゼルは、自由などとうに諦めてしまったような表情をしているように映った。
豊穣神のスキルを授かった自分は国の礎となることが絶対で、それを拒絶してもなににもならないと。
だがアレスはそんなジゼルに自分の子にも同じ人生を歩ませるつもりなのかと熱く問いかけたのだ。
そのアレスの言葉に熱を失っていたはずのジゼルの瞳がわずかに揺らぐ。
「……ですが、私にできることは何もありません。ネレマイヤ家の当主といっても実際に家の方針を決めているのはネレマイヤ家の長老会の方々。私個人の要望など通るはずが……」
「ジゼル様の要望って何ですか?」
「え……?」
「受け入れられないのだとしても、自分はこうなりたいって希望があるんですか?」
アレスの底の言葉にジゼルは初めて明確に言葉を詰まらせる。
戸惑いから揺れ続けるジゼルの瞳はアレスは静かに見つめ続ける。
「……考えたことも、ありませんでした。私は……将来どうなりたいのかなど」
「まずはそれを考えましょう。実現できるか否かなんて置いておいて」
「ですが……私は生まれた時からこの運命を決められていて、今更自分がどうなりたいのかなど想像もできないんです……」
「生まれた時からって、ジゼル様はずっとこの屋敷に居るんですか?」
「はい……生まれはこの屋敷ですし、豊穣神の恩恵を土地にもたらすときも自由行動など許されず決められた場所を回るだけでしたから……」
「狭い鳥籠の中に閉じ込められたままじゃ自分がどうなりたいかなんて決められやしない……行きましょうジゼル様!」
「行くって……いったいどこへ?」
「屋敷を出るんです!ジゼル様が行きたい場所に行くんですよ!」
国のため、そのためだけに生きてきたジゼルにアレスは自分のために生きてみる道を指し示したのだ。
まずはジゼル自身がどうなりたいかを決めるために見聞を広めようと手を差し出す。
鳥籠の中で生きてきたジゼルにアレスは外の世界を見せようとしたのだ。




