コクーン・オブ・ブレイン
「そういえばフリーダ様、この施設はどうしてコクーン・オブ・ブレインって言うんですか?」
所長室でフリーダの研究に関わらせてもらえることとなったソシアは、話が一段落ついたところでずっと抱いていた疑問をぶつけてみることにしたのだ。
コクーン・オブ・ブレイン……正式名称はエメルキア王立魔導学術総合研究所。
一見普通の研究施設であるこの場所が”脳の繭”などと呼ばれているのか不思議に思っていたのだ。
「ふふっ、確かにね。実際に一般に公開などしないからこの施設の心臓部……いや、脳にあたるあそこの情報はわからないか。いいよ、君になら見せてあげても」
それを聞いたフリーダはにやりと笑みを浮かべソシアをある場所に案内すると言ったのだ。
ソシアはそんなフリーダに連れられ、所長室を出て1階へ向かう。
「外に出るんですか?」
「いいや、地下に行くんだ」
「地下?」
厳重なセキュリティを越え、2人は巨大な昇降機を使って地下深く潜っていく。
「コクーン・オブ・ブレインと呼ばれるのにはもちろん理由がある。国の最重要機密情報をいくつも扱う施設だからね。おのずとそのセキュリティは万全なものでなくてはならない」
(そんな場所に部外者の私を案内してもいいんですか?)
「物理的な侵入を拒むことはもちろん、スキルや魔法による干渉も防がなくてはならない。そこで我々はある魔物を参考することにした。巨大な巣を作るフォートレススパイダー。奴が出す糸は鋼を遥かに凌ぐ強度を誇りながら高い伸縮性を併せ持ち、耐摩耗性に耐衝撃性、耐火性に耐水性をも備えた夢のような素材だ。さらに魔力を流すことで外部からのスキルや魔法の干渉にも耐性が付く万能なもので……っと、そろそろ見えてくるな」
「あれは!?」
低いうなり声をあげる昇降機に揺られ地下へと向かっていたソシアは、ついに最下層へとたどり着き驚きの光景を目にすることとなった。
「フォートレススパイダーの糸をそのまま利用し、建物全体を覆い隠すことにした。地下からの接敵にも備え糸で覆った建物を繭のように吊るして……これがコクーン・オブ・ブレインの由来だ」
ソシアがやってきたのは地面をくりぬいて作られた巨大な地下空間だった。
フォートレススパイダーの糸で覆われた球体の施設が、壁や天井から伸びた糸によってその空間の中央に固定された神秘的といえる光景。
エメルキア王国の最高峰の知能が詰まった繭……まさにコクーン・オブ・ブレインの名にふさわしい外観であった。
「一見不安定に見えるかもしれないが壁や天井から伸びた糸が揺れを吸収し内部が触れないような設計になっている。地面と直接接触しないことで外敵の侵入を限りなく不可能にしてるわけだ」
「すごい……まるで巨大な魔物の巣……中から何かが生まれてきそう」
「あははっ。これをデザインした奴らはこの国を発展させる技術がこの中から生まれ出ることを願ってるなんて言ってたがまさにその通りかもな。さあ、中も案内しよう。あの建物の下に入れる入り口がある」
「あ、あの!ここまで来ておいてなんですが、私なんかがこんなところに来てもいいんですか?」
まさに魔物の巣と言うにふさわしい巨大で真っ白な繭が静かに空中に鎮座する光景の中、ソシアは改めて自分がここに来てはいけないのではないかと考えた。
「いいよいいよ。私所長だし。私に付き添いがあればどこでも行けるよ」
「そ、そうなんですか?でも……」
「そうやって躊躇うことができる人なら大丈夫よ。それに所長室は上にあるけど魔導薬学の研究資料はこっちにおいてあるから私からそれを習うならどのみちこっちに来ないとだよ」
「……わ、わかりました。私、ここで見たことは絶対に誰にも話しません!」
「よし。確認する手間が省けて助かるわ。じゃあついておいで」
部外者が立ち入っていいような場所じゃないんじゃないかと真っ当な考えのソシアに、楽観的なフリーダはソシアをコクーン・オブ・ブレインの核ともいえる建物の中にソシアを連れて行ったのだ。
繭の真下までやってきた2人はそこから昇降機を使い繭の内部に侵入していく。
「中は……普通の建物って感じですね」
「さすがに糸むき出しってわけにはいかないからね。こっちよ、ついておいで……」
「所長!!今お時間よろしいですか!?」
繭の内部に入ったソシアは、その外観と異なり普通の建造物と同じ床や壁に逆に新鮮な感想を抱いた。
落ち着かない様子でキョロキョロするソシアを魔導薬学の研究室に案内しようとフリーダが歩きだす。
しかしその時この施設の副所長であるリッキーが慌てた様子で駆け寄ってきたのだ。
「なんだいリッキー君。私は今忙しいのだが」
「すみません!ですが先日王国軍より通達されていた例のあれが……」
「あれ?あれとはなんだ。私はエスパーじゃないからあれでは伝わらん」
「いえ……部外者がいるこの場で話すのは……」
「彼女なら大丈夫だ。将来私の助手になるんだからな」
「ええ!?私助手になるなんて一言も……」
「それに手土産に蜂ゃん屋のおまんじゅうを選ぶことができる人間だ。彼女は信頼できる」
部外者がいるこの状況で極秘情報を離すわけにはいかないと至極真っ当なことを言うリッキー。
しかしフリーダは謎の理論を展開しこの場でその内容を聞こうとしたのだ。
「あの、フリーダ様……それはさすがにまずいんじゃ……」
「ああんもうわかったわ。ソシア君、ちょっと待ってなさい」
適当な様子のフリーダに、それはまずいとソシアは食い下がる。
ソシアの言葉に渋々従うことにしたフリーダはソシアから少し離れ耳打ちでリッキーからその情報を聞くことにした。
(よかった……フリーダ様がいいって言っても後でどんな厄介ごとに巻き込まれるかわからないしね……)
「なに!?ついに運び出せたのか!?今はどこにある!?」
「声が大きいです所長!予定通りフロアDの最警戒隔離室に……」
「わかった!!ソシア君、今すぐ向かうぞ!!」
「ええ!?何のために耳打ちしたんですか!?」
「所長!!王国軍の方に怒られますよ!?」
リッキーから情報を聞いたフリーダは血相を変え、ソシアに自分と一緒に最警戒隔離室に向かうと言ったのだ。
驚きを隠せないソシアとリッキーだが、フリーダは止まろうとはせず結局ソシアも同行することになってしまう。
コクーン・オブ・ブレインの繭の建物は4つのフロア分けがされている。
フロアAは職員の食事スペースや仮眠室などの実験研究とは関係のないエリア、フロアBは危険度の低い実験や研究を行うエリア、フロアCはより機密度が高い研究を行うエリア。
そしてこれからソシアたちが向かうフロアDは、危険度が高く機密情報を取り扱う最も需要なエリアであった。
「フリーダ様!お疲れ様です!……その学生は……」
「私の助手候補だ。今日は後学のため見学させる」
(助手候補じゃないのに~)
「それで、例のブツは」
「はッ!常に呪いを振り撒いているようで、耐呪物特殊ケースの中に収納してあります!」
ソシアが入った最警戒隔離室は、衝撃や魔術の類への耐性に優れた分厚く透明な防魔観察板で仕切られた構造になっている。
そうして危険物を置いた部屋を、防魔観察板で仕切られた隣の部屋から安全に様子を確認出来る。
「あの箱の中には一体何が……」
「少し前にメーヴァレア遺跡で発見された呪物……遠い昔に存在語と忘れ去られた悪魔が封印されているとされる壺……」
「あ、悪魔!?」
「黒祟の壺……漏れ出る呪力が危険で持ち出しに苦労していたがようやくここまで運び込めたんだ」
防魔観察板を挟んでソシアの前に置かれていた箱の中には、メーヴァレア遺跡で発見された悪魔が封印された壺が入れられていた。
その壺を入れている箱は特殊なもので、外からは一切中の様子は確認できないもののソシアはただならぬ気配を感じ取り冷や汗を流していた。




