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アレスに迫りくる影

晩餐会が始まる少し前のこと。


「それでは皆様、衣装の方はこちらで取り揃えております。着替えが済み次第ホールの方にお集まりください」


控室で説明を聞き終えたアレスたちはドレッシングルームに移動しそこで用意されていたメイド服に着替えることになっていた……のだが。


(彼女たちに混じって着替えるのは流石にまずいよな……)


そのドレッシングルームは様々なサイズのメイド服が用意された1つの大きな部屋。

今のアレスは体は女性であるが中身は当然男であるため、他の女性と一緒に着替えるのは大問題だと考えたのだ。


「アスカさんどうかしたんですか?早く着替えましょう?」

「あー……ごめんなさい。私急にお腹痛くなってきちゃって」

「え?大丈夫ですか?」

「大丈夫。ちょっとお手洗い行かせてもらうから、もしかしたら遅れちゃうかもしれないけど気にしないでね」

「あ、わかりました……」


これはまずいと考えたアレスは他の女性たちと着替えのタイミングをずらすためにお手洗いに逃げ込み時間を潰すことに。


(なんじゃこりゃ!?この服いったいどうやって着るんだよ!!)


その後1人でドレッシングルームに戻り急いでメイド服に着替えようとしたアレスであったのだが、慣れない服の構造に手間取り晩餐会の開始に少し遅れてしまったという訳だったのだ。



(さてと。そんなつもりじゃなかったが十分目立つことはできたな。あとは控えめに頑張るだけだ)


こうして少し遅れて晩餐会に参加することになったアレスだが、その容姿のおかげで遅れてやってきたことも演出の1つのような雰囲気となり注意の一つもなかった。

そのままメイドとしての仕事を始めたアレスは、やはりというべきか晩餐会にやって来ていた貴族たちの注目の的になっていた。


「君凄く可愛いね!どこかの貴族の娘さんか?」

「いえ、全くの普通の家の生まれでございます」

「いや本当に可愛いよ!普段は何のお仕事を?」

「実は、つい先週に親元を離れてこのビルレイアの街に来たばかりでして。まだどこで働こうか決めかねていたんです」

「それなら私の元で働かないか!君なら特別待遇で雇おう!!」

「なにを!!では私の所に来ないか!?給料も君が望むだけ上げよう!」


王宮で暮らしていたアレスは最上級のメイドたちの働きぶりを間近で見てきている。

最低限の作法なども学んでいたアレスは配給係の仕事をそつなくこなす。

そんなアレスの働きっぷりを見た貴族たちはその容姿も相まって次々にアレスの周りに集まって来ていた。


(アスカさん……だめだ。私なんかじゃ比較にもならない……)

(今日は運がなかったと諦めましょ……)

(あんな容姿ならこんなとこ来ないで王宮にでも行ってなさいよ!)


貴族たちに人気なアレスの様子を見た他のメイドたちは流石にその人気の差に落胆してしまっていた。

事業がうまくいったことの記念パーティーという名目の晩餐会であったが、もはや誰がアレスの新しい雇い主になるのかを競う場になりつつあった。


「それならば、ここで引き続き働くというのはどうかな?」

「ッ!?」

「ま、マルセル様!!」

(ついに来たか。ノイアステル家当主……マルセル・ノイアステル!)


そうしてアレスを取り囲み口説き落とそうとする貴族たちであったが、その時アレスの前にある人物が現れたのだ。

それはこのノイアステル家の当主であるマルセル・ノイアステル。

20代後半という若さでノイアステル家の当主となり、その手腕でノイアステル家を上流貴族にまでの仕上げた男。


(ガチで気に入られて普通に働くようになったら意味ないもんな。ここは断っておいた方がよさそうだ)

「そんな。私のような平民が正式なメイドとして貴方様にお仕えするなど」

「かまわないさ。君にはそれだけの資格がある」

「申し訳ありません。私にはいつか資金を貯めたら王都で暮らしたいという夢がありますので、ここは素敵な街ですがあまり長くとどまるつもりがないのです」

「そうか……」


アレスの目的はあくまでアリアの姉ミシェルの行方を探るためにあえて攫われるというもの。

普通の雇用契約を結んでしまえばただ働くだけとなりミシェルを探せないかもしれない。

マルセルが自分に執着しているものとして彼の元から去るという発言をして、マルセルに攫ってでも手元に置いておきたいと思わせられるようアレスはそれを断ることにした。


「なら私の所に来るといい!私の屋敷は王都にある!いつかと言わず明日から王都住まいの夢を叶えてやるぞ!」

「それなら私の所はどうだ!?他よりもいい条件で君を雇おう!」

「いえ、そんな皆様、困ります……」

「まあまあみんな、彼女が困っているではないか。それに今日はそういう場ではない、また別の機会にしてはくれないか?」

「マルセル様……失礼いたしました」

「ところで君に聞きたいことがあるんだ。君のような美しい容姿になる秘訣。何か特別なものを食べたり習慣があったりするのかな?」

「いえ、そのようなものは特にはございません」

「そうなのかい?なら君のご両親に聞きたいものだね。君のような美しい女性を育てる秘訣。君のご両親は今どこに?」

(これは……)

「ビルレイアの街とは比較にならないほど小さな村でございます」

「ほう……なら今は1人暮らしかい?」

「はい。その通りでございます」


アレスを雇うことができないと悟ったマルセルは別の質問に切り替えた。

それはアレス……アスカの現在の人間関係を探るような質問。


(攫った後に騒ぎ出す人間がいるか探ってやがるな?)

「1人暮らしじゃいろいろと大変だろう。住む場所には困っていないかい?普段はどんな仕事を?」

「また決めかねている状況でございます。幸い親が用意してくれた資金がありますので」

「そうか……もし君が望むなら働き口を提供してあげてもいい。何か特技はあるかな?メイドの仕事でも……君のスキルを生かした仕事でもいい。よければ君のスキルを教えてくれないか?」

「私のスキルですか?本当に大したものではございませんが……」


次にマルセルがアレスにしてきたのはスキルに関する質問。

それを聞いたアレスは持っていたトレイを近くの机に置くと、ポケットからなけなしの銅貨1枚を取り出した。


「私のスキルは、よっ……と。このようにコイントスをすると必ず表を出せるスキルです」


アレスは取り出した銅貨を右手の親指の上に乗せピンと弾いた。

空中に待った銅貨をアレスは左手の甲で受け止めると右手でそれを覆いかぶせた。

そうしてアレスがゆっくりと右手をどけるとそこには銅貨の表が。

アレスはこれが自分のスキルだと皆の前で堂々と言い張ったのだ・


「ほう、それが君の……」

「はい。仕事などに生かせるようなものでは決してないですが……」


アレスはそう言いながら4回5回と連続でコイントスをし、そのすべてで表を出してみせる。

もちろんアレスのスキルはコイントスで表を出すスキルではない。

アレスはその並外れた動体視力で銅貨の回転を見極め正確に表になるよう右手をかぶせていた。


「そうか。それならスキルに拘らず仕事を紹介しよう。明日にでも都合が良ければどうかな?」

「はい。お気遣いありがとうございます」

「いやなに。それじゃあ私は失礼させてもらうよ」


アレスのスキルを聞いたマルセルはそう言ってその場を立ち去って行った。

だがアレスはその時マルセルが一瞬見せた下卑た笑みを見逃さなかった。


(くっくっくっ。大当たりだ。まさかあんな上玉が手に入るなんてな。しかも親も友人も傍にいなくて働いてすらない?美味しい話過ぎて逆に怖いくらいだ。あんなカススキルじゃ逃げられる心配もねえし……俺の人形にする前にたっぷり堪能してやってもいいかもしれねぇなぁ?)

(ちょっと都合がいい獲物過ぎたか?だがあの目を見れば喰いついてくれるのは間違いなさそうだ。あと警戒しておきたいのは……)

「ドング、あれにしよう。あれは最高だぁ」

「かしこまりました。マルセル様」

(あの護衛……あの佇まいからみても只者じゃねえな。あの感じから見て奴もこの事件に関わってるとみて間違いないだろう)


そうして無事にマルセルのターゲットに選ばれることになったアレスであったが、離れていったマルセルが話しかけた護衛の存在をアレスは見逃さなかった。

マルセルからドングと呼ばれたその男はマルセル専属の護衛係のリーダー。

彼の放つただならぬ雰囲気からアレスは油断はしないと気を引き締めたのだった。



「アスカちゃん!こっちこっち!」

「はい!ただいま!」


その後、アレスはマルセルが行動を起こすのをメイドの仕事を根しながらじっと待っていた。

その姿は完璧なメイドであり、誰1人としてアレスの正体が男であるとは気づかない。


「お待たせいたしました。新しいワインをお持ちしました」

「いやぁ、すまないね。ほんとに最高の従者だよ君は」

「ありがとうございます」


その美しすぎる容姿から無事にマルセルのターゲットとなることに成功したアレスであったが、それは良いことばかりではなかった。


(ほんとうに、最高の女だよ君は……)

(このオヤジ……)


晩餐会に集まっていた大勢の貴族たち。

白髪混じりの貫禄ある男やイケイケな自信の溢れる若い男。

彼らがアレスに向ける視線は飛びぬけた美貌に感動する心から性欲と支配欲の入り混じった粘り気のあるものに変化していた。


「あの腰の細さがたまらんなぁ」

「お高くとまりやがって。俺様が下品な遊びを教え込んでやろうか?」

「ああくそ!いくら積んででもいいからあの女を俺のモノにしたい!」

(全部丸聞こえなんだよ。エロ貴族共が)


スカートから覗く太ももから少なくない露出をした胸元。

足の先から髪の毛の1本に至るまで、男たちがアレスに向ける視線は遠慮も知らず纏わりつくように、商品を品定めし舌なめずりするような不気味なものであった。

体の奥底から不快感が沸き上がる感覚を抑え、アレスは100点満点の笑みを保ってみせる。

しかし今すぐにでもその顔面を殴りつけてやりたいような衝動がゆっくりとアレスの中に蓄積していった。


(もう我慢ならねぇ!ちょっとだけ!手が滑ったふりをしてその体を堪能させてもらおうかぁ!)


そしてついにその時、アレスの背後にいた小太りの商人の男が酒に酔った勢いもあわせてアレスの腰に手を伸ばしたのだ。


(……ッ)

「えっ……?」


その気配を感じ取ったアレスは背後を振り返ることなく即座にその手を払いのける。

それは商人の男が何が起きたのか理解できないほど一瞬の出来事。


(やべっ……)

「申し訳ございません!振り向いた拍子に手が当たってしまい!」

「え、いや……こちらこそ、すまないね……」


反射的にその手を振り払ってしまったアレスであったが、直後まずいことをしてしまったとそれが偶然手が当たってしまっただけだと誤魔化そうとしたのだ。

商人の男はあまりに一瞬の出来事故勢いに流され謝罪の言葉を口にする。

しかしその様子を離れた場所で壁を背に監視していた護衛の男……ドングが確実に目撃していた。


(あの女……死角から迫っていた奴の手を振り向きもせず払い落とした。偶然じゃねえ……何者だあの女)


それはドングの中に確かな疑念の陰を落とす。

意図せぬハプニングで気を取られてしまったアレスはその事実に気が付かない。

悪意が潜む晩餐会は終幕に向かおうとしていた。

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