史上最強のメイド
「ようこそお越しくださいました。それでは屋敷にご案内します」
ノイアステル家の晩餐会に潜入するために晩餐会の臨時メイドとしてやってきたアレスは、昨日スカウトの使用人から受け取った招待状を手にノイアステル家屋敷を訪れていた。
(さすが美術と工芸の街ビルレイアにある屋敷。まるで美術館か何かだな)
巨大な鉄の門をくぐると、そこには美術品や工芸品などの取引で財を成したノイアステル家に相応しい職人の技と技術が詰め込められた屋敷の装飾が目に入った。
門を通って正面入り口に辿り着くまでの間にいくつもの噴水が視界に入り、庭の草木は細部に至るまで手入れが行き届いている。
そして目を引くのは通路の脇に並べられたいくつもの石像でありアレスはそんな道を使用人の後に続いて進んでいく。
『なッ!?その簪だけで屋敷に行くつもりか!?』
それはアレスがノイアステル家のスカウトを受けた日のこと。
近くで様子を窺っていたティナたちと合流したアレスは一度テレーゼの自宅に戻っていたのだが、そこでアレスの潜入について少々議論が巻き起こっていた。
『そうだけど何か問題あるか?』
『大ありだろ!そんなもので戦える訳ないだろう!?』
『じゃあなんだ?こんなでかい剣をぶら下げて屋敷に行けってか?』
『さすがにそこまでは言わないが、それでもその簪だけは危険だ!』
『それは私も言ったんだけどね……』
『はっきり言ってこれすら不要だと思ってるぞ俺は。素手で十分だし屋敷内でナイフでもくすねれば怖いものなしだ』
『アレスさん。あなたの強さは分かっていますが慢心するのは危険ですよ』
『そもそもだな。慣れないその体で満足に戦えるのか?』
『ああ、そのことに関しては一切心配いらねえ。ティナ、ちょっと手を出してくれるか?』
『手?別に構わないが、一体何を……』
『ふッ……!』
『ッ!?』
アレスはティナに手を差し出させ、まるで握手でもするようにその手を取った。
しかし次の瞬間、アレスはするりと指先を滑らせティナの手首をつかんだのだ。
それと同時にアレスは巧みに力を加えティナのバランスを崩す。
そうして何が起きたのかもわからず前のめりになったティナの眼前に、アレスの膝が寸止めで目の前に突き出された。
『なっ……』
(今、何をされたのかすらわからなかった……)
『言ったろ?心配はいらねえって』
『すごい……アレスさんが手を握ったかと思ったら一瞬でこんな……』
『……どうやら絶好調みたいですね、アレスさん』
『ああ。素手だろうと誰にも負ける気がしねぇ。この簪すらお守りみたいなもんだからな』
『……わかった。そこまで言うなら君を信じよう。でももしも君が無事にノイアステル家の屋敷から出てこなかったら……』
『ああ。その時は任せる。助けに来てくれ』
(簪だろうと食事用のナイフだろうと……もちろん素手だろうと俺が負けるような相手がそう簡単にいるわけねえだろ。ミシェルさんをみつけしだい全員ぶん殴って制圧するだけだ)
ほとんど丸腰と言っていい程軽装備でノイアステル家の屋敷にやってきたアレスだが、それでも自分が負けるはずが無いと自信をみなぎらせながら歩いていく。
「それでは時間までまだ少々ございますので、この部屋でお待ちください」
「はい。わかりました」
屋敷の中に入ったアレスはそのまま1階通路を進みとある部屋へと案内された。
そこはアレスと同じく街でノイアステル家のスカウトを受け臨時メイドとして招かれた女性が集められた待合室。
案内されたアレスは不自然さを感じさせないよう周囲の環境を探った。
(周りに魔法の気配はなし。人の気配も感じられねえし怪しい物もない。仕掛けてくるのはここじゃないっぽいな……)
「ねえ、あの人……」
「うん……」
「……?あの、皆さん。どうかされましたか?」
その待合室には特に怪しい雰囲気は感じられず、アレスは警戒を続けながらも他の女性たちに混ざろうとする。
しかしその時アレスは他の女性たちが何やら自分を見てこそこそ話を始めたことに気付いたのだった。
「いえ、あなた……」
「はい。私が一体どうかしましたか?」
「この屋敷のお方じゃないんですか!?」
「えっ?え、ええ。私もあなた方と同じように臨時メイドとしてスカウトされただけですわ」
「なんだビックリした!超美人な人が来たから誰かと思って緊張しちゃった!」
「そうそう!貴族の人か、お姫様かと思ったもん!」
「そ、そうだったんですね……」
(ははは……いきなり正体を見破られたかと思って焦ったぜ……)
その女性たちに正体を見破られたのでないかと内心焦っていたアレスであったが、彼女たちはアレスを貴族の誰かと思い緊張していただけだったのだ。
拍子抜けしたアレスは平静を取り戻すように髪をかき上げ女性たちとの会話に応じる。
「皆さんもノイアステル家の方からスカウトを受けたのですよね?10……4人。この街に来たばかりでよく知らないのですがノイアステル家は毎週この規模で晩餐会を開いているんですか?」
「ええ、そうよ。なんでも5年前から進めていた大事業がうまくいった記念として関係のある家を呼んでパーティーを開いているんだとか」
「やっぱり貴族様の常識は私たちにはわからないよね」
(この人数を全員……は流石に怪しまれるな。じゃあここから誘拐されるのは多くて3人か?1人必ず選ばれるという保証もないしな。じゃあここからもアピールしていかないとってわけか)
臨時メイドに選ばれて終わり、という訳にも行かないアレスはミシェルがそうであったようにここからノイアステル家に誘拐されるために油断は禁物だと考える。
ここから隠密を始めてミシェルを探してもいいが、この屋敷内にいるとは限らない。
ミシェルの行き先を探るならここからさらに誘拐されることで行方不明となった人間の行き先を探るほうが確実だった。
「あの、あなた凄く綺麗ですね!お名前を聞いてもいいですか?」
「ええ、アスカよ。綺麗なんて嬉しいわ」
「ほんとうに!綺麗なんて言葉じゃ足りないくらいです。いいなぁ。アスカさんみたいに綺麗な人ならきっと正式にメイドとして雇ってもらえるんだろうな」
「正式にって……ノイアステル家に?あなたこの家のメイドになりたいの?」
「あっ、はい!やっぱり上流貴族のメイドとなればお給料もいいですから!もし今日の晩餐会でノイアステル家の人に気に入られれば正式にメイドとして雇うこともあるかもしれないって言われたので頑張りたいなって」
そんなことをアレスが考えていると、アレスの傍に寄ってきた女性の中の一人がアレスの容姿に憧れ話しかけてきた。
「そんなこと言われたの?」
「じゃあ私も頑張らないと!」
「と言ってもアスカさんが居たら私たち全員霞んで見えちゃうけどね……」
「そんなことないですよ!皆さんとっても魅力的ですよ。それにメイドとして選ばれるなら外見だけじゃダメでしょうし」
「そうですよね!見た目じゃアスカさんに敵いませんけど飲食店で培った接客技術でノイアステル家の人に選んでもらうんだ!」
「ふふっ、あんたそんなに貴族様のメイドになりたいの?」
「あっ、張り切り過ぎですよね?私、どうしてもいっぱいお金を稼がないといけなくて。平民の私じゃ正攻法じゃ貴族のメイドなんてどうあがいても無理ですから……」
「何か深い事情がありそうだけど、どうしたの?」
「……はい。実は私、お母さんが病気で薬代を稼がないといけないんです。普段の生活でも余裕があるとは言えないのに薬代も馬鹿にならなくて……でも、この家のメイドになれば全部解決すると思って」
(……残念だけど、あいつらにその気はないと思うぞ。せめて誘拐のターゲットにならず今日の晩餐会のお給料を持ってお母さんの所に帰るんだな)
「そうだったの、応援してるわ。あなた、名前は?」
「はい、ノクタールです。同情を誘うとかそんなつもりはありませんので、お互いノイアステル家の人に認めてもらえるように頑張りましょうね!」
「皆さん、大変お待たせ致しました。これより今宵の晩餐会の説明をいたします」
「あっ!いよいよですね。なんだか緊張してきちゃいました……」
待合室にいた他の女性と適当な会話をしながら時間を潰していると、部屋の扉がノックされ晩餐会の説明を行う使用人が姿をあらわした。
アレスたちは料理の配膳を主な仕事としながら適度に客人の話し相手を務めること。
だがもちろんノイアステル家の本当の目的はそうして集まった女性の中からさらに誘拐する女性を品定めをするというもの。
アレスは怪しまれないよう適度に目立ちつつミシェルの行方を探るためにか弱い獲物を演じることにしていた。
「そろそろ時間だろう。中では晩餐会が始まったころだな」
アレスたちが屋敷の中で説明を受け終えて晩餐会の支度を済ませた頃。
屋敷の正面の門が良く監視できる通りの向かいの路地裏から、ティナたちが何があってもいいよう屋敷の様子を窺っていた。
「彼大丈夫かな?失敗して捕まるなんてことになればミシェルを助けられないんだけど」
「心配は要らない。彼が奴らなんかに捕まるなんてありえないからな。だがもし、万が一にもアレスが戻って来ないということがあれば、その時は私が正面から暴れるぞ」
「アレスさん、どうかご無事で。そして姉さんをよろしくお願いします……」
「……」
「ソシアさん、どうかしましたか?」
路地裏から顔を出し屋敷の入り口を監視するティナとアリア、そしてテレーゼ。
そんな3人から少し離れた路地の奥ではソシアが何やら浮かない顔をしており、そんな彼女にジョージが歩み寄り話しかけていた。
「えっ?いや、なんでもないよ!」
「なんでもないって顔じゃなかったですよ。やっぱり昨日のアレスさんとのデートのことですか?」
「ッ!?なんでそれをッ……というか別にデートなんかじゃ……///」
「隠さなくてもいいですよ。ソシアさんがアレスさんのことを好きだってことは皆分かってますから」
「ッ///!!??」
ティナたちに聞こえない声量でソシアがアレスのことを好きだということは知っていると伝えるジョージ。
それを聞いたソシアは分かりやすく動揺し顔を真っ赤にさせた。
「な、ななな、なんでそれを……ちょっと待って!?みんな知ってるってそれはあれ、あれれれ……」
「残念ながらアレスさんは気付いていません(あとティナさんも)」
「そ、そうなの?それなら一安心……」
「じゃないですよ。なんで告白しないんですか?それが1番手っ取り早いじゃないですか」
「出来るわけないでしょ!そんな、そんな……だって……」
「だって?」
「恥ずかしいもん……///」
「……。まあ、それはひとまず置いておくとして、昨日のことで何を悩んでいたんですか?」
「え?ああ、それはね……」
ティナたちに聞かれていないことを横目で確認したソシアは路地裏に置かれていた木箱に腰を下ろし自分が落ち込んでいた原因をジョージに話し始める。
「昨日のノイアステル家のスカウトをおびき寄せるためのお出かけ。私だってアリアさんのお姉さんを助けるための任務だってちゃんとわかってたよ?でもさ、それでも楽しかったんだ。アレス君とお喋りして、いろんなお店に入って買い物したり。本当のデートみたいだなって浮かれてた。でもアレス君は違った。ずっとノイアステル家のスカウトがいないか気を配って、潜入するときのことを考えてた。アレス君が真面目にやってる中私は何を浮かれてたんだろうって思ったのと同時に、アレス君は私にちっとも気がないんじゃないかって思っちゃって……」
ソシアは昨日のノイアステル家のスカウトをおびき寄せるための外出を、任務とわかっていながらも本当のアレスとのデートのようだと楽しんでいた。
それはソシアにとっても夢のような時間で、途中からは任務のことだと忘れそうになるほど。
だがソシアはそのお出掛けがアレスにとってはそんな浮かれたものでは全くなかったということに気が付き少し傷ついていたのだ。
それは浮かれていた自分が情けないと思うのと同時に、それ以上にアレスは自分のことを恋愛対象としては見てくれないんじゃないかという不安な気持ちから来るものであった。
「なるほど……まあ恐らくそうでしょうね。アレスさんはソシアさんのことを恋愛対象だとは一切見てないと思います」
「……ッ」
「でもそれはソシアさんだけじゃなくてティナさんも。というかそもそも今のアレスさんには誰かと付き合おうという発想がないからだと僕は思いますがね」
「え、ティナさんも!?」
「ん?ソシア、私の名を呼んだか?」
「ッ!!ううん!!なんでもないの!!」
「そうか?それならいいが」
「はぁ……それよりジョージ君、今のはほんと?アレス君はてっきりティナさんのことが好きなんじゃないかと……」
「確かに同じ剣士で実力的に信頼できる仲、という認識はアレスさんの中にはあるとは思いますよ。でもそれは恋愛感情などは一切なく、僕から見ればアレスさんとソシアさんも同じくらい親しく見えますけどね」
「……!」
「でも裏を返せばアレスさんにとってティナさんが唯一無二であることも事実です。彼女も居ない僕が言うのもなんですが、男女の仲というのはそう言った関係から発展することも多いんですよ。ですので恥ずかしいからと言っていつまでも手をこまねいていれば、それこそ本当に手遅れになってしまいますよ」
「そう、なのか……私、てっきりアレス君はティナさんのことが好きなんだと思って……。うん、ありがとうジョージ君。おかげでちょっと元気出たかも」
「いえ、とんでもない。それにソシアさんの目にはそう見えなかったかもしれませんが、昨日のアレスさんはいろいろなところに気を配りながらもソシアさんとのお出掛けを楽しんでいるように見えましたよ」
「ほんとに!?」
「ええ。だから今はアレスさんが無事に戻って来られるよう祈りながら何があってもいいよう待機していましょう」
ジョージ君に励まされたソシアは凝り固まっていた物が溶けてなくなったかのような笑顔を取り戻した。
そうして2人も気を取り直してアレスが中にいるノイアステル家の屋敷の監視に戻ったのだ。
ソシアが元気を取り戻していたそのころ、ノイアステル家の屋敷の中ではついに晩餐会が開始されていたのだった。
その会場となったのはまるで王宮の一部を切り取ったかのような豪華な空間。
足元に広がるは職人の手によって研ぎ澄まされた大理石の床。
天井からは煌びやかな光を放つシャンデリアが無数に吊るされた神秘的ともいえる光景。
「失礼します。新しいお飲み物はいかがですか?」
「おお、気が利くね君」
「もったいなきお言葉です。恐れ入ります」
礼装の紳士や煌びやかなドレスに身を包んだ貴婦人たちがワイン片手に談笑をしている中、先程控室でアレスと会話をしていたノクタールが緊張にのまれそうになりながらも慎ましく丁寧な接客を行っていた。
ノイアステル家が用意した美しいメイド服を身に着けた彼女はその可愛らしい見た目も合わさって貴族たちから好印象を持たれていた。
(街のお店とは全然違う。でもこの調子で頑張れば……あれ?そういえばアスカさんの姿が見えないような……)
ギィィイ……
「っ!」
ノクタールが少しずつ手ごたえを感じ始めていたその時、会場の扉が音を立ててゆっくりと開いていった。
そして会場にいた誰もがその扉から姿を現した人物に思わず視線を奪われてしまう。
「遅れての参加となってしまい、恐縮ですがよろしくお願いいたします」
その扉から現れたのは他のメイドたちと同じメイド服を着用したアスカ……もといアレスであった。
まとめられた髪のおかげで細く美しいアレスの首元がより一層強調され、その美しさに視線を奪われた人々は次に精密なアレスのお辞儀の動作に心を奪われる。
「おいなんだあの娘。あれもメイドなのか?」
「美しい……あんな美しい女性を見るのは初めてだ」
「どこの家のメイドだ?あれほどの美貌なら噂だけでも聞こえてくるはずだろう?」
(アスカさん……すごい。ただ現れただけで会場の全員の心を掴んじゃった……)
会場中の視線が集まる中、アレスはその視線も意に介さずゆっくりと歩き始める。
その一定なリズムに美しい足さばき、そしてその一切体幹のぶれない様子に一度アレスに集まった視線は彼に捕らわれたまま離れない。
(意図せず注目を浴びちまったが……まあ仕方ねえ。怪しまれないよう控えめに頑張るか)
会場中の視線を独占したことを一切視線をぶらすことなく気配で把握したアレスはそれから役に徹することを決める。
すでに晩餐会は始まっており、当然主催のノイアステル家の人間もその中にいる。
アレスは気を引き締め任務完遂を目指しメイドの仕事を始めるのであった。




