06:夜を走るバス、私の現象的トークンのありか〔3012,2011〕
予感と不安の中、最終目的地:シンセルドルフへ、バスは走る。
景色は少しずつ文明的な色どりを帯びていく。
吹雪の闇の向こうに、冬花は遠い昔の自分を幻視する。
不死の自覚を持った頃のことを。
◆1
おんぼろバスの揺れはひどいものだった。
とても、ひどいものだった。
道路状況が劣悪だったことに加え、サスペンションがすり切れているか壊れているかそもそも存在していないかで、その振動は嵐の大海原を航海する小舟の如しだった。
悪路をたどる旅暮らしには慣れているつもりだった。
しかし、二百年のブランクは私の神経をずいぶん細くしていたらしい。
サイルインを経って五時間後、バスを乗り換えた。
二台目のバスはサイルイン発のボンネットバスに比べればまだいくらかは文明的な代物だったものの、虐待され続けた私のお尻と背中と頸と神経とを回復させるには至らなかった。
車上で夜をひとつ超え、翌朝。
まだ朝陽も昇らぬ闇のうちに、私たちはある国境沿いの街に到着していた。
夜天がいちおう、この周辺の国家や都市について簡単に説明してくれたけれども、私はずっと視界が揺れていて、話が全然頭に入って来なかった。
夜天もそれを察してか、途中で説明を打ち切った。
しばらく休むといいと言って私の背を軽くさすったあと、ちょっと用を済ませてくる、荷物を頼むと言って、彼女はどこかへ消えた。
私はその言葉に甘えて、もうかれこれ一時間ほど、スーツケースの番をしつつベンチに深くもたれかかって身体を落ち着かせている。
おかげでずいぶんましにはなった、と思う。
本当は横になってしまいたかったけれども、ここからまだバスを乗り継がねばならないということは夜天に聞かされて覚えていたので、意識はちゃんと保っておきたかった。
それにちらほらとだけど、人の行き来もある――無防備をさらすわけにはいかない。
今、私がいるのは国境の街のバスターミナル、その待ち合い所だった。
しっかりしたコンクリート造のターミナルは一面が開けて道路に面しており、そこからバスが発着するロータリーへ出入りする構造となっている。乗降場はいくつかあるようだ。
建屋の中は、壁も床もコンクリートそのままで、柱や壁のヒビに埃が層となって溜まっているところを見ると、ずいぶん歴史ある建物のようだ。
外から吹き込む雪と、雪のついた靴で人が出入りするせいで、床はところどころ濡れている。外と変わらない湿ったにおいが漂っていた。
奥の方へ目を向けると、乗車の手続きをするのだと思われるカウンターが並んでいる。
その大半、というか見えるすべての窓口に鉄のシャッターが下ろされており、このターミナルが営業しているのかどうか疑問だったけれども、まだ早朝のせいなのかもしれない。
壁に掛かっている丸時計の針は、五時すぎを指している。
他には、色褪せた紙だらけの古びた掲示板、ゴミが溢れだしている鉄箱、天井からぶら下がるプラスチックの案内表示、空っぽの、あるいは廃棄物としてのラックなどが目に入ったものの、特に私の興味を引くものはなかった。
目の届かないほうへと通路が続いていて、上階もあるようだったけど、立ち上がって確かめにいくほど元気でもなかった。
時折、ぽつりぽつりと人の往来があった。
この時間でもバスの発着があるのか、荷物を持った乗客らしき人間が五人。
作業員や、ターミナルの関係者と思しき人間が十数人。
いずれも、私に興味を持つでもなく、右から左へ、あるいは左から右へ通り過ぎていくだけだった。
私は待合所の一番奥まったところにいるので、一瞥をくれることはあっても、わざわざ寄ってくるもの好きはいないようだった。
ここ十五分間に、三々五々、新たに人間たちが建物の奥からやってきて、待ち合いの椅子に座ったり、外の様子を窺ったりしはじめた。
もう少しでバスが出るのかもしれない。
私は人間たちの振る舞いを慎重に観察し、とりあえず危険になるようなことはなさそうだと判断した。
サイルインのストリートに比べれば、治安は良いところらしい。
女がひとりでいるだけで、それは何もしても文句は言わないということだというルールが支配する場所柄を私は嫌というほど知っている。ここは少なくとも、人々に良心があり、治安維持も機能している場所らしい。
夜天はいったいどこまで行ったのだろう。もう一時間も姿がない。
まさかここまで来て、私を置いてどこかへ行ってしまうということもないだろうけど――。
私は二の腕をまぶたに載せ、ふうと息を吐いた。
結局、私はまだ、夜天のことを信頼できていない。
完全には。
「待たせて悪い」
腕をどかすと、夜天が立っていた。
「出国手続きに時間をとられた。体調はどうだ?」
まあまあ、と、私はちょっと間をおいてから答えた。
夜天は苦笑ぎみに小首をかしげる。
「今度のバスはちゃんとしてる。最新型で、シートも柔らかい。道もいいから揺れもほとんどないだろう。二十八分後に出発だが……トウカが望むならここで一泊していくのも悪くない」
うん、と、私は今度もちょっと間を置いてから答えた。
固いベンチの上で背筋を伸ばす。
「……乗り換えはあと何回?」
「ゼロ。ここを出たら、シンセルドルフまで一直線だ」
「……なら、うん。頑張れると思う」
本当のところ、必要な乗り換え回数があと十回だろうが百回だろうが、目の前のバスに乗るしかないということは承知していた。
私たちの道は、結局のところ『彼』がいるシンセルドルフに通じているのであって、それ以外の目的地はなく、それ以外の道もない。
私の都合で到着を一日二日伸ばすことにさしたる意味がないことは、重々、承知の上だった。
「そうか」
夜天は私の返事にちょっと安堵したようになって、腕に抱えていたものを差し出した。
「近くで買ってきた。必要だろうと思ってな」
観光客向けの旅行用ガイドブックだった。
この地方の主要四言語に加え、ローカルな地域語がいくつか加えられたもの。
挨拶やお決まりの旅行フレーズ表に始まり、品詞、格変化、構文解説まで簡易的に掲載されている。
巻頭には折り畳みローカルマップがカラーで付属していた。
「……ありがとう。今、一番欲しかったものかも」
お世辞ではなかった。
私が自分のいる場所を感覚的に知るために必要なものだ。
「僕は経験主義だが、トウカは知識から入ってくのが好きだからな。それと……」
まだ渡すものがあるようだった。
「現金もちょっと渡しとく。まとまった資金はシンセルドルフで調達するが、必要なものがあったら遠慮なく買ってくれ」
無造作に差し出されたのは紙束のようなものは、紙ではなく、薄いプラスチックのような質感で、百枚くらいはあった。
表面に蛍光色に近いライムグリーンの色がついていて、ついていない部分は向こう側が透けている。表面に大きく書かれている数字は金額のようだ。有り難いことにアラビア数字は、千年経っても現役らしい。
一枚当たりの価値がどれほどなのかは今の私には見当がつかないけれど、枚数からするに、けっこうなお金のように思われた。
剥き出しで持ち歩くのは危険かもしれないと思っていると、用意のいいことに夜天は札入れも買ってきてくれていた。
さらに、肩掛けのポシェットまで。ガイドブックが十分に収まる大きさだ。
「残念ながらここの売店にはそんなのしかなかった。ちゃんとしたのはシンセルドルフで買おう」
「ううん、十分だよ」
私の目には札入れもポシェットも全然ちゃんとしているように見えたので、何の不満もなかった。
大体、自分で代価を払ったわけでもないのに文句があるはずもない。ただでさえ服も靴も夜天のものを借りている状態なのに(ちなみに、まだノーブラだ)。
「それと……」
肩ひもをたすき掛けにして長さの加減を確かめている私に、夜天がさらに小さなプラスチックケースを差し出してきた。
「とんでもない安物だが、ま、ないよりはましだろ」
腕時計だった。
アナログの文字盤に、数字が十二個。
人類がまだ十二進法で時間を数えていることに、何だかちょっと安心する。
「機械式……」
ケースにそう書いてあるのが読めた。
「ああ。水晶式はしばらく見かけてないな」
「まだ信頼されてないってこと?」
さもありなん、と夜天は肩をすくめた。
私は腕時計をケースから取り出し、しげしげと眺めた。
この時計だけではない。
ターミナルの壁に掛かっているあのいかにも古そうで安そうな丸時計も、針の動きからするに機械式で間違いない。
電気的な力が人類からあまり信頼されていないのは、ここ五百年以上、変わっていないようだ。
天井の照明は見たところ電気で駆動されているようだけど、あれは「壊れてもすぐには困らないし、交換できる」ものだからに過ぎない。
壊れてしまえばすぐ意義を失う製品に電気が使われることは、極力避けられている。
使えないわけではないが、信頼されていないのだ。
機械式時計の普及は、ここ五世紀の人類の文明の姿を象徴していると言えるだろう。
「……ちゃんとしたのはシンセルドルフで買ってやる」
あまりにも感慨深げに時計を見ている私を見てか、夜天が申し開きのように言い募った。
私は首を振り、腕時計のベルトを手首に回した。
しっとりした革の感触。
「私には十分だよ。ちゃんとしてる」
ベルトの具合を確かめ、指先でつねるようにリューズを持って回す。
ギイギイ、ギイギイ、ゼンマイが巻かれる固い手ごたえ。
ひとまず、壁の丸時計を見て時刻を合わせた。
五時十三分。
秒針が、頂点からゆっくりと右回りにスイープし始める。
時が刻み始めた、というよりは、時が流れ始めた、という表現を当てはめるのがしっくりくる滑らかさ。
幽霊山脈からここまで、遠くまで来た。
ここからはこの時計が、私を動かし、私を意味づけ、私を運んでいくことだろう。
その先に何があるのかまでは、まだわからないけれど。
しばらくは、この時間と一緒だ。
「最後に、これ」
私は立ち上がり、差し出された紙片を受け取った。
バスの乗車チケット。
目的地の印字は、こう綴られていた。
≪-- Seinscerdorf, The Crown of Dyoelle --≫
◆2
吹雪はまだ止む気配がなく、夜はまだ暗い。
ターミナル建屋の外はかなり見通しが悪かったものの、舞い散る雪の向こうに柔らかなオレンジの光が浮かび、それぞれの光がいくつかある乗車場の場所をさながら灯台のように示していた。
あれは電気の明かりではないようだと私は思った。
消えてしまっては困る光だからだ。
出発二十分前、私たちが乗るバスはもう乗り場に到着していた。
箱型で長細い車体はどこにも傷や凹みがなく、真っ白な塗装がいかにも新しく輝き、角ばったフォルムもどこか頑丈そうで頼もしく見えた。
サイルインから乗ったおんぼろボンネットバスと比べると、いきなり百年ほど時代を飛び超えたかのような隔世の感を覚える。
最新型、と夜天は言っていたっけ。
その言葉に間違いはないようだった。技術レベルにそうとうな差がある。
車体構造だけではなく、原動機や駆動系からして異なるようだった。
これはどうやら、化石燃料を使っておらず、そもそも内燃機関ではない――。
「トウカ? 乗るよ?」
バスの内部機構にちょっとばかり興味を惹かれていたのだけれど、夜天に促され乗車手続きをした。
国境をいくつか超えていくバスだからか、私たちの他に数人待っていた乗客たちはそれなりに荷物を持っており、荷物の管理と合わせて、乗車前にチケット以外にもいくらかの書類手続きが必要な様子だった。
私の手続きは夜天が代表してすべてやってくれたので、私はチケットを車掌に見せるだけで良かった。
幸い、この頃には文明酔いはかなり軽快していた。
他人の存在よりも、おんぼろバスに痛めつけられたお尻と背中のほうが気になるくらい。
出発十分前、乗車。
染みも破れもない布張りのシートが二列ずつ分かれて私を出迎えた。
除菌剤の匂いが漂い、天井からは白い光が降り注ぐ。
今日納車したばかりだと言われても納得できそうな綺麗な内装だった。管理と清掃が行き届いている。
喉に入れる空気に違和感があると思ったら、暖房が効いている。
ぼんやりと暖かい膜に身体を包まれる感覚に私は戸惑う。
ずっと薄くて冷えた空気に慣れていたせいで、温められた風は、最初は窒息するのではないかと思うほどの粘度があるように感じられた。
文明に身体を慣らしていなかったなら、この場で卒倒していた自信があった。
幽霊山脈からサイルイン、そしてここまでの道のりはちょうど、原始時代から古代と中世を経て、近現代へと至る道のりのようだと思った。
私の座席はA7で、夜天はA6。
少しでも景色が見たいだろうと、夜天は窓際の席を譲ってくれた。
私は喜んで譲られた。
シートにお尻を乗せると、沈み込むかのように柔らかで、腰を浮かしかけるほどだった。
「本当に最新型なんだ」
感嘆して言うと、隣のシートの夜天はそうだろうとなぜか得意げにうなずいた。
「王国の運行だ。世界一と言っても間違いじゃない」
「……さっきから気になってたんだけど、もしかしてこのバスの動力って」
「ああ。V.V.式」
私は、表情にこそ出さなかったけれど、心の中で感嘆した。
「……青色の原子力機関。そっか、商用化してるんだ。バスに載せられるくらい、小型化できているなんて……」
V.V.機関――常温原子力理論は、二百年前の時点で基礎自体は完成していた。
しかしその当時のプロトタイプは大きなビルくらいの大掛かりな機械装置が必要で、コスト的にも民間利用は困難だと考えられていた。
あくまでも私の、二百年前時点の知識では、ということだけれども。
「都市部じゃ一般家庭にも普及が進んでるくらいだ」
「そっか。進歩しているんだね」
言葉に驚きを込めて言うと、夜天は、ちょっとはにかむような顔になった。
私の知る限り、V.V.機関は全くと言ってよいほど汚染物質を出さず、人体には無害であり、それでいて半永久的に安定したエネルギーを取り出すことができる、人類が夢見た理想的なエネルギー機関だ。
V.V.機関のふたつのVは、ある物質の放射化現象を発見したヴィルジニアと、それを用いた常温原子力理論を完成させたワーグ、ふたりの科学者の名前に因んでいる。
ヴィルジニアとワーグ。
これらは共に、夜天が当時使っていた名前である。
当時私もちょっとばかり研究と開発に力を貸したけれども、あくまでも手伝い程度。
断言してもいい。人類が夢見たこのクリーンな半永久エネルギー機関は、私のすぐ隣にいるたったひとりの天才が、ほぼゼロから生み出したものだ。
「今もまだ、研究を?」
「いや。気まぐれに思いつきのアイディアを送ることはあるが、基本は彼ら自身の成長に任せてる」
「そうなんだ」
しかしその言い方だと、この二百年のあいだに常温原子力機関の小型化技術にも少なからず関わっていそうだった。
夜天が生者の世界とどんなふうに関わっているのか、もっと突っ込んで聞きたい気持ちはあったのだけれど、他の乗客もいる都合上、これ以上は控えたほうが良さそうだった。
ヴィルジニアとワーグが実は同一人物で、しかも不死者であり、まだ未成年の黒髪の少女であることは、誰も知らない。
たぶん、私くらいしか。
V.V.機関に限らない。
目の前にいるのは、人類世界に幾度も変革をもたらしてきた、けっこうすごい女なのである。
夜天がいなければ、今頃人類は日々の飢えを凌ぐので精いっぱいだったかもしれないし、走行可能なバスなんてもの、世界に一台も存在していなかったかもしれない。
その事実も、たぶん私くらいしか知らない。
誰にも知られてはならないことなのだ。
「さて。到着まで僕は寝て過ごすつもりだが、トウカはどうする?」
「ん……。私はさっきのガイドブックをめくっていようかな」
「ああ、好きに過ごしたらいい。毛布、いるか」
座席の下に備えられている備品のブランケットをふたりぶん引っぱり出しながら、夜天は読書灯のスイッチや暖房の調節ダイヤルの位置と使い方について教えてくれた。
お礼を言って膝に毛布をかけ、改めてシートに身体を預けなおす。
これならお尻と背中は文句を言わなそうだ、と思って力を抜く。
本当に恐ろしいほどの柔らかさだ。中が水だと言われても納得しそう。
出発のアナウンスらしき放送(相変わらず、言葉はわからない)が車内に響き、ややあって、バスは動き始める。
注意していなければわからないほどの、滑らかな始動と加速。
振動はまったくなく、座席の下にあるであろうエンジンと機関装置の駆動音は暖房の送風音よりも数段小さかった。
他の乗客たちの小さな話し声、荷物整理の音、衣擦れの音がしばらくは聞こえていたけれど、天井のメインランプが落とされ、明かりが通路の標識灯だけになると、だんだんとフェードアウトしていった
高緯度地帯のため、日の出まであと三時間以上ある。
最終目的地であるシンセルドルフまでは、途中何度か休憩を挟みながら二十四時間以上かかる長距離行程だから、ほとんどの乗客は眠ったように過ごすのだろう。
静まり返る薄闇の中で、私はまだしばらく感覚を研ぎ澄ませていた。
V.V.エンジンの、静かで強健なトルクを感じた。
夜天がこの世界に生み出した、偉大なるものの力を。
ブレーキが踏まれても、カーブに差し掛かって、そのあと直線に戻っても、加減速と遠心力の慣性をほとんど感じないところをみると、出力のバランシングなども完璧に理論化され実用に至っているのだろう。
暖房の熱は、核子の崩壊熱を利用しているのだろうか。
二百年間も僻地に引き篭もっていた私とは違う。
夜天を今もまだ人類の――生者の世界に関わり続け、その天才性を惜しみなく彼らのために使っている。
ただし、その報奨を一切与ることなく。
(いったいなぜ?)
夜天はまだ諦めていないのだろうか。
生者たちと同じ時を歩むことを。
「…………」
ちらりと横を見ると、彼女は鼻までブランケットをかぶり、目を閉じていた。
不死者に眠りはないけれど、眠ったような状態になることはできる――そういう状態だった。
私は車内の静寂を乱さないよう、そっとポシェットから旅行用ガイドブックを取り出した。
手すり部分に収納されているミニテーブルを展開し、その上で本を広げる。
頭上の読書灯のスイッチをオンにすると、白く縁どられた明るい円形が手元にクッキリと浮かび上がった。
正視できないほど眩しかったけれど、スイッチの横にあるノブが輝度調整用であることに気づき、目が慣れるまで明るさを下げた。
そうしてもなお、まるで世界に空間がそこだけしかないかのような、どこか特権的な神秘性を帯びた円形が指先を縁どった。
私はその神聖性に配慮し、そっとページをめくった。
国家ごとに四色で色分けされたユーラシア大陸の地図がまず現れる。
私は慎重に指先を動かし、幽霊山脈――と私が呼んでいた際涯の山脈――から、旧炭鉱街サイルイン、それからこのバスの出発地までを、小さな縮尺の中でなぞってみた。
そうしたところで、ここまでの歩みが、何か特別な感慨に変換されるわけではなかった。
それはただの距離であり、距離のために消費した時間の過程に過ぎない。
しかしここからの距離と、距離のために消費する時間に意味を生じさせるためには、ここまでの成り行きを、少なくとも私の感覚が納得可能な範囲内において、数量化しなければならない。
スタートがなければ、ゴールもないからだ。
ゴールまでの刻み目も作れないからだ。
この本が、その試みをある程度まで可能にしてくれるはずだった。
夜天は本当に私のことをよく知っている。
夜天は目の前の状況に飛び込んで行って、そこに自分という存在を出現させることができる。未知の言語、未知の文化、未知の風土に、直接触れて、体験的に馴染むことができる。本人が言った通りの経験主義だ。
私は、それとは逆に、できるだけ準備をしたほうが馴染みがいい。
水泳をする前に、水泳の教本を読んでおくほうが、いきなり水に入るよりもいくぶんかは上手くいくという感じ。
感覚に落とし込むための理性的基礎がなければ、それは感覚によっては理解されず、それは結局どうやっても理解できないというのが、私の在り方。
良く言えば理性主義で、悪く言えば不器用。
そういう自分も、結局、千年経っても変えられなかった。
「今ここにある世界」に自分が確かに存在しているという実感を得る方法は、だから、こんなふうに、今ある世界の言葉や色を辿っていく以外にない。
時間はかかるけれども、私の場合はこれが一番の近道だった。
地図に引かれた国境線は、私が知っている頃とは色々ずれていた。
知らない国の名があり、知らない街の名前、地域名があり、それと同じくらい、なくなっている名前も多い。
地形も同様だ。なくなった湖。削られた海岸。海没した都市。氾濫した河。拡大する砂漠。新しく生まれた島。
二百年という歳月の変化にさらされた「今ここにある世界」を、私は地図の上に、できるだけの解像度で描き出そうとする。
今自分がどこにいて、どこへ向かっているのか。
距離と時間、それから私。
二等辺三角形の余弦定理みたいに、解を求める。
こんなふうに、私はいつも探し続けてきたという気がする――自分が今、この世界のどこにいるのかという情報と、その実感を。
それこそ、不死者になるよりも前から。
それが永遠に見つからないかもしれないという不安を、ずっと抱きながら。
わずかに開いたカーテンの向こう側は、白く揺れる夜。
音も振動もなく、闇を走っていくバス、その座席のひとつで、光にくるまれた世界の模様や言葉や区別をなぞっているうち、いつしか私は、美しくも儚い記憶の世界へと迷い込んでいた。
私が否応なく世界全体との対話を始めざるを得なくなった、その原点。
世界に「不死者」と呼ばれる少女たちが現れ始めた頃のこと。
◆3
「死なない女の子たち」が世界に現れ始めたのは、二十一世紀初頭、西暦にして二〇一〇年頃のことだった。
それが正確に「いつ」のことなのか、明言することは難しい。
当の少女たちでさえ自分たちがいつ、どのようなきっかけで不死と「なった」のか、まったく自覚がなく、見てすぐわかるような変異や症状が生じるわけでもなかったからだ。
不死者の性質を一言で言い表せば文字通り「死なない」ということに尽きるけれど、日々の生活で「自分が死なないこと」を確かめながら生きている人間なんて、いるわけがない。
だから気づくとしたら例えば、怪我をしてもやけに治りが早くて痛みを感じにくいとか、あまり寝ておらずほとんど食べてもいないのに心身に何ら問題を生じないとか、成長期なのに身体がまったく成長していないようだとか、そういう、ちょっと違和感の積み重ねによってだ。
ただ、日常的に大きな怪我をするような活動をしている人とか、日々断食しながら生きている人もやっぱり少ないはずだし、成長期の身体の変化なんて、もともと個人差が大きすぎる。
だから最初のきっかけとしては、何だか眠れない、という自覚症状を訴える該当者が多かったらしい。
眠れなくて日中も眠いとか、活力が湧かないとか、そういう人はいつの世でも病院に溢れているけれど、不死者の場合はそういう困り方はしない。
ただ、このところずっと眠っていないのに日常の活動に何ら支障が出ないのが不気味で不安だ、という、斬新な困り方をする。
そのぶん、医療機関の受診は遅れることになる。
病院も病院で、受診者からそんな主訴を提出されても、該当する病気は存在しないし、本当は眠っているんじゃないですか、起きているように感じられても脳も身体もちゃんと休まっているんですよ、そもそも、活動に支障がなくて困っていないならいいんじゃないですか、不安なら軽い眠剤や安定剤くらいは処方しますが……と答えるほかない。
そういうわけで、病気としての発覚も遅れる。
そもそも、ちょっとばかり身体に異常を感ずるからといって、誰もが気軽に病院に足を向けるわけでもなく。
だから最初は、その存在は、都市伝説や、街の噂話や、インターネット上のゴシップ話に過ぎなかった。
「死なない女の子」が、世界各地で生まれ始めているらしい、と。
当初は誰も信じていなかったと思う。
ただ、凡庸な作り話として、一部の人々の空談になったかどうか。
しかし、時間の経過に従い、そういう「症状」を呈する少女たちが本当にいるという信頼できる報告が世界中でぽつぽつと挙がるようになり、ついには国家や国際機構によって事実として認定されるようになる。
それが二〇一〇年の、夏の終わりごろのことだった。
◇
当初、そうした症状を持つ者たちは何らかの「病気」だと考えられた。
そう捉えることが、「未知の何か」を受け入れるにあたって最適な方法であると、世界は考えたというべきだろう。
二〇一〇年九月に世界保健機構が取りまとめた第一次報告によれば、その「病気」の症例報告は六十例に満たず、とても稀だった。
その時点で、発症者は全員が女性であり、年齢は十一歳から十七歳までの若年者に限られるという特異な共通項が見出されていた。(これは最終的に、十歳から十九歳までと範囲が拡大される)
地理的な偏りはなし。
東西南北、すべての大陸の端から端まで、発展途上国から先進国、人種や遺伝的要素に関係なく、ランダムに発症者が分布。
唯一といえる大きな特徴は第二次性徴期にある少女しか発症しないこと――。
それ以外にはほとんど共通要素が見いだせない、奇妙な病。
以下、著明な症状。
感覚異常と環境遮断――暑さ寒さをはじめとした五感、痛み、疲労、空腹といった感覚を、感じること自体は可能だが、「遠くのほうへ何となく、念じるようにして」投射できるようになっている。
驚異的な賦活能力――怪我をしても、通常考えられない速度で治癒する。
不眠――眠らなくても、本人が起きていようと思う限り、無休息で高強度・高精度の作業活動を問題なく続けられる。
食事の不要化――食べることはできるが、水分や栄養の補給をひと月以上行わなくとも生命維持や身体機能に何ら問題を及ぼさない。
原因――不明。
病原菌、ウイルス、遺伝性疾患、染色体変異――さまざまな仮説が立てられ、実験と検証が繰り返されたものの原因は不明であり、その「症状」は、観察が積み重ねられるにつれ、二十一世紀の科学では到底説明がつかないものばかりだということが明らかになっていった。
初期の所見では、生命維持に必要なはずの食事や睡眠が不要となるなどの代謝的な異常が目立っていたため、「特発性特異的代謝性疾患」という病名が冠された。
それは何もわからないものにとりあえず固有のラベルを貼っただけに過ぎなかった。
「特発性」とは要するに原因がわかりませんという意味で、原因が解明されたら外されることになっていたわけだけれど、この接頭辞はどうやらずっと外れそうもないという予感を、俗世間の人々はもちろん、研究者でさえも早い段階で抱いていたのではないかと思う。
◇
彼女たちは病気なのだろうか、と、ある研究者が声を上げた。
彼女たちは、感覚をなくしたわけでも、食べられないわけでも、眠れないわけでもない。そのすべてを常人と同じようにできる。
ただ、それらをしないことができるようになっただけであって、何ら本人の活動を阻害する要因となったり、苦痛の源となったりするものではない。
病気とは、肉体や精神にとって悪影響をもたらすものの総称を言う。
その定義に照らせば、つまり彼女たちは病気ではない。
疾患ではなく、ましてや障害でもない。
むしろ彼女たちは、「利得」を得ているとさえ言える。
食べなくてよい、眠らなくてもよい、不愉快な感覚を遮断できる、傷つかない、老化しない――そうした性質を、我々の常識において、「恩恵」と呼ぶのではないかと。
もしそうであれば、そうした特殊な恩恵を授かった彼女たちのことを何と呼ぶべきか?
「新人類」とその研究者は提案した。
多分、センセーショナルなことを言って注目を浴びることが好きな人だったんだと思う。
しかし、ネーミングはともかくその意見内容に賛成する人は多かった。
科学は、人類が獲得した力の中で、未知を解明するために最も高い客観性を持つ方法論であり、医学は、その中でも数千年の歴史の中で人体の在り様に対してもっとも進歩的で豊富な実地的成績を持つ学問だった。
その医学が、彼女たちの「病気」について全く説明をつけられないとなると、それはもう医学でどう治療するかという範疇に収まる話ではなく、まったく別の――科学的ではない別の視点による説明が必要になるのではないか。
それもまた道理だった。
しかしながら、病気として説明がつかないなら「新人類」、というのはちょっとやりすぎだ。
説明ができないことについて「新しいものなので説明できない」と説明するようなものだ。
そう当時の私は思ったのだけれども、不思議なことに、「説明できない」とか「わからない」と結論付けられるより、これは何しろ新しいものなので……と言い訳されつつ、とにかくこういう名前で呼ばれています、と新し目のラベルだけでも示されたほうが、人間は納得するものらしい。
その言説はすぐに広がっていき、二〇一一年の半ばには、「特発性なんちゃら」などと表現するのはむしろ旧態依然としている、という認識が、アカデミックな業界の中でさえ多数派となっていった。
「不死者」という言葉を始めて使ったのは、日本のとある全国紙だった。
オリジナルではない。単に英語圏でよく使われるようになっていた"Immortals"(不死のもの)の訳語としてだった。
では誰が(どの権威が)"Immortals"を最初に公的に使いだしたかというと、その言葉が流通している頃には諸説あって、辿ることがもう難しかった(起源主張する人は二百人くらいいた)。
新人類の他に、ゾンビガールズとか、天使とか、悪魔とか、魔女とか、妖精とか、吸血鬼とか――世間ではバラエティ豊かでファンタジーな呼び方が多数存在していたけれど、収斂進化なのか何なのか、いつしか名称については「不死者」で定着していた。
血を吸うわけでもないのに勝手に吸血鬼とかにされなくて、本当に良かったと思う。
ただ、新しいものに新しい観点から新しい名前をつけることは、もちろん、説明の終わりではない。
むしろ、それが始まりだった。
◇
彼女たち「不死者」が、もし単なる「病気の人間」ではないのだとすれば、我々は彼女たちをどう捉え、どう扱うべきなのか。
近代以降、人類は科学を一種の神として信仰し、科学的な世界こそ進歩的な世界だという信念のもとに自分たちの社会と精神を科学的に発展させてきた。
科学は言説に対する反論可能性を常に認めている。
科学的なあらゆる真理は、今現在の段階において正しいと考えられているが、今後もそうとは限らないという態度を貫く、疑似真理≒仮説でしかない。
絶対性を信奉するのではなく、絶対に見えるものも積極的に疑い、検証し、それでも常に疑い続けることを、近代以降の人類は人類自身に課してきた。
それは自分自身という存在についてもそうだし、愛や、奇跡や、命についても同じ。
科学の発展と人類の進歩は目覚ましいもので、科学で説明がつかないものはオカルトとされた。
オカルト(Occult)の元々の意味は、「隠されたもの」。目で見たり、触って確かめられないもののことを中性的に表すに過ぎない。
しかしその言葉に「なんだか胡散臭いもの」「常識的でないもの」「ありえないもの」といった副次的意味が付与され、むしろその副次的意味こそが浮き彫りになるのは、科学的世界においては必然といえた。
隠されたものがあることは大いに認めるが、科学は世界のほぼすべての領域(精神的なものも含む)を明白な光のもとにさらしたのだから、今隠されているものにもやがて光を届けさせるであろう。
それが、二十一世紀という「現代」の在り方だった。
しかし、その科学で説明のつけられない存在が出てきてしまったら、何を根拠に自分たちの社会を、ひいては個々人が見ている世界を、現代という時代の姿を見つめ直せば良いのだろうか?
第一次報告では約六十名だった「不死者」は、第二次報告では百九十名、第三次報告では四百七十名に達した。
七十億という当時の世界人口に比べれば、ごくわすかな数だった。
しかし、「隠されたもの」ではなかった。
彼女たちと、彼女たちの非科学的な症状は、現実に確かに存在した。
相変わらず、若い女性が突発的に「なる」らしいということがわかっているだけで、その原因もメカニズムも一切不明のままであり、ただ自然発生的に増え続けると考えられた。
言うまでもないことだけれども、普通の人間は皆必ず死ぬ運命にあって、それを前提として人間社会は構成されている。永遠に生き続ける人間なんてものはあらゆる意味で想定されていない――少なくとも科学的には。
極論だけれども、例えば、個人に財産の所有が認められているのも、いずれはその個人がこの世を去って、その財産が何らかの形で残っている人々に還元されるという仕組みが存在するからである。
どんな独裁者も、どんな英雄も、どんな天才も、いずれは老いて死ぬ。
人間が死ぬ以上、社会の支配構造や、社会システムや、知識・技術や、価値観や、常識などなど、あらゆるものの「入れ替え」と「更新」が必然として起こる。
あらゆる階層で血の入れ替えが起こる、それにより、集団は常にフレッシュな状態に保たれ、新しい何かが見いだされ、それを受け入れる柔軟性を有することで適応し、古びていくものとの交換が発生する。それがあらゆる等級で発生する。
それが社会である、と定義できるし、それに属し、入れ替えと更新の原理原則に参加するもののことを人間を言う、と定義しても構わないと私は思う。
しかし不死者は死なない。
入れ替えや更新といったことがほぼ起こらない。
もしも残忍な不死者が独裁者となったらどうなるだろう?
暗殺もできず、老化もせず自然死もしないとなれば、その体制は石のように堅固なものとなることが予想される。
単純にこのまま不死者が増え続ければ、世界は不死者で溢れ、不死者たちは独自の、不変の社会を築いていくかもしれない。
その時、不死でない者たちがどうなるのかは、もはや予想がつかない。
楽観視している人もいれば、自分には関係ない、なぜならそれが問題になる頃には自分は死んでいるから、と無関心を決め込む人も大勢いた。
しかし全体で言えば、人類は漠然とした不安に襲われ、静かに揺れ始めていた。
その不安を埋めようとするかのように、宗教や、神秘主義や、超進歩主義や、渦巻くさまざまな陰謀が、「隠されたもの」として日陰に追いやられていた勢力が、少しずつではあるものの、科学の領地を削り取り、新たなる世界の論理を語るために台頭してきた。
ある宗教国では、自国の貧民街で十二歳の少女が成長を止めたことを「神からの召命」と呼び、彼女が「神の使徒」であるとして列聖し、教会の最高位に置いた。最初期に確認された不死者のひとりである彼女は、その後数世紀にわたり使徒であり続けた。
ある民主主義国家では、十八歳の少女を「英雄」と呼び、不死身の兵士として戦場へ送った。彼女はプロパガンダに利用され、ポスターやテレビの中で銃または旗を掲げる姿をよく見かけた。現在は行方不明となっている。
ある厳格な宗教地域では身内が企てた心中によって明らかな致命傷を負いながら何事もなく蘇生し回復した少女を「神の教えに背いた者」として迫害した。それが、その後一世紀続く血みどろの部族間紛争のはじまりとなった。
ある神秘主義者たちは、不死の国家を建国し不死者を永遠の神として崇めその恩恵にあずかろうと、少女たちに結集を呼びかけた。ある森林地帯を国土として不法に占拠し、規模を拡大していった。不死者が少なくとも二名、その森にはいたとされる。
ある独裁国家では、不死者の少女を捕らえ、監禁し、どこにも報告せず、不死の秘密を探るために非人道的で凄惨な人体実験と解剖を百年以上にわたって続けていた、と、される。
公的に報告されないだけで、世界中で、誰にも知られないところで同じような目に遭っていた少女たちがいただろう――私はそう思う。
WHOならびに国際機関はやがて、彼女たちを「治療すべき対象」として国際社会を統制する力を失い、また彼女たちが何者なのかを定義する力も失った。
第四次報告以降は、罹病者数の調査と発表も行われなくなった。
だから、彼女たちが「何者であるか」という認識とその処遇は、事実上、その地の権力に委ねられることとなった。
多くの場合、まだ若く、未熟で、場合によっては初等学校すら卒業していない少女たちは、自分が望むと望まざるとに関わらず、良い意味でも悪い意味でも、他の人間と同等の権利を返上することを余儀なくされた。
彼女たちはまるで、世界に留められたまま、決して取れることのない釦だった。
どんなに引っ張られても取れることのない鋼鉄の留め具は、それ自体は動かないのに、その周辺を、流動性に満ちた人間社会の衣服をひどく痛めた。
世界地図は彼女たちを原因として何度も洗濯され、そのたびに、彼女たちを中心として綻び、解れ、破れ、取り繕われては、また破かれる結果となった。
彼女たちの登場に呼応するかのように、世界中で大きな災害や疫病が相次ぎ、二十一世紀の始まり頃というのは、だから、全体に妙に暗くて冷たくて恐ろしい、嫌な寒気を覚える時世だったことを覚えている。
ここまで使ってきた「彼女たち」や「少女たち」という言葉は、すべて、「私たち」に訂正しなければならない。
◆4
夜を走るバスはその後二度、停留所に停まり、薄闇の中で乗客を新たに何人か乗せたあと、安定した高速巡行に入った。
地図と照らし合わせると、大きなハイウェイに乗ったようだった。
相変わらずエンジンの振動はないに等しかったが、タイヤが路面を噛んで回るその振動と音が、一定の周期をもって私の感覚を包んでいた。
朝になり、昼になって、また夜に近づく。
昼間のあいだは車内のメインライトが点灯したけれど、外が吹雪で暗いせいか、バスの中はどこかけだるい雰囲気で満たされていて、他の乗客たちの軽食や身じろぎや書き物の気配が時々伝わっている他は、ほとんどずっと真夜中のようだった。
車窓の景色もほとんど変わらなかった。
曇るガラスに映る他の車両のヘッドライトやテールライトが、あたかも動かない星々のように、先にもいかず、遅れもせず、凍った空気の中で滲みながら、長いあいだ隣に浮いているのを見た。
そのため、すべてのものが凍った夜に留め置かれたまま、動いていないかのような錯覚に陥った。
自動運転のようだと私は思った。進むべき道があらかじめ定まっていて、闇の中でも迷わず、ブレーキも踏まず、周囲の車や道路状況と同期して、ただそうあるべきとしてそこにあるという感じ。
世界全体が渾然一体となって、漠然と同じ方向に進んでいるという錯覚に陥る。
三十一世紀の流れる夜。
二十一世紀の世界に留められていた鋼鉄の釦は、もうどこにも留まっていないのではないかと思われた。
旅行用ガイドブックを端から端までめくっても、不死者の字はどこにも出てこない。
ガイドブックに載るような存在ではないというだけかもしれないし、たまたまこの本には載っていないだけかもしれない。
けれど私は、一時は五百人近く公的に確認が取れていた不死者たちが、もう夜天と私以外存在していないのではないかと、そんな気がしてならなかった。
不死の性質から考えて、そんなことはありえないはずだけれども。
◇
出発から十七時間。
午前零時。
国境を四つ跨ぎ、ここまで二千キロを走ったバスは、数度目の休憩のため、ハイウェイ上のパーキングエリアに到着していた。
停車してすぐあと、隣で眠っている夜天の肩を、私はそっと叩いた。
彼女はすぐにぱちりと目を開いた。
「どうした?」
「ちょっと外の空気が吸いたくて」
お互いひそひそ声。眠っている乗客が多いから。
「ついてこうか?」
「ひとりで大丈夫」
立ち上がり、夜天の足をまたぐようにして通路へ出る。
コートの裾を夜天の指につままれた。
「ついでに、コーヒーがあったら頼む」
「ブラック?」
「ああ」
「わかった」
外へ出ると、びゅうと音を立てて冷たい風が吹き付けてきた。
誰かが夜の頂点でベーキングパウダーをふるいにかける作業をずっと続けているみたいに、果てしなく白い粉が落ちてくる。空気よりも多いのではないかと錯覚するくらいだ。
風もあるせいで、何枚もの薄紙がめくりかえされるみたいに空間がバタバタはためいて見える。
ただっ広い駐車場には、トイレと、申し訳程度の建屋と、ずらりと並んで光を放つ自動販売機しかない。
車を停めてトイレに行くだけの場所、という感じ。有人の店は夜間の営業していないようで、小さな建屋もシャッターが降ろされている。
時間帯に加え天候が悪いせいもあってか、人の姿はほとんど見えない。バスから出てきたのも私だけ。
ぽつぽつと停まっている他の乗用車が、各々寒さに耐えて丸くなっている動物のように見えた。もっと身を寄せ合えばいいのにと、そう思うくらいみんな離れ離れ。
サイルインから約千二キロ南下してきてもまだ寒帯を抜けておらず、風は身を切るかのように冷たい。
けれど、今の私には心地よい冷たさだった。
バスの中のあの熱された空気。単に暖かいだけなら良いのだけれど、狭い車内で拡散することもなく緩慢に行き来するだけというのが、正直慣れない。
もちろん浄化フィルターなどを通して一定の循環はしているのだろうけど、自然の空気の流れとは比較にならない。
私は皮膚にまとわりついた熱を風に奪い取ってもらうイメージをし、深呼吸をして肺の中を清めた。
そうするといくぶんか気分がましになった。
片腕で雪を遮りながら、並び立つ自販機の明かりの元まで歩いていく。
申し訳程度に張り出した屋根の下に入ると、風雪の影響はいくらか和らいだ。
機械たちがめいめいに光を放っている。
ガラスらしき板の向こうに様々な飲料物がディスプレイされている。文字はまだ半分くらいしか読めなかったけど、視覚に訴えてくるラベルデザインは時代や場所が違ってもほとんど変わらないので、中身を想像することは難しくなかった。
紙幣の挿入口らしき穴を見つけ、夜天から渡されたプラスチック質のお金を呑み込ませる。
買いたい飲み物と対応したボタンを押しこむと、筐体の中でメカニカルな音が聞こえ、取り出し口にボトルがごとんと落ちてきた。
お釣りの紙幣が数枚と、硬貨がガチャガチャと吐き出されてくる。
取引終了。二百年ぶりの「おかいもの」は無事に完遂できたようだ。
取り出し口から暖かいミルクティーのボトルを取り出し、お釣りの紙幣と硬貨の額面をチェックしてみて、私はこの時代の物価について、おおよその計算をした。
どう見当をつけても、夜天がけっこうなお金を私に渡したことは間違いなかった。
この自販機の飲料ボトルなら五、六万本ほど買える計算になる。
まあ夜天にとっては、はした金なのだろうけど。
もうしばらくあの生ぬるいバスの中には戻りたくない気分で、ここで少し飲んでいくことにする。休憩時間は二十分あるし。
ボトルキャップは私の知らない構造で、ちょっとばかり開けるのに苦労したが、何とか成功。
自動販売機に背中を預け、ホットミルクティーを味わう。
砂糖が多すぎるせいか、紅茶の風味はほとんど感じられなかったけれども、甘ったるい熱は私をいくらか落ち着いた気持ちにさせた。敢えて名付けるならば、文明の味、だろうか。
ティムのおばあちゃんのパイで舌や喉を慣らしていなければ、味わうどころではなかっただろう。
息を吐くと、面白いほどに白い靄が広がった。
その靄が拡散しきっても、ここからでは、自分が乗ってきたバスの輪郭さえまったく見えない。二十メートルもない距離のはずだけど。
販売機の明かりが届くところまでしか、世界がなくなってしまったかのよう。この雪の中だと、私以外に飲み物を買いにくる人もいないらしく、私は急に孤独を覚えた。
寂しくはない。
どこか心地よくすらある孤独だった。
孤独というものに初めて心地よさを感じたのは、何歳の頃だったか。
ついばむようにミルクティーに口をつけつつ、漠然と考える。
大きな柱時計のそばで、夜通し両親の帰りを待っていた頃は、まだ、それを感じていたような気がする。
寂寥感というか。
自分はどこかに取り残されている、という感じを。
今感じているのは、それとは少し違う。
自分は取り残されるべくして取り残されてしまった、という、必然的過去完了形。
誰も自分を待たない、迎えにも来ない、でもそれでいい、自分にはそれしかとり得る心構えがないのだ――という、冷ややかな諦観。
この孤独は、もう癖になってしまった。
不意に、突風が足元の雪を吹き上げ、私はぎゅっと目をつぶった。
一瞬、すべての音が遠ざかり、一瞬、私は本当の意味で孤独になった気がした。
(――何を見てるんだ?)
聞きなれた友人の声が、虚空へ漂い出しかけた私の心を、古き時代へと誘った。
目を開いた時、そこには懐かしい景色が広がっていた。
◇
二〇一一年、一月五日。
朝。
年末から間断なく降り続いた雪が、北校舎三階の窓から見える景色を真っ白に染めていた。
光る青みたいな雪の陰影、その不連続な脈列がとても綺麗で、私は力をこめて固い窓枠をガタガタ言わせて開け放っていた。
それでも飽き足らず、木枠に手をつき、景色の中に半身を乗り出した。
景色に近づいて呼吸をすれば、その綺麗なものを少しは自分の中に取り込めるのではないか、そんなふうに思って。
校舎に人がいたら、誰かに見られる可能性があったら、間違ってもこんな大胆なことはしなかっただろう。
まだ冬休み中のため、生徒は誰も登校していない。
数人の先生が新学期準備のため出勤しているけれども、この北校舎に立ち入る理由はないはずなので、今は校舎全体が私ひとりのものだった。
あまりにも静かで、あまりにも白いので、校舎どころか見えるものすべてが私のものであるかのようにさえ感じられた。
グラウンドも、ボールネットも、広大な管理林も、雲も、空も。
すべてがあるべきものとしてそこにあった。
爽快な気分だった。
もっと景色を感じようとして、私はさらに身を乗り出した。
その途端、バランスを崩しかける。
危ない。
すぐに木枠を掴んだおかげで事なきを得たけれども、自分の制御を離れかけた身体が、一瞬重力それのみに囚われる、そのひやりとする感じが長く残った。
少し荒くなる息遣い。
眼下には雪に覆われた地面があった。
雪に覆われているのは遠くの景色と変わらないはずだけれども、遠くを見る時と違って、引き込まれるような嫌な感覚があった。
私という主体と、景色という客体とが、その一点で対消滅してしまいそうな。
なぜかそこから目を離すことができない。
私は軽く頭を振り、今度は身を乗り出すことなく、むしろ遠慮するように少し身を引いて、窓枠ごしに視線を投げ掛けた。
無限遠の空間。
しかし、さきほどのような、何もかも景色の中へ拡散していくような感覚は、もう感じられない。
それが少し、寂しくて、私は肩を落とした。
声が掛かったのは、その時だった。
「――何を見てるんだ?」
夢から覚めたばかりの時のように、私は少しばかり反応が遅れた。
「夜天――」
校舎には誰もいないはずと思い込んでいたけれど、彼女が現れたことに、なぜか驚きはなかった。
窓の外の静寂と同じように、彼女も静寂を纏っていたので。
全体にまだ薄暗い板張りの廊下は、雪の反射によって、窓の近くだけやけに明るい。
彼女はその暗い側から、明るい側へ、音もなく踏み出してくるところだった。
手を後ろに組み、学校指定の紺のコートを肩に羽織り、胸に金色の校章を輝かせ、顔にはいつものいたずらげな微笑み――ではなく、ちょっと真面目な表情を浮かべている。
「いやあ、雪かきやらされたくなくてさ」
どうしてこんな時間にここにいるのかという私の問いに先回りして、彼女は言った。
「ちょっと寮の周りを散歩してたんだ。そしたら、ここの窓にトウカが見えたから、何してるのかなって」
「私が見えたの?」
寮まではそうとう距離がある上に、私から見える範囲に動くものは絶対にいなかった。
しかし彼女が見えたというなら、見えたのだろう。
夜天はすごく目がいい。目というより、勘というべきか。
見ようと思ったものは、まず見逃さない。
「はっきり見えたわけじゃないが、あれは何となくトウカかなってね。休みだってのに、学級長殿はまた柴田にこき使われてるのか?」
「……私が好きでやっていることだから。それと、柴田先生」
柴田教諭は、私たちのクラスの担任だ。
はいはい、と彼女は悪びれてみせる。
「で」
彼女は私を追いやるように強引に身体を入れてきて、景色に目をやった。
「何を見てたんだ?」
勢いに押されて半歩引きつつ、べつに、と私は言った。
「ただ何となく見ていただけ」
「ふうん?」
信じてないぞ、というあからさまなニュアンス。
「何か探してるって感じの目だったが。……いやそれどころか、それを取りに行くために今にも窓枠から飛び出しそうな感じだった」
「…………」
いつから見られていたのだろうか。
ちょっと変な場面を目撃されたかもしれない。
「もし死にたいなら、止めはしないが」
いつものようなさらりした口調。
その中に、微かな緊張が滲んでいる。
「何を見てたのか、その前にぜひ僕に教えてからにしてくれ。僕が見てきた中で、一番いい目をしてた」
私は苦笑する。自分でもわかるほど、投げやりに。
「死のうなんて、考えてないよ。ただ本当に……景色が綺麗だと思ったから」
「ふうん?」
今度は、ちょっとは信じているというニュアンス。
「当ててみせようか。花だろ」
「え?」
「雪の中で咲いてる花を探してたんだ。冬でも咲いてるやつを」
うーん。
ちょっとのあいだ私は自問したけれど、心当たりは欠片もなかった。
「ごめん、全然ぴんとこない。なぜ花なの?」
「だから、藤村冬花だろ。名前だよ、自分の」
“冬花”、冬の花か。
確かに、私の名前だけれども。
そう言われればそうだった、というレベルで、私は自分の名前というものに関心がなかった。
誰でもそうではないだろうか。普段使うそれは、個人識別のための単なる呼び名や記号に過ぎない。意味とか字の並びなんて意識するのはごくまれだ。
「まあ、冬に咲いてる花なんてなさそうだが」
あるよと私は言った。
「福寿草とか、松雪草とか。あと水仙とかも……」
「だが、トウカはフクジュでもマツユキでもスイセンでもないだろ。あくまでも“冬の花”。匿名的で、特定の種を名指していない。これはどういう由来なんだ?」
「どうだろう。気にしたことない」
「初等部の生活科で『自分の名前の由来を調べる学習活動』ってのがあっただろ? 親に聞いたはずだ。覚えてないのか?」
そんな授業もあった気はする。けど正直覚えていなかった。
そう伝えると、夜天は落胆するでもなく、再び窓の外に目を向けた。
私が見ていたものを代わりに見よう、見つけようとでもいうように。
「きっと透明で、白っぽい花なんだろうな」
独り言のように言う。
「だから、こんな景色の中じゃ見つかりようがない。だが、こんな景色の中でないと咲いてない。トウカが見ようとしてたのは、たぶんそんな何かだろう」
「……もしかして私、なんだか慰められてる?」
今度は夜天が苦笑する番だった。
「本気さ」
窓から身体を離し、バレリーナのように一回転。
黒い髪がリボンのように、遅れて一回転。
鮮やかに決めポーズ。
「そういうものを探すためなら、断崖絶壁からでも身を投げ出す価値があるって僕は思ってるからな」
こういう突然の奇行は、いつものことなので驚きはしない。
でも、ひたすら綺麗で柔らかい。
「そういうものって?」
「言葉で説明できるなら、断崖絶壁から身を投げ出す必要はない。無理やりにでも言うなら……景色の中に現象的に投げ込まれた、自分自身のトークンってところか」
"Token"にはいろいろな意味がある。
しるし、象徴、特徴、形見、記念品、引換券。
私がイメージするのは、本物それそのものではないけれど、それが持ち出せない場合に代替として用いられる、本物と同じ価値を持つ、代用コイン。
私は、私の横顔が刻印された小さなコインが、雪のどこかに埋まっているところをイメージした。
もしそれが透明で白っぽい素材で出来ているとしたら、探し当てるのは大変だろう。
雪解けとともに消えてしまうものだとしたら、なおさら。
しかし、それが私のトークンだというなら、それは拾わなければならないものだという気がする。
「夜天はどうなの?」
「僕?」
「『天使』の由来、知ってるの?」
いいや、と、夜天は再び窓の向こうに目を向け、投げやりに応じた。
「僕はろくに初等教育を受けてないし、親はずっと檻の中だったから、名付けの由来なんて気の利いたものは聞きだせてない」
申し訳ない質問をした、とは私は思わなかった。そんなことはもうクラスの人間全員が知り尽くしているし、夜天も気にしていないと、私は知っている。
「だがまあ普通に考えて、天使のように育ってほしかったんじゃないか? 心が綺麗で、真善美に満ちてて、翼があって……。まあ出典次第じゃ、無数の目を持った恐るべき姿って可能性もあるが、あの親がそこまで考えてたとは――」
「そのトークンはどこに?」
夜天は窓から離れ、わかってるだろという顔をこちらを向けた。
「探さないことに決めた。天使になるのは諦めたんだ。どうやらこの世界には最初から居ないものみたいだからな」
もしかしてそれでかな、と私は思った。
夜天がすごく良い目を持っているのは、普通の人ならどうしても目の端で探してしまうような小さくて透明なものを、無意識に求めてやまない何かを、最初から探さないようにしているからなのかも。
「私は夜天みたいにはいかないな」
夜天と入れ替わるようにして、また窓際に。
身を乗り出すことは敢えてしないけれど、視線は――下へ。
三階だから、十メートルくらいの高さはある。
「考えたことないよ。どんなに価値があるものでも、それのために断崖絶壁から飛び出そうだなんて」
「今は考えてるのか?」
少し硬い夜天の声。
「…………」
私は答えなかった。
答えたくないというより、ただ単純に答える言葉がなかった。
「さっき柴田に会った」
私は窓枠を握った。
「今日は藤村を呼び出してないと言ってた。家にいるだろう、と」
「…………」
「察するところ、家にいられない事情があるのか。家族喧嘩でもしたか?」
「……家族は関係ないよ」
「だが少なくとも、自分が親にどう思われるかに関係してるな」
それは、正解。
「何か人に言えないことでもしたのか、やましい秘密でもバレたのか――と、ここでトウカを切り刻もうとは思ってない。探し物があるなら僕が手伝える。トウカが何を探してるのか、言ってくれないか」
優しい言葉だと思った、夜天にしては。
「寒くないの」
長い沈黙のあとで、私は言った。
夜天に背中を向けたまま。
「寒いはずなのに。息が真っ白になるほど寒いはずなのに、何も感じない。雪を握って、握り続けて、手が真っ赤になっても、その痛ささえどこかにやってしまえる」
後ろにいる夜天は何も言わない。ただ、話を聞いている気配はした。
「最近、テレビでやってるでしょう。そういうふうになる人たちがいるって」
「……ああ。新人類とかいうやつか。日本でもひとり確認されたとか」
「私がたぶん、それのふたり目かもしれない」
「トウカ――」
「もう七日間、眠ってない。眠れないわけじゃないけど、眠らないでいようと思ったら、ずっと起きていられて。食事も全然必要なくて、それでも平気なの。こんなのって変だよね」
抑揚が乱れるのを感じる。
「私、どうにかしちゃったみたい。この景色も、ここにあるこの景色が、すごく綺麗だって感じるのに、本当に自分がそういうふうに感じているのか、よくわからなくて。何かが起きてるのは確かだけど、それを確かめるのが……何だか怖い」
肩の震えを自分で抑える。
そうしないと、何かが溢れだしそうだった。
「死なないんだって、その子たちは。何をしても、すぐに治っちゃう。嘘みたいな話だけど、それも本当だと思う。だって、私――」
言いかけたところで、強い力で腕を引かれた。
「自分を傷つけたのか?」
夜天の顔が、真正面の、すぐ近くにあった。
私は反射的に逃れようとしたけれど、とても強い力で右腕と左肩をつかまれていて、夜天のほうを向かざるを得なかった。
「だって……」
「痛くなかったのか?」
私は声を絞り出す。
「……それさえ……」
夜天はじっと目をそらさず、強い力で私を押さえつけていた。
と、その力が不意に緩む。
「そうか」
その表情からも、一瞬のうちに険しさが取れた。
呆気にとられる私をよそに、何のことはないという口調で夜天は言った。
「考えることは同じだな」
「……?」
「徹夜自慢じゃないが、僕も十日ほど寝てないんだ。絶食ももう何度か試した。現在進行形で自分の身体でいろいろ実験してるが、とにかく治りが早くて痕も残らないんだよな。トウカも同じか? どこを切ってみた?」
「え? あの、夜天――」
まさか、という思い。
夜天は微笑んだ。
「そのまさか。どっちが先かはわからないが、どうやら僕たちふたりともめでたく新人類になったらしいな。確か日本政府は『不死者』と呼ぶことに決めたそうだが」
私はぽかんとしていたと思う。
夜天が私と同じ新人類、もとい「不死者」になった?
いつ? 本当に?
WHOの第二次報告では全世界で二百名もいないと報道されていたはずだけれど、そんな偶然がありえる?
「なんだ、信じられないか? まあ確かに言葉だけだとな」
夜天は思案気に顔をめぐらせ、ふと何か思いついたように頷くと、羽織っていたコートを床に脱ぎ落とした。
そして、手近な窓を勢いよく開け放った。
そのままの勢いでその向こう側へ飛び出していく夜天――を、私は飛びつくようにして止めた。
一秒遅れていたら、止められなかっただろう。
「や、やめて!」
「何だ、死なない身体を実演しようとしたのに。トウカだって同じようなことをしてみたんだろ?」
「わ……私はそこまでのことはしてない! カッターで、ちょっと腕とか切ってみたくらいで……」
何だ――と、安堵とも期待外れとも、どちらともとれるため息をついて、夜天は窓から離れた。
そのわずかな距離は私を心から安堵させた。
「断崖絶壁がどうのこうのと言うから、てっきり飛び降りくらいはもう試したのかと」
「その喩え話を出したのは夜天だけどね……。それに私が言いたいのは……」
「わかってる。比喩だろ」
夜天は床に脱ぎ落としたコートを拾った。
それをそのまま私の肩にかけた。
「……寒くないってば」
「そう感じないようにすれば、だろ。それとも、僕の善意さえも感じないっていうのか?」
私は無言でコートの前を軽く合わせた。
夜天の体温がまだ残っていて、暖かかった。
「ちょっと考えすぎだ。トウカらしいといえばらしいが」
「何が?」
「『本当の自分』みたいな何やら本質的な概念がまずあって、不死になって感覚があやふやになるものだから、自分の本質が自分の肉体から飛び出してどこかへ行ってしまったように感じてるんだろ」
「……まあ、ある意味では」
「探求心は結構。僕もそういったもののありかにはだいぶ興味がある。だが、いきなり飛び出すのは短絡というものだ」
「してないよ、飛び出そうとなんて」
「だから、比喩の話だ」
埃でもついていたのか、私に羽織らせたコートを軽くはたく夜天。
撫でられているような手つきだった。
「自分のことが信じられなくなっても、今ここにいる自分を急に放り出そうとする必要はない。今ここにいる自分も、十分に大切に考えるべきだ。投影されたものも投影するものも、結局は自分の一部なわけだからな」
「……やっぱり私、慰められてる?」
どうかな、とシニカルな笑い。
しかし、否定はしないようだ。
「夜天はどうなの?」
「何が?」
「不安じゃないの?」
ストレートに尋ねると、夜天は少しばかり考える顔になったけれど、深刻そうではなかった。
明日の小試験のためにどれほど準備をしてきたか、と訊かれた時にする顔と同じくらい、飄々としたものだ。
「ないわけじゃないが、期待のほうが大きいな」
「つまり?」
「不死者についてはまだわからないことが多いようだが、普通の人間にはできないことがたくさんできるようになるってことは、まあ間違いないだろう。それは可能性が広がるってことだ。違うか?」
可能性が広がることと、期待が大きくなることは、必ずしもイコールではない。
少なくとも、私の中では違う。
しかし夜天の中ではイコールなのだろう。
新人類。その呼び名は、夜天には相応しいように思う。
「私は……そういうふうには考えられない。ただ漠然と……何もかも意味が薄れていくような、そんな気がして……」
自分の不安をうまく言い表せる自信がなく、言葉に詰まる。
事実、とても奇妙な感覚なのだ。感じているのに、感じていないようにもできるというのは。身体の部分、あるいは全体がわずかに麻痺したような感じになるというか。
喩えるなら、緩慢に落下していくような感覚に近い。
底なしの井戸へ長い時間をかけて落ちていくような――。
「じゃ、どうする?」
ちょっといたずらげな夜天の問いかけ。
「選択肢はふたつある。ひとつは、不死者になったみたいだと公的機関に訴え出る。これは、きっとすごく注目されるだろう。これまでと同じような生活は、間違いなく送れなくなる。最悪、実験動物扱いされて、切り刻まれることになる可能性もある。そういう状況がいつまで続くのかも、現時点ではわからない」
「うん」
「もうひとつは、誰にも何も言わず、普通の人間のように過ごす。これは、ある程度までは可能だろう。他の人間から見て目立つ症状みたいなものは特にないようだからな。唯一、成長しないという点を除いて」
「……そうだね」
「幸い、僕もトウカも背が高い。成長しないことも、若作りだの美容技術だので、それなりにごまかせるかもしれない。それでも、十年、二十年となると限界は来る」
「うん」
そういうことは自分でも何度も考えた。
感覚の異常を自覚したのは、昨日や今日ではないからだ。
自分が不死者かもしれないという事実に向き合うまでにも、けっこうかかった。
「ふたつめの選択肢には、さらに、もうひとつ問題がある。それは秘密を持ち続けることだ。自分が不死者になったという秘密を。自分は不死者じゃないって演技を、ずっとこなしていくことになる。演技していることも忘れるほどに。結局のところ、それは自分を騙すってことだ」
「うん……」
私は床に目を落とした。
「だが、数年か、数十年のあいだは、今までと同じように過ごせるだろう」
"To be, or not to be."
『ハムレット』の一説が頭に浮かんだ。
為すべきか、為さざるべきか。
いや、どちらかといえば、今の私が迫られている状況は、"To be, or to be."だろう。
為すべきか、あるいは為すべきか。
夜天が言った通り、数年か数十年のあいだ、何でもないように過ごせる可能性はある。
けれど、世間に言われている「不死性」が本当に本当なら、いずれは不死である自分と向き合わなければならない時が来るだろう。その理由と、どうあるべきかについて。
世間の目をひたすらごまかし続けても、自分の心までもをずっと騙し続けられるかどうかは、私には自信がない。
まったく、ない。
だからこれは、いずれ為すのか、すぐに為すのかの問題でしかない。
「まだ、家族にも話してないのか?」
気遣わしげな夜天の問いに私は小さくうなずく。
目は廊下の板木を当てたまま。
「どう言っていいか、わからないから」
「他の人間にも?」
私はまたうなずく。
「誰か信頼できる大人は?」
私は首を振る。
「ふうん。だが僕には話したんだな」
「…………」
私はそっと目を上げた。
いつもの、いたずらげな微笑がそこにある。
「なぜ話してくれた? ただ何となくここの景色を見てただけ……そう言ってごまかしたって良かったのに」
「それは……」
「それは?」
偽らざる本心を、私は口にする。
「友達だから」
友達だから秘密を告白した、というわけではなかった。
けど、秘密を告白した理由をなぜかと問われたら、友達だからとしか答えようがなかった。
他に思い当たる理由は何もなかった。
「ふうん」
意味ありげな反応。
かと思うと、ふと困ったような顔になる。
「いや、すまない」
「……何が?」
「トウカはトウカなりに悩んだ上で僕に打ち明けてくれたんだろう、家族にも言えないようなことを。ここは茶化すような場面じゃないな」
黒い髪がかき上げられる。
青白い雪の反射光がその内側を通り抜けた。
「僕は僕のことをよく知ってる。少なくともそのつもりだ。自分の見た目がもし、ふた目と見られないようなモンスターに変わろうと、僕は僕だ。それは揺らがない。そういう確信を持って生きてきたし、これからもそうだと思ってる」
彼女は自分の手のひらを見つめ、それを握りこむ仕草をした。
自分の中の確信を確かめようとするかのように。
「うん。夜天はそうかもね」
「だが世の中にはそうじゃない人間のほうが多いらしい。自分のことはよくわからないし、変化は常に自分ってものの本質を貫き、自分を変えてしまう可能性があって、それゆえに恐ろしい。明確な根拠を持ち続けてないと、今ここにいる自分自身が失われるような不安がある。トウカが感じているのも、その種の不安だと思う。合ってるか?」
私はうなずいて肯定した。
夜天はうなずき返した。
「そうだとすると、トウカは自分が何者なのか、知りたい、知らなきゃいけないと思ってるわけだな。それを探すってことは、今の自分がいる場所とか、日常の世界とか、穏やかな暮らしとか、そういう既存の世界をいったんは疑い、棚上げにすることになる。それらすべてをいったん手放す心構えが必要だ。当然、危険な目に遭う可能性もある。その覚悟があるのか?」
「覚悟、まではまだ……。何を信じていいかもわからないし、不安は凄くあるよ。けど、どのみち、同じままでいることはできないと思ってるから」
いずれ為すのか、すぐに為すのか。
何を為すのか、は、どちらの場合でも変わるところがない。
私は理由が知りたい。
“なぜ私なのか”。
できることなら、その答えのありかを、一緒に探してもらいたい。
夜天と。
「わかった」
夜天は軽く息を吐き、言った。
「政府か、学校か、保護者か……。順番はわからないが、どこかしらに申し出ることにしよう。僕たち不死者になったようですって」
「いいの?」
「んん?」
「薄々思ってた、私の場合はそうするしかないって。いずれ誰かに言うしかないって。だけど、夜天まで私の不安に付き合うことない」
「おいおい、悲しいこと言うなよ。友達だろ」
屈託なく夜天は笑う。
「不死者の秘密には僕も大いに興味がある。ひとりで調べるよりは、専門機関にお任せしたほうがより多くの知見が得られるだろうし、サンプルはひとつよりふたつがいい」
それに、と、壁にもたれかかる夜天。
演技っぽく腕を拡げて。
「僕だけこのぼろい校舎に置いてくつもりか?」
そういう言い方をされて、悪い気はしなかった。少し頬が緩むのを感じる。
これはどう考えても笑い事で済ませられる事態でなさそうだし、衝動や成り行きに身を任せてよい問題だとも思えない。
慎重さが必要だった。
一歩間違えれば大変な目に遭うだろう。
あるいは、何も間違えなくても、遭うかもしれない。
しかし私は探したいのだ。
私が私であるための理由を。
もし見つからないとしても、それを探す自分でいたい。
夜天が手伝ってくれるのなら、それは心強かった。
すごく心強かった。
「なあ、トウカ」
壁に寄りかかったまま、夜天は言った。
「何?」
「いろいろと準備が必要だと思う。心の準備も含めてだ。それを踏まえて、僕からまずひとつ提案させてくれ」
私がうなずき、先を促すと。
夜天は、真剣なというより、神妙な顔をして言った。
「これから僕たちがどうなるかは、正直予想がつかない。どんな場所で、どういう処遇を受けることになるのか。だからもし、その場所に居続けることはもうできないと僕たちのいずれか、あるいは両方が判断した時は――」
「その時は?」
「一緒に逃げようぜ。どんな障害があっても、必ず一緒に」
その瞬間の、苛烈までに美しい夜天の笑顔を、私は今でも鮮明に思い出すことができる。
薄暗い校舎の色、温度、気配も。
窓の外に広がる景色がとても綺麗だったことも。
◇
びゅうっと突風が吹き、私は、反射的に目をつむっていた。
コートの裾がバタバタと音を立ててはためき、剃刀のように鋭い冷気が肌の表面を滑っていく。
雪の結晶の硬さまで感じられそうな、渦巻く風に、身をすくませた。
まぶたを開いた時、そこは夜のハイウェイ、パーキングエリア、自動販売機の前だった。
長いこと記憶の世界にいた気がしたけれども、手の中にあるミルクティーはまだかなりの熱を保っていた。
夜天に買ってもらった腕時計で、時間を確認。
バスの出発時刻まではまだ数分の余裕はあったけど、いたずらに時間を消費する理由もなかった。
もう一度紙幣を自動販売機に飲み込ませ、夜天の分の飲み物を買う。
吹きつけてくる風がとても強くて、バスへ戻るまでの道のりは、まるで急流をかき分けるが如しだった。
まるで、誰かが、そちらへは戻るなと警告でもしているみたいに。
私は雪まみれになりながら、果敢に前進。
ようやくバスの輪郭が見えてきた。
と、大きな車体のそばに人らしきシルエットがあるのが、風を遮る両腕の隙間から見えた。
この吹雪の中では、外にただ立っているだけでもやっとだろうに、何をしているのだろう。
一歩一歩、踏みしめるように進んだ私は、そのシルエットの正体に気づいてちょっと目を瞠った。
それは夜天だった。
「トウカ! よかった、どこまで行ってたんだ」
「どこまでって……」
振り返ると、さっきまでいた場所はもう見えない。
別に、遠くまで行ったわけでもないのだけれど、夜天があまりにも心配そうなので、私は何だか悪いことをした気になる。
「まだ時間はあったよね?」
「そうだが……遅かったから心配した。どこかに行ってしまったんじゃないかと」
「どこに行くっていうの、こんな雪の中で。あー、もう、こんなに雪だらけになって。バスの中で待っていれば良かったのに」
「そう言うトウカこそ、雪ダルマだ」
お互いよく雪を落としてから、車内へ戻る。
薄暗くて、狭くて、どこか湿っていて、ぼんやりと暖かい空間。
まるで生き物の胎内のようだと私は思った。
「はいこれ」
ポシェットからブラックコーヒーのボトル缶を取り出す。
「ん。さんきゅ」
夜天が受け取る。
「トウカはミルクティーか。昔と変わらないな、好みが」
「……夜天こそ」
ボトルの底を軽くぶつけあって、形ばかりの乾杯。
千年経っても、お互いの好きなものは変わらない。
私たちは私たちのままなのだ。
「シンセルドルフまで、あと六時間ってとこだ」
「うん」
やがてバスはまたゆっくりと動き始めた。
夜天はさっさと座席に身体を預け、ブランケットを鼻まで被って眠りの体勢に入る。
私は、もう本を開かなかった。
読書灯も点けなかった。
地図と言葉の世界は、もう読みつくしてしまったので。
さりとて、眠ろうという気分でもなかった。
だから、少しだけ開いたカーテンの隙間から、窓の外にじっと目を凝らした。
吹雪のせいで、ほとんど何も見えやしないことはわかっているけれども。
私はまだそれを探し続けていて、それを探している私でありたいのだ。
それとは何であるかも、未だはっきりとは掴めぬまま。
“冬花”。
初等部生活科の授業で一度は尋ねたはずで、しかし忘れてしまった自分の名前の由来を、その名の根源を、再度、機会を見つけて親に尋ねてみたことがある。
すると、次のような答えが返ってきた。
***
あなたを授かった時、私とお父さんは、北海道に出かけていました。
あれは、そう、平成五年の年の瀬のことです。
そう、ふたりだけの道ゆきで。
ただ自然を見に、二泊三日。
最初に泊まった宿の女将さんが、このあたりにはウサギがいますよと教えてくれました。
エゾユキウサギという、ノウサギが。
私は、それを聞いて、なんだか、いてもたってもいられない気持ちになったのです。
翌朝、まだ夜が明けないうちからレンタカーを走らせて、ふたりでエゾユキウサギを探しました。
冬の北海道ですから、どこまでいっても雪でいっぱいでした。
わかりますか? 見渡す限り、真っ白の世界でした。
何時間も、雪原を歩いて、ウサギを探しました。
しかし、なかなか見つかりませんでした。
お父さんは言いました。
こんな真っ白な景色の中で、白いものを探すなんて無理だと。
生き物ですから、きっと動いている、動いているものは見つかりますと私は言い返しました。
お父さんは、こんな開けた景色の中で動いたら見つかってしまうから、野生の賢い生き物ならもしいるとしてもきっと動かず隠れているだろうと、言いました。
諦めようとしない私に、半ば呆れていたのだと思います。
なぜでしょうね。
私は、お父さんに愛想をつかされたとしても、どうしてもエゾユキウサギをひとめ見たかったのです。
そういう気持ちになったのです。
そういう気持ちになったのは、ほんとうにもう、童女の頃にまで記憶を遡らないと、思い当たらないほどで、とても貴重で、得難い気持ちだったのです。
世間では、お米騒動が起こっていました。冷夏のため、世界中でイネの不作が起こり、日本でも影響が長く続いていたんですよ。
あの年は、大きなゼネコンの汚職が発覚して、私もお父さんも、それはもう仕事のために大忙しの年でした。
そういった、世間一般のさまざまなことが、すべてどこかへ吹っ飛んでいって、私の中にはエゾユキウサギしかありませんでした。
結局見つかったか?
いいえ。
日が暮れるまで辛抱強く探しましたが、結局は見つかりませんでした。
最後のほうは、もう、何でもいいから何か見つかってくれと、すがるような気持ちでした。
くたくたに疲れて、宿に帰って、眠りました。
明日はもう、帰らないといけませんでした。
そういう未練が、私に夢を見せたのでしょうか。
私は深い眠りのうちに、あなたの存在を感じました。
真っ白で何もない世界の中に、私はそれを見つけたのです。
白い花のようでした。
あるいは花ではなかったのかもしれません。
花のように見える、あるいはそう感じられる何かでした。
正確に何であったかは、あまり関係がありません。
私の夢の中に萌芽した、小さく美しいもの。
それを感じられればじゅうぶんでした。
いずせれによ、それは人生ではじめての感覚でした。
これが命を授かることなのだと、せつせつと感じました。
朝、目覚めた時、私は滂沱の涙を流していました。
お父さんがひどくうろたえていたのを覚えています。
東京へ帰って検査を受けると、やはり、私の感覚は確かでした。
そこにあなたがいたのですよ。
冬花さん。
***
私の母が、夢のような、得難い体験をしたことは、記憶に留めておくに値すると思う。
けれど、私はこの話を聞いた時、ある種の失望を禁じ得なかった。
結局は父も母も、“冬の花”を見つけられたわけではない。
それはただの比喩的な、新しい命を象徴付ける言葉の美しさであって、元をたどればその存在は、父と母の合意に基づく、具体的な行為によって作られたものだ。
自分でまいた種がやがて芽を出すことを、「見つける」と言うのは、どこかエゴセントリックな誤謬を含んでいるように感じられてならない。
穿ち過ぎだろうか。
そうかもしれない。
そうだろう。
そうだとしても、切実な問題が私に残されたことに変わりはない。
エゾユキウサギとやらが、結局は見つからなかったのと同じように。
冬花というのは、だから結局のところ、見つからなかったからこそ美しい、空想の名に過ぎないのだ。
夜を見上げれば、夜の天ならいつでも見つけられるけれども。
冬を見渡しても、冬の花を見つけることは難しい。
具体的な花の名が告げられていないのだから、なおさらだ。
未だ、それが風景のどこかに隠されているなら、まだ納得できるけれども。
どこにも隠されておらず、最初からただ実在していないだけなら。
もしそうだとしたら、それを探し続けることに、意味はあるのだろうか。
一七一・二センチ。
五五・八キロ。
私は未だに、十六歳の時の「おおきさ」のままだ。