03:星と星をつなぐ手、やがて訪れる暗闇の神話〔3012〕
雪原に刻まれていく二人分の足跡。
彼女たちは、これまでも、肩を並べて同じ時間を刻み続けてきた。
遥か遼遠たる未来でも、そうして歩き続けているのだろうか?
夜天の放った一言が、冬花の胸を凍り付かせる。
◆1
「ねえ。私がこういうの嫌いだって、知っているはずだよね?」
私は、マジなトーンで夜天を叱りつけていた。
天空を頂く幽霊山脈の峰から一気に二千メートル以上転がり落ち、ようやく平らな地面に着地――否。
墜落、と呼ぶべき重力の一撃を味わってから、およそ五分後のことだった。
「死なないからって、無茶なことはやめて」
もし不死の肉体でなければ、二人とも五分前に死という実感さえないまま命を落としていたことだろう。
不死でも痛みや損傷がまったくないわけではないし、衝撃は衝撃としてしっかり感覚されるし、恐怖に関しては生きている人間と何も変わるところがない。
正直、まだ口を開かず横になっているほうが楽なコンディションだけど、私はなけなしの気力を振り絞ってでも、一緒に落ちた(状況的には、一緒に落としたと言っていい)女に怒っておかねばならなかった。
「どうして相談もなくいきなり飛び降りたの? 最短ルートだったのはわかる。だけど同意もなしにするべきことじゃないでしょう? それに夜天……明らかに私の反応を楽しんでいたよね」
その夜天はと言うと、雪の上に正座し、私に向かって頭を垂れるようにして精いっぱいの反省の意を示していた。
その頭の上にはまだ雪が乗っている状態だ。
「……すまない。やっとトウカを見つけられて、柄にもなくはしゃいでしまった、というか……」
歯切れ悪く言い訳する夜天。
雪上に垂れて広がった髪が、主人を怒らせたためにカーペットで身を縮ませる長毛種の犬を思わせて、何だか本能的な憐れみを誘う。
それに、言い訳の内容には情状酌量の余地がないでもなかった。
何の連絡もなく姿を消し僻地に引き篭もっていた自分にも責任の一端はある……か。
白い息とともに、怒りの残滓を捨て去る。
「……今後、無茶な身体の使い方はしないって約束してくれる? スリルや快楽目的なんてもってのほかだよ」
「約束する。トウカを怖がらせるようなこともしない」
「……ならいい。ほら立って。雪だらけだよ」
私の手を取り立ち上がった夜天はまだ委縮している様子だったが、私が髪や服についた雪を払ってあげるうち、もう怒っていないと確信できたようで、徐々に背筋が伸びていった。
彼女も私と同様に肉体にこれという損傷はなかったが、着ているセーターやパンツはかなりすり切れて傷んでしまっていた。
「せっかくの服がボロボロ。それに靴だって……ない」
夜天に履くように言われて両手に持っていたブーツがない。
落下中、どこかで手放してしまったのだ。
私は周囲を見回すが、もはや飛び降りた地点まで視界さえ届かない。ごつごつとした岩場のほかは、白一色。どこであのベルトだらけの気難しいブーツたちが離れ離れになっているか、見当もつかない。
多分、誰にも二度と見つけられないだろう。
夜天が肩にかけてくれた真紅のコートだけが、何とか健在だった。ローブと一緒に必死に握りしめていたおかげだ。エナメルのような輝かしい質感だが、とても頑丈な素材らしく、表面に細かな傷こそあるがどこも破けてはいない。
「まあ、別に構わないだろう、服なんて。僕たちが寒さで死ぬわけでもない」
ぐっと伸びをし、素足が雪にずぶりと沈む感触を味わって笑う夜天。
「そうだけど、もし生者に見られたら普通の人間じゃないってばれちゃうでしょう。この辺りには誰もいないと思っていたけど、現に私は目撃されていたわけだし……」
「ああ、わかってる。生者が見ていない場所でも生者のように振る舞う――だろ」
生者が見ていない場所でも生者のように振る舞う。
それはこの千年でごくわずかな例外はあれど、私たちの間で徹底され、私たちを守り続けてきたルールだった。
「とはいえ、ないものは仕方ない。しばらくはこの格好で歩こう。コートはトウカが着ておいてくれ。半裸よりはまだ普通の人間に見えるだろう」
「あ、うん。ちょっと待って。まだ指が……」
指先がうまく動かず、コートの前を閉められないことに、私はそれを試そうとしてから気づいた。
落下の衝撃から回復していないのだ。
あるいはボタンを掛けるような繊細な作業は|二百年(久し)ぶりだからか。
「ん、どれどれ?」
夜天がすぐに寄ってきて私の手を取り、じっと観察した。
すりすりと摩擦して一本ずつ状態を確かめる。
その仕草とまなざしはまるで熟練の医者のよう。
実際、彼女には豊富な医療知識がある。かつて戦場の救命士だったこともある。
「肉と骨はもう大丈夫だが、爪が割れてる。やはり末端は再生が遅いんだな。それと皮膚も荒れてる、これは長いことケアしてなかったせいだな」
「いや、それはだって、見せる相手もいないし……」
当然のことなのだが、夜天に責めるような口調で指摘されるとなぜか恥ずかしい。
「あとは問題なさそうだ。じきに指先まで感覚が戻るはず。もし痛みや違和感があったら言うように」
「うん」
「……って言っても、僕にも不死の原理まではわかってないが」
そう言いながら、私が羽織っているコートのボタンを下から順にはめていく夜天。
その指先に擦り傷があるのを、私は見て取る。見ているうちに傷口が閉じ、つややかな皮膚が光る様子も。
千年経っても、相変わらず、私たちの不死の謎は解けない。
なぜ私なのか、なぜ私たちがそうなったのか、という問題も。
「じゃ、行こうか?」
「――うん」
夜天が差し出してきた手を、私は特に疑問なく握った。
あれ、どうして手を握る必要があるのだろう、と並んで歩き出してから考えて、たぶんそうしていたほうが私が指先の感覚を認識しやすいためだろうと仮定はしたが、もしかすると、やっぱり夜天ははしゃいでいるのかもしれなかった。
いずれにせよ、繋いだ手を私から離す理由もなかった。
とりあえずの目的地は、サイルインという名の街だ。
◆2
私たちは手を繋いだまま雪原に平行な足跡を刻んだ。
空に飾られていた太陽が右手へ傾き、じきに世界の壁に張り付いていられなくなったかのように、稜線の裏側へゆっくりと落ちていった。
その後に訪れるのは、極寒の夜。
空気がキシキシと音を立てて張り詰め、あらゆるものが凍りついて静止する。
どんな生き物も生存できない、ある意味では残酷で、ある意味では神聖な世界。
そんな夜の内部を、夜天と私は一度も休まずに歩き続けた。
私たちは寒さも疲労も感じない、というわけではないけれど、それでどうにかなってしまうということはない。
その気になれば、そんな不快な感覚はどこまでも遠くのほうへ追いやってしまうことができた。
どうしてそんなことができるのかは、誰にも、私たちにもわからない。
それができるのが「不死者」なのであり、早い話が、私たちの身体は生存不可能な夜が作り出す極限を、はるかに超越しているのだった。
ざくざく、ざくざく。
私たちの肉体は物理的世界に物理的に存在しているわけだから、そこに物理的な制約と限界は必ずあるはずなのだけれども、世界と私たちの肉体の間のどこかで、都合の良い「断絶」が起きている。
私たちは世界のことを生者同様に繊細に感覚可能でありながら、感覚=世界からの影響を最小限に留めることができる。
そして、それは物理的な制約と限界をしばしば無視する。
だから私たちは物理的な限界をも都合よく超越しており、概念か、それに近い何かと化していると推察されるが、結局、それ以上のことは何もわかっていない。
ざくざく、ざくざく。
私たちは休息も補給も必要とせず、肺の中が凍り付くような空気の中でも、自分の意思でやめたくならない限り、半永久的に歩き続けることができる。
半永久的、と言ったのは、実際にはどこかのタイミングで必ず「飽き」が来て、続けられなくなるからだ。
ひとつの動作を続けるのに意思という負荷が必要になり、負荷は指数関数に増加し続ける。
だから、永久に何かを続けるということは、試したことはないけれど恐らく不可能だ。
飽きることを、専門的には心的飽和という。
それは、目の前の単純な世界体験から脱して新しい刺激を求めるほうが生存のために有利だ、という自然選択によって生物の脳が備えた機能だ。
飽きることができる私たちは、その観点では、まだ生きているということになるのかもしれない。
まあ、「我こそは不死の者なり」と私たちから世界に向かって名乗ったことは一度もないので、そのあたりは言葉遊びの領域だ。
確かに言えるのは、不死者の行動に制約をかけるのは、鎖で繋ぐような外的な強制力を別とすれば、基本的には不死者自身の「意識」くらいしかないということ。
歩きたいと欲する限り、それに飽きて飽きてもうどうしようもなくなるまでは歩けられるのであり、時間や距離という概念は私たちにとってはいつもかなり小さくできる問題であって、大きな障害とはなり得なかった。
「何だか、昔を思い出すな」
夜天がふと、口を開いた。
「昔って?」
私は尋ねた。
「サハラ砂漠を徒歩で横断したときのことだ。あのときは確か、七十日くらいかかったよな。干からびそうになった」
「よりにもよって砂漠を思い出すの?」
「何か変か?」
「雪原とは真逆の環境じゃないかな」
「僕たちにとっては大した違いじゃないさ」
「……そうかも」
私は、不死者になってからほとんどの時間を、夜天と一緒に過ごしてきた。
何千キロも、何万キロも、世界中をこうやって肩を並べて、一緒に歩いた。
もちろん、鉄道、車、馬など便利な移動手段が使える時は使ったけれど、「不死者は人類社会に存在しない」ので、やむを得ず自分の足それのみで移動するしかない状況というのは多々あった。
三日三晩くらいぶっ通しで歩くことはざら。
最長記録はサハラ横断の六十八日で、一番しんどかったのもあのとき。
とはいえ、目印になるようなものが何もない、荒涼とした大地の上をただひたすら歩くのは私たちにとって普通のことで、夜天が言った通り、砂漠だろうが雪原だろうが、環境からの影響御受けない以上、どこを歩くのもそう大した違いはないのだった。
景色が少し違うだけ。
目をつぶれば、雪を踏む感覚は、砂を踏む感覚と、意外と変わらないかもしれない。
私たちの障害となるのは「飽き」だけ。
まあ、ときには、危険な連中に追われながらの逃避行ということもあったけど。
ざくざく、ざくざく。
これまで二人で一緒に歩いてきた道のりを合算したら、地球二周分くらいにはなるだろうかと、私は考えた。
もし、夜天と一緒でなかったら。
私はその距離の半分もひとりで歩いてこれなかっただろう。
もっとずっと早くに飽きてしまって、歩くのをやめているだろう。
今こうしてこの場所を歩いているのも、夜天と再会したからこそだ。
夜天が私を探しに来なければ、私は今も、幽霊山脈のどこかで膝を抱えていただろうに――。
ざくざく、ざくざく。
(…………)
おかしい、どうしてだろう。
二百年前に幽霊山脈に来たとき、私は決意したはずなのに。
自分が夜天と肩を並べて歩くことは、この先、二度とないのだと、確かにそう決めたはずなのに。
今、冷厳とした夜の中、こうして彼女と一緒に歩んでいることに、喜びさえ感じているのは、なぜだろう。
自分が嫌になるくらい、自分の行動に一貫性がないのに、それがそれほど嫌ではない。
私は本当に、どうかしている――。
「トウカ!」
不意に夜天が足を止めて、大声で注意を引いた。
何事かと目を向けると、まっすぐ腕を伸ばして上を指差しているので、その先を見上げる。
頭の上いっぱいに、まばゆい星空が広がっていた。
空気が澄んでいるためだろう、肉眼で辛うじて確認可能な六等星から、その百倍明るい一等星まで、視界に収まりきらないほどの星々がめいめいに瞬いている。
まるで樹脂に封じ込められた宝石たちの無音劇場。
凍った海の無数の断面に星々が無数のきらめく軌条となって連なり、本来そこにないはずの星座の「手」までもが、はっきり見えるような気がした。
「おお、アンドロメダデブリを肉眼でこんなにはっきり見たのは初めてだ。……って、トウカはこんな星空見慣れてるか。ずっとここにいたもんな」
似た光景を見たことがないと言えばさすがに嘘になるけど、私はちゃんと気を遣った。
「ううん。こんなに綺麗に見えるのは年に数回ってとこだよ。本当に……綺麗だね」
綺麗なものは飽きることがない。
なぜと言って、どんな綺麗なものも、不変ではなく、必ず時の影響を受けて、いつかは消えてなくなるから。
時はすべてを破壊してしまう。
人類が一番最初に建てた花崗岩の寺院。
それが完成したとき、きっと建物も、そこに集められる信仰も、そこで語られる言葉も、思想も、記憶も、永遠に不変であると確信していたに違いない。
しかし今ではほぼすべてが細かな砂となり、原型も、正確な建設の目的さえも窺い知ることが難しい。
私が調査に参加していた頃、そこはギョベクリ・テペという名で呼ばれ、地図にも確かにそう書かれていたけど、紀元前一万二千年前にそれを建てた人々がそれを何という名で呼んでいたかは、どれほど砂を掘ってももう解らなかった。
あのアンドロメダ星雲も、破裂し残骸となって久しい。
残骸は残骸で美しいものだけど、この美しい景色も、いずれは――。
「夜天、知ってる?」
私は口を開いた。
「ん? 何を?」
「星の位置が時間によって変化していること」
乾いた笑い。
「おいおい、トウカ、僕を馬鹿にしてるのか? 地球は公転してるんだから、季節によって景色が変わるのは当たり前だろう」
「ううん。季節ごとじゃなくて、絶対的な座標の話」
「ふむ――?」
「宇宙は膨張し続けてるから、相対的に星の座標も変わるでしょ? それに、星も永遠にそこにあるわけじゃない、寿命が来れば滅びる……アンドロメダ銀河みたいに」
「なるほど。そうなると――。今僕たちが見てる星座の形も、だんだん変化しているわけか」
「うん。目で見てわかるのは、さすがに何千年っていうスケールの話だけど」
「そうなると、何千年、何万年先の未来には、新しい星座が生まれて、そこから新しい神話が生まれるのかもしれないな」
「うーん……どうだろう、それは難しいかもしれない」
「うん? どうして?」
「この、私たちが観測できる範囲で、新しい星が一年間でどれくらい生まれてると思う?」
夜天はあらためて星空を見上げ、しばらく考えた。
「そうか、言われてみれば宇宙では新しい星が生まれることもしょっちゅうだ。感覚の答えだが、百個か二百個は生まれてるんじゃないか?」
私は首を振る。
「私たちがいる銀河とその周辺は、人間で言えば老齢期にあって、新しい星の誕生はもうほとんどない。年に多くても三個程度なんだよ」
「へえ、それは初めて知った。こんな……砂を撒いたようにたくさんあるのにな」
「ここまで届いてる光も、何万光年と離れた、過去そこにあった星々の輝きで、もうその星自体はなくなっているかもしれないわけだけど。じきにそれらの光も届かなくなってしまう」
「なぜ?」
「事象の地平線」
その一言で夜天なら理解できただろうけど、私は説明を続けた。
「膨張する宇宙では、すべてが観測点から遠ざかり続けて、遠くになればなるほどその速度が早い。今はもう、観測可能な宇宙の九十五パーセント以上が光速以上で遠ざかっているんだよ。光速より早く遠ざかる場所からは、もう何も、絶対に届かない。完全に相互干渉不可能な領域になる」
その領域を事象の地平線という。
「すべては地平線の向こう側へ消えていく、か」
太陽が沈むが如く、あらゆる事象がそこへ消えていく。
太陽とは違って、再び立ち現れることはない。
その向こう側ではあらゆる事象がまったく起こらなくなるのだ。
「今この瞬間も、一秒に六万を超える星々が、地平線の向こうに消えていってるんだよ」
「うーん、超極端な少子高齢化国家の話を聞いてるみたいだ。一年間に誕生する星は三つで、一秒間に消える星は六万以上。そうなると、行き着く先は?」
暗黒、と私は呟いた。
「ここには何もなくなる。完全な暗闇」
私たちはしばし、無言で星空を見上げた。
いずれなくなる景色を。
いずれなくなるから、ずっとそこに留まり続けはしないからこそ、綺麗な景色を。
「まあ、それこそ、何億年って先の話だけどね」
私が茶化すように笑うと、夜天はつられたように笑った。
「何もかも変わっていくってことか。それじゃ、今あるこの景色を目に焼き付けておかないとな」
「…………」
今、夜天は想像しただろうか?
二人、手を繋ぎ、真っ暗な夜空を見上げる自分たちの姿を。
すべての星々が事象の地平線の向こう側へ消え去り、すべての人類ないし生命体が死に絶え、宇宙全体が冷たく暗く閉ざされたあとも、私たちだけは永遠不変のまま、暗闇の世界を歩き続ける。
目印もなく。
向かう場所もなく。
そんな景色を、夜天は今、想像しただろうか?
「…………」
否、と。
どこか嬉しげに星々を見上げる彼女の横顔を見て、私は判断した。
「夜天も、少し変わったね」
「うん?」
とぼけたように私を見返す夜天。
ように、ではなく、まさにとぼけているのだと、私は今になって確信を持つ。
「教えて。私を探した理由があるんでしょう? シンセルドルフで会わせたい人っていうのは誰?」
「何だ、べつにそう急ぐこともないだろう。とりあえずサイルインで落ち着いてから話を――」
「ううん。夜天は急いでる。崖から飛び降りたのも、はしゃいでたからじゃないよね。時間を惜しむ理由があるんじゃないの?」
夜天は私の詰め方に驚いた様子だったが、三秒後には、こちらがたじろぐほどまっすぐなまなざしを向けてきた。
千年前に初めて見た、そして二百年ぶりに浴びる、強いまなざし。
月明かりの濃淡を余さず写し取る黒髪が、本当に麗らかで美しく、心が奪われる――。
「実は僕――結婚するんだ」
月光の雨がさらさらと降り注ぐ中、夜天は言った。
晴れやかに、清らかに、高らかに。
「トウカに会わせたい人っていうのは、つまりは、僕の結婚相手」
喉が詰まったように言葉が出ない。
「友人がいるならどうしても招待してくれって、彼がうるさくて。まあ僕としても、トウカには祝ってほしかったし」
私は、気づかぬうちに繋いだ手を離していた。
あるいは、夜天のほうから離したのかもしれない。
あるいは、どちらからでもなく、そうなるべくして、同時に離れていたのかもしれない。
「急いでるってほどじゃないが、早く見つけてくれとせがまれてたのは確かだ。何しろ相手には寿命ってものがあるから」
ざくざく。
話しながら雪を踏んで、まっさらな雪原にまばらな足跡をつけていく夜天。
私はその場から動かない。動けない。
「僕としても、あと一年か、二年くらいがトウカ捜索の限界だと考えていた。話すと長くなるが、ちょっと事情もあって」
「……じ、事情って?」
ようやっと言葉を取り戻す私。
「だから、話すと長くなるんだって。彼も落ち着いたところで説明したいと言ってる。だから、とにかくまずは会ってみてくれないか?」
何それ、と、私は非難の声を投げ掛けようとした。
なぜ、夜天からは説明できないの。
そもそも、今さら結婚なんて――。
いったいなぜ――?
「――――」
喉の奥が凍り付いたように言葉が出ない。
もう血は通っているはずのに、名前を呼ぶ前に戻ってしまったかのようだ。
彼女とまなざしと言葉に、反駁が許されないという気持ちにさせられる。
いや違う、許していないのは、多分私自身だ。
私は……。
(ほらまたそうやって。何もわからない馬鹿な子供の振りをする)
「無事見つけられて良かった」
ざくざく。
心の底からそう思っているように夜天は言い、面白がるように素足で雪を踏んで、ゆったりと歩いていく。
ざくざく。
私がその足跡に続くのを、当然と思っているように。
「僕の結婚を祝ってくれるだろ、トウカ?」
振り返り、微笑み、そしてまたゆっくりと遠ざかっていく夜天の背中。
ほんのわずかな距離のはずなのに、まるで事象の地平線の向こう側へ遠ざかっていくように、私には感じられた。