02:北斗長里学園、バスを待っている時〔2010〕
断崖絶壁から転げ落ちる冬花の脳裏に、走馬灯めいた過去の景色が去来する。
静かで冷えた木造校舎。両親の背中。冷たい食器の感覚。
不思議な磁力を持つ少女、夜天との出会い。
バスを待つベンチで、不思議な時間が流れる。
◆1
私と夜野田天使は、北斗長里学園・高等部・一年一組のクラスメイトとして、最初の出会いを果たした。
北関東の片田舎。
赤褐色の煉瓦で彩られた正門と、錯雑と枝と枝を重なり合わせる染井吉野の木立、空をざっくりと切り取る壮麗な校舎の傾斜を、今でも覚えている。
北斗長里学園は、伝統と格式を重んじる中高一貫の私立女子校。
明治の世に開塾した小さな手習所「北斗塾」の理念を今も継承しているとして計算すれば、およそ百二十年の歴史を持っていた。
大戦時に一度は閉塾となったが、戦後寄付金により再興、現存の校舎はその時に建造され、北斗塾は北斗長里という名に改められた。
人生の道のりは長い、だから我は北斗星のように暗い空に灯る動かぬ光となって学問を修める者の道しるべとなろう――というのが、その由来。
戦後しばらく、北斗長里学園は名家の女子らに高等教育を施す小規模な貴族学校だったが、時代の変遷とともに門戸は開かれ、今は入学にあたり身分を問われることはない。
とはいえ、貴族学校としての精神性は戦後六十年経ってもあまり薄まらなかったようで、受験難度は全国でも指折りの水準であり、学費に関しても平均的な公立高等学校の六倍以上と、現実的な意味で一般庶民に開かれた学園とは言い難い。
いわゆるお嬢様学校、と呼ぶのが相応しいだろう。
唯一欠点があるとすれば、戦後の都市開発に取り残されたことにより都市部からのアクセスが大変悪いことだったが、俗世の空気に触れることなく息女らに上等な教育を受けさせたいと考える階級の親たちからしてみれば、それも長所といえた。
歴史的な必然性と、細くなりつつも変わらず存在し続ける“純粋培養の女子高等教育”の需要とが交差し続けた結果、閉ざされているが開かれていないわけではない、世から隠れてはいないが有名すぎることもない、人間の目ではわからないような速度で色褪せて、傾いていく硝子細工のごとき学園が、そこにあり続けたのだった。
古い木造校舎の内部は何だかいつも仄暗くて、雨のあとのような匂いが仄かに漂い、そこを墨色のブレザーをまとった少女たちが往来すると、肉体を欠いた影が互いに重なり合い、古い硝子を透かしてものを見る時のように、互いが互いの内部を通過していくように見えるものだった。
窓から注ぐ濁った光がブレザーに当たると、左胸に刺繍された金の校章エンブレムが冷たく光って、月桂樹模様の残影が数秒のあいだ網膜に残り、滲み、その後でようやく、それを着ているのが誰かということに意識が向くという順序だった。
どんな尖った個性も、伝統と格式という名の酸にゆっくりと溶かされ、三年間かけてその精神が純化していくとともに、馴化していく。そんな、残酷なほどに美しい空気があった。
校舎の広さに比べると生徒数が少なかったこともあって、がらんとした空間の広がりはいつもひんやりしていて、外よりいつも摂氏三度くらい気温が低かったように思う。
西暦二〇一〇年、春。
高等部の新入生は、私を含め九割以上が中等部からエスカレーター式で上がってきた内部進学生だったが、夜野田天使は珍しい外部入学生だった。
それも、学費全額免除の条件を満たしたA3特待生。
A3の条項には、偏差値八十近い編入試験で全教科九割以上の成績を収めなければならないだけではなく、保護者の収入が一定額以下、という記述があった。
北斗長里に通う子のほとんどは高額な入学料や授業料を一顧だにしない裕福な家の出身がほとんどだったから、その点でも、いやそちらの点こそが真に珍しいことだった。
始業式のすこし前。
私は担任教諭に呼び出され、職員室に参じていた。
また何か雑用を言いつけられるのだろうと思っていた。高等部に籍を移す以前から、三十分後に開会される始業式や、その後数日かけて行われるオリエンテーションのための様々な準備を、休日返上で手伝わされていたので。
教員人生八年目、まだまだ若手の柴田誠一教諭は、困った顔をしながら話し始めた。
これから来るA3特待生が、複雑な家庭環境の生まれであること。
幼い頃に親元を離れ、児童養護施設で暮らし、学力に関しては編入試験で非常に良い成績を収めており文句のつけようがないが、性格は少々問題があり、施設ではトラブルが多かったらしく注意が必要らしいと。
他の先生にも聞いたがA3を満たす生徒はどうやら開校以来初めてらしいと、柴田先生は、言葉というより自分は戸惑っているという態度のほうこそを、私に伝えた。
伝えて、そして、どうしろとは言わなかった。
その子に対する責任を分かち合おう、あわよくば君に監督役を委ねてもよい、できればそのほうが好ましいがどうだろうか、という語尾の濁し方だった。
私は、話を聞きながら、このあと講堂で行う始業式のスピーチ文を頭の片隅でなぞっていた。その反対側の片隅では、その編入生の面倒を見れば今後の進学に有利になるだろうか、といった打算を静かに働かせながら、対応に困るほどの生徒なら面接試験で落とせば良かったのに、と呆れもしていた。
中等部での成績、内申、その他諸々の事情により、新入生代表としてスピーチを任されてはいたものの、その時点では私だって高等部第一学年に籍を置いたばかりの、ただの一生徒に過ぎないはずだったけど。
「わかりました」と私は万事を含んで答え、柴田教諭の表情にあからさまな安堵が浮かぶのを見守った。
周りの人間から「優等生」として勝手な期待を掛けられることには、慣れていた。
◆2
夜野田天使との出会いについて思い出す前に、少しだけ私自身のことを話しておきたい。
私、藤村冬花は、さる政府省庁に勤める父と、同じく政府関係の団体で働く母の間に生まれた。
一九九四年の八月のことだ。
猛暑だったらしい。
出産の際になって病棟のエアコンが丁度故障してしまい、熱射病になりながら汗だくで産んだのだ、と、幼い頃に母から聞いたことがある。
それなのになぜ名前が冬の花なのか、という疑問を私が持つのは、ずっと後になってからだ。
兄弟姉妹はいない。ひとり娘として、大切に育てられた。
父も母も高給をもらっていたので、藤村家は裕福だった。少なくとも、経済的に不自由したという思い出はない。
都内の一等住宅地に邸宅があった。とにかく広くて、日当たりのよい大きな庭もついていた。
家族だけでは維持すらままならないので、いつも下働きの人材が何人か出入りして、多忙な両親の代わりに家の仕事をやってくれていた。
私を育て、世話をしたのも、単純に時間の長さという観点からいえば、両親とは別の人間。
それでも不思議と、幼少期の記憶の中心にいるのは父と母で、それ以外の人々のことを、私はほとんど思い出すことができない。
皆、私の愛着が形成される前に、転職したのか、定期的な配置転換でもあったのか、あるいは職を辞したのか、気付けば家の中からいなくなっていたように思う。
人がいなくなる奇妙な家だった。
鶏が先か卵が先かという話になるが、この経験からくる実感は、私の愛着のありかたに大いなる刷り込みを与えた。
父と母以外の人間は、いずれここからいなくなってしまうのだから、気にしたって意味がない――。
私の孤独な人生は、物心つく頃にはもう始まっていたのかもしれない。
唯一はっきり覚えている家政婦の橘さんには、だから、多分嫌われていた。声が届いていなくて返事ができなかっただけなのに「愛想のない子だね」と、一度だけだが頭を小突かれたことがある。その時の彼女の口の中の黒さを、並びの悪い歯の形を、今でも覚えている。
彼女のことはあまり思い出したくない。
両親は、私のことを大切に思ってくれていたと思う。
しかし、一緒にいられる時間があまりにも少なかった。
二人とも何日も家に帰らないことが珍しくなく、三人で食卓を囲むのは週に一回あればいいほう。その食卓も、二人とも険しい顔をして、娘そっちのけで難しい政治の議論をすることが多くて、私にとってあまり楽しい時間ではなかった。
私が二人のことで一番よく覚えているのは、玄関という名の忌まわしい場所から出ていく時の後ろ姿と、玄関という名の好ましい場所から帰ってくる時の顔だった。
世の中の矛盾を、私は玄関から最初に学んだ。
玄関はまた、人は容易に変わってしまうということも教えてくれた。
出ていく時と帰ってくる時では、同じ父、同じ母であるはずなのに、表情や、言葉や、仕草や……言葉には表し難い「匂い」ともいうべき何かが、場合によっては別人と思うほどに違っていた。
出ていく前に交わしたはずの言葉(例えば、「今日は早く帰ってこれるよ」)を綺麗さっぱり忘れているなんてことはしょっちゅう。娘のことなど目に入らない、入れたくもないという刺々しい匂いをまとって私の傍を通り抜けることもあれば、逆に私を抱き上げて、驚くほど優しく頭を撫でてくれることもあった。
これもずっと後になってからわかったことだが、ひとりの人間が二つの人生を同時に生きることはとても難しいことなのだ。
父にも母にも、玄関の外の人生というものがあって、外は、広かった家よりもずっと広いので、玄関の中の人生よりも、もっとずっとその人の在り方に影響を与える。匂いを変えてしまう。
私の存在は、彼らの人生のすべてではなかった、ということ。
それでも、幼い私にとっては彼らは私のすべてだったから、彼らがどんな匂いをまとって帰ってくるとしても、彼らを待たないわけにはいかなかった。
一階の廊下の途中に大きな柱時計があって、そのそばに、私はよくいた。
そこからは玄関が見えたし、彼らがいつ帰ってくるかはわからなくても、コツコツと一定間隔で響き続ける時計の音が、時間がちゃんと進んでいるということを教えてくれたからだ。
夜中に寝室を抜け出して、柱時計に身を預けて父母の帰りを待つうちに眠ってしまい、翌朝出勤してきた家政婦に見つけられるということが幾度かあった。見つからずに朝を迎えたことは、何度も。
幼稚園に通い始めると私にも外側の世界ができ、それは少しずつ広がっていったが、一日の必ず最後に家に帰らなければならないという点は変わらず、相変わらず孤独が私の友だった。
愛されていなかったとは思わない。
家族旅行に連れて行ってくれた思い出はある。
誕生日やクリスマスにはお祝いしてくれたことも覚えている。
しかしそうした思い出はいつも、素手で氷に触れる時のような痛みに閉じ込められていた。
これは恐らくだけれども、父も母も、子供の愛し方をはっきりとは知らなかったのだ。
両親が私に接する時、いつしか、他人の家の子に接するようなぎこちなさが伴うようになっているのを、私は幼くも敏感に察知した。
それは園における他の子供との扱いの比較であるとか、私を誉める時や叱る時の声のかけ方などに如実に感じ取れた。
優しい子に育ってほしいと愛情を注ぐ傍ら、娘を厳格な規律のもとで清く正しく躾けたいという想いも彼らの中にあり、その舵取りを、彼らは難航した――というより、じゅうぶんな準備していなかったようだ。
誰もが「親になる経験」は初めてだから、準備不足は責められることではないけれど。
軌道修正のための時間は、もう少しあっても良かったのではなと思う。
その不安定な舵取りは、私が童女から少女へと育っていくに従って――つまり「人間」という生き物に近づくに従って――ますますわからなくなっていったようだった。
娘としても、正しく思考し振る舞うことは学んだ反面、どういう愛情を親に求めたらいいのか、表現可能な情緒が増えるごとにどんどんわからなくなっていたから、お互い様だったのかもしれないが。
とはいえ、当時を客観視してみても、この程度の問題を抱えた親子など、それほど珍しいものではないだろう。
だから、ここまでの話で終わりだったならば、私はどこにでもいるちょっと陰気な子供として、存在を忘れられた日陰のプランターでかろうじて生き続ける植物のように、目立たず静かに、生育していったことだろう。
私を日陰に留めておかなかったのは、私自身の血と骨と肉だった。
かなり早いうちから、背が伸び始めた。
十歳。幼稚舎の第四学年ではもう、学年で一番大きい女子になっていた。
第五学年に上がる頃には、六年生の男子を含めても、学校いち背が高くなっていった。
一般に女子の方が身体の成長は早い、いずれ男子に抜かれることになると先生には言われたし保健の教科書にも同じことが書かれていたが、結局、十六歳になってある少女に出会うまで、自分より背の高い同年代の子を目にすることは一度もなかった。
その少女というのがつまり夜天のことなのだが、もう少し私の話を続けたい。
さて、背が高い、ということがどういうことか、わかるだろうか。
単なる身体特徴であり、個性のひとつ?
それは客観性と模範性を備えた優良解答だが、当事者にとって客観性など何の意味も持たない。
答えは単純。
背が高いということは――「見られる」ということ。
「女なのにでかい」というような、好奇の視線や揶揄の心理を思い浮かべた人は、間違ってはいないにせよ、少し考えが足りない。
私が言いたいのは、見る側のそういう「反応」の、遥か遥か手前で、私は「見られる」ということ。
目立つもの、珍しいものに視線が吸い寄せられるのは本能であって、本人が見た後で何を感じ、何を思い、何を表現しようが、それが私にとって好ましかろうとそうでなかろうと、「見られる」ことそのものからは避けようがない。
そして私は、人がいる場所ではいつでも「見られる」ことを意識しないわけにはいかないのだった――私が私の血と骨と肉でそこに立っている限りは。
他の人が私を見るのは本能であり無意識の振る舞いだが、それを知覚するのは私という意識。
普通の背丈の女子の数万倍、あるいはそれ以上、私の意識は受動態で酷使されることになり。
その不平等は、ますます私を孤独にし、私の自意識を過剰な速度で成長させることを手伝った。
「他人からどのように見られるべきか」を、常に意識する子供になったのだ。
他人に見られることを気にしない、どう見られようがそれを意識しない、ということ自体は、困難だが、努力すれば可能だったかもしれない。
背骨を曲げ、身体を縮めて、背格好を目立たせないようにして、まるで自分などどこにもいないかのようにひとりに殻に閉じこもって、ひたすら陰の中に留まることが許されれば、それが私としても理想だった。
しかし、私はどこへ行こうとも、「藤村冬花」であることからは逃れられなかった。
私の父と母はともに社会的意義のある要職に従事しており、その社会的地位は一種の印籠として、生まれながら私の首にも掛けられていた。
私が玄関の外で出会う大人たちは、私のほうでは誰一人として彼らのことを知らないのに、彼らはいつも私のことを――正確には私の胸で光り輝く印籠を――を知っていて、親しげにコミュニケーションを求めてきた。
私がそれに対して、逃げたり、隠れたり、上手く受け答えができなかったりすることを、両親はよく思わなかった。
叱られたことはないけれど、そういう振る舞いをすると両親が困るらしいということは、物心ついたばかりの子供でも理解できた。
親の期待に答えたいという気持ちはたぶん強いほうだったから、自分の都合が悪いからといってテーブルの下へ隠れてしまうような行動は厳に慎まなければならなかった。
たとえ見知らぬ大人たちに囲まれていても、両親を頼らず、しゃんと背を伸ばし、微笑を絶やさず、挨拶には挨拶と気の利いた一言を返し、明晰に思考し、感情を抑制し、清廉に振る舞い、どんなに退屈で苦痛でもそれを表には出さない。
幼くして私は社交を知る女となった。
いつ誰に見られたとしても「誰かが求める良い子」であるためのすべを身に着けたのだ。
良い言い方をすれば早熟でしっかりしていたので、就学前でさえ他の子よりも多くのことを任され、頼られ、私は、自分の対処能力を明らかに超えているという場合を除いては、やはり大人たちの期待に応え続けた。
さすが藤村さんの娘だと褒められれば気分は良かったし、面倒ごとを整理したり、問題解決のために知恵を絞ったりすることは、私の性格に合っていた。
判断と行為、それに付随する責任とはいかなるものかについても、教育や知識によってではなく、ほぼすべて経験から学んだ。
他人という理解しがたいものを、どう分析し、どう動かすかということも。
それが人間社会において大切な資質だということも。
父母に流れている政治の血は、私にも受け継がれていたのかもしれない。
おかげで義務教育課程では、ほとんどの期間、「長」と名の付く何らかの役職に就いていたし、役職とは関係なく「藤村さん、ちょっといいかしら」と大人から声をかけられ、何らかの雑用を任されるのが日常だった。
同級の、特に男子からはやっかみを受けることもあったが、気にするほどでもなかった。
大人たちから良い評価を受けることのほうが重要だし、誰かに必要とされることが、ただ嬉しかった。
しかし、家に帰れば、私はひとりで、誰にも必要とされなかった。
玄関の内側には、誰もいなかった。
私を必要とする人も。
私が必要とする人も。
ともすれば、私自身も。
家の中にあるどんなものも冬の食器のように冷たく、窓に掛かっていたカーテンまでもが、そういう模様の氷の彫刻であるかのように、そよ風に揺られることも厳に拒否していたように思い出せる。
私はその希薄な空気の中でも生きられるように適応した、希薄な何かだった。
ただ、古い柱時計だけが動き続け、刻々と時を進め、玄関の外側でだけ意味を持つ私の身体を、血と骨と肉を、作り上げていった。
「良い子」長じて、「優等生」に。
私の十六歳までの人生は、結局のところ、ただその一文に要約されるだろう。
一七一・二センチ。
五五・八キロ。
それが十六歳になった私の「おおきさ」。
◆3
私が初めて夜野田天使と対面したのは、始業式が閉会した直後、中央講堂の隅でのことだった。
在校生と新一年生が列を組んで退出していく、足音とお喋りの騒々しさの中、柴田教諭に寄り添うように彼女は立っていた。
奇妙な話だが、十分な距離に近づくまで、私は彼女の実体と輪郭をはっきりと掴むことができなかった。
それはちょうど、闇夜でじっとしている黒猫の姿が、背景と見分けがつかない現象に似ている。
金色の双眸が開いてこちらを見ることによって、鼻や、口や、頬や、耳や、胴や、尾の輪郭がつながりをもって連想され、徐々に全体の輪郭が浮かびあがる――。
背の高い少女だった。
一七〇センチは確実にあった――私より高いかもしれない。
そして、誰もが目を瞠るであろう美少女だった。
手足は鞭のように長くしなやかで高い身長と恐ろしく均整が取れており、ミルク色の肌は朝の空気に溶けそうなほどなめらかだ。
髪は肌の色を際立させるように黒く、何かから守るように額を覆い隠し、頬の輪郭を伝ってほっそりとした肩を滑り、腰近くまで裾を広げている。
そのシルエットは、まるで頭から夜空をかぶっているかのように神秘的だった。
ぱっちりとした大きな瞳は猫のように愛くるしく、表情は年相応に引き締められているのに、見る者に何らかの衝動を喚起させる――赤ん坊を構いたくなるような気持ちになる。
瞳も、髪も、肌も、瑞々しい花のようにどこも不思議な湿り気を含んでいた。
彼女が身じろぎし、瞬きし、またはわずかに表情を変えるだけで、彼女の持つ色彩が、周囲の空気にじわりと滲むようにさえ錯覚される。
複雑な家庭、施設で育った、性格に問題があって注意が必要――等と聞いていたから、どこか、渇いた荒野の土を彷徨う飢えた動物をイメージしていたが、実物はそれとは正反対だった。
目の前にいるのは、何らかのエネルギーをたっぷりと、一身に受けて生育した純粋培養の生き物だ。
その生気の源は、極めて清浄だが熱のない何か、月光のような精気であって、私はどこからどのようにしてそのようなエネルギーがやってくるのか、まったく見当がつかなかった。
これまで私が出会ってきたどんな人間とも異なる根本原因を持った少女。
自分と同じ地平に立って、同じ空気を吸っていること自体が一種の挑戦のように感じられた。
彼女はそこにいるだけで、彼女以外の存在の確からしさ――そうとしか言いようがない何か――を試しているのだ。
柴田教諭が私たちを引き合わせ、互いに名を名乗った。
初めまして、これからよろしくという短いやりとりの間に、私は注意深くレーダーを働かせ、できるだけの情報を得ようとした。
目つき、目線、話し方、表情、身体の向き、大きい仕草、小さい仕草、応答と反応。
そういった要素はその人がどういう人間かを饒舌に語る。時には、本人が自覚しているよりもずっと正確に。
私が第一次接触で得る感覚は、後々若干の修正を加えることはあるにせよ、大まかには外れない。
培ってきた社交能力の賜物というやつ。
ところが、目の前の存在からは、奇妙なほどに何も感じ取れなかった。
まるで暖簾に腕押し。
実体がそこにあるのに、実態がそこにはないかのよう。
手が届くほどの距離だというのに、その輪郭ごと背景に埋没してしまっているような感じだ。
そんなことがある?
ただ二つの目だけが、何もない虚空の中でぱっちり開かれて、私がそうしているように、いや、私よりもあからさまに私を「見て」いた。
私は微かに感じ取る――その視線がどこか不善な気配を帯びているのを。
と、彼女が微笑とともに握手を求めてきて、受動的観察に注力していた私は、一拍遅れてそれに応じた。
ひんやりとしていて、そして、やはり微妙な湿度を帯びている手だった。
そんなわけはないのに、どこまで握っても水のように実体を掴み損ねてしまうのではないかと錯覚される、不思議な手ごたえ。
「ふうん――」
侮蔑のニュアンスが、耳に届く。
と同時に、握られた手がわずかに引かれた。
ほんの数センチ。
なのに、身体が一気に引き込まれるような感覚があった。
「さっきのスピーチもそうとう退屈だったが」
耳朶へ注がれる、冷たい温度。
「期待通りつまらない女だ」
私は硬直した。不意の攻撃に誰もがそうするように。
「君には他人に見せようという何かがないのか? 空っぽなんだな」
奇妙な、感覚だった。
どこから喋りかけられているのか、よくわからない。
正面以外ありえないはずだけど、声が、いや声というよりも彼女の意志だけが耳に直接刺さるような感じがある。
「いや、違うか。君の中にそもそも他人ってものがないんだ。……ふーん」
つい数秒前だ。
握った手をわずかに引かれたあの瞬間、何かが崩されて、身体ごとどこかへ引き込まれた。
どこかへ?
それはどこ?
(なに、この子)
私はごく短く息を吸った。
そして、今度はフルパワーでレーダーを稼働させた。
どんな鈍感な相手でも無礼に感ずるほどの強さで、凝視する。
それなのに――。
表情も、視線も、手のひらの硬さも、何も変わっていなかった。
目の前の相手が今まさに何の遠慮もなく落胆と非難とを真正面からぶつけてきているとは、到底思えない。
そこだけはくっきりと私に捉えることのできる二つの目が、解釈を許さずただ事実のみを切り取ろうとするカメラのレンズのように、逆に私を捉えて離さない。
――その程度の観察じゃ、こっちのことなんて何もわからないし、何も探らせない。
言外に、そう告げられているような気がした。
私は短く息を吐いた。
そして、自分が許容し得る範囲の社交術において、反撃を試みようとした。
当意即妙。
無礼を働く相手には、それ相応の対応というものがある――そういう嫌な大人をあしらった経験も、私には幾度かあった。
握られた手を握り返す。
まっすぐ視線を返し、私は言葉を返そうとした。
「おっと」
しかしその寸前、いや、私が反撃の態度を表出したのとまったく同時と言ってよい瞬間に、するりと手が解かれていた。
確かに握り返したはずなのに。
まるで魔法のようだった。
さらに、追撃を避けようとするように二歩、三歩と身を引いて、両手を肩のあたりで広げる仕草までしてみせた。まるで、私のほうが何か無礼を働いたとでも表現するように。
その距離がちょうど、私が即席の怒りを実体化させるに足る射程範囲内のギリギリ外側だったために、完全に虚を突かれてしまう。
完璧な間合いという他なかった。
これは夜天と付き合うなかで幾度となく感じさせられてきたことだが、彼女は対人コミュニケーションのあらゆる場面において、「機先を制する」ことが天才的に上手かった。
相手が引き金を引く前に引き金を引く。
相手に反撃される前にその範囲外へ逃れる。
相手の意思が形を成すとき、既に、彼女の行為が形を成している。
後の彼女自身の言葉を借りれば、「僕が放った銃弾を受け止めるのは僕自身だから、外すことはない」し、「逆もまた然り」だとか。
もっとも、そういう彼女の能力というか特異性について私が理解するのはまだもう少し後の話で、その時の私には、何だかよくわからない方法で攻撃されたようだ、という、何だかよくわからない奇妙な感覚が残されるのみだった。
「いやあ、先生、何でもありません」
今のやりとりが柴田先生にどう見えていたかわからないが、いずれにせよ、夜野田天使はその一言と、呆れるほど完璧な社交的笑顔で、彼のあらゆる介入を先んじて封じた。
そして、ここでするべきことはもう終わったと言いたげに背を向けて、床に置いてあった荷物を抱え上げた。
指定鞄の持ち手を長い腕が持ち上げる、その時、私は初めて、彼女が私と同じ同じ制服を着ていて、学校指定の同じソックス、同じ上履きを履いていて、同じ色のリボンをつけていて、月桂樹に囲われた金色の校章エンブレムを胸に掲げていることに気がづいた。
信じられない話だが、今この瞬間まで、私は彼女が自分と同じ北斗長里の一生徒だということを意識できなかった――あまりにも異質すぎて。
正確には、彼女がそれを意識させないようにしていたのだろうが。
「また話そう。藤村冬花さん」
北斗長里の、あらゆる個性を純化するとともに馴化させていく空気にも決して埋没することのない、突出した個性の持ち主。
夜野田天使との、これが最初の出会いだった。
◆4
「また話そう」と彼女は言ったが、それからしばらくの間、面と向かって話す機会はなかった。
私の悪い予想と予感に反し、夜野田天使は大きな問題は起こすことなく学園生活に馴染んでいった。
その常人離れした美貌と、外部特待生という特殊な身分。一七〇センチを越す長身と、柔らかくよく響く少女の声であるのに「僕」「~だろ」「~じゃないか」などと話し口調は男性的であるギャップは、世間ずれしていない同級の少女たちの警戒を引き出すに十分で、最初の二、三日こそ羊の群れに狼が紛れ込んだような雰囲気だった。
しかしその狼が、理知と未知とを併せ持ったとびきり賢い狼であることがわかると、羊たちの警戒心は、そのまま好奇心へと反転した。
程度の差はあれ、未知のものをよく見たい、触れたい、知りたいという欲求は誰にでも備わっている。
その原始的な欲求を彼女は的確に把握し、少女たちの心を柔らかいクリームをかきまぜるようにして巧みに刺激することができた。
長い髪のふさが肩と頬に挟まれてふくらむ時、その数瞬だけ、その面差しが妙に野性的でかつ男性的に写り、女だらけの環境では大きな刺激となった。
必要があれば、彼女は何かの理屈を諧謔に満ちた話ぶりで語り聞かせて相手を感心させたし、道化のように道理を逆さまに語って朗笑や苦笑を買うこともできた。
ムードメイカーであり、知識は豊富で、品性も備えていた。
ただし、迎合はしなかった。
自分を値踏みさせず、理解されようとはしなかった。
羊に紛れつつも、羊になる気はない。
あくまでも異物。未知のものであり続ける。
いつまでも理解できない、深くて遠い断絶を持った存在であり続ける。
孤高だった。
それゆえに目立つし、それが少女たちの関心を引き続け、自分たちと異なるものを知りたいという欲求をいつまでも絶えさせない。
もし突然に噛みつかれるようなことがあったとしても、この子は異郷より来たる狼だから仕方がないと、噛まれた者にさえ言わしめる――。
電気のようにぴりぴりする緊張感が、常に彼女の周囲には漂っていた。
少女たちはそのスリルを敢えて味わおうとするかのように、ふらふらと、夜野田天使に惹きつけられていくのだ。
噛んでほしいといいたげに、白い喉をさらして。
奇妙な、眺めだった。
私はといえば、先制攻撃された時の感覚がしっかり残っていたので、できるだけ彼女に接近せず、関わらないようにもして、遠目に彼女を観察することに徹していた。
幸い夜野田天使は抜きん出て背が高かったし、いつも何人かで行動していたので、辺りを見渡すだけでいつも見つけることができた(私がいつもそうされていたように)。
一緒にいる相手はいつも違った。特に親しくしている相手というのがいないわけではないが、特定の誰かというわけではないようだった。
その姿が見えない時は、同級の誰かが必ずどこそこで見かけたという情報を持っていた。
誰もが彼女を「見」ていて、その存在を気にかけているので、何だか、彼女を中心に学園が回っているようでさえあった。
彼女がいるおかげで私が「見」られる頻度は多少なりとも減少していて、その点は、まあ、素直に助かっていた。
大きな問題にこそ発展しなかったが、小さな事件はちょくちょくあった。
例えば――。
夜野田天使が、授業が始まっても席にいないとか。
夜野田天使が、運動部の備品を勝手に持ち出して校庭で遊んでいたとか。
夜野田天使が、放課後に外出許可も得ず市街地で同級生と遊んでいたとか。
夜野田天使が、茶道の先生に暴言を吐いて、茶室を退室させられたとか。
夜野田天使が、なぜか廊下を猛ダッシュしていたとか。しかも、裸足で。
夜野田天使が、上級生に暴力を振るわれそうになり、殴り返したとか。
そのうち何件かは私も直に目撃し、また、対処にも当たった。
あらかじめ内定していたことだが、私は推薦により学級長に就任しており、また非公式なものではあるにせよ夜野田天使の「監督役」を柴田教諭から任されているという自覚と責任もあったので。
しかし実際のところ、これらの問題に対処するにあたり私が困るということはなかったし、もっといえば、私が対処する必要性さえもなかった。
なぜなら、彼女が起こす問題はすべて、彼女自身によってコントロールされていたからだ。
授業に出てこないといった事例は所詮、彼女自身の問題だし、反省を示したり、体調不良でやむを得ずといった言い訳をしたりすれば、よほど連続しない限りはその場の注意のみで何度でも見逃されると彼女はわかっていた。
規則違反や素行不良についても、それをしてはいけないとは知らなかったと言えば初犯は見逃されるし、どんな規則にも「触れてはいるが明確に侵犯してはいない」というラインがあって、彼女はそのラインを巧みに横跳びしてみせ、「異郷より来る狼」の理屈で事なかれ主義の大人たちをうまく誘導した。
被害者がいるケース、そこに暴力が絡んでいるケースはもっとも深刻だったが、そうした場合では相手に少なくない非があったという状況が必ず証拠として提出され(例えば、施設出身であることをからかわれたとか)、やむを得ず暴力が用いられた(例えば、正当防衛)という着地点があらかじめ用意されていた。暴力についてはさすがに「同じことをすれば退学」という強い警告が与えられたものの、警告は、ただの言葉だった。それなりに違う状況で起こった問題は「同じこと」ではなかったし、一度被害に遭った生徒は二度と彼女に近づくことはなかったから、「同じこと」が繰り返されることはなかった。
職員会議でも度々名前が挙がることを私は知っていたが、情報共有までがせいぜいで、それが具体的な「対応」まで至ることがなかったのは何故かと言えば、そうならないように彼女が問題の程度を調整していたからだ、と私は答える。
要は、大人たちもまた羊だということだ。
柴田先生は彼女にまつわる問題が起こるたび、私の姿を見つけては、何とか大人しくさせられないものかとぼやいたが、それをぼやく以前に大人の権限でどうにかできない時点で、彼女の策に嵌まっている。完全に後手なのだ。しかも当然、後手として打てる手は先手によって限定されている。
夜野田天使は羊たちを見事に統率してみせる牧羊犬――ならぬ牧羊狼と呼ぶにふさわしかった。
これは悪く見すぎかもしれないが、彼女は多分、秩序に挑戦することが好きなのだと私は考えた。
この壁を清潔に保ちましょうという秩序がもしあったとしたら、その壁をどこまで汚したら、壊したら、駄目にしたら、注意を受けるのか。注意が厳重注意になり警告になり処罰が必要になり審判が開かれ具体的な罰が決されるまでの行程と条件は何なのか。その罰はどうやって決まるのか。その罰を与えるのはどこの誰で、その罰とその人にどのような正当性があるのか、その壁は、その秩序は、本当にそこにあるべきなのかと、彼女は試しているのだ。
面白半分に。
この学園の――いや、恐らくこの世界にあるあらゆる壁に対して。
蹴りを入れ続けている。
多分、彼女はこの私が対処に当たることも計算に入れていて、これから起こそうとする問題の軽重をコントロールしていた。例えば、私が間に入って見聞きしたことを正当に証言すれば、謹慎処分がただの警告にスケールダウンするだろう、というように。
それが透けて見えていても、「私」は彼女の事情には関わりたくなかったので、私情は一切挟まず「学級長」として粛々と役目をこなした。
例えば、授業開始しても彼女が教室にいなかった時。
私は、私が探しますので授業を始めてくださいと席を立って、彼女の所在を探した。
先述したように、同級の誰かは必ず夜野田天使がどこそこにいると思われるという情報を持っていたので、探し当てることはさほど難しくなかった。
外階段のひだまりで微睡んでいる彼女を見つけ、教室へ戻るよう促すと、彼女は私を一瞥し、面倒くさそうに欠伸しながらも、反論も言い訳もせずそれに従った。
その背中に、何度か、問いかけたいと思ったことはある。
なぜ、授業に出ないのかと。
なぜ、秩序に挑戦するようなことをするのかと。
なぜ、私の指示には従うのかと。
なぜ、あなたはそうなのかと。
でもしなかった。
何度でも言うけど、私は彼女を相変わらず正体のよくわからない危険な存在だと思っていて、四つに組むのは避けたかったからだ。
もちろん、秩序を根本から破壊するような異常者だったら野放しにはしておけないけど、彼女は、賢い狼だったので。
むしろ私は、こんなふうに、こんな頻度で規則を破って、時には人を傷つけても体制は変化しないし、秩序というものは意外と弾力性を持っていて個人で制御可能だという事実に、どこか感心すらしていた。
「優等生」たる私はこれまで、秩序はただ守るべきもの、としか思っていなかったので。
それがそこにある意味を、ちゃんと考えたこともなかったので。
一定の好奇心をもって彼女を観察する自分に、少しずつ気づき始めていた。
そんな中、私を最も動揺させた出来事は、一週間のオリエンテーションが終わり、実力考査が実施された、その次の週に起こった。
その考査は中学部の一応の総復習のような平易な出題内容であり、内申等にも影響しない試験だというのは公然の秘密だったので、終始緩やかな空気の中で行われた。
翌週、その結果が一斉に返却されたわけだが、夜野田天使だけは、皆と同じように教室で答案を返されるという形ではなく、職員室呼び出しを宣告された。
考査結果に何らかの問題があったようだった。
その日の昼休み、私は用があって――彼女が何をしでかしたのか興味はあったがわざと探りに行ったわけではなく――職員室に赴いていた。
結果、遠巻きにだが事の次第を目撃することになった。
「夜野田、何だ、これは」
椅子に座っている柴田教諭が、目の前に立たせた彼女を叱っている。
その手にあるのは答案の束のようで、そこに書かれている事柄が内容が問題視されているのは間違いないようだ。
柴田教諭はずいぶん苛立っていた。
私は、他の教諭のデスクに持ってきた数枚の書類を置いた。職員室へ来た用事はそれで終わりのはずだったが、ふと書類の内容が気になったという振りをして、その場に留まった。
「何とは、何についてですか」
彼女のほうは飄々としたものだった。
いや、表情までは私からは見えないのだが、立ち姿からわかる。
答案のことで職員室呼び出しになることを、柴田教諭を怒らせることを、ずっと前から承知していたという態度だった。
「何なんだ、この点数は。国語1点とはどういうことだ? ほとんど白紙じゃないか。数学も9点……。これはあれか、やる気がなかったのか? それとも、答案に集中できない理由でもあったのか?」
補足しておくが、各教科とも満点は百点である。
「いいえ、とんでもない。ちゃんとやりました。他の点数と見比べてもらえればわかると思いますが」
「英語45点、理科55点、社会99点――。社会は見事だが、他も決して褒められた点数じゃ」
「カプレカ数です」
言葉を遮って、彼女が告げた。
「ご存知ないですか? その数の平方をとり、二つに分けたあとで足し合わせると元の数になるという、なかなかユニークな数なんですが。ちょっとしたパズルみたいなものですね」
柴田教諭は、硬直した。
カプレカ数を「ご存知」ではなかったようだ。
もちろん、私も聞いたことがなかったが、後で調べて知ったので、ここで解説しておこう。
45を例にとる。
まず平方をとって、45^2で、2025。
2025を、20と25に分ける。
20と25を足すと元の数、45というわけだ。
カプレカ数は無限にあるが、100以下では以下の5つのみ該当する。
1、9、45、55、99。
「……いや、しかし」
どうやら夜野田天使が実力考査の得点欄を利用して一種のパズル遊びのようなことをしたらしいと理解した柴田教諭は、硬直から復帰するとともに、呆れた声で言った。
「お前な、テストを何だと思ってる。カプレカ……が何だか知らんが、この試験は、新入生の実力を測るための重要な指標なんだ、それをお前はこんな……」
「実力なら、編入試験で示したばかりじゃないですか。全教科満点で、その上何を望むというんですか。二度手間は嫌いなんです。出題内容も初歩レベルで、はっきり言って退屈でしたよ。無意味に手を動かすのは趣味じゃないので、パズルでもやってたほうが有意義じゃないかと考えたわけです。うまくいって良かったです」
フフ、という小さな笑い声が語尾に混じる。
柴田教諭が一瞬絶句した。
「こ、こんなことでは、特待生の待遇を取り消すことだってありえるぞ!」
「ありえるんですか?」
素朴な問い。
「もしそうなったら僕は困りますが、学園長からそういうご裁可が下されるほどの事案だということなら、仕方ないですね」
もちろん、そのような「もし」はない。
初年度の実力考査は実質的に「現状の自分の学力を知る」以上の意味はなく、極論、全教科赤点だろうが何の不利益も生じないのだ。特待生についての決定権を持つ学園長まで話が上がることなどありえない。
もっとも、答案を利用してふざけた挙句、教師を愚弄するという「態度」のほうは問題視される可能性があるが――。
「反省はしています。同じことはもうしません」
形ばかりでも反省の意を示してみせるのだから、狡猾だ。
耳をそばだてているだけの私にも、今の一言は「さすがの夜野田天使も、少しは自分の行いを反省しているようだ」と感じさせるに足るニュアンスがあった。
誠意と、謝意と、しおらしさ。
彼女の目線や、表情や、仕草などでそれらの「形」を至近で浴びた柴田教諭は、どんなに前頭葉で「こいつは口でそう言っているだけだ」と思い込もうとしても、深層心理の要請によってそれを否定せざるを得ない心境に追い込まれたことだろう。
ぶつぶつと、なおも柴田教諭が小言を重ねたが、それ以上耳を傾ける必要はなかった。
今回の事案は「注意」相当で終結だろう、それよりカプレカ数とはいったい何だろうと思いながら、私は職員室を後にした。
軽いめまいがした。
「優等生」には、複数の要件が含まれる。
しかし、恐らく多くの人々の認識が一致する条件として「成績が良いこと」が挙げられるだろう。
頭の悪い、試験で点の取れない優等生というものはまずいない。
だから私もまた、勉強は頑張っているほうだと自負していた。
勉強が好きだった。
知らないことを知るのは純粋に楽しかったし、ひとつひとつは何に役に立つのかもわからない小さな点でも、点と点が線になって繋がっていき、法則・公理と呼ばれる美しい体系をなして自分の中に浸透していく、あの何とも言えない感覚が好きだった。
答案用紙の、たくさんの空欄を合理的類推や計算によって理論的に埋めていく作業に、気分が高揚することもあった。
だいたいの問題は既存の問題の応用・拡張でしかなかったが、たまに奇想や発想の転換を求められるような良問に出くわすと、自然と笑みが零れた。
何より、点数という、非常に冷徹かつ客観的な形で結果が現れ、しかもそれが試験という形で定期的に繰り返される勉学は、他の習い事よりもその成果を両親に訴えかける力が強いように思われた。
だから――今まではっきり意識したことはなかったが。
試験というものは私にとって、一種、自分が自分であるための、自分であり続けるための、神聖な儀式のようなものだった。
職員室を後にして、教室へ戻るつもりだったが。
一歩ごとにめまいがひどくなったために、私は近くのトイレに駆け込んでいた。
洗面台で顔を洗った。顔面を何度も両手でこすった。
それでも気分が落ち着かず、口の中をゆすいだ。二度、三度、四度と繰り返し、台に両手をついて、吐いた水が吸い込まれていく排水溝を見つめ続けた。
胃から何か出てきそうな感じはしなかった。
それなのに、嘔吐感としか呼べない異様な不快感が喉のあたりにわだかまっていた。
あの時と似た感覚だった。
中等部二年、第二学期の中間試験の時と。
私はどんな時も「良い子」であり「優等生」であることを演じようと努力してきたが、完璧ではなかった。
完璧な人間などそもそもいないのだから当然ではあるが、だからこそ、私は失敗しないように必死だった。
幼い頃から多くの習い事をさせてもらい、その多くをそれなりに、自分びいきに見れば平均以上にこなしてきたが、どの技芸も、一定以上のレベルになれば自分よりうまくそれをこなせる子というものが視界に入ることになる。
世の中には才能というものがある。
努力で埋められることは多いが、それでも、人が平等に生まれついていないのは、私の背が平均よりずっと高いことからしても明らかだ。
だから「他の子の才能に勝てない」レベルに近づくと、私は勉学に集中したいとか、学級長を任されて責任があるからとか、他の習い事との時間的両立がどうこうとか、優等生らしい理由を両親や講師に訴えて、結局はほとんど辞めてしまった。
そうすることで、優等生の面目を保ってきた。
勉強は私が一番うまくこなせることであり、一番にはなれないとしてもそれに近い順位をとることは、私にとって難しいことではなかった。
高偏差値の少女らが集められた北斗長里においても入学以来常に上位五パーセント以内の成績を維持していたし、幼稚舎時代から、試験と呼ばれるもので九十点未満(あるいは九割未満)をとったことがないことが、密かな誇りであり、自分だけの小さな勲章だった。
例外は一回だけ。
中等部二年生、第二学期、中間試験。
理科。
その日の陽射しの強さまで覚えている。
黒板の拭き残し汚れまで。
返却された答案の八十八点という数字を見た時、膝が震えた。
自己採点では九十点だったけれど、一か所、惑星の公転と自転を書き間違えるというケアレスミスがあり、結果、私の勲章は永久に失われた。
私は答案を胸に抱え、誰かが非難の目を向けてきていないかを確認した。
なぜか視界が暗くなっていて、同級生らがどういう目で自分を見ているのかがわからなかった。
おぼろげに見える床の模様をたどって席に戻ってからも、指先が震え続けた。
犯罪の現場を誰かに目撃される気分というのは、ああいう気分だったのかもしれない。
次の休み時間。
私は校舎裏で人知れず嘔吐した。
二度、三度と、喉の奥が痙攣し、胃酸が食道と口内を焼くのを感じた。
消化されかけの朝ごはんが、ホカホカのドロドロになって自分の中から逆流していった。
もう取り返しがつかなかった。
涙の粒がドロドロに混じっていった。
涙によってドロドロはきれいになるのか、それともさらに汚くなるのか、そんなことを考えた。
今回の理科は非常に難しかった。
平均点は五十点前後だろうし、九十点をとらせることを想定した出題内容ではなかった。
そう、つまるところ、「九十点」というライン、基準は、私自身にとっては絶対順守の防衛ラインだけど、他人にとっては、客観的には、特に意味のないこだわりでしかないのだ。
わかってはいた。
学校の先生も、家庭教師の先生も、同級生も、親も、「八十八点」について気にすることはないだろう。
むしろよくとったと賞賛される可能性まである。
けど、それじゃあ、この吐瀉物は?
口の中の苦さと酸っぱさは?
誰かが、気にしてくれるのだろうか。
この気持ちとドロドロを、誰が片付けてくれるのだろうか。
せっかくの朝ごはんが。
私はそのとき、突然気づいてしまったのだ。
「九十点」という自分で勝手に引いたライン以外に、私が私でいるための手掛かりが、どこにもないらしいことに。
しかし、そう気づいてもなお、他人から求められ続ける「良い子」であり「優等生」でもある藤村冬花を演じること以外に自分にできることがないらしいという事実のほうが、ずっと比重が重くて。
私の人生はきっと、自分で自分を縛っては、人知れず校舎裏で嘔吐するようなことの繰り返しになると、そのときはっきり予見した。
それが自分の運命に違いないのだと。
教室へ戻る前にトイレへ寄って手と口を清め、鏡に映る自分を見た時、そこには、すかすかの「おおきさ」しか見えなかった。
流しっぱなしにしていた蛇口をひねって止め、私は手の甲で口元を拭いた。
試験というものは、実力を測るためのもので、満点を取らせるためのものではない。
ゆえに、その時点では解けないはずの難問(通称「無理問」。一部生徒は「無理だ問」と嘆く)が必ず二問から四問ほど混ぜられる。少なくとも北斗長里にはそういう慣習があった。
だから私も中等部以降は満点を取ったことはないし、満点をとるという目標は非現実的なものだったから、ずっと九十点以上というラインに甘んじていたわけだ。
しかし、さきほど職員室で、夜野田天使は編入試験で「満点」だと言っていた。だから、実力なら示したばかりだと、そう主張していた。
まさか、定期考査より難しいと言われる編入試験で「慣習」が適用外だったとは考えにくい。だから、A3の条件だって「満点」ではなく「九割以上」と書いてある。
満点だったなら、確かに前代未聞だ。
今回の実力試験にしても同じ。社会九十九点というのは、明らかに無理問を突破しているわけで、教師たちの想定外の事態のはずだった。
それだけじゃない。
理科と社会は、それぞれ、配点二点の問題が全五十問という配分だった。
だから合計が奇数点となるには、正解ではないが不正解でもない、「△」をとらねばならないわけで、彼女はカプレカ数なる遊びの条件を満たすためにそれを意図してやったということになる。
問題の解答例は基本的に正解か不正解かの二律背反で曖昧さを含まないように考えられているはずなので、「△」の裁定は、言ってしまえば採点者の気分によることになる。
彼女はそれを二教科にわたって「うまくやった」わけだ。
さて。
九十点以上をとることしか能がない生徒と、一点から九十九点まで気分次第で好きな点数をとってみせる生徒では、果たしてどちらが真の意味で「実力がある」といえるだろうか?
いじわるな教師たちが仕掛けた無理問を食い破り、満点を取ることができた状況でありながら自らのパズル遊びのために一点を甘んじることができる生徒と、無理問の前に立ちすくみ、その手前にゴールラインを引くことに甘んじる生徒では、果たしてどちらが本質的な意味で「優等」だろうか?
彼女はそうとは知らないまま、私に蹴りを入れている。
私を私たらしめる秩序がそこになければならない理由はあるのだろうか、と。
もっといえば、私がそこにあるべきという理由はあるのだろうかと。
夜野田天使本人が直接に敵意を向けてきているわけではないが、その存在そのものを脅威に感じた。
怖れ、不安、心細さ――私をこんなにも不快な気持ちにさせる、嫌な存在。
その不快感が私自身の宿命的歪みに端を発しているものだとわかっていても、いや、わかっているからこそ、どうしようもなく消しようのない感覚で。
彼女の人生には関わるまいと、改めて思った。
鏡の前を離れる時、私は「優等生」の仮面をしっかり被っていた。
◆5
夜天、という名で夜野田天使が呼ばれるようになっていることを私が認識したのは、四月下旬に差し掛かった頃だった。
クラスメイトにその理由について尋ねたところ、
「なんかね、天使って名前が『痛い』から好きじゃないらしくて。あと、前いた施設では、親しい人はみんなそう呼んでくれて、愛着があるって言うから」
なるほど、と私は思った。
彼女は相変わらず「異物」であり続けていたが、その特徴を二つ名に内包させ、そう名を呼んでくれる者に「異なるもの」の視点から一種の「承認」を与えているのだ。
あだ名には元々そういう効果がある。特定の間柄でのみ通じ合う名によって、自分と相手を特別なものとして承認しあう効果が。
しかも養護施設にいたという、一種の秘密まで明かしている。
恐らくは、相手を選びながら自身の少々特殊な出自も開示しているのだろう。
羊の群れをコントロールする段階を終えて、ひとりひとりに個別の承認を与える段階に入ろうとしているのだろうと私は考えた。
その承認は、しかし対等なものではない。
それは、天から降り注ぐ眼差しであり、一種の磁力だ。
彼女はまさに強い磁石のように少女たちの心を惹きつける。
その磁心は遥か遠く、無限といえる距離にあって、強く引きあうのに、永遠に到達できない場所にあるけれど、その果てしない距離こそが魅力なのだ。
届かないからこそ恋い焦がれる。何億光年先から輝きを届けてくる夜空の星みたいに。
その力の根源が何なのか、未だに私は言語化することができなかったが、その才覚そのものは認めざるを得ないという気持ちにはなっていた。
今や学級を超えて学年レベルにまで彼女の磁力は広がり、学園全体へ広がっていくまでにもそう時間はかかるまいと思われた。
生まれた時代と性別が違えば、彼女は一国の王になれる器だったのかもしれない。
自由と平等の時代ゆえに、公的には、いち女学生の身分を超えられないということがむしろ皮肉に思えるほどだった。
それにしても、「夜天」とは。
ある哲学者の言葉を、私は思いだした。
曰く、人間の理性には限界があるため、世界の悉くを語りつくすことはできない。
世界の隅々まで光で照らそうとしても、眠っているときの自分を誰も意識することができないのと同じように、世界のどこかには必ず影の領域が残り続ける。どんな鮮やかな理性でも捉えることが叶わない領域が。
哲学者は言った、そうした領域のことを「第一の夜」と呼ぼうと。
夜天――夜の天使。
天使という名が嫌いだと、本人は言っているらしいけれど。
彼女に相応しい名ではないか、と私は心のどこかで思うのだった。
少なくとも、存在の定義からしてただ正しいだけ、神の名の許に二律背反の賞罰を与えるだけというイメージの、単純で押しつけがましい昼の天使よりはずっと。
とはいえ、その正体が何であれ、私は相変わらず彼女の存在を脅威に感じ続けていたので、その影響力の渦――磁力に捕まらないように注意を払い、ただ遠巻きに観察を続けるのみに留めた。
おかげで入学からひと月が経つ頃には、私は多分クラスの中で彼女からもっとも遠い存在になっていた。
教師さえも、彼女の磁力にかかれば教師という役割を剥がされ、「個人」としての振る舞いを引き出されていたので、潜在的な味方は増えていった。
夜野田天使に興味がない、そもそも他人に興味がないというスタンスの生徒ももちろん存在はしたが、そうした人間も、突き詰めれば彼女のことを肯定的に捉えていた。
文武の両面において彼女はやる気さえあれば完璧だったから、否定的に捉えられる面がそもそも少なく、平等な目で見ようとする限り、その才能と能力は誰もが認めざるを得なかった。
平等な目を持たず彼女を鼻から軽んじようとする輩は、彼女が「問題」を起こすことによって既に排除されている。
気分屋である点には賛否あれど、結局はそれも魅力と捉える層が多かったというのはこれまでにも述べてきたとおり。
結局、彼女は何者で、普段何を考えていて、何をしようとしているのか、そういうことは遠くから客観的に眺めていてもよくわからなかった。
答えなどないのかもしれない。
本能に動かされる動物に「何を考えているの?」と問うようなものなのかもしれない。
ひとつ確かなことは、夜野田天使がその磁力圏を拡大するにつれ、「優等生」の役割は縮小していったということだ。
いや、役割そのものはもちろん求められてはいた。
誰かがしなければならない用を率先してこなしたり、複数人の意見を責任をもって総括しそれを大人に報告したりする人間は必要だったから。
夜野田天使は、君臨や統治といった在り方とは少々違ったが、皆の意見やその方向性を導いてくれはしたので、中等部までのように私が表立ってクラスをまとめたり、模範として前に立たねばならないような機会は減っていった。
要は、「見られる」頻度が、かなり減ったように思われた。
高等部に入り少女たちひとりひとりの自我も大きく、複雑になってきたことで、夜野田天使の存在に関係なく私のような「わかりやすいまとめ役」は必要とされなくなってきたということなのかもしれなかった。
つまり正確には、「優等生」ではなく「私」の役割が縮小していくのを感じたというべきだろう。
有り難いと言えば有り難いことだった。
元より私は、日陰でじっとしているほうが好きだから。
彼女が悪意を持って誰かを傷つけたり秩序を壊したりするのでない限り、私のほうからは何もする必要がない――。
そうして、夜野田天使とはこれというやりとりがないまま、五月になった。
大型連休が明ける頃にはクラスの人間関係もある程度整理され、夜野田天使の異物性は依然として際立っていたものの、全体としては安定した雰囲気に移行しつつあった。
ある日の放課後。
私はいつものように、正門から二十メートルのところにあるバス停「北斗長里学園前」のベンチに座り、膝の上で文庫本を広げてバスを待っていた。
僻地と言っていい立地にある学園の、ほぼ唯一の公共交通手段が路線バスだった。
バス停の利用者はほぼ全員が学園関係者であるため、登下校の時間に合わせて時刻表が密になり、それ以外の時間は余白が増えるという運用がされている。
その日も下校のピークタイムを一時間以上過ぎていたため、バス停には私以外誰もいなかった。
これもいつものことだった。
私はいつも何らかの用事を見つけては校門を出る時間を遅らせ、空いている時間帯のバスに乗ることを習慣としていたのだ。
理由は単純で、混雑が嫌いだから。
車内が混むのは、登校時がそうだからまだ我慢できるのだが、バス停に人だかりができていて、校則から解き放たれた少女たちが自分の権利を行使すべくめいめいにお喋りする、その逃げ場のない空間に巻き込まれるのが、たとえ数分の間でも苦手だった。
大抵は、自分で用事を見つけるまでもなく学級長としての事務・雑用作業や役職会議があったので簡単に時間を潰すことができたし、それらの用事がまったくない珍しい日でも、図書館で一時間程度本を読んで過ごすことくらいは苦ではなかった。
それ以上遅くなってしまうと、今度は部活動帰り集団と時間が重なってしまう時間帯に入るので、個人的にはこのくらいの時間がベストと判断していた。
それに――部活動にも所属していない私が特段の理由もなく遅く帰宅することは、両親にいらぬ詮索をされてしまう懸念もあった。
父も母も、私の普段の帰宅時間が何時頃かということすら把握していないだろうけど。
問題は橘さんだった。
人がよくいなくなる藤村家において、十年以上家政婦を務めている古株のおばあさん。
実質的に藤村家の内部を取り仕切っているのは彼女だと言っても過言ではない――少なくとも私はそう思っていた。父も母も彼女には一定の敬意を払って「橘さん」と呼んでいた。
私の食事を作ってくれるのも橘さんで、私の服を洗濯してくれるのも橘さん。冬花さん、お風呂ができましたよと声をかけてくるのも橘さん。
幼い私の躾を担当したのも、全部ではないにせよ、橘さんだ。
だから――という順接詞だけではとても説明しきれないが、私は彼女のことが苦手だった。
橘さんのほうも、私のことを好いてはいないと私は思っていた。
橘さんは毎日ではないけれど、ほとんど毎日家に通ってくる。
信用されているので、家の鍵も持たされている。
だから、家に帰れば、彼女と二人きりになる。
広い家だし、ずっと同じ部屋にいるわけではないけれど、彼女が常に私を意識して、その意向を窺っている気がして、考えすぎだとは思うけど、とにかく嫌だった。
できれば家にいたくないけど、帰宅時間が遅いと、橘さんが両親に何か言うかもしれない、いやきっと何か言うだろう、それによって自分の自由が何か制限されるとも思えないしされても別に構わないけど、告げ口されて、両親を煩わせること自体が、たまらなく嫌だ――。
という内的葛藤の果てに、私はこの時間のバスをいつも選んでいて、もう家で何らかの仕事をしているであろう橘さんのことを考えるたび、やっぱり寮暮らしが良かっただろうか、という思いが胸をよぎるのだった。
北斗長里学園は二十年ほど前までは全寮制で、通学者が増えた今も、半数以上の生徒が敷地の奥まった場所にある学生寮「北辰寮」で生活している。路線バスが通るようになったのもけっこう最近の話なのだ。
北斗長里学園を志したとき、私は寮暮らしについても真剣に検討した。寮がある進学先を優先して探した、と言っても過言ではない。
両親にそのことを相談もした。
しかし――。
私は頭を振って暗雲がかかりかけた思考を追い払い、膝の上に置いた本に意識を移した。
本は好きだった。
勉強に役立つとか知識が増えるとか、そういう実利的なこと以上に、短時間ではあっても今いる場所以外に意識を運んでくれる効果があるからだ。
今読んでいるのは、石川啄木の詩集。
はたらけど
はたらけど猶
わが生活
楽にならざり
ぢつと手を見る
彼の詩には、私自身の実生活とはかけ離れた、匂うほどの「染み」が感じれた。
労働というものを私は知らない。
楽にならない生活というものも、知らない。
私の手は何も知らないし、何も語らない。私の身体と同様に、何も経験していない透明な手だ。
しかし、そこに手はある――詩の中にあるものと同じ、人間の手が。
そこから、何かが感じ取れる気がする。
語句が少ないからこそ、それを見る者との間で、ほんのわずかな共通点から世界が紐解かれる。
私の手のひらの感覚から世界が再構成される。
私もこういう体験をしてみたいと一種の憧れすら感じさせる。
働いても働いても暮らしが楽にならない、そういうときになる気持ちが、何故だかとても人間的で素晴らしいような気がするから。
そういうとき、私は私の手に何を感じるのだろうか?
五月半ば。
陽気を孕んだ心地よい微風が、丘の道を吹き抜けていった。
緑が揺れている。
「…………」
私はふと何かの示唆を受けたような気がして、本から目を離した。
左隣。
三メートルほど開けた距離に、いつの間にか誰かが座っていることに気づく。
彼女は、顔を少し傾けるようにして、私を見ていた。
好奇の色をなみなみと湛えた、猫のように丸いふたつの瞳と、目が合う。
夜野田天使だった。
「やあ」
スカートから伸びた長い両脚を足首で交差させている彼女が、短い挨拶を投げてきた。
やっと自分に気づいてくれたか、という調子で。
私は驚き、しばらく反応ができなかった。
いったいいつの間にいたのか、まったく気づかなかった。
「夜野田さん……?」
呼ぶと、彼女は口角を微かに上げた。
肩にかかる黒髪のひと房が、するりと滑る。
「そんなに警戒しないでもらいたいな。少し話をしたいだけだ」
威圧的ではないけれど、こちらの反応を試すような声音。
いけない、と私は思う。
ここは彼女の磁力圏だ。
「あなた、どうしてここに?」
「僕がここにいたら何かまずいか?」
「いえ、でも……あなたは寮生でしょう。バスは使わないはず」
北辰寮は正門とは反対の方向にあるので、ちょっと散歩という距離でもない。
「だから、君と話したかったんだ。外出届は出してないが、正門から二十メートルだ。さすがに見逃してくれるだろう、学級長殿?」
さらりと彼女は言うが、私はまだこの状況に納得できていない。
「授業が終わってから随分時間が経っているけど、もう私が帰宅しているとは思わなかったの?」
「いや? 君がいつも皆より一時間程度遅いバスを選んでることくらい知ってる。時には、下校を遅らせるための用事をわざわざ作っていることも。混雑が苦手なのか、それとも早く帰りたくないような理由が家にあるのか……」
警戒が強まる。
「ああ、こういう物言いが君を警戒させるんだな。僕はただ君を『見て』いただけだ。君がいつも遠くから僕を『見て』いたのと同じように。で、そのうち話しかけられると踏んでいたんだが、どうもその気がなさそうなので、こうして僕のほうから機会を作ったわけ」
観察していたことに気づかれていた?
でも、いつも彼女の知覚範囲外にいることを徹底してきたし、目が合うようなことは一度もなかったはずなのに。
「まさか、気づいてないと思ってた? 君ほどじゃないが、僕も『見られる』ことにはかなり敏感なほうなんだ。君の視線は刺さるほどだったよ。特に、この髪にはね」
耳にかかる毛を五指で掻き上げ、肩の後ろに流す夜野田天使。
まるでシャンプーのCMのようだ、と私は思い、その滑らかな黒のカーテンを目で追っている自分に気づいた。まさに彼女の言う通りだった。
ここにきて観察していたことを隠す価値はなさそうだ、と私は判断した。
「そんなに露骨だった?」
「君だってわかるだろ? 自分を『見て』いる連中が、どんな思惑を持っているか。意外と筒抜けなのに、見る側は気づかないものなんだよな」
「……髪でわかるほどじゃないよ」
そもそも私の髪は耳にかかる程度のショートで、彼女ほど豊かじゃない。
仮に長かったとしても、髪で他人の視線を感じるなんて無理だと思うけど。
「おや、ちょっと態度が柔らかくなったね。僕とお喋りしてくれる気になったのか?」
「もうしてると思うけど」
「わかるだろ。警戒されずに、という意味でだよ。そもそもの話、どうして僕がそんなに警戒されてるのか教えてくれないか?」
「『見られて』いたならそれもわかるんじゃないの?」
「まあ多少は。だが、見られることと言葉で説明されることとは異なる。一番違うのは意見の交換ができること。僕は君の言葉が聞きたいんだ、藤村冬花さん」
これまでにも、些細な用事で呼ばれたことはあったはずだったが、それでも彼女に名前を呼ばれるのは、四月の出会い以来、これでようやく二度目だという気がする。
私は手許の本を閉じ、膝の上に置きなおした。
そうすることによっていったん視線を切った。
そっとひと呼吸。
磁力に引き込まれないように会話できるだろうか?
自信が持てない。
敢えて目を合わせないよう、私は目の前の空間に向かって口を開いた。
「まず、第一印象が良くなかった」
「第一印象か。うん」
夜野田天使も同じほうを向いた気配があった。
二人でベンチに座り、道路に向かって話すような図になる。
「……すまない。第一印象がいつのことなのか思い出せないんだが」
「…………」
声のニュアンスから、とぼけているわけではなさそうだった。
本当に忘れているのだ。
私は半ば呆れながら、中央講堂での出会いのときのことをかいつまんで話した。「つまらない女だ」と言われたことを。
「ああ、それのことか。君だけじゃないから安心しなよ」
「……何のこと?」
「この学園のお嬢様がたのこと。一定の教養はあるが、基本つまらない女ばかりだよ。けっこう期待して入学したのに、肩透かしだった。むしろ君は相対的に見れば面白いほうだったから、『つまらない女』という部分は訂正してあげてもいい」
発言を窘めるかどうか一瞬迷うけど。
警戒ラインを維持したまま、視線も合わせないまま、会話を続ける。
「あなたは面白い人間を求めて、この学園に?」
「そう。目下、僕の一番の興味は人間だ。特に、悩んだり苦しんでいる人間からはいろいろ予想外の反応が引き出せるから興味が尽きない。でも学園の人間は良くも悪くも満ち足りてるからね。お嬢様学校って、内部はもっとドロドロしてると思ったんだが」
「それであなたは時々、わざと人を悩ませたり苦しめたりするような行動をとるの?」
「その通り。ちゃんと僕を見てたんだな」
挑戦的でさえある開き直り。
お互いに示し合わせたように、一瞬だけ目を合わせる。
お互いにまた、道路のほうを向く。
さすがに溜め息をついた。自分はそのやり方に同意しないという不満のサインとして。
「それで、求めていたものは得られたの?」
「なんだ、そこはわかってないのか。分解と再構成、それ自体が僕の趣味だよ。スクラップ・アンド・ビルドってやつ」
「――|細切れ(スクラップ?)」
「人間を、複雑な概念が絡み合った情報の集合体みたいなものと考えるだろ。それを細切れにして、それ以上分解できない最小要素まで分解して、一通り並べてみて、それなりに満足したら適当に組み直す。スクラップ・アンド・ビルド。その過程で何かを見つけようと思ってるわけじゃない、その過程自体が本体だよ」
よく回る口だ。
そして、聞いていて心地よくすらあるイントネーション。
警戒していなければ、思わず相手の意を汲みたくなる話し方だ。
「要は、人の心に踏み込んで、そこにあるものをばらばらに分解してしまうっていうことでしょう。どうしてそんなやり方を選ぶの? 普通は嫌われると思うけど」
短い失笑。
「自分を嫌ってくる相手ほど分解しがいのある対象もいない。無関心よりはずっとね。それに、僕がそれほど嫌われているわけではないのは、『見て』いたらわかると思うが」
まあ、確かに。
「……組みなおすときに、自分への好意でも練りこんでいるのかしら」
「もしそんなことができるなら僕は魔術師だな。僕は何もしていない。分解して元通りに組み立てたら、なぜかだいたいの相手は僕に依存するようになるってだけ」
それは魔法より不気味だ、と言いそうになるが、言い方を考える。
「理屈はわからないけど、分解前と比べて相手が変化してしまうなら、『元通りに組み立てる』という言い方は成立しないでしょう」
「それはもっと本質的な問題。人は絶えず変化していて、その方向は非可逆的なんだ。僕が関与することで決定的に何か変わってしまう相手もいるかもしれない。だがそれは僕が関与しなかったとしても、総体としては同じことだ。元通りになる、なんていう機能がそもそも生物の設計には存在しない」
「詭弁に聞こえるけど……。包丁で細切れにする前と後の魚が、同じ魚だと言うようなものでしょう」
「いい喩えだ。君は魚を細切れにした経験がある?」
「その質問、あなたがやっていることに関係ある?」
「刻んだ魚も、刻んでない魚も、生きた魚も、死んだ魚も、総体としてはやはり同じ魚なんだ。例えば僕がこの髪をちょん切ったとして、僕が僕でなくなるということになるだろうか?」
「それなら、もしあなたが死んでも、あなたは何も変わらないと言うこと?」
「……どうかな」
はじめて彼女が言い淀んだので、むしろ私のほうが驚いた。
言い淀むような質問を投げたつもりはなかったのに。
「何しろ死んだことがないからわからない。一度試してみたいとはしばしば思うが、まあ、今は他に試したいことがたくさんあるから」
「…………」
奇妙な語り草だった。
まるで彼女は、肉体が死んでも自分という存在やその自我がどこかに残存する、その可能性を本気で信じているかのような。
自分の命さえも、他人を細切れにする試みと同じ程度の価値しかない実験材料と本気で思っているかのような。
会話の間が空く。
バスはまだ来る気配がない。
「視線と髪についての話をした時――」
彼女がまた話し始めた。
「君の警戒が少し緩んだ。それは何故だろう。君は髪を短くしているが、それはなぜ?」
「え……? 別に理由なんかないよ。何となく、短くしているだけ」
「いいや。人間のすることに『何となく』はないんだ。必ず何かを選択している。今こうしてバスを待っていることにさえも。行動の理由を問われて『何となく』なんて言葉が出てくるのは、大抵は逃避か抑圧のしるしだ。そして僕の経験から言わせてもらえば、十代の逃避と抑圧は、十中八九、家庭環境が原因だ」
「本当に考えたこともないよ、髪の長さ、なんて」
私は細切れにされそうになっている、とようやく認識した。
警戒は緩めていないつもりだが、既に彼女の言動の侵襲を感じている。
せめて、動揺は出さないように努める。
「そう? じゃ、石川啄木の詩集も『何となく』?」
目敏い。本の表紙が見える距離でもないはずなのに。
「何となくだよ。啄木以外も読むし……」
「じゃ、カプレカ数については?」
「は……?」
「職員室で僕と柴田の話を聞いていた……いや『見て』いただろ。実力考査の翌週のことだ」
この女の髪の毛、本当に視線を感じる器官があるのだろうか。
「ご存じの通り、僕は入学以来さまざまな問題を起こした。君がその対処に当たったこともあったが、あのときほどの強い動揺を感じたことはなかった。動揺、いや、困惑かな。いずれにせよかなり深いところから登ってきたエネルギーを感じた。だから、気になっていた。君を切り刻んでみたくなったってわけ」
私は、黙秘。
もうそろそろバスが来てもいい頃のはずだけど。
「君の父親は外交官で、母親も政府団体を取りまとめてるね。政治の血のハイブリッドってわけだ。君も政界を目指してたりするのか?」
「もしそうだとしても、あなたに教える理由がない」
「親が忙しいと、子供は孤独に慣れる。精神の健全性を維持できなければいずれ問題を起こすことになるが、幸運にもそうならなかった場合、その子は親の代わりとなる精神の根拠、思想的な支柱を作り上げたことになる。一般的な用語ではそれを『神』と言うが、この国には神がいないし、君の家もクリスチャンではなく、この学園にしても宗教色は薄い。さてそうなると、君は何を『神』としてここまで生きてきたのかな、その背の高さまで」
言葉の端々で引っ掛かることを言う。
まるで、何もかも見透かした上で喋っているかのようだ。
「あなたに答える義務はない」
「君の中の『神』は、カプレカ数と何か関係があるんだろうな。テストの点数が何か関係あるんだろうか。いや、まさかまさか、そんな安直な話もないか?」
挑発に乗らず、黙秘。
もはや、警戒を通し越して警報が鳴りかけている。
この女は、私の試験結果を、過去のものも含めすべてを把握しているんじゃないだろうか。
「君は、本当は寮暮らしをしたかったんじゃないか? 家から遠いところに生活拠点を作りたかった、が、その計画は首尾よくいかなかった。説得がうまくいかなかったのか、親に意見ができなかったのか――。いや、多分根本的な問題として、君自身に親の庇護を離れて生きることへの不安があったんだろう。その葛藤の帰結として、君はこんな時間のバスをひとりで待ってるってわけ」
「何を言いたいのか、よくわからないけど」
「ほらまたそうやって。何もわからない馬鹿な子供の振りをする」
とうとう、私は警報ボタンを叩いた。
「あなたはそうやってただ、人の神経を逆撫でして面白がっているだけじゃないの?」
立ち上がって強く非難する――ほとんど無意識の動作だった。
文庫本が膝から落ちて、バサリと音を立てる。
夜野田天使は、動ずるでもなく、むしろ余裕を滲ませて私を見つめ返していた。
しまった、と私は思う。
ここは完全な彼女の磁力圏で、自分はもう囚われかけて――。
「遠くない祖先にゲルマン系がいるんじゃないか?」
しかし予想に反して、夜野田天使は何の磁力も発しておらず、至極淡々とした調子でそう言った。
「え?」
言葉のキャッチボールが成立していない感覚に、戸惑う。
「違った?」
「いえ、知らないけど……いったい何の話をしているの?」
「言っただろ。君に興味があるって」
「え? 言ってないよ」
「相対的に見れば面白いほうだと言っただろ。まあ、この学園の中ではだが……」
彼女は優雅な動作で立ち上がり、無造作に距離を詰めてきた。
何をするつもりなのか、と私は身体を固くしたが、彼女は私の足元に落ちた文庫本を拾っただけだった。
「啄木は面白い詩を作る。人間性はとことん屑だが」
賞賛と非難を同時に述べながら、文庫本を返してくれる。
そして、私が感謝を口にする前にすぐに離れた。
私に興味はあるが、その警戒心をいたずらに刺激する気はないというアピールのように思われた。
私は落ち着いて会話内容を整理する。
「私にゲルマン系の先祖がいたとしたら、何なの?」
立ったまま、尋ねた。
ベンチに座りなおしてしまうと、ここまでのせっかくのやりとりが逆戻りしてしまうような気がして、それがもったいないような気がして。
彼女も座ろうとはせず、悠然とした所作で私に向き直った。
「君の起源の話だ。君の顔つき、身体つき、背の高さ、目の色、肌の色、髪の色や質感、そういったものにはすべて理由がある。君が『見られる』ことに敏感であること。髪を短くしてたり、啄木を好んだりするような、あらゆる選択と行動にも。今ここで僕と話をしていることにさえも」
「…………」
さすがに荒唐無稽な誇大妄想では、と思わなくもない。
一方で、もしそうだったら何なのか、と先を促したくなる部分もある。
「大抵の人間は、切り刻んでみればそれなりに最小単位が見つかるんだが、君についてはまだ納得できていない。もっと小さい単位があると思う。だから今日ここに来たんだ」
「私は切り刻まれたくなんてないけど」
「残念。もうだいぶ前から始めてる」
思わず溜め息。
やめてほしいと言っても無駄のようだ。
「なぜ、私なの?」
半ば自棄になりながら投げたその質問に、テンポよく言葉を返し続けていた夜野田天使が、初めて間を取った。
「そう、それが一番聞きたかったことだ」
「え? どういうこと?」
「ん? 今のは自問じゃなかったのか?」
自問?
「どうして自分に関わるのかと、僕に訊いたわけか」
「普通そう受け取る流れだと思うけど」
「うーん。ルソーは知ってるだろ?」
また話が飛んだけど、我慢して付き合う。
「……ジャン=ジャック・ルソー? 『社会契約論』の?」
そう、と彼女は頷いた。
その横顔は知的で、男性的なものを強く感じさせる。
「ルソーは基本的に文明というものにとても否定的な立場でね。子供は少なくとも十五歳までは、文明社会から切り離された自然の中で過ごすべきだと説いてるんだ。人間は本来善良なのに、社会生活が堕落させてしまう、それでは内面の光が育たないとね」
「内面の光?」
「己の内側を照らす、内省の光のことだ。人間は理性によって外界と己を同時に認識するわけだが、それだけではなくて、自己の内部、自己そのものへの純粋な感情、すなわち自己愛こそが最も重要で、自分が社会的にどうあるべきかなんてことよりも優先して、十五歳までに確実に育てる必要があると彼は言っているわけだ」
「…………」
「『なぜ私なのか』――この問いかけは、すべての意味において、究極で完全な自己への純粋な感情を喚起する。ま、これはルソーではなくて僕の考えだが。しかし……」
彼女がじっと私を見る気配がしたけど、私は目を合わせない。
「君は僕と同じ十六歳なのに、まだ子供だ。自分を愛することを知らないまま、親や、教師や、他人や――つまり社会にどう愛されるかだけを覚えてきた。だからあんなつまらないスピーチができるし、髪を短くしていて、大人からつまらない雑用を任される立場に甘んじ、啄木の詩をめくり、そしてこんな時間にバスを待っている」
「……そうだとして、何? あなたに関係あることなの?」
「内心では苛立っていても、冷静であるように取り繕う。完璧な振る舞いだ。大人なら感心するだろうが、僕は違う。君はそういうキャラクターを演じているだけだろう? 物わかりのいい、誰からも模範となる、優等生のような。背が周りより高くなったのはいつ頃から? 自分の性を自覚したタイミングは? それが多分――」
「私の質問には答えないの?」
「君に興味があるからというだけでは不足かな?」
「だから、それはどうして?」
「君の内面の光が、僕には見えるからだ」
「…………」
「正直言って僕も不思議なんだ、君に君という固有の『おおきさ』があって、君という自我があることが。他の子とは比較にならないくらい抑圧されて育ってきたようなのに、その光は、いったいいつどうやって灯ったんだ?」
私は黙っていたけど、夜野田天使は構わずに続けた。
黒い髪が雑にかきあげられ、流水のように下っていく。
「切り刻んでみたいんだ、もっといろんな角度から。それで傷つくかどうかは君次第。残念だが僕が関知するところじゃない。だが僕の考えが正しければ、君にとってもいくらかの発見や収穫はあるかもしれない。例えば、そうだな、今の自分をもう少しは好きになれるかもしれない」
かもしれないという推定が、一定の重さを伴った確信めいた預言となって、私の胸まで届いた。
なぜだろう。
今、立って向き合っているこの距離感が。
このバス停の空間が。
この五月の光と、このざわめく緑が。
この瞬間と、次に来るその瞬間とが。
私と彼女が今日、この会話を行うためだけに用意された、そのためにこの世界に存在していた、こうあるべき舞台のように思われてならない。
「私は――」
私は何を語ろうとしているのか。
なぜ、それがわからないまま口を開こうとしているのか。
私の語るべきことが、既にどこかに、舞台の脚本として書かれているような気がしてならない。
敢えて言葉を当てはめるならば、それは私の運命として。
運命? それを私は自分の口から語ろうとしている?
語りなおそうとしている?
と、言葉の続きを遮るように、遠くから車のエンジンの音が聞こえてきた。
バスが来たのだ。
いつもよりずいぶん長く待ったような気がした。
夢から覚めていくような、奇妙な現実感を私は味わう。
「おっと、時間か」
夜野田天使は頭の上で長い腕を交差させてうーんと伸びをした。
その腕をひし形に傾けた変な姿勢で、私に言う。
「話に付き合ってくれてありがとう。それじゃ」
「え、ちょ……ちょっと待って!」
そのままあっさり背を向けて歩き出した彼女を、私は思わず呼び止めていた。
「何か?」
腰に手を当てて振り返った彼女と向き合う。
最初の出会いと同じくらいの距離感であり、同じ高さだった。
呼び止めておいて、私はなぜ呼び止めたのか自分でもわかっていなかった。そのまま行かせても良かったはずなのに、どうしてだろう。
「ま、まだ話は終わってないというか……」
バスが減速に入る。
「そう? とりあえず僕は聞きたいことは聞いた。君はこのバスを待ってたんじゃないのか?」
「そう……だけど、あなたは言ったでしょう、その、言葉なら意見の交換ができるって。私はまだ、何も言っていない」
というよりも、良くも悪くもあまりにも言われっ放しだから、何か言い返さなければという思いがあった。
こんな気持ちになるのは初めてで、自分でもその感情の正体がよくわからなかった。
夜野田天使と話すことで、その正体がわかるのではないかという思いもあった。
内面の光。私の自我と、「おおきさ」についても。
「バスなら、一本遅らせても……」
バスのタイヤの回転が落ちる。もう止まるところだ。
けれど私はまだ、彼女だけを見ている。
「いや。君はこのバスに乗るべきだ。そのためにここにいたはずだ。それが今日の君の選択と行動だ」
宣託のような言葉。
とは裏腹に、どこか困ったような彼女の微笑み。初めて見る表情。
自分が警戒するほど危険な人物ではなかったのかもしれないという思いが膨らむ。
これが人を引き込むための演技だとしても、それに騙されても構わないという気持ちになる。
プシューというエアブレーキの排気音が響き、バスが少しだけ前のめりになってから停止する。
乗降口が開く。
「でも……」
「それに正直、今日のような不意打ちで話をするのは気が引けるんだ」
え、と思わず抗議交じりの声が出る。
「いきなり現れて、さんざん切り刻んでおいて?」
彼女は不敵に笑う。
「まだ序の口。ネジ一本外せたかどうかってとこだ。ま、その最初のネジを回すのが一番難しいんだが」
バスの運転手がこちらを窺っている気配がする。乗るのか、乗らないのかと。
エンジンのサイクル音がやけに忙しない。
どっどっどっどっどっ――。
私の心臓と同期しているかのようで、区別がつかない。
「心配しなくても、話はいつでもできる、これから三年は同じ校舎なんだから。まあ次からは、君も好きに論理武装してくればいい。僕と公平に戦えるように」
私は少々勘違いしていたかもしれない。
遠くからだと彼女の磁力は遥か遠くの視点から飛来する一方的なもののように見えたが、目の前にいると、その磁力はあらゆる存在からのあらゆる干渉も受け付けており、あらゆる存在を平等に扱う特殊な磁場を形成するのが感ぜられた。
公平に僕と戦え――彼女は地球上のあらゆるものにそう宣告して回っているのだ。
この私にも。
「また話そう、藤村冬花さん。それからできたら次は、『夜野田さん』とは別の呼び方で頼めないか。君なら、もうわかっていると思うが」
優雅な一瞥――そして、あっさり視線が切られる。
呼び止めようとしたのか、別れの挨拶をしようとしたのか、自分でも自覚しないまま、喉から出かかった声は甲高いクラクションに遮られた。
私を、私の深層を、私の世界すべてを揺らすような振動だった。
後日、私の血筋について調べてみたところ、高祖父がアイルランド人であることが判明した。
四代上だから百年以上前にこの世に生きていた人だが、そんな人の血が私に流れているということ、私自身かなり調べなければ知らなかったことを、夜野田天使はいかに知ったのだろう。
私の顔つき、身体つき、背の高さ、目の色、肌の色、髪の色や質感、そういったものが私を語っていたのだろうか。
私も知らないことを、私の根源が、私の内面の光が。
このエピソードは、やがて、私を大いなる旅へと駆り出す契機となるけれど、それはもう少し先の話。
また話そう、と彼女が言った通り、これから先、私たちは何度となく話をすることになる。
ときには敵対的に、しかし大抵は、何とか平和的に。
バス停のベンチで、誰もいない図書館で、朝の廊下で、昇降口で靴を脱いでいるときに、放課後の教室で。
私から彼女に話しかける機会も、少しずつ増えていって。
最初こそ、何となく他の子たちの目を憚っていたけれど、そんな躊躇もなくなり。
私が彼女の「承認」を授かり、彼女が望む名を口にするまでにも、そう長い時間はかからなかった。
彼女の表情、振る舞い、瞳のかたちは千変万化して予想がつかず。
短い、くだらない、世間話とも言えない雑談でさえ、私の心は踊った。
できることならずっと彼女と話をしていたいと、幾度も幾度も、そう思ったのを覚えている。
とはいえ、それから千年後も、世界の片隅、幽霊山脈の崖上で夜天と話をしているなんて、この頃は想像できるわけもなかったけど。