男のプライド
「寝取られ令嬢の王子様」完結後、婚約期間中のお話だと思っていただければ…。
アランとデイル率いる第三部隊と、他の隊が絡むとどうなるかなと思って書いてみたものです。内容は上品な喧嘩祭りといった感じです…予定より長く、原稿用紙三十枚分くらいあるのでお時間ある時にお楽しみください
この国において、騎士団という存在は大きな存在である。王家を守護する者たちという認識は国民皆が持っているものであるが、人気の高い存在でもある。王家を守護するということは、外国の要人たちの目に触れる機会も多い。強いだけでなく、容姿の優れた者が多いのだ。年頃の女性はいつか騎士団員と添い遂げたい、それが無理でもほんの少しで良いからお話を…なんて望む者は多いのだ。
そんな騎士団員たちを満足いくまで眺められる機会というのが、二年に一度催される公開訓練試合だ。第一から第四までの隊員たち全てが全力で戦う姿を見られるという事で、入場チケットは飛ぶように売れる。チケットの売り上げは全て国内の孤児院に順番に寄付される決まりとなっており、貴族やブルジョア階級の家はこの催しに大いに金を出した。それも全て、寄付金にされる。
「準備する側はそれなりに大変なんすけどね」
「言うな…」
ぐったりと頭を抱えながら、アランは同じように疲れた顔をしているデイルを睨む。この催しは、本来ならば「自分の強さを試す事が出来る」と喜ぶものだろう。だが、隊長ともなれば余計な仕事を増やしやがってという感想が真っ先に出てきた。
模擬試合をする為に会場の整備をし、国王家族を始めとした貴族たちが集まるからと警備を厳重にすべく前もって準備をしておく必要があった。騎士団員が全て模擬試合に出るのだから、騎士団ではない通常の軍人部隊と連携をしなければならない。
ただでさえ多い軍人連中、慣れない相手をどうにか上手い事使いながら警備をしろと命令しなければならないのだ。
他の隊長三人はなんら問題は無いだろう。年齢はアランよりも上だし、年齢に応じた経験もある。スムーズに話を進めて行く姿を憎らしく思いながら、まだ若いアランという男を値踏みするような目に耐える事ここ数日。もう勘弁してくれと泣き言を言いたくなるのを必死で堪えながら、アランは今日も眉間に皺を寄せていた。
「チケットは完売、女性陣はまだ若いのが多いうちに期待してるぜ」
「有難いと思うべきなのか、隊員たちに気を引き締めろと怒鳴りつけるべきか…」
アラン率いる第三部隊は、他の隊に比べて若い。第一第二部隊は三十代四十代が中心の隊、第四部隊は更に上の所謂長老というか、重鎮が中心の部隊だ。
対して第三部隊は、二十代から三十代を中心とした若造部隊。年齢故に独身者が多く、年頃の御令嬢に注目を浴びるのは第三部隊だ。
「どいつもこいつもどこぞのかわいこちゃんにキャーキャー言われたいって張り切ってるからなあ…ま、仕方ないだろ。我らが隊長は幸せ絶頂可愛い婚約者といつもイチャイチャしてるんだし」
「最近は会えてない」
「でも公開訓練には来てくれるんだろ?良いとこ見せないとな」
婚約者の前で良い所を見せたいというのは、男の本能というやつだろう。誰にも負ける気はないが、隊長は数名の隊員を一度に相手する事になっているし、最後は隊長四人で誰か一人残るまで戦う事になっている。
「隊長になんてなるんじゃなかった…」
「言うな…それは言ったら駄目だ」
前の隊長のやり方が気に食わず、年に一度の下克上の機会を逃さなかった。騎士団は常に己を磨くべきであり、隊長は隊の中で誰よりも強くあれと常々言われている。そのため、各隊は年に一度隊長の座をかけて試合を行うのだ。隊の中で勝ち残った最後の一人が隊長になる。副隊長は新しい隊長の指名制だが、隊長が変われば副隊長もほぼ自動的に新しい者へ変わる。
実力主義、というやつだ。貴族出身の者が多い騎士団では、地位にしがみついて偉そうにしているだけでは生き残れない。アランもゴールドスタイン家の息子というだけでこの地位にいるわけではなかった。
「毎日怒鳴り散らすだけで無能な隊長なんかいらねぇって追い出したのは自分だろ。史上最年少の隊長様なんだからきちんとやる事やってもらわねぇと」
「クソ…」
「はいはい綺麗な顔してそういう事言うんじゃないの」
呆れ顔のデイルが、机に突っ伏したアランの頭に書類の束をぱさりと置いた。
◆◆◆
空に打ちあがる空砲。朝から煩い鐘の音。眉間に皺を寄せ、いよいよ「不機嫌です」と隠しもしなくなったアランに、隊員たちはこそこそとどうしたのだと話し合う。
「顔」
「音が煩い」
「お祭りみたいなもんなんだから諦めろって」
他の隊員に聞こえないように、デイルはこそこそと声を小さくしながらアランを咎める。今年は良い所を見せる!だとか、可愛い子に後で声かけられたりして!と楽しそうな会話をする隊員も多い。各隊に割り当てられた待機用のテントの中で、アランは一人だけとても不機嫌そうな顔だった。
「失礼致します。こちらは第三部隊の待機テントで宜しいでしょうか」
「侍女殿!」
ひょっこりと布の間から顔を覗かせるティナに、デイルが声を上げる。「副隊長の彼女さんこんにちはー」なんて呑気な声がするが、それを気にするでもなく、デイルは嬉しそうな顔をしながらティナに駆け寄った。
「関係者以外立ち入り禁止って書いてありましたよね?」
「それは失礼を。警備の方にダメ元で第三の隊長の婚約者ですとお伝えしたところ、快く通していただけましたので」
どうも、恋人ではありませんと軽い会釈をしたティナが一瞬顔をひっこめたかと思うと、同じ隙間から女性が一人中に向かって押し込まれる。
闇夜の黒、新雪の白、新緑の瞳。会いたくて焦がれた色。
「セレス!」
「も、もうしわけございません…会場で大人しく観戦させていただくつもりだったのですが…」
申し訳なさそうな顔をした、セレスティア・ハンナ・ダルトンである。椅子から立ち上がったアランがつかつかとセレスに歩み寄ると、怒っているだろうかと申し訳なさそうな顔をするが、アランがセレスを見て怒るなんてことはあり得なかった。はいどうぞと押し付けるように、ティナがセレスの背中をぐいと押すと、その勢いのままアランの腕の中に細い体が収まった。
「会場内で迷ってしまい、皆様の待機場所の前を通りかかりましたので。待機場所が奥にあると書かれた札にお嬢様がソワソワされていらしたので、いっそお連れしてしまおうかと」
「ティナ!」
慌てながらもアランの熱い抱擁から抜け出せないセレスは、顔を真っ赤にしながら侍女を睨む。全く怯むことのないティナは、しれっとした顔のまま微笑ましい婚約者たちの戯れをいつものように眺めていた。
「申し訳ございません、これから大切な時ですのに…すぐにお暇いたします。皆様も、お騒がせして大変申し訳ございません」
心底申し訳ないといった顔で、セレスはアランの腕の中から隊員たちに詫びる。いい加減部下の前なのだからしっかりしろとアランの体をぐいぐい押すのだが、幸せそうな顔をしたアランは更に腕に力を込めた。
「あーはいはいそろそろお嬢様離してあげてくださいよー。独り者共の嫉妬の視線があまりに痛いんでー」
パンパンと手を叩き、デイルは半目になりながらアランを嗜める。不満げなアランがじとりと睨むが、容赦なく二人を引きはがし、セレスをティナに返してやった。
「おい、セレスに気安く触るな」
「隊長がいつまでも引っ付いて離れないからじゃないっすか。すみませんダルトン嬢、失礼を致しました」
「いいえ、気にしておりません」
むしろ助かったとばかりに、ほっとした顔を浮かべたセレスが柔らかく微笑む。隊員たちのイチャイチャして羨ましいという視線がアランとデイルに突き刺さるが、アランから言わせてみれば羨ましかったらさっさと良い女を捕まえろ、である。
「あの、アラン様。お父様と一緒に見ております。どうか、ご武運を」
「ありがとう。最後に隊長たちだけで乱闘なんだ。良い所を見せられるよう頑張るよ」
「…お怪我をされませんように」
不安げな顔をしながら、そっとアランの手を握り、セレスは僅かに潤んだ目を向ける。もう一度抱きしめたい衝動に耐えながら、アランはにっこりと笑顔をセレスに向けた。
「可愛い婚約者が応援してくれるなら、きっと誰よりも強くあれるよ」
「はーいいい加減に!いい加減にしましょうか!何ですかこの甘ったるい雰囲気!」
いい加減本気で止めないとこの二人はいつまでも甘ったるい会話を続けるだろうと判断し、デイルはティナに「早く戻ってくれ」と視線を向ける。笑いを堪えているティナが小さく声を震わせながら、セレスにそろそろ会場へと声を掛ける。
「送って行くよ。迷ってしまったんだろう?」
「ありがとうございます。思っていたよりも人が多くて…」
「ほらデイル、お前も」
「はあい。侍女殿も行きましょうか」
「はい。では皆様、お邪魔を致しました」
深く頭を下げたティナが顔を上げる頃には、既にアランとセレスはテントの外を歩いている。布を持ち上げて待ってくれていたデイルに合流すると、ティナはちろりと視線を向けた。
「全く…あれだけ不機嫌だったのに」
「お役に立ちましたか」
「そりゃもう。殺気立ってて怖いのなんの」
やれやれと肩をすくませながら、デイルは先を歩くアランに呆れた視線を向ける。隊員たちに気を許してくれているのは有難いが、不機嫌だと隠しもしないのはやめてほしかった。
◆◆◆
婚約者が見ている。それだけでアランはとても機嫌が良かった。会場の少し高くなった客席に、セレスが父であるグスタフと並んで座っている。その後ろにちょこんと座っているティナの頭が見えた。
出番を待つ隊員たちに、各隊ごとに割り振られた待機場所でアランは退屈そうに座りながら舞台を眺める。現在第一と第二の隊員の試合中だ。
「いやー…どうすんですか、隊員たち殺気立ってますけど」
「何故だ」
「隊長だけ可愛い婚約者がいるからですってよ。ここで良いとこ見せて素敵な出会いがほしいらしいっす」
「ふん。それでやる気が出るなら良い事じゃないか?」
アンタはただお嬢様といちゃつけて機嫌が良いだけでしょう。そう言いたいデイルがぐっと言葉を堪え、がるがると殺気立っている隊員たちを眺める。ただでさえ普段から他の隊には舐められているのだ。公開訓練という大きな舞台で活躍すれば、それだけ目立てる。舐められているこの現状も何か変わるかもしれない。そもそも騎士というのはプライドの塊だ。まだ若い経験も無い小僧共と舐めてかかられているのが普段から気に食わないのだ。
「お前たち、そう今から殺気立つんじゃない。良い出会いが欲しいのだろう?ならば行儀よく、騎士なら騎士らしく、礼節を重んじろ」
さっきまで婚約者といちゃついていた男が何を。そう思っている隊員もいるだろうが、にんまりと笑うアランに隊員たちはついていくのだ。金獅子と謳われる騎士は、美しく強かった。
「女性の前では紳士的に。まずはそれを覚えるんだな」
ふふんと鼻を鳴らすアランは少しばかり楽しそうだ。元々アランは喧嘩っ早い。訓練時代、デイルとしょっちゅう言い争いやら取っ組み合いをしていたのだ。それを知っている隊員は殆どいないが、他の隊長たちはよく知っている。今大人しくしているのが信じられないと時折笑われるが、前隊長を引きずり落とした時には「いつかやると思っていたが早すぎる」と大笑いされたものだ。
「退屈そうだな、ゴールドスタイン」
「これはこれは、ミラー殿。宜しいのですか?ご自分の隊員が戦っているというのに」
「第二に負ける程軟じゃない。それで?お前の婚約者殿は何処だ?」
ニタニタと笑いながらアランの元へ歩いて来たのは、第一部隊の隊長であるロニー・ミラーだ。筋骨隆々、武闘派揃いの第一部隊長らしい気さくでガサツな大男だ。アランの事は小生意気なガキとよく言うが、舐めているというよりはきちんと同じ隊長として扱ってくれていると思っている。
「あそこに。御父上と一緒に見てくれていますよ」
「あの黒髪の御令嬢か。成程、美しいな」
「そうでしょう。ミラー殿の奥方もいらしているのでしょう?」
「ああ、向こうで見ている筈だ。妻の前で無様に土を付けるわけにはいかんからな、本気でやらせてもらうぞ」
セレスたちからかなり離れた隊長の家族席で、ミラーの妻はゆったりと腰掛けて観戦していた。自分の夫が率いる隊の隊員が必死で闘っているのを見るのは、どんな気分なのだろう。きっと、夫が戦っている時には声を上げて応援するのだろうが。
「それにしても…お前の隊は殺気立ってるな」
「普段から可愛がられておりますので」
「仕返ししたくて仕方が無いということか。良いだろうかかってこい小童共!」
ぎろりと複数人から睨まれようが気にもならないのか、ミラーは豪快に笑いながらひらひらと手を振って去って行く。何がしたくて此処迄来たのかと問いたくなるが、きっと彼なりの激励というやつなのだろう。腹が立つ事もそれなりにあるが、ミラーは基本的に人が良い。あまり嫌いだという感情は無かった。
「暇なのかアイツは…」
「そういうサミュエル殿も来ているではないですか」
お暇ですか?とにっこり笑ってみせれば、神経質そうな顔をしたサミュエルが眉間にうっすらと皺を刻む。第二隊長の彼は少々苦手だ。小煩いし細かい。言葉尻を取るのが上手く、会議の度に苛々させられる相手だった。
「やり合う前に余裕ぶっているお前の顔を見ておいてやろうと思ってな。婚約者が来ているのだろう?待機テントに押しかけてきたと話題になっていたぞ」
「愛されておりますので。試合の前に可愛らしい激励を貰いました」
にっこりと微笑み、どうだ羨ましいかと牽制してやる。不作法な婚約者と遠回しに嫌味を言いに来たのだろうが、アランにとってそれは逆効果だ。セレスを悪し様に言われるならば、言われたよりも倍にして返してやるだけの事。
「サミュエル殿も奥方に激励をいただいたのでは?ああ、応援に来てくれているだけでも嬉しいものですから…」
「…私の妻はお前の婚約者のように愛情を面に出すのは苦手でね」
「それは寂しいでしょう!いっそサミュエル殿から愛情を示してみては?きっと愛らしく返してくれるでしょう」
にこにこと微笑んでいるのに、アランの目は笑っていない。先に言い出したのはお前だからなと威嚇しながら、ずけずけと夫婦仲の良くないサミュエルの言われたくない部分に言葉を突き刺していく。羨ましいなら自分の妻と仲良くやれば良いのだ。
「それで?何か私に用でしょうか。ああ、私の愛しい婚約者ならあそこにいますよ。黒髪の一際美しい令嬢です」
「…その余裕たっぷりの顔に泥を付けてやるのが楽しみだ」
にっこりと微笑んだサミュエルだったが、この口喧嘩はアランの勝ちだ。くるりと踵を返して去って行く背中を見ながら、隊員たちはべぇと舌を出して見せた。
「行儀が悪いぞお前たち」
「いやあ…サミュエル隊長見事に言い負かされてましたね」
「ふん。セレスを悪く言うからだ」
あまり褒められた行動では無かっただろうが、別に隊員の家族や恋人までもが立ち入りを禁じられているわけではない。それを知っている筈なのに噛みつきに来たのはやはり暇だったのだろうか。口喧嘩に勝てた事に満足したアランが視線を舞台に戻すと、第一部隊員の勝利を告げられた瞬間だった。
◆◆◆
「それでは皆様お待たせ致しました!隊長戦の始まりです!」
一際大きな歓声。もう何時間も続いているこのお祭りの最大の盛り上がり場所だ。副隊長であるデイルは既に出番を終え、無事第二部隊副隊長との戦闘で勝利を収めている。デイル曰く、「あんなひょろいのに負けてたらティナに何言われるか分かったもんじゃない」とのことらしかった。多少服を汚したが、それでも相手の喉元に剣先を突き付けてやったのだ。
「さて、若いの相手にどこまでやれるかな」
大四隊長、ノリスが呑気に笑いながら舞台に立つ。四人の中で最高齢、六十代後半になろうとしている老人は、白髪交じりの髪を短く揃え、ゆったりと立っていた。
「ご老人、無理はなされるな」
「なにを生意気な。私はお前さんがまだ新米の頃から知っているんだぞ」
「まだあの頃はお若かった」
「今も現役なんだがなあ」
へらりと笑うノリスに調子が狂うが、若手もいる中で長年隊長を務めるノリスの実力は本物だ。老人部隊なんて自分たちを卑下するような事を言うが、実際の第四部隊は精鋭中の精鋭が歳を取り、若手に技を教えてくれる良い師匠たちの集まりだった。
「ところでゴールドスタイン。婚約者が来ているんだろう?私の孫娘を嫁にやろうと思っとったんだがなあ」
「光栄ですが、私の心はダルトン嬢に囚われておりますので」
にっこりと笑うアランに、ノリスは楽し気に笑う。会場の熱気は今日一番になり、試合開始を告げる鐘の音が鳴り響くと、歓声が一気に音量を増した。
さてどう動く。隊長たちは皆自分よりも経験豊富。策も無しに突っ込んではあっという間に負ける。それはセレスに見られたくない。どうにかして一人だけでも負かしてやりたい。いや、全員だ。最後に立つのはこの俺だ。ぎらぎらと殺気立った目を三人に向けながら、アランは抜き身の剣をしっかりと握りしめた。
「さてさて、まずは若いのから!」
「三人がかりとは嬉しいですね!」
それだけ警戒してくれていると捉えるべきなのか、邪魔だからさっさと退けと言いたいのか分からないが、ミラーの掛け声と共に三人は一気にアランへ距離を詰めて行く。じりじりと後退しながらどうすべきか考えるが、舞台から落ちればそれだけで失格だ。そんな無様な負け方はしたくない。
「隊長―!みっともないぞー!」
第三部隊の誰かが野次を飛ばす。煩いお前もここに立ってみろ誰が言ったが知らないが!苛々しながら奥歯を噛みしめ、アランは体を低くしてサミュエルの間合いに入り込む。
「アンタが一番ムカつくんだ」
さっきはよくもセレスを悪く言ってくれたな。完全な私怨だが、ふつふつと抱えていた怒りを発散するのにこの場所はうってつけだった。剣を振るには少々入り込みすぎたが、肘を相手の腹に叩き込むには丁度良い。うめき声が上から聞こえるが、この程度で倒れないのが流石隊長と言うべきところだろう。
「ほう?動けるようになったじゃないか」
「お褒めの言葉、光栄です」
にっこり笑ってみせるが、ミラーはにたにたとした笑いを浮かべたままだ。力で勝てない事は体格的によく分かっている。良い歳をしているのに鍛え上げられた体は見事なものだ。筋肉の塊をどうやって舞台から叩き落せというのか。そもそも何故隊長は纏めて乱闘なのだ。勝負にならないからと言われればそれまでだが、アランが集中攻撃を受けるのは誰も想像しなかったのだろうか。むしろ、集中攻撃を受けてもそれに打ち勝てという試練的なものなのか。
「アラン様―!」
「頑張ってー!」
会場のあちこちから聞こえる黄色い声援。聞きなれたものだが、今は耳障りとしか思えなかった。普段ならばにこやかに手を振ってやるくらいの余裕はあるが、今のアランは必死なのだ。婚約者が見ている前で無様な姿を晒せない。男のプライドというやつだ。
「私を忘れるんじゃないよ」
「うっ…!」
腰に入れられた一撃。ノリスの蹴りに体がよろめくが、何とか足を舞台に叩きつけて耐える。ぎろりと「よくもやってくれたな」と睨みつけるが、ノリスは怖い怖いと笑うだけだ。これではただの苛めではないか。そろそろ腹が立ってきた。まずは一発入れてやったサミュエルから退場してもらおう。
「ああもう、うざったい…!」
所謂悪手。それは分かっていた。だが、三人がちょこまかと突いてくるのなら一人ずつ相手にしてやる方が早い。三人纏め潰せないのだから、地道にやるしかないのだ。
少し距離を取っていたサミュエルに向け、怒りを全てぶつけるように剣を振るう。それを避けながら、サミュエルも同じように剣を振るった。頬に走る熱さ。掠ったなと認識しながら、アランは更に距離を詰めた。剣先を相手の腹に突き刺してやるように、それを分かって避けた先で剣先が触れるように。いつも不機嫌そうなサミュエルの眉間に横一線に振るってやった。
「ぐ…」
ぱさりとサミュエルの前髪が散っていく。じわりと滲んだ血液が、剣先が僅かに掠った事を教えてくれていた。
「ディラン・サミュエル隊長、頭部に傷を負いましたので失格です」
「くそ…!」
実戦ならば戦闘不能になりかねない怪我をした者は失格となる。悔しそうな顔をしながら舞台から降りたサミュエルは、不機嫌そうな顔で自分の席に戻って行った。
「一人目!」
「あーあー…あいつ暫く前髪変だな」
「私の髪は狙ってくれるなよ。これから減っていくんだから」
「散髪程度にしておきましょう」
まだ軽口を叩ける余裕はある。だが頬に傷を負った。もしかしたら自分も失格になっていた可能性がある。やはり隊長相手ともなれば簡単にはいかないと舌を巻きながら、アランはまた剣を握り直した。
「爺様、どうする」
「おや、私はお前さんも敵だと思っとるんだがな」
油断したなとにんまり笑いながら、ノリスは勢いよくミラーに剣を向ける。ギリギリで躱しながら反射的に振りぬいた腕が、ノリスの肩を殴りつけた。痛みに顔をしかめ、よろけた体勢のまま、ノリスはやれやれと息を吐いた。
「歳には勝てんなあ。お前さん反射的に動くのは誰よりも得意だな」
「そらどうも。妻の前で無様な姿は見せられませんで」
「そりゃ私も同じなんだが…ふむ困った。片腕でどこまでやれるかな」
傷みで動かないのか痺れているのか、ノリスの右腕は動かないらしい。ぶらぶらと体の横で揺れる腕に握られていた剣が、からからと音を立てて舞台に落ちた。
「剣を落とされましたので、フレディ・ノリス隊長失格です」
「ああ…そろそろ引退かね」
やれやれと溜息を吐き、客席に向かって何度か礼をすると、ノリスはゆったりと自分の席へと戻って行った。自分の手でのしてやる事は出来なかったが、これで残りはミラーだけだ。最後の難関、強敵だがどうすれば勝てるだろうか。
「一騎打ちというやつだな。すまんが俺も妻が見ているんでな、若造に無様に負けるわけにはいかんのだ」
「それはサミュエル隊長に喧嘩を売っているのですか?」
「おっと、ノリスの爺様も奥方が見ていたか」
にたりと笑いながら、ミラーは大型で武骨な剣をアランに向ける。あれだけ大きな剣を片手で軽々振り回すなんてどんな鍛え方をしているのだ。眉間に刻み込んだ皺は先程よりも深く、どう出てくるのか分からない相手に警戒を緩めない。
「来ないなら俺から行くぞ」
ちゃきりと金属の音がした。目の前に迫った切っ先になんとか反応し首だけを動かして避けたが、訓練で殺す気なのかと喉が鳴った。避けた事を褒めながら、ミラーはまだ攻めの手を緩める気はないらしい。いち、にと繰り返しながら何度も振るわれる剣を避け、受け流し、攻める事も出来ずに舞台の端へと追いやられてしまう。
「アラン様!」
ああ、セレスの声だ。かなり離れている筈なのに、心配そうに胸の前で手を組み、立ち上がって此方を見ているのが分かる。駄目だ、ここで負けたくない。あの子の前では、誰よりも強く、格好よくありたい。無様に転がる姿など、絶対に見せてなるものか。
「ほらほらどうした、攻めてこないのか?」
「く…っそ!」
騎士らしくあれ。騎士とは強く美しく、紳士的であれ。戦いの場であってもそれは守っていくものだと、いつか誰かに言われた。命をかけて戦うのなら、騎士らしくなんてしていられるものかとずっと思っていた。それでも一応隊長だからと恰好をつけてきたが、今のアランは騎士だとかそんな事はどうでも良かった。
大きな剣ならば、間合いは広く取ってはいけない。間合いに入り込めばまだ勝機はあるだろう。太く逞しい腕が叩き込まれるだろうが、それより先に喉笛を狙え。目元に掛かる前髪の隙間からミラーを睨みつける深緑の瞳に、ミラーのにんまり笑った顔が映った。
◆◆◆
ぐったりと力を抜き、ソファーの上でいじけているアランは負けた。腕ばかりを警戒し、下から蹴り込まれた膝に対応出来ずに吹っ飛ばされたのだ。あの大男に勝つにはどうすれば良かったのだと何度考えてみても、全く勝機が見えなかった。そもそも騎士が剣を使わず膝を相手の腹に蹴り込むのはアリなのか?いや、自分もサミュエルに似たような事をしたなと同じ事をうじうじと考え、婚約者の前で無様に舞台から落とされた事を思い出しては頭を抱えた。
—コンコン
控えめに鳴らされた扉。ゴールドスタイン家の自室に引き籠ったアランがいつまでも出てこない事を気にした使用人の誰かだろうと、入って良いと声をかけた。
「アラン様、傷のお加減は如何ですか?」
「セレス?!何で…」
「申し訳ございません、あの後お会いすることが出来なかったので…先ぶれは出しましたの。届いていらっしゃいませんか?」
聞いていない。というより、きっと皆気を使って知らせなかったのだろう。今は婚約者に会う気分では無いだろうからと。断りの返事をしただろうに、時折強引なセレスは既にダルトン邸を出た後だったのかもしれない。
「ごめん、折角来てくれたけど…その」
「すぐにお暇します。今はお一人になりたいのでしょう?」
その通りだ。それを分かっていて何故今来たのだと少しだけ文句を言いたくなったが、優しく微笑むセレスは手当されたばかりの頬に軽く手を添え、「お疲れ様でした」と小さく声を漏らした。
「一言、お伝えしたかったのです」
「なに?」
「とても、格好良かったですと」
用事は済みましたと微笑んで、セレスは突然来た非礼を詫びて部屋を出ようとする。だが、その手をしっかりと握りしめてしまうのはアランの癖のようなものだ。驚いたような顔をしたセレスが振り向く。どうかしたかと言いたげな、優しい笑顔を向けながら、セレスはアランに引き寄せられるがままにソファーに近寄ってくれた。
「格好悪い所を見せてしまった」
「そんな事ありません。とても格好良かったですよ」
立ったままのセレスの腹に抱き着くアランの頭を撫でながら、セレスはゆっくりと落ち着いたトーンで話続ける。
「私公開訓練を見るのは初めてでしたが、アラン様はあのようにお強い方々と肩を並べていらっしゃるのですね」
「負けたけれどね」
「あら、それはこれからまだまだ伸びしろがあるという事ではありませんか」
勿論一番強い事も素晴らしいが、まだ上を目指せると言うのは、若手の特権の一つであるとセレスは笑う。出会った頃の後ろ向きな彼女は何処へ行ったのだろうと少々可笑しくなりながら、アランはセレスの体に巻き付けた腕に力を込めた。
「勝ち負けは大切かもしれません。ですが、私はあの場所でアラン様が一番格好良く、素敵な騎士様に見えたのです」
「本当に?」
「本当ですよ。私の騎士様ですもの」
照れ臭そうに笑いながら、セレスはまだアランの髪を撫で続ける。金色の癖毛、セレスが好きな色の一つ。きっとこの状況を妹が見たら羨ましがるだろうななんて思えるように成程、アランの心は落ち着き始めていた。
「次は絶対に勝つから、見ててくれる?」
「勿論。その時は家族席から見ていますからね」
「それは楽しみだ」
負けた事は悔しい。無様な姿を見られた事も悔しい。だが、まだこれから伸びしろがあると言ってくれたセレスの言葉が嬉しかった。支えてやりたい、守ってやりたいと思っている相手に支えられるのも悪くはない。これから先夫婦として支え合って生きて行くのだから、今は素直に「悔しい」と零しても許されるだろう。
「セレス、夕飯は?」
「まだです。帰ってから食べようかと…」
「うちで食べて行って。御父上には俺から遣いを出すから」
「でも突然お邪魔してはシェフに申し訳ありませんわ」
「俺がお願いするから。ね、頼むよ」
腹に抱き付いたまま、下から覗き込んでやれば、困ったような顔をして、アランの「お願い」を聞いてしまうのがセレスだ。それを分かっていて、アランはにっこり微笑んでお願いをする。
「頑張ったから、ご褒美ちょうだい」
「仕方のない騎士様ですね」
今日のメニューは何だろう。帰りは馬車で送って行こう。遅くまで一緒に居られるのは珍しい。どうせなら今日くらい泊ってくれても良いのになんて考えながら、アランは使用人を呼びつけるのだった。