もう一人の幼馴染④「敗北宣言」
いつも通り立派なゴールドスタイン邸の大広間で、若いカップルは幸せそうに微笑んでいる。周囲で祝福してくれる沢山の友人たちに囲まれて、セレスは真新しいドレスと靴を身に付けて幸せそうに笑っていた。
会って一番に心底嬉しそうな顔をしたアランに薔薇を差し出されながら、これでもかと褒められたのだ。おめかしをしたセレスはとびきり可愛らしくて誰にも見せてやりたくないだとか、ドレスの裾から覗く靴も細やかなレースが美しいね、良い物を贈ってもらえて良かったねとニコニコ笑ってくれていた。
もう怒っていない、ルイスに買ってもらった靴を履くのはあまり良い気はしないかもしれないと不安に思っていたが、アランは思っていたよりも穏やかに微笑んでくれた。
「本当に、良かったわねセレス。幸せそうで安心したわ」
友人であるサティアも嬉しそうに微笑み、絶対に私の友人を泣かせるなよと圧を掛けるようにアランを見る。この女性は将来自分の上司の妻となるのだから敵に回したくないと肩を竦めながら、アランはセレスの肩を抱き寄せて自信たっぷりに笑う。
「この世で一番幸せな女性にしてみせますよ」
「あらあら、お熱いわねぇ」
けらけらと笑いながら、サティアは照れ臭そうにしているセレスの手を取った。両手をぎゅっと握り、今にも泣き出しそうな顔をしたサティアは何度も瞬きを繰り返す。
「どうか、どうか幸せにね。もう二度と悲しい思いをしませんように」
「ありがとうサティア。良い友人がいてくれて、私は幸せよ」
あの一件で、この友人はどれだけ怒り、泣いてくれただろう。あの時は深く傷付き引き籠ってしまったけれど、セレスの友人たちは皆、セレスの事を案じてくれていた。元気を出してもらおうと色々な集まりに呼んでくれたし、沢山の手紙を送ってくれていた。
どれもこれも、セレスが大切に想われている証拠だった。それに気を向ける事もせず、塞ぎ込んでしまったかつての自分の愚かさを恥じながら、セレスはサティアの手を握り返した。
「おーいアラン、ちょっとこっち来てくれよ!」
「今行く!ちょっと行ってくる。楽しんで」
「はいアラン様、行ってらっしゃいませ」
遠くから友人に呼ばれたアランは、サティアに軽い会釈をして小走りでそちらに向かっていく。軽く小突かれたり、肩を組まれたりと普段あまり見る事のないアランの姿。
普段は騎士団の隊長として、部下から慕われている姿だとか、令嬢たちに憧れの君としてきゃあきゃあ騒がれている所ばかり見ている。
あんなにも朗らかに、楽しそうに友人に囲まれている姿は新鮮だった。
「案外普通に男性なのね」
もっと気取った、貴族らしい男だと思っていたらしいサティアは、グラスを傾けながらアランの様子を伺う。
あんなに口を開けて大笑いしている姿は珍しい。ああ髪をあんなにぐしゃぐしゃとかき回されて。
「何だか知らないアラン様を見ている気分だわ」
「お兄様の幼馴染なんですの。普段は領地に住んでらっしゃる方ですけれど、今日はお祝いだからと来てくださったのですよ」
ひょっこりと顔を覗かせるセシリアに、サティアは驚いたように目を見開いた。こんにちはとにこやかに挨拶をして、セシリアはつんつんとセレスのドレスの袖を軽く引いた。
「ご友人の集まりだと伺いましたのに、私も参加して宜しいのですか?」
「勿論、シシーは妹になりますが、私の大切な友人ですもの」
「嬉しい!そちらはサティア様ですわね?よくお姉様からお話を伺っておりますわ!」
キラキラと大きな目を輝かせながら、セシリアはサティアに挨拶をする。アランの妹であると簡単な紹介をされ、二人はセレスの話をしながら穏やかにグラスを傾けた。
そろそろダンスでもと誰かが言い出す。今日の主役が真っ先に踊るべきだとはやし立てられ、それに乗ったサティアとセシリアはぐいぐいとセレスの背中を押す。同じように背中を押されたアランも「やめろ」と困った顔をしながら部屋の中央に押し出された。
「何か照れるな…」
「ええ、本当に…」
もじもじとしだす二人に向かって、観衆たちはニヤニヤと笑みを零す。空気を読んだ楽団たちが、ゆっくりと演奏を始めると、もうこれは踊らなければならない雰囲気だった。
「一曲お相手願えますか、レディ」
騎士らしく片手を背中に回し、もう片手をセレスに差し出しながら、アランはにっこりと穏やかに微笑む。
「はい、喜んで」
差し出された手をそっと取れば、もうあとは慣れたものだ。まだそう何曲も踊ったわけではないが、アランのリードは上手い。
セレスはただ穏やかに微笑みながらアランの顔を見つめ、体に染みついたステップを踏むだけで良い。
誰もが皆、セレスとアランの姿を見つめる。動きに合わせてふわりと揺れるドレスの裾。くるりと回れば、セレスの耳元で大切な耳飾りがきらりと輝く。
「あんなに幸せそうな顔をするなんて」
ぽつりと呟くサティアの口元が緩む。以前はこんなに幸せそうに綻ぶ顔を見た事なんて無かった。いつだってどこか自信なさげに微笑むだけだったのに、今は愛されている事に自信を持って、愛する男を見上げていた。それがどれだけ嬉しい事か。思わず熱くなってしまった目頭を押さえながら、サティアは鼻の奥がツンと痛むのに耐えた。
「最後に一曲お願いするくらい良いかしらね」
「セレスティア様にお伺いしてみたら良いじゃない。きっとお優しいから、一曲踊るくらい許してくれるわ」
セシリアの友人として以前紹介されたハンナとカリーナが、こそこそと憧れの男に踊ってもらうチャンスを狙っている。本気で恋をしていたというよりも、友人の美しき兄、憧れの君として見ていただけらしく、結婚してしまう前に最後の一度だけ、たった一度の思い出が欲しい!という程度の事らしかった。
「ダルトン嬢、俺とも踊ってくださいませんか」
「あ、抜け目ないなお前は!」
「良いじゃないか、親友だろ?」
「ただの幼馴染だろうが」
一曲踊り終えたばかりの隙を狙い、先程アランとじゃれ合っていた男がセレスを誘う。駄目だと庇うようにセレスを抱きしめながら、アランは幼馴染に向かってしっしと手を振った。
「良いじゃありませんか、アラン様のご友人なら、今後私もお会いする機会はありますでしょう?」
腕の中から見上げるセレスに、アランはぐっと言葉を詰まらせる。そうだそうだと野次を飛ばすようにやいやい言い出す男に向かって、不満げにセレスを押し出してやりながら、アランは「大事に扱ってくれよ」と唇を尖らせた。
「びっくりするだろ?あいつ結構嫉妬深いみたいで」
「そのようですわね」
苦笑するセレスは、既にハンナとカリーナにダンスをせがまれているアランを見て笑う。会場の端に居るルイスに気が付き、アランは眉間にうっすらと皺を寄せているが、セレスはそれに気付かない。
「立て続けにもう一曲じゃ疲れるかな?」
「大丈夫です、この後何曲も踊るわけではないでしょうから」
そう言って笑ったセレスが、こんな筈では無かったと顔を青くさせるまで、そう時間は掛からなかった。
◆◆◆
ぐったりとソファーに腰かけるセレスは、あれから何曲踊ったのか分からない。流石のアランも疲れたのではないかと視線を向けるが、普段騎士として鍛えている男がダンスを数曲踊った程度で疲れる筈が無かった。
「おいおい、大丈夫か?」
「お水を頂戴…」
「言われると思って持ってきた」
どうぞとグラスを差し出しながら、ルイスはちゃっかりセレスの隣に腰かける。こくこくと喉を上下させながら水を飲みほしたセレスは、小さく息を吐き出した。
「楽しんでくれてる?」
「ああ、それはもう。なんか知らないけど、絵が欲しいって人が何人かいたから今度仕事しに行ってくるよ」
「婚約祝いのパーティーに招待されて仕事を得るなんてね」
商売人はチャンスを逃さないもんなんだと笑いながら、ルイスはぼうっと遠くにいるアランを見る。
そういえばあの話はどうすれば良いのだろうと思い出したセレスが、居心地悪そうに姿勢を正す。
隣にいるのは幼馴染だ。何もやましい事は無いし、隣に座る事なんて今までいくらでもあった。だが、この男は自分に向かって「好きだ」「愛してほしい」と言った。何となく、アランにはルイスと一緒に座っている所を見られたくないような気がした。
「その態度を見るに、俺は振られたみたいだ」
「ごめんなさい、気持ちは嬉しいんだけれど、やっぱりルイスはそういう対象では無いと言うか…」
やれやれと溜息を吐いたルイスが、天井を仰ぎ見る。言うだけ言ってすっきりしたのだろう、その顔はやけに晴れやかだった。
「こんにちは幼馴染殿。楽しんでいただけてるかな?」
愛しい婚約者が幼馴染と並んで座っている事に気付いたらしいアランが、仲間から離れて牽制に来たようだ。穏やかに微笑んでいるが、その目は敵意を抱いていた。
「ええ、楽しんでおりますよ。結婚前に最後にセレスと踊れなかったのが残念ですが」
親し気に愛称で呼ぶルイスの言葉に、アランの眉がぴくりと動く。何だか今すぐにこの場から逃げてしまいたい。そんな衝動と戦いながら、セレスは手にしたグラスをもう一度傾けた。
「ああそうだ、素敵な靴をありがとう。俺からも礼を言います」
「セレスが気に入ったものがあって本当に良かった。昔から遠慮がちというか、欲のない子だから贈り物は大変ですね」
昔からの馴染みである事を強調しながら、ルイスはにっこりとアランに喧嘩を売る。
お前さえ出て来なければ、俺にもまだチャンスがあったかもしれないのに。あっという間に連れ去ってくれたな、よくも、よくも。
どろりとした醜い感情を抱きながら、ルイスは今日も良い兄を気取ってセレスに向かって微笑む。
幸せになれよという言葉は昔も言った。今回も言った。だが心の底から祝福出来ているかと問われれば否だ。
幸せにしてやりたかった。隣に立っている男が自分だったらどれだけ幸せだっただろう。何度もそんな事を考え、自棄になって想いをぶちまけたは良いものの、セレスの瞳に映るのはルイス・ロバーツという画商の息子では無かった。
アラン・ニール・ゴールドスタインという、金色の美しき騎士だ。
彼を心底愛おしいといった顔で見上げ、安心したように体を任せて踊るセレスを眺めているうちに悟ったのだ。
あの男には勝てないと。セレスの隣にいるべきは自分ではないのだと。
「あの…二人共少しお顔が恐ろしいと言いましょうか…」
「正直言って俺は貴方が嫌いだ」
「アラン様!」
「でしょうね」
くっくと喉を鳴らして笑いながら、ルイスはソファーから立ち上がる。このまま喧嘩になってしまったらどうしようと慌てるセレスだったが、おろおろと二人の顔を見比べる事しか出来ない。
「俺も貴方が嫌いだ」
じとりと視線を向けたルイスの言葉に、セレスは顔を青くさせる。
男たちの視線に何かバチバチとしたものを感じながら、セレスは今度こそ黙り込む。
「俺はセレスの事が好きだ。子供の頃からずっと。友人の婚約者だったから、その気持ちを押し殺して生きてきた」
「そうか。申し訳ないが、セレスは俺の婚約者なんでね。奪えるものなら奪ってみろと言いたいが、俺は譲る気は一切無い」
「俺の方がセレスをよく知っている」
「過ごした時間の差でしかないだろう。これから先徐々に知って行けば良いだけの事」
じろりとルイスを睨むアランの視線は酷く冷たく恐ろしい。ルイスもそれに負けじと憎しみを籠めた目をアランに向けた。
穏やかではない雰囲気に感づいた客人たちが、何事かとアランとルイスに視線を向け始める。
「俺はいつでもチャンス狙っているぞ。商売人はいつだって貪欲なんだ」
「騎士があっさりと守るべき人を奪い取られるような隙を作るとでも?」
「あの、本当にやめて二人共!」
いい加減にしろと立ち上がったセレスに、男二人は視線を向ける。楽しい集まりで何故揉めるのだと取り合いをされている本人であるセレスは眉間に皺を寄せながら二人を睨んだ。
「アラン様、ルイスは私の大切な友人です。そのように恐ろしい顔で睨まないでくださいませ」
「あ、ああ…」
「ルイス!私の婚約者に向かってなんて事を言うの?酷いじゃない、今日は婚約祝いなのに!」
「悪い…いやでも先に喧嘩を売って来たのはそっちだろ?」
反論しようとするルイスに厳しい目を向け、セレスは黙れと言いたげに睨みつけた。本気で怒らせた事を察したルイスは、もう一度小さくごめんと詫びた。
「勝手に二人で話を進めないでくださる?私の気持ちを考えもせず」
セレスの真っ白な肌が怒りに赤く染まる。うすらと目尻に涙を溜めているのは、楽しい筈のパーティーで喧嘩を始められたせいだろう。どうしようとおたつく男たちに、セレスはまた言葉を投げた。
「ルイス、貴方は私の大切な友人よ。今迄も、これからもそれは変わらないわ。どう想ってくれていたとしても、私はアラン様が良いの」
「セレス…」
自分を選ぶと言ってくれたセレスの言葉が嬉しいのか、アランは安心したように口元を綻ばせながら愛しい名を呼んだ。しかしセレスは嬉しそうにしているアランを睨みながら詰め寄った。
「何が奪えるものなら奪ってみろですか。私がふらふらと別の男性に靡いてしまうような女だと欠片でもお思いですの?」
「いや、そんな事は欠片も…」
「ならばそんな馬鹿な事は仰らないでくださいまし!とても不愉快ですわ!」
「ごめん…悪かったよ」
初めて本気で怒られた事で、アランはしゅんと肩を落とす。主人に叱られた子犬のようだなと観衆に思わせるその姿に、誰かが小さく笑った。
「というわけで、実を言うと貴方が来るよりも前に俺はしっかり振られています。腹いせに八つ当たりをしました。申し訳ない」
ぺこりと頭を下げて詫びるルイスに、セレスはフンと鼻を鳴らして両腕を組む。正に仁王立ちだ。
詫びられたアランも、申し訳なかったと同じように頭を下げた。
「仲良くなさい」
「はい…」
まだぷりぷりと怒るセレスは、観衆に紛れていたサティアの元へ歩いて行く。きっとこれからぶつくさと文句を言って、すっきりしたらまた笑ってくれるのだろう。
「随分強くなって…」
「昔からでは無いのかな?」
「昔はもっと気弱というか…自信なさげだったかな。今のセレスの方が生き生きしていて良い」
ふっと懐かしむような顔をして、ルイスはもう一度ちらりとアランの顔を見る。
何度見てもこの顔には絶対に勝てないし、そもそも勝てる要素など一つもない。八つ当たりをしてみせたものの、勝機など微塵も無かった。
「もうこれですっぱり諦めます。でも友人として、セレスの傍に居る事を許してはもらえませんか」
駄目だと言うのなら、大人しく引き下がろう。そう思っているのが分かっているのか、アランは困ったように笑いながらルイスに握手を求めた。
「花嫁の友人席に穴を空けないでくれよ」
結婚式に呼びたいと言われている名前の中に、ルイスの名前があった。大事な友人だから是非呼びたいのだと。
妻となる女の願い、仲良くしろという言葉に逆らえる程、アランは強くなかった。
「結婚祝いに絵を贈る約束をしてるんだ。是非二人で画家と相談してくれ」
「ああ、そうするよ。そうだ、妹も今度結婚するんだ。兄からの結婚祝いにするから是非一枚見繕ってほしい」
まだぎこちない二人だが、この先セレスを挟んで穏やかにお茶をする事もあるだろう。そう思わせる程固く握られた手は、観衆からは仲直りの握手のように見えた。
男たちは互いの手を握りつぶさん勢いでぎちぎちと握り合っているのだが、和解したなと満足げに戻ってきたセレスは、それに気が付く事は無かった。
こちらで「もう一人の幼馴染」は完結となります。番外編なのに四話も続いてすみません…書いていたら楽しくなってしまった結果でした。完全かませ犬でごめんねルイス…。
読んでくださった方々ありがとうございましたー!




