もう一人の幼馴染②「牽制と嫉妬」
アラン以外と外出するのは久しぶりだ。普段よりもお洒落をして、ティナもお供に連れて三人でショッピング街をふらつく。ルイスにとっては歩き慣れた街並みだが、セレスはアランが居ないショッピング街というだけで何だか普段と違う街並みのように思えてならなかった。
「ハンカチだけで充分嬉しいのに」
「いやあ、流石にハンカチだけじゃなあ…かといって俺が選ぶとセレスの好みじゃないかもしれないし、画材とかになっちゃうし」
「素敵な絵を選ぶ、という考えは無かったの?」
仮にも画商の息子でしょうとクスクス笑いながら、セレスはあちこちを見まわしながら歩き続ける。いつかアランと入った宝飾店や、相変わらず行列のパティスリーヴィル。ルイスはどんなものでも良いよと笑うが、セレスは自分で欲しいと思ったものをおねだりするという事に慣れていない。
婚約者であるアランにさえ強請る事をしないのだ。幼馴染であるルイスに強請るのもまた、何となく申し訳がないような、心苦しい気持ちになってしまう。
「物欲が無いなあ…セレスくらいの年頃の令嬢なら、あれが欲しいこれが欲しいっておねだりするもんだろうに」
「他の方がどうだとしても、私は苦手なのよ」
「婚約者にすらそうなのか?ウィルの時もそうだっただろ」
「あの人に何か欲しいと言ったって、どうせ何も覚えてないわよ」
ふいと視線を逸らしながら、セレスは過去の婚約者を思い出す。誕生日に何が欲しいか問われ、当時流行っていた小説が欲しいと強請った事がある。分かったと頷かれ、読めるのを楽しみにしていたのだが、渡されたのは本ですらなかった。小さな宝石が付いたネックレス。贈り物をしてくれたのは嬉しかった。だが、欲しいものは何だと聞いておきながら、これが欲しいという願いを完全に無視し、「こっちの方が良いと思ったから」と自分一人満足げな顔をされた。それに心底呆れたのだ。
「あいつはなあ…悪いやつじゃないんだけど、いつからあんな風になったんだか」
「どうでも良いわ。もうあの人に会う事は無いんだもの」
「随分嫌ったな」
「あの人が私に何をしたか知っているでしょう?」
じろりと冷たい目をルイスに向け、セレスは今度こそ不機嫌そうな顔を隠す事もしなくなった。思い出したくないのだ。かつての婚約者の事を。
どうしたってルイスと一緒にいると、ウィリアムの事を思い出す。あんな事があったと昔話をすれば、必ずと言って良い程ウィリアムもその記憶にいるのだから。だからと言ってルイスの事まで嫌いになったわけではない。思い出したくない男と、仲の良い幼馴染。出来ればずっと三人一緒に仲良く過ごしたかったが、残念ながらそれは叶わない。
「悪かったよ。そんなに不機嫌そうな顔して歩かないでくれ」
「何だか色々と不愉快な事を思い出しちゃったじゃないの。折角の外出なのにどうしてくれるつもり?」
「悪かったって。ほら、そろそろ何か選んでくれよ。なんかさっきから居心地が悪くて」
苦笑するルイスが、時折すれ違う騎士たちを指して困った顔をする。チラチラとセレスを見ては、目を見開くのだ。
目が合うと、セレスはにこやかに小さく会釈をする。誰がどこの隊所属かまでは把握していないが、若い騎士の殆どはアラン率いる第三部隊の隊員だと教えてもらったことがある。今日ショッピング街を見回っているのは若い騎士が多く、きっと今日は第三部隊が担当なのだろう。
「アラン様の部下の方だと思うわ」
「…まさかとは思うけど、堂々と浮気してるとか思われてないよな」
「まさか!きっとアラン様の婚約者だと珍しいものを見ている気分なだけよ」
やめてよと笑うセレスだったが、ルイスの予想は当たっていた。隊長の婚約者が見知らぬ男と仲良さげに歩いている。侍女を連れているとはいえ、婚約者のいる身で男と二人で外出をしている。寝取られ令嬢と呼ばれていたセレスなのだから、もしかしたら貞操観念が若干弱いだとか、そういう実に失礼な想像をされていた。
「あ、ほらあれとかどうだ?流行りのドレス」
「ドレスはこの間作ったもの。大体私に既製品のドレスが着られると思っているの?」
人よりも細い体。持っている服の殆どがオーダーメイドで、店に飾られているドレスは着られない。勿論貴族の娘が既製品のドレスを着るなんて事はあり得ないのだが、ルイスはその辺りをよく分かっていなかった。
「んー…どうせ宝飾品に興味は無いだろうしなあ…」
困ったように周囲を見まわしながら、ルイスは何か良さそうな店は無いかと視線を走らせる。だが、物欲の無いセレスが望む物が分からずに、御祝い品探しは難航した。
「家具…は嫁ぎ先に充分あるだろうし、そもそもそういうのはご両親が選ぶだろうし」
「そうねえ…アラン様のご両親が沢山準備してくださるそうよ」
先日歓迎のパーティーをしてから、未来の両親は嬉しそうにあれもこれも準備していると笑っていた。デザイナーを呼ぶから、好きなデザインのドレッサーやテーブルを作ろうと笑ってくれたのは、まだ記憶に新しかった。
「私の部屋を作ってくださるんですって。あるもので良いと言ったのに、歓迎の印だからって…」
「良い人達なんだな」
そう笑うルイスだったが、頭に浮かんだのはタラント家の人間だった。ウィリアムの両親もセレスが嫁いでくるのを心の底から待ち望んでいた。ルイスの実家に、結婚のお祝いに絵を贈りたいからと相談してくれていた矢先、ウィリアムの浮気が発覚、あれよあれよという間に婚約は破棄、贈り物の話も立ち消えていた。
「夫婦で使えるグラスとかどうだ?寝る前に酒を飲むことだってあるだろ?」
「私はお酒飲めないもの」
「そうだった」
一滴たりとも飲めないセレスに寝酒を嗜むという日は絶対に来ないだろう。もし仮に一口でも飲めば、きっと一瞬で倒れてしまうのだから。
「難しいな、贈り物」
「素敵な絵はどうかしら」
「ああそれは駄目。それは結婚祝いにするって決めてるんだ」
ロバーツ家の商いは少々変わっている。画商ではあるのだが、売れない画家やこれから画家になりたいと願う若人の為、無名の画家の作品も多く扱っていた。
絵を描いてほしい客と、絵を売りたい画家を引き合わせ、商談を成立させる。報酬として支払われた金から紹介料を取り、残った金を画家に支払う。仲介業者のような事をして徐々に業績を伸ばしていた。
「良い画家を見つけたんだよ。どんな絵が良いかは今度紹介するから、セレスが直接相談して」
「楽しみだわ」
そろそろ歩き疲れたのか、セレスの歩幅が先程よりも狭くなる。少し休憩でも挟もうかとルイスが考え始めた頃、ふいに周囲で黄色い声が上がった。何事だと声の方向に振り返ったルイスは、げえと嫌そうな顔をした。
「ダルトン嬢、こんにちは」
「アドニス様、ごきげんよう。アラン様、お仕事お疲れ様です」
麗しの騎士、社交界の高値の華であるアランが騎士団の制服を揺らしながら速足で歩いていたのだ。美しい、素敵だとうっとりした表情を浮かべる女性たちに目もくれず、アランは不機嫌そうな顔を必死で押し隠してセレスの元へ歩み寄った。
「部下が騒いでいてね。セレスが知らない男と歩いてるって」
「あら、ルイスと買い物に行くと言ったではありませんか」
「部下が勝手に騒いだんだよ。やけに騒ぐから、一度見に行くから騒ぐなと黙らせてきたんだ」
「いやもう本当に、隊長ものすごーく機嫌悪くなってましてね…」
「黙れデイル」
はいはいと肩を竦め、デイルはセレスの後ろで無表情を作り続けるティナにひらりと手を振る。勿論ティナからの反応は無い。
「何か良いものは見つかったかい?」
「それがまだなのです。何が欲しいのかも分からず…」
「セレスは欲が無いから。俺も贈り物には苦労しているんだ」
にっこりと微笑む事を忘れずに、アランはセレスをエスコートするように腰に触れたままのルイスに視線を向ける。ぴきりとこめかみに青筋が立っているのだが、セレスはそれに気付かない。気付いたセレス以外の者は、嫉妬深いなと半ば呆れながらアランを見た。
「ほら隊長、大丈夫だって言ったでしょう?そろそろ仕事に戻りましょうよ」
「ああ、分かっている」
「心配して見に来てくださったのですね。ありがとうございます」
「お約束通りしっかりエスコートしますから、安心してお仕事にお戻りください」
にっこりと笑いながら、先程よりもしっかりセレスの腰を抱いたルイスに、今度こそアランは嫉妬と怒りを込めた視線を向けた。ぎくりと肩を揺らしたセレスに気付き、アランは慌てて表情を戻し、安心させるようにセレスの頬を撫でた。
「あんまり遅くならないうちに帰るんだよ。楽しんでおいで」
「はい、アラン様もアドニス様も、お仕事頑張ってくださいませ」
行ってらっしゃいと互いに手を振り合い、アランとデイルはその場を後にする。最後にもう一度振り返ったアランは、確かにルイスを睨みつけていた。
「や、愛されてるな」
「やっぱり幼馴染とはいえ男性とお出かけは嫌だったかしら…」
「楽しめって言ってただろ?大丈夫大丈夫」
行こうと再びセレスをエスコートしながら、ルイスはセレスに見えないようにべっと舌を出した。
「隊長、顔怖いんですけど」
「煩い」
「何なんです?あの男」
「セレスの幼馴染だ。婚約祝いを買ってやると言って買い物に。クソ…エスコートを頼むとは言ったが、俺の前でわざとらしく密着するか普通?」
眉間に深々と皺を刻み込みながら、普段よりも大股で歩くアランについて行くデイルは、この後の訓練が面倒だなあと溜息を吐く。
ただの幼馴染というには、少々執着しているようにも見えたのだ。普通ならば、婚約者であるアランに遠慮して多少なりとも離れるだろうし、そもそも侍女付きとはいえ二人で外出などしない。
「狙ってますかね、あれ」
「取れるものなら取ってみろ。ああむしゃくしゃする!」
「お願いですから部下に当たり散らさないでくださいよ…」
そんな騎士たちの会話を知る由もなく、セレスとルイスはのんびり散歩をしながら婚約祝いを探し続けるのだった。
続きはまた明日




