もう一人の幼馴染①「もう一人の幼馴染」
「哀しみの君」を書いていて、もっとアランが嫉妬するところを書きたい!となった結果こうなりました。全四話です。よろしくお願いします
かつての婚約者は幼馴染だった。茶色の髪とキャラメル色の瞳をした、平凡な男。十二年もの長い間愛した男は、あっさりと自分を捨て別の女の手を取ったけれど、幼馴染はもう一人いたのだ。
「久しぶりに手紙が来ましたね」
「ええ、元気にしているそうよ」
ティナから手渡された手紙には、暫く距離を置いていたもう一人の幼馴染の名前が記されていた。ルイス・ロバーツという名の画商を営む家の長男。セレスとウィリアムよりも少し年上の男が、セレスの婚約を祝って手紙を送ってくれたのだ。
「あら、お祝いをしてくれるそうよ。一週間後に贈り物を持って遊びに来るって」
「そうですか、ではお迎えの支度をしなければなりませんね」
うきうきと嬉しそうな主人の表情に、ティナは口元を緩める。
幼い頃、セレスは二人の男の子とよく遊んでいた。一人は元婚約者となったウィリアム・タラント。もう一人は手紙の送り主であるルイス・ロバーツ。三人で遊んでいたというよりも、幼いセレスとウィリアムの面倒をルイスが見ていたようなものなのだが、セレスとウィリアムにとって、ルイスという男は良い兄のような存在だった。
セレスとウィリアムが婚約し、ルイスは少しだけ二人と距離を取った。頻繁に遊んでいた回数を抑えたり、パーティーなどで出くわしても初々しいカップルの邪魔をしないように適当な所でふらりと離れていく程度。初めは寂しく思ったが、それを母に訴えると「ルイスは貴方よりも少し大人なのよ」と困ったように笑った。
「そういえば、昔は社交シーズンで王都に来る度に遊んでもらったのよね」
「シーズン終わりには帰りたくないと大泣きしておりましたね」
「そうだったわ。お兄様よりも優しくて、頼りになるお兄様だったから」
懐かしい記憶にクスクスと小さく笑いながら、セレスは手紙に綴られる文字をそっと指先で撫でる。細い線で描かれた祝福の言葉が、とても嬉しかった。
◆◆◆
「よ、久しぶり」
軽く手を上げながらにこやかに挨拶をする男。随分久しぶりに顔を見る幼馴染に、セレスは嬉しそうな顔をしながら駆け寄った。流石に子供の頃と同じように抱き付いたりはしないが、互いに再会を喜びながら軽いハグをした。
「久しぶりねルイス!」
「本当にな。何年くらいだ?去年はちょっと忙しくて王都にはいなかったし…」
「二年ぶりかしらね?もっと?」
セレスの成人をお祝いするのに会ったきり、もう三年近く会っていなかった事に気付き、二人は本当に久しぶりだと嬉しそうに微笑み合う。仲の良い兄妹のように見えない事も無いが、血の繋がりは無いただの幼馴染である。
「婚約おめでとう。今度こそ幸せにな」
「それ皆に言われるのよね。大丈夫、今度の婚約者はとても素敵な人なのよ」
ニコニコと嬉しそうに、幸せそうに微笑むセレスは、誰が見ても結婚間近の幸せな女性だ。三年会わない間に随分と綺麗になったなと、ルイスは目を細めて笑う。
「ご歓談中失礼致します。玄関先でお話するのもなんですので、お茶の席をご用意しております」
そろそろ中に入れと、ティナはすました顔で主と客人を促す。子供の頃からの付き合いなのだから、ティナもルイスという男を良く知っていた。ルイスもティナにはよく慣れており、今でこそ侍女として澄ました顔をしてみせる事はあっても、昔はもっと感情豊かで直情的な女である事を良く知っている。
「ティナも久しぶりだな。元気にしてたか?」
「はい、ロバーツ様」
「わーティナのそれ本当気持ち悪い。頼むから昔みたいにしてくれないか?背中がぞわぞわして落ち着かない」
自身の両腕を抱きしめ、ああ気持ち悪いと零しながらさすさすと腕を摩る。面倒くさそうな顔をしてみせたティナが、ちらりとセレスの顔を見て「どうすれば宜しいですか」と視線だけで訴えた。
「あまり私の侍女を困らせないでくださいな」
「そうは言ってもなあ…」
ぽりぽりと頬を掻きながら、まだじとりとした目を向けるティナに苦笑し、ルイスは諦めたように両手を顔の横に上げて笑った。もうこれ以上言わないという仕草だ。
話は終わりだと言いたげなティナが、さっさとお茶の席へと二人を案内し始める。玄関ホールを抜け、庭が見える大きな窓のある部屋だ。この部屋はアランが来た時にもよく使われており、セレスの客人は大体ここに通される。景色が良く、日当たりも良いので温かいからと、セレスのお気に入りの部屋だからだ。今日も綺麗に整えられた部屋。窓辺にセットされたテーブルには、今朝アランから届けられた薔薇が一輪ちょこんと花瓶に挿し込まれていた。
「薔薇?ディナーなら兎も角、昼間のお茶ならもっと可愛らしい花を選ぶものじゃないか?」
「アラン様…ええと、婚約者からの毎朝の贈り物なの。綺麗でしょう?」
「ふうん…?毎朝薔薇が届くのか?」
「そうよ。リボンを巻いた薔薇が一輪と、手書きのメッセージカード」
今朝のメッセージは「楽しい時間を俺にも教えて」と書かれていた。今日は久しぶりに幼馴染と会うのだと話していたからだろう。次に会った時、楽しかったかい?と優しく聞いてくる筈だ。どんな話をして、楽しかったかを沢山話してやろうと、セレスは薔薇の花を見つめながら穏やかに微笑んだ。
「毎日届けられるティナも大変だろうに」
「いえ、一輪だけですし、大きな花瓶に順に刺していくだけですので」
大した仕事ではありませんと否定しながら、ティナは当たり前のようにセレスを椅子に座らせる。ついでにとルイスの椅子も引くが、ルイスはそれを手で制しながら自分で座ってじっと薔薇を見つめた。
「ゴールドスタイン家の騎士様だっけ?あの美形揃いで有名な」
「本当に美形しかいないのよ!妹のシシーは勿論、ご両親もお兄様も輝かんばかりの美形なんだから!」
肩身が狭いと顔を覆うセレスに、ルイスは小さく微笑む。そんなに心配をしなくとも、系統が違うというだけでセレスも美形に入ると思っているからだ。
セレスは自分で思っている程、美形の集団の中で浮いているという事は無い。ただ、まだ少し前まで社交界で囁かれた不名誉な二つ名が傷として残り、必要以上に自分を卑下しがちになっている。
「別にそんなに嘆く程じゃないだろう。ゴールドスタイン家は美形揃いだろうが、セレスだって充分可愛いんだから」
さらっと言ってのけるルイスに、セレスはじろりと視線を向ける。可愛いと言われているのに、嬉しそうにする様子もなく、照れるでもなく、恨めしそうな顔をするのは何なのだと、ルイスは困ったように苦笑した。
「ルイスの可愛いは信用ならないのよ」
「ええ…可愛いと思ったものしか言わないんだけどな」
「とっても不気味な人形を可愛いと愛でていた方の言葉を、どうやって素直に受け入れれば良いの?あまりにも不気味すぎて、暫く一人で眠れなかったんだから」
子供の頃、可愛い人形を見つけたからあげるよと持ってこられた人形。ルイスには綺麗な髪をした可愛らしい女の子を模した人形に見えていたようだが、差し出されたセレスには異様にテラテラとした髪と大きく見開かれた目、何処を見ているのか分からない硝子玉のような瞳に、笑っているのか歯を見せている口元のなんとも恐ろしい人形にしか見えなかった。
今でもよく覚えている。瞳が微妙に左右反対にズレていて、夜中にこの瞳が動いたらどうしようと考えてしまった事を。
「可愛いと思ったんだけどなあ…」
「あれは不気味って言うのよ!」
思い出してしまったあの瞳を忘れようと、セレスはティナが淹れてくれたお茶をこくりと飲み込む。
目の前で同じようにカップを傾けるルイスは、いずれ実家の家業を継ぐ予定だ。画商として成功した家はとても裕福で、それを継いで更に大きくしたいといつだったか語っていた。正直あの不気味な人形を可愛いと愛でるセンスでやっていけるのか疑問だったが、今は実家で次期主として必死になって勉強しているらしい。
「ああそうだ、忘れる前に…」
思い出したように、ルイスはずっと傍らに抱えていた鞄から小さな箱を取り出した。それをセレスに手渡すと、やけに軽いそれを指してにっこり笑った。
「約束の贈り物」
「ありがとう!開けても良いかしら」
「どうぞ。とはいっても、女性に何を贈れば喜んでもらえるか分からなかったから、本命はまた今度一緒に選びに行こうと思ってるんだけど」
ルイスの言葉を半分聞き流しながら、セレスはいそいそと小さな箱を開封する。そこにあったのは、丁寧に折りたたまれたシルクのハンカチだった。端をぐるりと葉の茂った蔦が囲い、端に青い小鳥がちょこんと留まる刺繍で飾られている。
「可愛い…」
目をキラキラとさせながら、セレスは素直に褒めた。光に透かす様にハンカチを広げ、目線の高さまで持ち上げてみる。上質なシルクはとても柔らかく、使うにはとても勿体ないと思った。
「な、可愛いだろ?」
「とっても!あの人形は不気味だったけれど、このハンカチはとっても可愛いわ!」
もう一度「ありがとう」と笑いながら、セレスは嬉しそうにハンカチを大事に箱に仕舞い込んだ。
「婚約祝いがハンカチじゃなあ…ああそうだ、そろそろ注文してた菓子が届く頃合いかもしれないな。それも贈り物って事にしても…格好つかないな」
お菓子?と小首を傾げたタイミングで、コンコンと部屋のドアがノックされる。ティナが扉を開くと、セバスチャンがにこやかに微笑みながら焼き菓子が乗ったプレートを手に会釈した。
「フィナンシェ!」
「好きだったろ?」
「しかもこれアンジェのよね?わあ嬉しい、ありがとう!」
「喜んでもらえてるみたいで何より」
貴族よりも庶民が訪れる街のケーキ屋に置かれている焼き菓子。セレスはこれが大好物だった。普段は貴族令嬢が口にするのなら、もっと良い店のものをとあまり良い顔をされないので欲しがったりしないのだが、ルイスは爵位を持たない商家の息子だからと、手土産のセンスが無いふりをして時々セレスに与えてくれている。
早速一つ摘まみ、口の中に広がるバターの香りを堪能する。美味しい美味しいと顔を綻ばせるセレスを眺めながら、ルイスは小さく微笑んだ。
「お客様がいらしているところ大変申し訳ございません。旦那様がお客様と共にお戻りです」
恭しく頭を下げるセバスチャンが、ちらりとルイスを見る。ルイスにあまり良い印象を持っていないだとかそういう訳ではないのだが、今はちょっといないでほしかったと小さく溜息を零したのをティナは見逃さなかった。
「久しいなルイス!元気にしていたか!」
「ダルトン伯、お久しぶりです」
元気ですよと笑いながら、ルイスは立ち上がって握手を求めてくるグスタフに応える。ぶんぶんと上下に腕を振られる事には慣れているのか、あははと軽く笑いながら受け入れた。
「おかえりなさいませお父様。随分とお早いお帰りでしたね」
「珍しく仕事が早く片付いたんでな。悪ガキが遊びに来ると聞いていたし、さっさと戻ってきた」
「悪ガキだった事なんてありませんよ、やだなあ」
へらりと笑うルイスが、ちらりとグスタフの背中越しに自分を見つめる男を見る。カタンと小さながら立ち上がったセレスが、慌てて髪とスカートの裾を直した。
「また突然…どうして私に先ぶれをくださらないのですか」
「俺も御父上に突然誘われてね。先ぶれを出す間も無かったんだ」
いそいそと父の横を通り過ぎ、セレスはアランの目の前に立つ。ルイスからはセレスの表情は見えないが、愛おしそうにセレスを見つめるアランの顔を見る限り、きっとセレスは嬉しそうな顔をしているのだろう。
そう思うと、ルイスの胸がずくりと重くなる。婚約のお祝いにと来た筈なのに、実際に目の前で見てしまうとやはり心が重苦しい。諦めようと何度も決めた筈なのに、なかなか諦めきれない恋心は、もう何年抱え続けているのだろうか。
「例の婚約者様ですか」
「ああ…アラン・ニール・ゴールドスタイン殿。王国騎士団所属の騎士だよ」
まだ手を握ったままのグスタフが、ちらりと背中を振り返りながらアランを紹介する。自分の名前に反応したらしいアランが、ぺこりと小さく頭を下げて「はじめまして」と小さく微笑んだ。
「幼馴染?」
「ええ、ルイス・ロバーツ。画商の跡取りなんですよ」
「そうでしたか。婚約者がいつもお世話になっています」
にっこりと微笑んでいるのに、アランの目はじっとルイスを観察する。この男がどういう男で、セレスに害があるかどうかを見極めるような目。その視線に、ルイスは僅かに眉間に皺を寄せる。負けじとルイスも観察するような視線をアランに向け、上から下までじろじろと眺めてやった。
「ルイスが婚約祝いにとハンカチをくれたんですよ」
男たちの無言の牽制に気付かないセレスは、無邪気に貰ったばかりのハンカチをアランに見せる。心底嬉しいといった顔で見せてくるセレスを可愛らしいと思いながらも、それが自分以外の男からの贈り物である事に微妙な嫉妬心を抱きながら、アランはにっこりと優しく微笑んだ。
「とても綺麗なハンカチだ。良かったね」
「はい!大事なお出かけの時に持って行きます」
「流石に婚約祝いがハンカチでは格好が尽きませんので、後日好きな物を買ってやろうと思っておりまして…。ショッピング街にでも連れ出そうと思っているのですが、構いませんか」
まさか幼馴染との外出に醜い嫉妬をしないだろうなと言いたげな笑顔を浮かべながら、ルイスはアランに許可を求める。ひくりと口元を引き攣らせたアランだったが、そっとセレスの腰を抱きながらにこりと笑ってみせた。
「大事な婚約者ですので、どうかしっかりとエスコートしてやってください」
婚約者は俺だ、お前の入る隙は無いぞと声色に滲ませる。寛大な婚約者だと嬉しそうに笑うセレスを眺めながら、グスタフは生ぬるい視線を若人たちに向けた。
「夕食を一緒にどうだ。ルイスも」
「はい、ご馳走になります」
仲良くしなさいと小さく溜息を吐きながら、グスタフはセバスチャンに夕食の品数を増やす様に命令するのだった。
続きはまた明日です




