起◆異変
それは夏も盛りの七月の中旬。大学二年の夏休みに入った頃の、良く晴れた日の出来事だった。神社を囲むように天高くそびえ立つ木々からは、つんざくような蝉の鳴き声が延々と響き渡っている。
俺はその悲鳴にも似た蝉の声に苛立ちを感じながら、神社の隅に建てられた蔵の中、早朝から一人で作業をしていた。
「あぁー、くそッ、やってもやっても終わんねぇ!こんなガラクタとっとと処分しとけよな!」
俺は積み上げられたガラクタの山を足で蹴り崩し、今日何度目かわからない悪態をつく。同時にガラガラと音を立てて、山の一つが崩れ落ちた。
母親に頼まれた蔵の掃除と食器の発掘。爺ちゃんの三回忌と婆ちゃんの七回忌で、お盆に親戚がいつも以上に大勢集まるらしい。それまでに蔵から人数分の食器を発掘せよと、夏休みに入ったばかりの俺に母親から命が下った。その為俺は、昨日からせっせと蔵の荷物を整理している。お盆まではまだ十分時間があるから間に合わないことはないだろうけど、それにしても。
俺は薄暗く、埃で咽せ返りそうな蔵の中、目の前に積み上がるガラクタに視線を向けた。そして、深い溜め息をつく。
「こんなんなる前に何とかしとけよな」
家は代々この神社で神主をしている。だからこの蔵には多分、ご先祖様から受け継いだ大切な護身刀やら巻物やら何やらある筈だ。しかし、こんなに埃を被っていたらもやは何の意味も無いだろう。
俺は真っ白になった桐ダンスの埃を払いながら、再び溜め息をついた。
流石にタンスまでは運べない。どうせ中身は着物だろうし放っておこう。俺はタンスとガラクタの山の間をかに歩きで進み、その奥の雛人形を納められそうな大きさの木箱に手を伸ばす。
何となく、食器が入っているんならこういう木箱な気がするんだけどな。そう思いながら、その木箱に手を触れる――が、その刹那。
「――う、わ……ッ!?」
うっかり、何かに足を取られてしまった。俺はそのまま顔面からガラクタの山に突っ込む。
「――ッ」
うぉお、痛ぇ。これ、鼻血出てるかも。
俺はそのまま固い石の床にうずくまり、両手で鼻を押さえた。
「だああー!やってられっか!止めだ止め!馬鹿馬鹿しい!」
俺はもう何もかもが嫌になって、ガラクタの山もそのままに、その場を去ろうと立ち上がった。けれどそれと同時に足元から、チリン――という澄んだ音が聞こえ、俺は思わず足を止める。
「――ん?」
俺が音のした辺りへ視線を向けると、赤色の組紐にさくらんぼ大の鈴が一つついた、キーホルダーの様な物が転がっていた。どうやら音の主はこれらしい。そしてその傍には、蓋の外れたA4サイズ程の黒塗りの木箱と一冊の古びた本、そして数枚の写真が散乱していた。
「……あー」
古い品だ。きっと誰かご先祖様の思い出の品だろう。俺は散らばった写真を拾い集め、木箱に戻す。続けて鈴の付いたキーホルダーと、本を拾い上げた。そして、ただ何となくその本をパラパラとめくってみる。
「んん?」
何だこれ。本かと思ったら違ったらしい。どのページも真っ白だ。本と見せかけて、ノートだったのだろうか?
そう思ってそのまま本を閉じようとしたその時、一ページだけ文字の書いてあるページが目に留まった。女性だろうか、涼やかな字で書いてある、その内容は。
「2087年、7月16日?」
それは何の変哲もない、ただの日付だった。本当にそれだけの、日付だけが書かれたページ。けれど、何だろう、2087年なんてまだ当分先の未来だ。この日付に何の意味があるんだ?
そして俺がそう思うと同時に、唐突に光を放ち始める、その文字。
「……、え」
何だこれ、何だよこれ。
俺の手の中の本から、目を覆いたくなる程の眩い光が放たれる。それは最初は文字だけだったのが、いつしかページ全体が――そして終いには、俺の全身を包み込む様に広がっていった。俺は余りの眩しさに、右手で視界を覆う。
――そしてそのまま、俺の意識はそこで途切れた。