Page 32 もっともっと幸せになれるよ
「おはよう」
「武田くん、おはよう」
その日、いつものように登校すると、あれ? 毎朝、たいてい俺より早く来ている斎藤が、今日はまだ姿を見せていなかった。
「斎藤、今日休み? 誰か理由を知ってる?」
遅れて教室に現れた他の3人に聞くと、
「ああ、斎藤は奥さんの付き添いじゃない? そろそろ出産予定日なはずだし」
付き添い?
その意味がいまいちよく分からなくて、俺が不思議そうな顔をしていると、
「計画出産日の前後2週間は、学校を休んでも出席として扱われるから、その期間は目一杯休む場合が多いんだよ」
「そうなんだ? じゃあ、これからトータル1カ月くらいは学校に来ないってこと?」
「たぶんそう。長期欠席になるから、HRで担任から告知があると思うよ」
ふうん。
以前、この世界の結婚システムについては、とても気になったから詳しく調べたけど、その先にある出産とか育児に関することまでは、とりあえず今は必要ないってことで手をつけなかった。
他にも俺の知らない社会ルールが沢山ありそう。まだ分からないことが多過ぎる。
*
家に帰って、その辺りのこともざっと調べてみた。
友達が父親になるわけだし、出産祝いとかそういうのはどうするんだろう? って、疑問に思ったからだ。詳しいことは人に聞くにしても、予備知識があるのとないのじゃ全然違うしね。
そして分かったことが、これ。
この人口の激減した世界では、出産はことのほか大事なイベントとして扱われる。
以前の世界では、法的に制度が整備されても、「マタニティハラスメント」や「パタニティハラスメント」などの差別を、実際の現場では払拭することができなかった。でもそんな状況は、ここではありえないんだそうだ。
両親が協力して育児休業を取得できるように、国も職場も積極的に支援してくれる。
これは、女性が社会の中心になってから、ワークシェアリングを始めとする働き方改革が、強力に推進された結果であり、繰り返された試行錯誤が生み出した、この社会を維持するために必然のシステムでもあった。
「育児・介護休業法」は、現在の形に落ち着くまで、何度も改定を重ねて現在に至る。
妊娠中に体調が悪かったり、産後に産婦の体力が回復していないときには、家事をしてくれる生活ヘルパーや育児ヘルパーを派遣してもらうことも気軽にできる。
社会に復帰してからも、子供が公的な保育施設に入れないなんてことはない。延長保育や病児保育なんて当たり前。
子供は社会の宝。社会で育もうという意識が、ちゃんとこの世界では根付いている。
子供の学校の参観や保護者が参加する行事には、各学校協会で統一したルールが適用され、やむをえず不参加の場合でも非難されることはないし、連絡メールや配信される静止画や動画で内容を確認することも容易だ。
そうか、外国にいた母さんが、俺たちの学校のことをよく知っていたのは、こういうシステムがあるからなんだな。
人口が激減したのが大きな要因とはいえ、俺の知っている世界よりも、社会システムがよくできている。男に寛容なこの世界は、働く女性にとっても生きやすい世界なのかもしれないな。
……と、育児関係の調べ物が終わったことだし、次は出産祝いについて調べるか。
なになに?
「学校の同級生がパパやママになった場合にぴったりの贈答品特集」
これだこれ。
おっと。「贈答品を送るに当たっての注意」っていうのがある。先にこれを読んでおくか。
……ふうん。
・学生間の贈答は、あまり高額になり過ぎないように気をつけましょう。
なぜかっていうと、お祝い返しが相手の負担になるから。
・会計が面倒でなければ、個人ではなく、数人、あるいはクラスでまとめて送るのもよいでしょう。
・おもちゃの贈答品は、内容が被りやすいため、予め希望の品を聞いておきましょう。
じゃあ、これは避けた方がいいかな。あるいは今から希望を聞くかだけど、みんなにもどうするか聞いてみた方が良さそうだ。
・1歳児のベビー服。実際に着るのが、購入時と同じ季節になるので、結構重宝がられます。但し、デザインには注意しましょう。
・ベビー用品のカタログ。共同で送る際には、これも便利です。
結局、クラスのみんなで相談した結果、無難に「ベビー用品のカタログ」を送ることにすぐに決まった。てっきり女子は、可愛いベビー服を選んだりしたいのかと思っていたので、これは意外だった。
選んだ理由を聞いてみると、
「お祝いの気持ちはこれでちゃんと表せると思うよ。だって、自分の子供のものは、やっぱり夫婦で選びたいだろうから」
……という意見が多数を占めた。なるほど、贈る側より贈られる側の気持ちを優先しているのか……と、それを聞いて納得してしまった。
そして、カタログ以外に、凝った意匠の手作りお祝いカードを用意して、それにみんなでメッセージを書き込んで送るんだって。
◇
◇
◇
都内。緑に囲まれた閑静な産院のひと部屋。
室内には、出産を終え、先ほど分娩室から戻ってきた若い女性と、産まれたばかりの赤ん坊を抱きかかえた病院のスタッフ。そして、産婦の夫である少年がいた。
「おめでとうございます。元気な女の子ですよ」
白い産着とおくるみに包まれた、生まれたてのまだふにゃっとした赤ん坊が、病院スタッフから、その父親となる少年にそっと手渡される。親子の初対面だ。
「……可愛い。頑張ったな、夢芽。元気な女の子だって」
「守。泣いてるの? ふふ。嬉しい。私、とうとう、あなたの赤ちゃんを産んであげられたのね」
赤ん坊を壊れ物のように受け取った少年が、こみ上げる情動のまま、涙を滲ませ、声を震わせる。
「うん。夢芽、ありがとう」
「これで、念願が叶ったわ。私、今なんて幸せなのかしら」
産婦の望みは、愛する夫である守の子供を元気に産み、温かい家庭を作ってあげたい。ただそれだけだった。
その願いの一端が叶ったことで、彼女の魂は満たされ、その願いの強さに比例して浄化されていく。
「もっともっと幸せになれるよ、俺たち」
「そうね。2人で……いえ、もう3人ね。家族みんなで幸せになりましょう。この願いはきっと叶うわ」
「この男に寛容な世界で俺は。」第1部 [完]
この回で第1部は終了になります。書き溜めがつきましたので、しばらく充電期間を設けさせて頂いてから、続きを掲載する予定です。第2部からは、他校(聖カトリーヌ学院など)の生徒が出てくる展開になります。
❗️ラブコメver.(セルフリメイク)を現実恋愛ジャンルで連載始めています。リメイクなので重複箇所もありますが、シリアス展開はなしです。
↓
『この男に〈甘い〉世界で俺は。〜男女比1:8の世界で始める美味しい学園生活〜 ラブコメver. 』
用語
■マタニティハラスメント(和製英語。マタニティ=妊婦・妊娠期間・母性)
通称「マタハラ」
女性社員に対して、妊娠・出産・育児のために生じる業務上の制限や、その際に利用できる制度の利用を理由に、嫌がらせや差別的発言をしたり、不当な扱いをしたりすること。
■パタニティハラスメント(和製英語。パタニティ=父性)
通称「パタハラ」
男性社員に対して、子供の養育のために育児休業制度や短時間勤務制度を利用することを理由に、嫌がらせや差別的発言をしたり、不当な扱いをしたりすること。