Page 28 早いもので、もう大晦日
早いもので、もう大晦日。私が帰国し、家族3人で暮らし始めて既に半年近くになる。
ひとつ当てが外れたのは、この新しい人生でも仕事が忙しかったこと。この世界の女性にとっては、働いて家族を養うのは当たり前のことで、職場では女性が主要な戦力になっていた。ただ幸いなことに、ワークシェアリングがまともに機能していたため、なんとか家族で過ごす時間を捻出することができている。
記憶をなくしていても、食べ物の好みやちょっとした仕草で、結星は本当にあの子なんだって分かる。
予想外に嬉しかったのは、私の作った料理を息子が凄く喜んで食べてくれること。特に子供の頃、よく作ってあげたメニューを見ると目を輝かすことが多い。
無心に好物を頬張る姿が、見た目は違っていても、幼い頃のあの子の姿とダブって見えて、じんわりと温かい気持ちが胸を満たしてくれる。
*
この半年近く、注意して観察したのは娘の結衣のこと。「武田結衣」……日記帳に記載してあるのと同じ名前の少女。そして、あの子が一緒にいたいと望んだ相手でもある。
もし彼女が以前と同一人物で、更に以前の記憶もあるのなら……このまま一緒に生活するのはどうかと危ぶんでいた。
でも、観察する内に、それは違うのではないかと思うことが増えてきた。
彼女にアイドル活動に興味をもつ素振りは全くなく、あの子に対する態度も、兄に対する妹のごく自然なものとして映る。母親想いで兄想い。この世界で幸せになることを夢見る、ごく普通の素直な少女だった。
この武田結衣は違う。
この少女は、もしかすると、あの子のために日記帳が用意した、仮初めの存在なのかもしれない。まだ確信するには至らないけれど……それが答えのような気がしてきた。
私と息子。
この世界にとってイレギュラーな存在である私たち2人を、彼女はごく自然に、なんの疑問も持たずに受け入れている。私たちの間で認識の齟齬が多いにも関わらず。それは、よく考えたら異様なことだ。
日頃の彼女の様子と、日記帳という不思議な力を持つ存在が介在していることから、こういった考えに到達した。まだ可能性としてだけど。
でもだったら……それが本当だとしたら、産んであげられなかった弟妹の代わりとして、この少女はとても相応しい人物だ。そう思えるくらい、彼女の存在は私たち2人にとって、しっくりとくるものだった。
「お母さん、すき焼きの準備、手伝うよ」
「ありがとう結衣、助かるわ。結星は?」
「まだゲームかな? 夕食は早めって言ってあるから、そろそろログアウトすると思うけど」
「あらゲーム? 大晦日まで?」
「うん。何かイベントがあるって言ってた。それを学校の友達と一緒にやるって」
ゲーム……確かゲームの中で2人は出会ったんだったわね。
「そう。結衣、あなたはゲームとかしたくないの?」
「うーん。あんまり? それより、リアルスキルを上げたい。やっとC組に上がれたんだもの。女子力を上げなくちゃ」
「頑張ったわね。あの学校、かなり勉強が大変なんですって? もしかして女子校の方がよかった?」
「まさか。お兄ちゃんのおかげだけど、あの学校に入れてラッキーって思ってる。お兄ちゃんほどじゃないけど、うちの学年の男子もかなりカッコいいんだよ」
「あらら。それはよかったわね。そっか。それであんなに勉強を頑張れたのかしら?」
「それだけが理由じゃないけど、まあ大きな理由のひとつかな」
「気になる子がいるのなら、その子と仲良くなれるといいわね」
「頑張る。そのためにも、目指せ女子力アップ! いろんなリアルスキルを磨かなきゃ」
*
親子3人で囲む夕食。暖かい料理を食べて、年末の特別番組を見ながら会話が弾む。
「あっ、これ。『戦乙女 華可憐』だ」
戦乙女 華可憐? それって、日記帳に記載があったアイドルグループの名前じゃなかったかしら?
「本当だ。でも、お兄ちゃん、なんで知ってるの?」
「卒業旅行の時に、ニャンニーワールドでライブをやってたんだよ。同じ班で見たいって奴がいたから、一緒に見たんだ」
「そうなんだ。ニャンニーか。この子達、最近勢いあるから、出演していてもおかしくないね」
「テレビに出るようなアイドルだったんだな。コスプレしてるから、てっきりネットアイドルかと思った」
ネットアイドル。以前の武田結衣がやっていたというのは、確かそれだ。
「今、すっごい人気出てきてるみたいよ。この年末、あちこちの特番に出てたの見たし」
「そうなんだ? お前はこういうのを見て、アイドルとか芸能人になりたいって思わないの?」
息子から出たその質問に、胸がドキッとした。
「別に。そういうのには興味ない。それより経済的にしっかり自立して、いずれ自分の家を持ちたいかな」
「自立? なんで?」
「だって、この家は将来お兄ちゃんが住むでしょ。お母さんも当然そのつもりだと思うよ。そうだよね?」
「そうね。いずれはそうなるかもしれないけど、さすがにまだその話は早いんじゃないかしら?」
「私、男の人が通って来たくなるような、温かい家庭を作るんだ。この家で育ってそう思った」
この家で育って。……本気でそう思っているとしたら、やはり、この子は。
「結衣、なんか、怪しいぞ。具体的に思い浮かべてる相手がいそうだな。同じクラスの男子か?」
「そ、そんなことないもん。まだわかんないもん。お兄ちゃん、普段鈍いのに、何で今日はそういう質問をするの?」
「いや。頑張るのはいいことだぞ。結衣は料理も上手だし、よく気がつくし、いいお嫁さんになるんじゃないか?」
「えっ!? そう? 本当にそう思う?」
「うん。俺だったら、料理上手な女の子はいいなって思う」
「それはお兄ちゃんは、食い意地が……」
「おい、俺だけじゃないぞ。結構、食べ物につられる男子は多いって」
「本当? じゃあ、やっぱり料理の練習を頑張っちゃうか」
「試食は俺に任せろ」
「もう、それが目的? ちゃっかりしてるんだから」
*
除夜の鐘が鳴り終わった後、簡単に片付けを済ませ、それぞれ自室に引き上げた。
日記帳を取り出して開くと、やはり記載が更新されている。
◆12月31日◆
〈家族で夕食を囲んだ。和やかで幸せなひと時だった。〉
この半年間で、どれほどの願いが叶ったかしら?
この不思議な日記帳がどんな存在なのかは、依然、謎のまま。でも、この日記帳には感謝してもしたりない。そう思った瞬間、日記帳が淡く青色に光った。
再び日記帳に目を通すと、予想通り、続きが書き足されている。
〈今の生活を与えてもらったことに感謝してもし足りない〉
ふふ。その通りね。
日記帳をそっと閉じる。青い布張りの日記帳。気のせいではなく、以前より色が褪せてきたように思える。最初は濃いネイビーブルーだった。今はそれより明るいマリンブルー。
それが何を意味するかは分からない。でもお願い。このままの幸せが続くように、私とあの子を守って。
日記帳に両手を重ねて置き、心からの願いを込める。すると、まるでその願いを聞き届けてくれたかのように……
日記帳が青く鮮やかに輝いた。




