Page 15 そう、カップケーキだ。
母さんが帰ってきてから、数日が経った。
「平日は、必ずしも一緒に夕飯を食べることはできないかもしれないの。その代わりに、毎日の朝食と週末の食事は、できる限り3人で共にしましょう」
って、母さんに言われた。やっぱり、この世界の女性は、一家の大黒柱なわけだし、かなり仕事が忙しいんだね。
朝食は結衣が和食、母さんが洋食で、だいたい日替わりで作ってくれる。
俺もやらなくていいの?
……って一応聞いたんだけど、男の子はしなくていいってハッキリと言われた。でも、もし料理がしたいのなら、趣味でやる分には構わないそうだ。
そうそう。結衣は結局クッキング部に入ることにしたんだって。
ダンス部と迷ったらしいけど、上下関係の厳しいダンス部に、最上級生である3年生から途中入部っていうのにためらいがあったのと、俺が先日、オムライスを食べながら泣いてしまったのを見て、何か思うことがあったらしい。
あれは、今思い出すとかなり恥ずかしい。こんな大きな男がスプーン片手に子供みたいにポロポロと涙流して泣いちゃったわけだから。
おっと、話を戻さないと。
クッキング部といえば……そう、カップケーキだ。
この間、雨が降った日に小早川さんと約束したよね。あれが本当になった。あの時に言っていたクッキング部の次の活動日っていうのが今日、6月21日なんだって。
「武田くん、今日の部活と明日の午後にも時間を取って、みんなで沢山作ることになったから、試食会は明日にするね。甘いのと甘くないのと両方、いろんな種類ができあがる予定なの。楽しみにしてて」
小早川さん、ちゃんと覚えていてくれたんだ。それに、みんなで作るんだって。
この話を聞いた時点では、クッキング部の部活動として作るってことだったんだけど、それを聞いた2年A組の女子の中にも、是非作ってみたいっていう子が多かったらしくて、体験入部って形で一緒に作るそうだ。
A組男子5人全員の分の試食も余裕で作れるらしいから、すごいね。
それを知らせに来てくれた小早川さんと、もう一人、ふわふわ髪を可愛いピンでサイドに留めている立花 陽菜乃さんからは、もうすでに甘い香りが漂っていた。材料から移ったのかな?
カップケーキの試食会が終わったら、学期末のクラス分け試験の準備のために、しばらく部活動は禁止期間になる。だからその前にってことで、1学期の打ち上げ的な意味合いで、女子たちは気合が入っているみたいだ。
それにしても、いよいよテストが近づいてきた。学校の授業は難しいけど、ギリギリついてはいける感じ。
【天資英邁】生まれつき才知が非常に優れていること
たぶん、このスキルのおかげ。ただどうしても間に合わない科目がある。何かって? それは、世界が変わって、以前と大きく内容が変わってしまったもの……そう、歴史、公民などの社会全般だ。
男女比が変わる転機となった、巨大隕石の衝突以降の全ての歴史が違う。起こった出来事も、経済活動も、法律や政治、選挙制度ひとつにしても、いろんな変遷があった。それを全部覚え直さなきゃいけないなんて、辛過ぎる。
……でもやるしかないよね。
俺が今生きていて、今後も生きていくのは、この世界なんだから。
◇
◇
◇
各テーブルに置かれた白い大きなお皿に、色とりどりの洒落た紙ナプキンが広げられ、その上に沢山の種類のカップケーキが飾られている。部屋の中は、美味しそうな匂いでいっぱいだ。
今日は、いよいよ試食会。
調理室の他に、試食室っていう小綺麗な食堂みたいな部屋があり、そこが会場になっていた。
カップケーキっていうから、コンビニで売ってるような蒸しパンみたいなのをイメージしてたら全然違ってた。もっといろいろ凄いんだ。
*
「みなさん注目! 各自紙皿とお手拭き、紙コップ、必要な人はフォークを台から取って下さい」
はーい。
「ケーキはお腹いっぱい食べても大丈夫なくらいはあると思いますが、季節的に衛生面で厳しいので、お持ち帰りは禁止です。飲み物はあちらのサーバーから自由に飲んで下さい。では、試食会を始めます」
うわー。どれから食べようかな。先に紙皿とかを貰いに行かないといけないな。
そう思っていたら、
「男子のみんなも遠慮なく食べてね。テーブルや座席は自由なので、お好きな場所でどうぞ」
小早川さんと立花さんが、俺たちの分の食器とお手拭きを持ってきてくれた。親切だね。
「ずいぶんと沢山の種類があるんだね。これを全部作ったなんて凄い」
「今回は参加人数が多かったから、大変だったのはオーブン待ちの時間調整くらいかな。各テーブルに、そのケーキを作ったメンバーがいるので、中の具とか味を知りたかったら、是非聞いてみてね」
「じゃあ、遠慮なくご馳走になります」
……ってことで、試食会が始まった。
まずは小腹が空いているし、甘くないのから行くか。
辺りを見回して当たりをつけ、甘くないケーキがありそうな方に行くと、既にそこには斉藤と結城がいて、女子に質問をしていた。
「甘くないのって、どんなのがあるの?」
「このテーブルにあるのは、ケーキサクレっていう塩味のケーキ生地に、肉や野菜の具がたくさん入っていて、いろんな味が楽しめるケーキだよ」
「塩味なんだ、これ? 肉や野菜って何?」
「これがハム・チーズ、その隣がコンビーフ・グリンピース・人参、そしてこれが卵・キノコ・ほうれん草です」
「他にも甘くないのってあるの?」
「あっちの大きなテーブルに、挽肉入りパンと、プチ肉まん、ピザっぽいのもあったと思う。その隣のテーブルには、いろんなパイ類があって、その中にも甘くないのがあった気がする」
挽肉入りのパン! それは是非食べないと。えーっと、あっちね。
「挽肉が入ったパンみたいなのがあるって聞いたんだけど、どれかな?」
「挽肉は、ここにあるのは全部そう。カレー味とトマト味、あとコロッケの具が入ったの。全部で3種類あるけど、どれがいい?」
そりゃもちろん、
「3種類とも食べてみたいな」
「はい、どうぞ」
トングで一個ずつ掴んで、お皿のせてくれた。サーバーでアイスティーを汲んで、近くの椅子に座って早速パクつく。
旨っ。なにこれ。
こんなにちっちゃいのに、ぎっしりと具が詰まってる。このトマト味が特に美味い。しっとりしていて、でもちょっと酸味がある濃いトマトの味と挽肉の相性がばっちりだ。
ちっちゃいから、すぐ食べ終わっちゃうね、これ。ほぼ一口じゃん。
「トマト味のをもうひとつもらえる?」
「はーい。武田くん、ミートソースが好きなの?」
「うん。好き」
「好き……なんだ。じゃあ、沢山あるから好きなだけ食べて」
「いいの? ありがとう」
「……やばやばハートブレイク」
もぐもぐ。うまーい。
その後、チーズ・ハム、コンビーフが入っているケーキサクレと、焼豚が入っているプチ肉まんも食べた。
どれも美味しい。どれを食べていいか迷ってしまうような品揃えだったな。
さて、ここらで、甘いのもちょっといってみるか。
甘いものテーブルはどこかな?
……って探していると、北条と上杉が美味しそうにチョコレートでコーティングされたカップケーキを食べているのを見つけた。
「それ、どこにあった?」
「あっちの動物さんコーナー」
動物さんコーナー?
行ってみると、確かに動物さんだらけだった。そこには食べるのがもったいないくらい、可愛い動物の顔をモチーフにしたカップケーキがズラリと並んでいた。
茶色い熊、ピンクの兎と子豚、黄色いヒヨコに、水色のペンギン。すげえ。
「武田くん、どれにする?」
「チョコっぽいのが食べたいんだけど、どれかな?」
「熊がスポンジも中のクリームもチョコのダブルチョコ。ヒヨコが、外はバニラ、中のクリームがチョコだよ」
「ヒヨコをひとつお願い」
甘いカップケーキは、その他にも、色とりどり沢山の種類があった。
ベースとなる生地だけでも、スポンジ、パウンド、シフォン、ブリオッシュの他に、シュー生地っていうのまであるらしくて、種類が豊富。
さらにスポンジ生地には、プレーン・ココア・紅茶・ハニー。パウンド生地にはレモン・シナモン・ブルーベリー、バナナ。……とか、本当にいろんな味が用意されていた。
そして、それだけじゃない。
小さめのカップに入ったそれぞれのケーキには、様々な趣向を凝らしたトッピングが施されている。そちらがメインなんじゃないかっていうくらい、ぷくんと膨らんでカップからはみ出そうだ。
めっちゃ美味しそう。
惜しげなく絞られた生クリームの上に、数種類のベリーがこれまた贅沢に溢れそうなくらいのっているもの。
とろりんカスタードや、クリーム自体に、チョコ・キャラメル・マロン・ストロベリーなどの風味がついているもの。
そういったクリームには、カラーシュガーやスプレーチョコ、砂糖菓子などが可愛く飾られていたり、チョコレートソースやキャラメルソースが模様を描くようにかけられていたりする。
「これすごい凝ってるね。花がたくさん」
パステルカラーの立体感のある花で飾られた、まるでブーケみたいに見えるケーキもあった。
「フラワーカップケーキっていうの。フロスティングクリームだから甘くて美味しいよ」
おひとつ頂きました。なんか、食べちゃうのがもったいない感じだね。
その他にも、シフォン生地のは、ふにょんって軽い食感でパクッといけちゃうし、パフンって感じのブリオッシュ生地は食べやすかった。
ソフトクリームみたいに、くるんとマシュマロを絞り出してチョコソースをかけてあるのも美味しかったな。
どれもお洒落で可愛くて、食べるのがもったいないくらいキラキラしている。こういったカップケーキって、ニューヨークやロンドンには有名な専門店があるくらい人気があるんだって。
こんなに手が込んでいるのに、季節的に傷みやすいものは、試食会の前に集まって今日一気に仕上げたんだっていうんだから、みんな凄く手際がいいんだね、びっくりだ。
そうしてテーブルを巡っている内に、あっという間にお開きの時刻になった。
「今日は、ご馳走さま。どれも凄く美味しかった」
お世辞でなく、美味しかったです。
いやあ、食った食った。結局何個食べたんだろう? 10個以上、20個未満ってとこか。いや、ほんと。ご馳走さまでした。今日は夕飯は少なめにしよう。