Page 02 やだ怖い
そっと日記帳を閉じ、机の上に戻す。
この日記帳に記されていた内容は、荒唐無稽で、とても信じられるものじゃなかった。
詳細は割愛するが、以前の俺は可もなく不可もなく、ごく普通に日常を過ごしている高校生だった。運動はあまり得意じゃないが、ゲームが好きで、日頃付き合う友人もいたし、学校にも馴染んで問題なく過ごしていた。
転機となったのは、あるアイドルグループに出会ったこと。
アイドルといっても、TVにバンバン出ているようなメジャーなのじゃなくて、ゲーム動画で活動している、いわゆるネットアイドルだ。それもコスプレ系。
「戦乙女 華可憐」
色違いのコスチュームを着た5人の少女たちが、VRゲームの中で、毎回ライブやゲーム内のいろいろなイベントを体験して、それを動画で公開する。そして、それを見てもらって、視聴者層にファンを獲得するというやつだ。
当時、俺のハマっていたVRゲームに、たまたまそのアイドルユニットがやってきて、ショーイベントを行った。
初めて真近で見るアイドルのステージ。パフォーマンスに歌、それにトークショー。
凄く可愛かった。
戦乙女…というだけあって、5人が着ているのは、それぞれデザインの違う武道着だ。
その中で、俺が気になって応援することにしたのは、1番小柄な「山吹」という子だった。
その子のイメージカラーは黄色。
衣装の黄色い袴を捌きながら、自分の身長ほどもある大きな戦斧を振り回す元気系キャラの子で、そのギャップがよかった。
以前の俺は、それからその子に夢中になって、いわゆる「追っかけ」を始めたらしい。ネットで山吹の情報を集め、出演しているイベントをチェックして見に行く。不味かったのは、その子が身バレしていたことだ。
俺が住んでいた家は、首都圏のよくある近郊住宅街にある建売り住宅で、私鉄の新駅周辺に大規模開発された地域にあった。どこを見ても似たような……というか、ほぼ同じデザインの小綺麗な外観の家が立ち並んでいる。
俺は、毎朝駅で見かけていた小柄な女の子が、その山吹であることにすぐに気づいたらしい。
そして、無自覚なままのストーカー行為。
朝、その子を駅で見かけるのを凄く楽しみにしてた。彼女が駅に来るのを待って、顔を見たら満足して電車に乗る。1回だけ、ついうっかり声をかけてしまったことがあるけど、それっきりだ。
それ以降は、彼女に近づき過ぎないように気をつけていたつもりだった。だから、警察に通報されるまで気づかなかった。それが相手にとって、ものすごく嫌なことだったなんて。
「私に付きまとわないで!」
その少女本人にそう言われた俺はショックを受け、その日の内に自宅の最寄り駅で、電車に轢かれて死亡した……らしい。
そして、薄れゆく意識の中で、誰かにこの日記帳を手渡された。
《ここに、あなたが今に至るまでの出来事が記してあります。》
《これは、宿願の日記帳。この日記帳に願いをこめれば、それを叶えることができます。残り時間は、あなたの命が消えるまで。》
願い? 叶う?
俺の…願い。
それは……何だ? 考えろ。でも時間がない。
そうだ……誰にも邪魔されずに、山吹……「武田 結衣」の側にいられること…かな。あとは……
そこで俺の命は尽きた。
◇
日記には、ご丁寧にそんなやりとりまで、こと細かに記載されていた。もちろん俺の記憶には、欠片も残っていない出来事だ。
なんだこれ?
気味が悪い。
この記載が本当にあったことだというくらいなら、まだ俺がどうしようもない夢想家で、このおかしな妄想を書き連ね、何かの弾みで記憶喪失になった……っていう方がマシなくらいだ。
でも、俺は気づいていた。
この身体は、以前の俺のものとは違う。背格好は似ている気がするが、動くと微妙に違和感がある。腕の長さや脚の長さ、筋肉のつき方、それが少しずつズレているような居心地の悪い感覚。
顔はもちろん、全然違う……と思う。だって、俺があんなイケメンだなんて、変だろ?
不思議なのは、先ほど、この日記帳によれば「死ぬほど好きだった」という結衣という少女を見ても、何の情動も起こらなかったことだ。
全てがまるでリセットされたかのような、真っさらでニュートラルな気分。
以前の記憶もないし。
目覚めた直後は覚えていた気がしたのに、もう何も残っていない。情報は、この日記帳だけ。
……って言っても、俺が書いたものじゃないじゃん、これ。
ここに書いてあることが、本当かどうかなんてきっと誰も知らないし、もし嘘が混ざっていたり、全てが作り話だったりしても、それを検証するのさえ難しい。
……というか、そんなの到底無理だろう。
でも、万一この記載が本当にあったことで、誰かがこれを書いて、俺の願いの通りに現実を改変?……したとしたら。
オカルトだな。
〈ギュルルル〉……もっとグゥとか、鳴り方はいろいろあると思うんだが。
俺の空腹度を素直に反映するように、盛大に腹が鳴った。こんな状況でも、腹が減るんだな。シリアスしてる時に鳴るなよ。
でも、なんか少しホッとした気分になった。
腹が減るってことは、少なくともこの身体は生きてるってことだもんな。見たところ健康そうだし。それって凄く嬉しいことだ。
……朝ごはんがあるって言ってたっけ?
それに学校。
今日は休みたい…っていうか、俺、姿形だけじゃなくて名前からして違うみたいだし、学校も、どこに通っているのか、そんなことさえ分からない。
うん。
まずは飯。そしてこの俺の身辺調査。そうしよう。
はぁ。面倒くさ。
……だいたいだな、生まれ変わらせて? くれたことについては、非常に感謝する。でも、ここまで人間を丸ごと変えるなら、新しい俺の履歴書くらい書いておけよ!
《ピカッ!》
やだ怖い。
日記帳が光りましたよ。それも不気味に赤く。ピカっ! って。普通、日記帳って光る? いやいや、そんなわけないじゃん。
願いが叶う日記帳……命が消えるまで。
さっき読んだ日記帳の記述が頭をよぎる。やっぱりオカルトじゃん。っていうか、ホラー? でも俺、お願いなんてしてないぞ。
やだな。これで寿命が減ったりとかしてないだろうな。
気味が悪いが、放っておくのもなんだか余計に心配になる。だって怪しすぎるし。
……仕方ない。
この日記帳を無視するのはマズイ。
それは確かなことに思える。あの光の意味は何か、あれで何か変化が起こったのかどうか。それを確認するため、俺は再び赤い日記帳を手に取った。