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Page 14 願ったのはただひとつ

 



 以前の自分を振り返る。


 ダメな母親。……他人や身内に散々言われたけれど、自分でもそう思う。


 ひとつだけ言い訳をさせてもらえるなら、「余裕がなかった」。



 幼い頃から「利発なお嬢さんね」と言われることが多かった私に、両親は大きな期待をかけていた。


 家が裕福で、かつ一人娘だったこともあり、ピアノ・バレエ・スイミング・習字・英会話・幼児教室……幼い頃から、両親の決めた習い事で塗りつぶされる日々。


 そして、小学校受験をして、高校まである難関女子校に合格した。両親は大喜びだった。


 教科書のたくさん詰まった重いランドセルを背負い、片道1時間以上をかけての通学。周りも皆同じだったから、当時はそれが当たり前だと思っていた。


 学校が終わると、母親に連れられてお稽古に通う。


 帰宅したら、食事・入浴・学校の宿題。親の組んだスケジュール通りに、毎日、時間は過ぎていく。学校の友達と遊ぶ時も、毎回、親同士で約束をして集まり、子供だけでどこかに遊びに行くこともない。


 勉強にも躾にも厳しい環境で、そうやって12年間を過ごし、学校と両親に庇護されたまま大学受験をして、第一志望の難関国立大学に合格し、進学した。


 大学では、女子の数がとても少なくて、最初はとても気後れしたけれど、周りが女子というだけでチヤホヤしてくれたこともあり、次第にその環境にも慣れていった。


 希望した一流企業にすんなり就職、そして職場恋愛して結婚。


「絵に描いたような素敵な人生ね」


 周りの人は口を揃えてそう言い、自分もそうだと、その頃は何の疑問にも思わなかった。



 その歯車が狂い始めたのは、妊娠、そして出産を迎えてから。


 仕事も私生活も充実していた時の予定外の妊娠は、当時の私にとっては邪魔なものでしかなかったけれど、せっかく授かった命なのだから……とジレンマを抱えながらも、一方では産むのが当然という気もあった。


 でも、ようやく評価され始めた仕事を離れるのが嫌で、妊娠中はギリギリまで仕事をし、出産後も最低限の休みを取っただけで急いで職場復帰を果たす。


 赤ん坊は実家に丸投げ。少し大きくなってからは保育園やシッターも積極的に利用した。


「少しは仕事を減らして子供の面倒をみたら?」


 夫と実家の母親に、面と向かって何度もそう言われた。


 子供の面倒?  見てるわよ。私なりに、精一杯。


 仕事から帰る途中で子供をピックアップして、そのまま買い物に直行。帰宅したら食事の支度に、自分と子供の入浴、急いで残りの家事を済ませて、子供の相手をしながら寝る。


 自分の時間なんて少しもない。空いた時間は全て子供に使っている。


 仕事を減らせ? そんな我儘が通る訳がないじゃない。転勤がないように配慮してもらっているだけでも、ありがたいと思わなくちゃいけないのだから。


 配置換えを希望しろ? そんなに簡単に言わないでよ。


 今の仕事を、今まで積み上げてきたものを全部捨てろっていうの? じゃあ、今まで、なんのためにあんなに頑張らせたのよ。結婚して、子供を産んだら仕事を捨てなきゃいけないのなら、もっと楽な生き方があったのに。


 当時の私は、夫と自分の母親の主張に、真っ向から反発した。


 もう身内は頼らない。意地になった私は、子供の送り迎えは全て送迎シッターを雇い、幼児期は保育園、小学校に入ってからは学童、足りない分は民間の保育施設や教育シッターを雇って仕事を続けた。


 だって、私の周りで同じようにキャリアを積んでいる女性は、大抵そうしている。なぜ私がそうしちゃいけないの?



 *



「穏やかな気質のお子さんで、周囲とは協調して上手くやっています。友人の数は多いとは言えませんが、気の合う友人たちといつも一緒にいますね。積極性がやや足りませんが、欠点と言うほどではありません」



 特に優秀ということもない代わりに問題も起こさない。一人息子さんの割に生活面では自立しています。……と、学校の担任が変わるたびに、保護者面談でそう言われた。


 兄弟はあえて作らなかった。夫は2人目を欲しがったけれど、それはイコール、仕事を辞めろ、あるいは今よりずっと仕事を減らせというのと同義語だったから、ハッキリと拒否をした。


 息子が小さい内は、それでも無理に家族の時間を捻出して、親子3人で遊びに行くことも多かった。けれど、子供が成長するに連れて、お互いが仕事中心に回る生活になり、夫との関係は当然のことながら破綻した。


 夫と離婚。


 理由は、結婚観の違いと性格の不一致。なるようにしてなった結果で、息子の親権は私がとった。それからは息子と2人暮らし。息子が大きくなり、手がかからなくなったこともあって、それから私は、ますます仕事にのめり込んだ。



 *



 会議中、実家から電話が入った。緊急の電話だという。仕方なく離席して電話口に出ると、


「病院と警察から電話があって、ーー電車にーーーもう手遅れーーー」


 取り乱す母の話を聞いて、目の前が真っ暗になった。




 後日、警察から事情説明があった。


 息子がストーカー行為をしていたという疑いがあること、相手は同じ駅を利用する女子中学生で、芸能活動をしていること、その子から被害届けが出ていること。そして当日は、その子と接触したあと、ホームに転落して電車に轢かれていること、息子には自殺の可能性があること。


 息子がストーカー、自殺? 発作的に?


 ストーカー行為の上に自ら命を絶つなんて。本当に? そんなの信じられない。息子を失うまで、あの子の周りでそんなことが起こっているなんて、何も知らなかった。


 まだ16歳だったのに。


 親に手間をかけない、いい子だと思っていた。


 ……でもそれは、大人の事情を全て押し付けて、あの子に肩代わりさせて、都合よく解釈していただけ。


 自立?


 お金だけ与えて、無理に促した自立。本当はそんなこと分かっていた。でも、子育てと仕事の両立は本当に大変で。


 でも。


 それは私にとってだけの理由に過ぎなくて……あの子にとって、私はいったいどんな母親に映っていたのかしら。




 遺体は酷い状態だった。通夜も告別式も身内だけで済ませた。火葬場で焼かれて、白くて脆く、カラカラに軽くなった骨を、ひとつひとつ拾って骨壷に納める。


 心が乾いてしまったようで、全く現実感が伴わなかった。


 忌引きが過ぎて、職場に戻る。同情と、そして好奇心や嘲笑の混ざった周囲の視線が身に突き刺さるようだった。


 あれだけ充実して、輝いていたはずの仕事が、肩に、心に重くのしかかる。何のために働いていたんだろう? 初めて疑問に思った。



 *



 息子の遺品の整理を始めた。出てきたのは1冊のアルバム。まだ息子が幼い頃、家族で旅行に行った時のものだ。


 ページをめくると、写真に映る息子の小さな手に、視線が吸い寄せられる。私と離れるのを嫌がって、いつも抱っこをねだっていた。写真の中の、紅葉のような手。それに触れたくなって、指でなぞる。


 涙が溢れてきて、声を抑えることができなかった。


 こんなに小さかったのに。


 いつからだろう。甘えてこなくなったのは。


 いつからだろう。私に対して怒らなくなったのは。


 子供の好きなものなんて、何ひとつわからなくなっていた。


 優しい子だったのに。最期は、ひとりで……


 いくら後悔したって遅い。息子はもうこの世にいない。時間を巻き戻すことなんて、誰にもできないのだから。



 *



 それからは、淡々と日々は過ぎていった。


 以前ほど、仕事にかける情熱はなかったが、私に残されたものは、もうそれしかなかったし、義務感と責任感で働いていた。


 そんなある日、得意先の接待が長引き、深夜にタクシーに乗って帰宅途中に事故が起こった。雨が降っていて、視界が悪いにも関わらず、対向車線から大型トラックが突っ込んでくるのが、やけにハッキリと目に映った。


 これは助からない。そう思ったとき、どこからか不思議な声が聞こえた。



 《これは、宿願の日記帳。この日記帳に願いをこめれば、それを叶えることができます。残り時間は、あなたの命が消えるまで。》



 死の間際に願ったのはただひとつ。それは、今度こそ選択を間違えない。そして、息子と幸せに暮らす。それだけだった。



 《青い日記帳》



 目が覚めたあとの世界で、私を導いてくれるもの。


 息子は以前の記憶を失っていること。一見別人のようだけれど、その魂は息子のものであるということ。自分も別人の生活歴を持っていて、この世界でも息子の母親であるということ。そういったことが、全てこの日記帳に記されていた。


 改変された世界。……なんて、最初は信じられなかった。


 だって、私が目覚めたのはいきなり外国で、家族の姿どころか、以前の私が知っている人は周りに1人もいなかったから。私に備わっていたのは、今のこの身体に相応しい知識と経験に旅行鞄、そしてこの青い日記帳だけだった。


 早く家族の元に戻らないと……とても気にかかることがある。


 それは、息子の願いで、息子をストーカーとして通報をした少女が、この世界では息子の妹……つまり私の娘になっているらしいということ。


 私がこうして離れている間に、もう2人の生活は始まっている。何かあってからでは遅い。早く息子の元に行かないと……と、酷く気が急いた。



 *



 やっと帰国して訪れた新しい家では、意外なことに、2人が本当の兄妹のように仲良く暮らしていた。


 私の杞憂だった。


 そのことにほっと安心するとともに、新たな疑問が浮かぶ。この結衣という少女は、いったいどれくらい、以前の世界のことを覚えているのだろう?


 息子の方は見ていて分かる。以前の自分のことは、ほぼ忘れている。おそらく残っているのは、一般的な知識と五感の記憶、あとはツギハギな記憶の断片だけ。


 でもこの少女は? 


 この少女の言動には、何て言ったらいいのかしら? 上手く言い表せないけれど、妙な違和感を覚える。とても素直でいい子なのに、なぜ?


 ……今はまだ判断がつかないわ。もっと時間がいる。でも、気を抜いてはダメ。あのような悲劇が二度と繰り返されないように、くれぐれも気をつけなくてはいけない。


 微笑ましい兄妹の団欒を眺めながら、私は改めてそう自分に言い聞かせていた。



この回で第2章 学園生活編は終了です。次回からは、第3章 もうすぐ夏休み〜夏休み編 が始まります。応援ありがとうございます。これからもよろしくお願い申し上げます。



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