聴覚障害者の日常 読み聞かせ編
年末近くになると大掃除が始まる家庭も多いだろうが、我が家は大掃除は引っ越しが決まった時点で始める。だから年末は、お片付けレベルで済ませてしまう。力を入れない断捨離ってところだろう。
アタシ自身が軽いモノから色々なジャンルの読み物を読むのでかなりの本が1年で溜まっていく。姉も沢山本を読むらしく、まあ、ライトノベルばかり、しかもアマアマのをまとめてダンボールで送ってくるので、自然と積ん読状態の本が増える。加えてダーも読書家で、こちらはアタシと違ってお堅い難しい本が多く、しかも重いテーマが多いのでなかなか手を出せない。
断捨離は、既読した本はあらかじめ決めた紙袋にいれ、姉から譲り受けた本はタイトルに食指がうごかなければやはり紙袋へ、ダーの本は不可侵でどこかスペースに突っ込んでいく、といった感じで、そうしてできたのが紙袋2袋。これは古本屋さんへ持っていき、幾ばくかお金に替える。
そういう断捨離をしていて思い出したのが、絵本の読み聞かせだった。本当に脈絡もなくだが、センチメンタルな気分になった。子供たちは二十歳になり親の手から離れていくのもあとわずかだろう。小さい頃を思い出すのは年をとったからか。ともかく、本に埋もれて、手に持っている本とは全く関係ない絵本が目の前に浮かんできたわけだ。何故か寝る前の読み聞かせはみなおとなしく聞いてくれた。リクエストが高い絵本は文を読まなくてもそらで話ができた。
そのうち、絵本なしで真っ暗な寝室の布団の中で川の字になって話した。話した、というか、演じたというか……。いままで、声で演じたことはなかった。
読み聞かせも自分の子供たち以外にしたことはない。でも、絵本の世界を伝えたい、その気持ちで読んでいたらいつのまにか演じていた。
子供たちのためなら声色を変えて演じることもできた。
子供たちはすごい。アタシから色々な出来ないと思っていたことを引き出してくれた。恥ずかしいとかそういう気持ちを凌駕して、演じられた。
お陰で、子供たちに後から聞くと「お母さんのねずみばあさんは怖かった」という。いまでも言えるよ~「ねずみばあさんじゃ~っ!」
絵本は、義弟の子供に譲ったので我が家にはないけれど、この思い出は多分これからも本に埋もれた時に思い出すにちがいない。
私自身は発語ができますが、イントネーションはおそらく正しくないだろうし、声の高低、大小は一定せずバラバラだろうと思います。自分の声を確認できないから、毎回同じ声ではないと思いますが、子供たちは楽しんでくれました。リクエストが高かったのは「押入れの冒険」そして「三匹ヤギのガラガラドン」でした。