幼老門
これは、とある人から聞いた物語。
その語り部と、内容についての記録の一編。
あなたもともに、この場に居合わせて、耳を傾けているかのように読んでいただければ、幸いである。
私たちって、日々、苦しくて思い通りにならないことにまみれて、生きているわよね。聞いた話だと、この世の苦しみで、特に大きいものは4つあるんですって。
生まれる苦しみ、老いる苦しみ、病気になる苦しみ、死ぬ苦しみ……。
特に最初と最後は、誰もが経験しなくてはいけないもの。記憶があるのかどうかは別として、できることならその苦しみを少ないようにしたいものよね。
これらの研究は、今も昔も多くの人が続けてきている。中には常軌を逸した取り組みだって。
そのうちのひとつの話、聞いてみないかしら?
医学が進歩してくるまで、新生児の死亡率はかなり高めだったのは、知っているわよね?
「お七夜」の概念が生まれたのも、そういう背景のようね。七日間、もしくは数え年で七つを迎えるまでは、魂が身体に定着していない期間。ちょっとした拍子で、神様の御手へと戻っていってしまう。
だからお七夜を終えるまでは、人の子ではない。神の子なんだと言い聞かせることで、その死を受け入れる土壌を作っていったのでしょうね。
そして、それは年を召した人にも通じる概念。この世での修行が終わりに近づき、魂が身体からはがれ、神様のもとへ戻っていこうとし始める。
そこに伴う苦しみを、いかに取り除くか。その探求の一環として、ある施設が作られたの。
施設の名は「幼老門」といったわ。
字のごとく、幼児と老人を専門にお世話をする施設だったらしいわ。
生まれたばかりの赤子や、戦や仕事の役に立たなくなった老人は、そこへ入ることが推奨されたとか。
ある農村の老人も、70を超えてから入ることになったらしいわ。本人の意向ではなく、周りの強い希望によってね。
「今まで長く頑張って来たのだから、あとは私たちに任せて、おじいさんはゆっくりなさってください」
表向きは養生をすすめる言葉だったけど、それが本心でないのは老人も気がついている。
そう確かに頑張りすぎた。若い世代のやることなすことに手を出し、口を出し続けてしまい、うっとおしがられたのね。体のいい厄介払いだった。
どこも具合が悪くないのだから、世話になることも限られている。けがや病気を避けるため、余計な運動もさせてもらえず、老人にとっては飼い殺しのごとき状態。
けれど、ここにいるほとんどの老人たちは、「老い」に負けている。
自分の力では身体を起こすことがかなわず、寝たきりの人。身体を拭いてもらい、排泄もその場で然るべき処置をとるしかない。
まともに言葉を話せず、せっかく口に入れた食事も、ほとんどが喉を通らずに、吐き出してしまう者。
しまいには、あることないことをわめきちらし、面倒を見てくれる人に殴り掛かる者さえ出る始末。
これから先、彼らがどれくらいの時間を生き、苦しんでいくかは分からない。その途上で、面倒を見る人に、どれだけ痛みや苦しみを負わせるか分からない。
分かるための基準は、ただひとつ。死のみだ。
――迷惑をかけ、生きる者が他の有意義なことに時間をくらいならば、さっさとこの世を去ってしまった方がいい。
その時、壁向こうから響いてきた赤ん坊の泣き声が、老人の耳朶をうった。
幼老門では入り口手前側が赤子。奥側が老人たちの区域となっている。産まれた赤子は、先にも述べたように、お七夜を迎えるまで、ここで預かってもらうことができた。
母親たちのほとんどは、専門的な知識に不安が残る。そのため彼女たちは、お産に浸かれた身体を休ませつつ、子供の世話に関しては幼老門に勤める者たちに任せることが多かった。
産まれた子は、男と女で別々の部屋へ運ばれる。性別の違いで、世話も変わってくるらしい。
老人はけだるげに、割り当てられた個室へ戻ると、寝床へ横になったわ。
布団に触れたところから、身体中へ眠気が走り出す。ほどなく老人は重くなるまぶたに逆らわず、すっと寝入ってしまったの。
次に彼が目を開けた時は、辺りが真っ暗になった夜中のことだった。背中からかすかな揺れが這い上ってくるのを感じる。地震だ。
若い頃からずっとそう。本来、目覚めるべきでない時間に起きてしまい、「なぜだ」と思っていると、追って、大きめの揺れがやってくることがある。
老人は、そのような自分の不意な覚醒を、予知だと信じて疑わない。
続いてやってくるだろう揺れに備えて、身構える老人。しかしそれは、幾度も体験したようなものとは違ったわ。
ずっと下の方から響いてくる、赤子の泣き声。それが床を伝って、自分の身体に届いているのだと悟ったのよ。
老人はここに入れられ、一ヶ月が経とうとしている。しかし、地下に続く階段は見つけていなかった。
もちろん、働く者のみが立ち入ることができる扉がいくつもあり、その中までは確認したことはない。
想像している間に、今度は部屋の外から「ガタン」と、何かを倒したかのような物音がした。更に、石で作られた床の上を、靴で滑る音が続く。
老人は、個室の入り口、引き戸の影に立って、そっと聞き耳を立てる。この部屋には鍵がかかっていなかった。
もしも入ってきたならば、即座に取り押さえられるよう、両手に力を込める。
不用心な足音は、老人の隣の部屋の戸を開けた。そこはもはや、一日で数時間しか意識がない状態の、男が眠っていたはず。
すぐに引き戸から壁に移動し、集中する老人。「ふっ」と力を入れる声が、壁の向こう側から漏れ、足音もわずかに大きくなっている。
――背負ったな。
老人は足音が遠ざかっていくのを聞き、自分も音を忍ばせながら外へ出た。
明かりのない屋内。けれど、すでに闇に慣らしておいた目は、隣人を肩にかつぎ、遠ざかっていく後ろ姿をとらえていたの。
建物の出口へ向けて歩いていく人影を、老人は追う。人さらいかと思ったけれど、余命いくばくもない老体に、どれほどの価値があるかは疑わしい。
実際、担ぎ手は出口手前にある、女の赤子が世話をされているはずの部屋の戸を開けて、入っていった。
普段は男禁制の部屋。その奥に男を引き込み、何をするのか。老人は年甲斐もなく、胸が高鳴ってくるのを感じたわ。
戸に近づいて、気配が近くに残っていないかを確認。その後、戸を開けてみた老人。
そこには、彼の想像していたような、無数に敷かれた赤子用の布団や保育用具の類は一切なく、地下へと続く階段が待っているばかり。
そして先ほど、自分が目覚めるきっかけになった泣き声が、階下から鮮明に聞こえてきたの。
老人は声にひかれるがまま、足を踏み入れた。
冷たい。地面の冷えだけでなく、首筋へもポチャリとしたたり、熱を奪うものが。
鍾乳石から垂れた水滴と分かる。ここは屋内じゃなく、洞窟の中みたい。
湾曲しながら続く、段のひとつひとつも濡れていて、気を抜くと滑ってしまいそうだったわ。
泣き声が大きさを増すとともに、ドサっと重いものを地面へ放り出す音が混じる。きっと抱えられていた隣人が、乱暴に下ろされたんだ。
老人は階段の切れ目が見えると、路の曲がりを利用して、影からその先を覗き見る。
大人をゆうに数十人はおさめられるだろう、巨大な空洞。
その左半分に、無数の赤子が、まるでござのようにまんべんなく地面へ寝かせられ、手足をじたばたさせながら泣いている。
それを囲うように、三つの大人らしい影が取り巻いていた。その手には、槍のように長い柄を持つ鈴を携えている。
対する右。そこにもひとりの赤子と、すぐ横にひとりの大人が寝かせられていた。
左側と対象的に、彼らは全然動かないが、大人の方からはうめき声が聞こえてくる。
「これより、『巫女たち』に泣いていただく。やれ」
取り巻く三人のうちのひとりが告げると、彼らは手にした鈴を、赤子たちの頭上に掲げて、一斉に鳴らし出した。
ますます泣き叫ぶ声は強まり、老人は思わず耳を塞いでしまう。それでも目の前の光景から目をそらさず、背後から新手が来ないかにも、気を配る。
ぐわあん、ぐわあんと、響き続ける音。この洞自体が揺れているような錯覚を覚え。倒れないように曲がり角へ体重を預けるようにして、身体を支える老人。
やがて右端の二人に、変化が起こり始める。
まずは大人の、恐らくは隣人の方。彼の口からあえぎのかわりに、しゃっくりをするような「ヒェッ、ヒェッ」という、鳥の鳴き声のような音が出始める。
彼はひと声ごとに、横になった姿勢のまま、少しずつ地面から離れていった。やがて老人の膝小僧あたりの高さまで来た時、隣人の口からしゃっくりと共に、黄色い玉が飛び出した。
暗闇の中でも光を放つそれは、図ったかのように、隣で寝かされている赤子の口元へ落ちていったように見えたの。
隣人が、糸が切れたように地面へ投げ出される。もうその身体はしゃっくりも、あえぐような乱れた呼吸もしていない。すっかり沈黙してしまったの。
ややあって。今までこそりとも声をあげなかった、あの赤子が、堰を切ったように泣き始めたの。
三人の影たちは鈴を鳴らすのを止める。無数の赤子たちは泣き疲れてしまったのか、しゃくり上げる音しか出せていないようだった。
三人のうちのひとりが赤子に近寄り、抱き上げて頬ずりしながらつぶやいたの。
「また、神の手に渡さずに済んだな」って。
老人はすっかり背中が冷えて、自分の部屋へと取って返したの。
翌日。隣人の葬儀が執り行われ、幼老門の持つ墓へ葬られることになったわ。
多くの人は、寿命だと思ったでしょうけど、老人だけは違う。
彼の命はきっと、あの時に移されてしまったんだ。件のいきなり泣き始めた赤子は、死んでしまったはずの神の子。もしも預かった子供を死なせたとあっては、幼老門の名にきずっがつくかもしれない。
だから、ごまかした。死ぬべき老人を殺し、生きるべき赤子を生かすものとして、あたかも理想の道筋をとっているかのように。
やがて老人は、自分の意志で幼老門を抜け、修行僧のいでたちで各地を回り、説教の一部として、この話を生涯語ったとのことよ。