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雪香の秘密

 アパートが見えて来ると、私は一度後ろを振り返った。


 蓮が追って来ていない事を確認してから、ポストの中身を取り出してアパートの階段を上がる。自分の部屋に入ると、安心したのか、どっと疲れが襲って来た。


 フラフラとしながら居間に行き、気に入っている大きなクッションに腰を下ろした。


「……失敗した」


 薄暗い部屋で、私は一人呟いた。


 鷺森蓮に、余計な事を話しすぎてしまった。直樹の事まで言うつもりは無かったのに……。


 蓮といると調子が狂ってしまう。感情的になりすぎた事を後悔していた。でも……雪香の事を話した時の蓮の顔を思い出すと、笑いがこみ上げて来る。


 最低と言っていた。


 蓮は私と雪香が不仲なのは、全て私が悪いと思っていたに違いない。


 雪香の意外な一面を知って、今頃どう思ってるのだろう。雪香はこの事を知ったら、私を恨むかもしれない。直樹の件は、きっと蓮に知られたくなかった筈だから。


 でもこれ位しても、罰は当たらないと思う。雪香が私にした事に比べたら、どうって事ないのだから。


 もう鷺森蓮の事を考えるのは止めよう。この先、関わる事も無いんだし。


 私は気持ちを切り替えるように、ポストから取り出して来た手紙の束に手を伸ばした。


 今日はやけに、沢山入っていたけれどほとんどがダイレクトメールやチラシで、チラッと目を通しては、適当に切ってゴミ箱に捨てていく。


 その派手なハガキの中に、真っ白な薄い封筒が混じっている事に気付き、不審に感じながら手にとった。


 住所は書かれていなくて、消印も無い。直接ポストに入れたようだった。小さな封筒の真ん中に、倉橋沙雪とだけ書いてある。


 随分、非常識じゃない? 普通は、様とか殿とか敬称をつけるのに。裏を返しても、差出人の名前は書いてない。


 何か嫌な予感がする。私は封を切り躊躇いながら中身を取り出した。


 中に入っていた、四つ折りの白い紙を取り出し開く。


「……何、これ……」


 広げた瞬間飛び込んで来た文字に、私は声を震わせた。



――お前を許さない



 白い紙の真ん中に、その一言が黒文字で印刷されていた。


 紙を持つ手が震えるのを止められなかった。


 どうして……誰が、こんな事。


 ただのイタズラだろうか。


 一瞬浮かんだ考えを、私はすぐに打ち消した。


『戻っても決して許されない』


 雪香が最後に言っていた言葉を思い出したから。


 この恐ろしい手紙には、きっと雪香が関わっているんだと思った。



 許さない、許されない。一体、誰と何が有ったのか。雪香の身に何が起きたのか。そして、何故私が巻き込まれるのか。もう訳が分からなかった。



 封筒と中に入っていた紙を、隅々まで念入りに見てみたけれど、差出人の手掛かりは見つからなかった。


 名前が書いてあるから、人違いという事は無い。


 最悪なのは、直接ポストに入れられたという事だった。住所を知られているという事に、恐怖を感じる。


 このアパートは直樹と別れた後に越して来たから、私がここに住んでいる事を知っている人は少ないのに。


 送り主はどうやって、私の住所を知ったのか。誰なのか。


 居心地の良かった自分の部屋が、急に落ち着かない、安心出来ない場所になってしまった。


 大通りから離れているせいか、部屋の中はシンと静まり返っている……そういえば。


 私は、ベッドが置いてあるのとは反対側の壁に目を遣った。


 全然気にして無かったけれど、隣の住人はどうしているのだろう。最近、全く気配を感じないけれど。


 引越して来た当初は、隣からの騒音に頭を悩ませていた。


 このアパートは二階建てで、各階に三部屋づつ有る造りになっている。私の部屋は、二階の階段を登って一番奥で、問題の騒音を出すのは真ん中の部屋の住人だった。


 住んでいるのは、私と同年代の女性だけれど、彼氏が頻繁に遊びに来ていたようで、毎晩毎晩本当にうるさかった。よく喧嘩をしていたのか、大きな物音や悲鳴のような叫び声も聞こえて来た。


 初めは本当にイライラしたけれど、関わり合いになりたくなかったのでクレームを入れたりはしなかった。それに段々と慣れてしまっていた。


 あれから3ヶ月近く経つけれど、今は本当に静かになった……引越したって事は無いよね。


 近所付き合いなんて全く無いから、隣といってもよく分からない。


 もし二階に私しか住んでないとしたら怖い。今はこんな状況だし、頼れる人は誰もいない。

 恋人はもちろんいないし、友達も直樹の件が有ってから疎遠にしてしまっていた。


 私は重いため息を吐くと、忌々しい呪いの手紙をチェストにしまった。捨ててしまいたかったけれど、脅迫のような事をされた証拠だから、とっておいた方がいいと思った。


 それからノートパソコンの電源を入れ、インターネットで検索を始めた。確かアパート用の、防犯グッズが有ったはず。


 ある程度下調べをして明日、仕事帰りに買いに行こう。後は直樹からの連絡を待って雪香を探して……早く何もかもすっきりさせたいと思った




◇◇◇


 直樹から連絡が来たのは、それから2日後だった。



 雪香の大学時代の友人と、会う約束をとりつけたとの事だった。


 仕事が終わると、私はすぐに待ち合わせの店に向かった。奥の席に派手な服装の女性二人と向かい合わせで座っている直樹を見つけ、私は店員の案内を待たずに席に向かった。


「沙雪……早かったな」


 私に気付いた直樹が言うと、二人の女性も視線をこちらに向けて来た。


「あ、雪香の……」


 すぐに、その顔には驚きが広がっていく。私は直樹の隣に座ると、笑顔を浮かべ、二人の女性に挨拶をした。


「雪香の姉の倉橋沙雪です。今日は時間を作って頂きありがとうございます」

「あ……別に大丈夫です、私達暇だし、ねえ?」


 紫のワンピースの女性が、もう一人の女性に同意を求めるように言った。


「うん、退屈してたし、全然オーケー」


 冬だというのに、ノースリーブの女性が頷きながら答えた。


 二人とも働いて無いのだろうか。


 ノースリーブの方の腕には、ブランドの時計がつけられている。雪香の友人だけあって、実家が裕福なのかもしれない。

 そういうば、あの鷺森蓮も働いていないと言ってたっけ。


 この短い会話の中で、私は世の中の不公平さを痛感した。


 私はいくら頑張って働いても、あの時計を手に入れる事なんて出来ない。


 それなのにこの二人は……雪香は、鷺森蓮は、苦労無く涼しい顔をして手に入れるのだろう。


 あんな時計が欲しい訳じゃないし、比べても仕方ないと分かっているのに、妬む気持ちを抑えるのに苦心した。


「電話でも話したけど、今日は雪香の事を聞きたくて来てもらったんだ」


 直樹の声が聞こえて来て、考えこんでいた私の意識は浮上した。


 今は、余計な事を考えてる場合じゃ無かった。私は直樹に続き口を開いた。


「もう知ってると思うけど、雪香が失踪したんです。それで、私達は雪香を探していて……雪香の交遊関係を教えて欲しいんです。それから雪香の様子ですが、何か変わった事はありませんでしたか?」


 私の言葉に、二人は顔を見合わせてから、納得したように頷いた。


「あー……やっぱり雪香がいなくなったのって本当だったんだ。私達結婚式には呼ばれて無かったけど噂で聞いてて」


 ワンピースの女性がそう言うと、ノースリーブの女性も相槌をうちながら言った。


「ほんと、びっくりしたよね……あっ、それで雪香の交遊関係って言われても微妙なんですよね」

「微妙って?」


 直樹が怪訝な顔をしながら聞くと、ワンピースの女性が困った顔をしながら答えた。


「雪香は知り合いがすごく多かったから、私達も把握してないの……特に男関係は盛んだったし……」

「ち、ちょっと、止めなよ!」


 ノースリーブの女性が、顔色を変えた直樹に気付き、慌てたような声を出した。


「あ、あの……今のは学生の時の話で……」

「そう! 今は真面目だし」


 取り繕うように言う二人に、直樹は穏やかな笑みを浮かべながら言った。


「気にしなくていいよ、過去の事だし。それよりその中で問題になりそうな人は居なかった?」

「え……どうかな、今は付き合い無いみたいだったし……」


 二人は直樹の態度に安心したように、顔を見合わせ考え始めた。


 でも私は直樹の表情が、一瞬険しくなったのを見逃さなかった。表面には出していないけれど、直樹がひどく苛立っているのを感じていた。


 思いもしなかった、雪香の異性関係に動揺し怒っているのは明らかだった。


「そういえば!」


 ワンピースの女性が、思い出したように高い声を上げたので、私は直樹から視線を外し彼女を見た。


「何か思い出した?」


 直樹の問いかけに、彼女は頷きながら答えた。


「卒業間際に、雪香にしつこく付きまとってる男がいたんです」

「ああ、いたね……完全にストーカーだったよね」


 ノースリーブの女性も思い出したのか、顔をしかめた。


「ストーカー?」


 不穏な言葉に、直樹が固い声を出す。


「そうなんです……一時期、雪香の事待ち伏せしたり、無視してもそのままつけて来たりで本当にしつこかった」


 卒業間際の事なら、まだ一年経っていない。でも私は雪香にそんな話を聞いた事が無かった。多分、直樹も……。


「そのストーカーはどうなったのか知ってますか?」


 私が聞くと、二人は考えこむように首を傾げた。


「どうだったかな……気付けばいなくなってたって感じで……」

「でも、ストーカーになるくらいの人がそんなに簡単に諦めるとは思えないけど」


 雪香は、一体どうやって追い払ったのだろうか。


「その男の名前は分かる?」


 黙って聞いていた直樹が口を開いた。



「知らないです、関わりたく無かったから……あっ、でも雪香はミドリって呼んでました」

「ミドリ?」


 私が聞き返すと、二人同時に頷いた。


「うん、そう言ってた……」


 結局、ストーカーミドリについて、それ以上の情報は得られそうに無かった。


 雪香がよく出入りしていた店の名前を教えてもらい、そろそろ解散しようかという頃、携帯に着信が入った直樹が席を外した。


 雪香の失踪に、ミドリは関係しているのだろうか。私にあの手紙を送って来たのも、彼なのだろうか。テーブルの上の紅茶をぼんやりと見ながら、考え込んでいた私は、


「あの……さっきは彼が居たから言わなかったんだけど」


 躊躇いがちに声をかけられて、視線を上げた。



 ワンピースの女性が、直樹の歩いて行った方を気にしながら、話を続けた。


「雪香は沢山の人と付き合ってたけど、本命はずっと変わらず一人だったの」

「え?」

「雪香はその人をかなり好きだったみたいなんだけど、正式な彼女にはしてもらえなくて、それでやけになったように言い寄って来る男と付き合ってたの。まあそんなだからどれも長続きしなかったんだけど」

「……」


 あの雪香が片思いをしていたなんて、信じられなかった。皆に慕われ、直樹に一目で愛されたあの雪香が。


「……その片思いの相手って誰なの?」


 私の問いに、二人は一瞬躊躇いながらも答えてくれた。


「同じ大学の先輩で、名前は蓮って言うんだけど……」

「蓮? もしかして鷺森蓮の事?!」

「そ、そうだけど知ってるの?」


 話を高い声で遮った私に、ワンピースの女性は戸惑ったように答えた


「……その人の事は雪香に聞いていたから」


 動揺を、なんとか抑え言ったけれど、心の中は蓮に対する怒りで溢れかえっていた。


 完全に騙されていた。

 幼なじみで兄妹のようなものだなんて、よく平気な顔で言えたものだと思った。あんな男の言葉を真に受けてしまったなんて、自分が許せなかった。


「じゃあ蓮が、さっき話した雪香の通ってた店で働いてるって事も知ってた?」


……裕福だから働いてないんじゃなかったの?


「それは知りませんでした」


 怒りを抑えた低い声で、そう答えた。


 直樹が戻って来てすぐに、私達は店を出た。


 二人にお礼を言い別れると、それまでにこやかだった直樹が重い溜め息を吐いた。


「そんなにショックだったの?」


 素っ気ない私の言葉が不満なのか、直樹は恨みの籠もったような目を向けて来た。


「当たり前だろ? 雪香の男関係の話を聞いたんだぞ、それも良い話じゃ無かったんだ」

「でも乱れてたのは過去の事で、今は真面目だって言ってたじゃない」

「そうだとしても簡単に割り切れる訳ないだろ?」


 直樹は苛立ったように、声を荒げる。私はその姿に少しだけ傷付いていた。


 直樹がこんなに嫉妬深いなんて知らなかった。私の事で、嫉妬に狂う事なんて無かったから全く知らなかった。


 気持ちが沈んで、これ以上話をするのが億劫になった。


 駅までの道を私達は無言で歩く。直樹はまだ雪香を探す気があるのだろうか。探す事によって、知りたく無い事実まで耳に入って来てしまうから、精神的にキツいんじゃないかと思う。


 駅に着いてもまだ浮かない表情の直樹に、私は少し躊躇いながら口を開いた。


「私はまだ雪香を探すけど直樹はどうするの?」


 私としては、雪香の友達のおかげで手掛かりは掴んだし、もう直樹と協力する必要は感じていなかった。



 雪香が消えた日から、私が感じていた疑惑。



―雪香は直樹を愛していなかったのかもしれない―



 その疑いが、今日私の中で確信に近くなった。

雪香が本当に好きなのは、昔から変わらず蓮なんじゃないかと思った。だからこのまま雪香を探しても、直樹は傷付くだけだと思う。


 ただでさえ結婚式当日に、花嫁に消えられたという屈辱を受けているのに、蓮の事まで知ったら立ち直れなくなるかもしれない。


 別に直樹に同情してる訳じゃない。


 雪香の事をよく知りもしないで、結婚しようとした直樹の自業自得だと思う。けれど、雪香の事で悩んだり苦しんだりしている直樹を見るのは嫌だった。


「直樹はしばらく休んだら? 何かあったら連絡するから」


 私がそう言うと、直樹は少し考えてから頷いた。


「来週からは仕事にも行かなくちゃいけないから、なかなか動けないと思う。沙雪に任せるけど何か分かったら必ず連絡しろよ」


「分かった」


 直樹の言い分が図々しく思え、少しの苛立ちを感じたけれど了解して直樹と別れた。


 アパートに向かいながら、次の行動について思案した。


 しばらく考えてから携帯電話を取り出し、登録だけして今までかけた事の無かった番号に発信した。

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