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コンタクト

 私は脇目も振らず足早に教会を出た。

 まだ感情の高ぶりは治まらない。怒りにまかせて長い階段を駆け降りる。


 あんな事を言うつもりはなかった。


 半年間必死に感情を抑え冷静さを装って来たのに、全て台無しになってしまった。


 階段を降りきると、私は息をついて後ろを振り返った。


 古めかしい教会の全容が、視界に入る。



 この教会で式を挙げる事に決めたのは、雪香だった。厳かな雰囲気と美しい鐘の音が気に入ったと言っていた。


 雪香は張り切って結婚式の準備をしているように見えた。

 式の始まる直前に見た雪香はウェディングドレスを身に纏い、とても幸せそうに見えた。


 それなのに、どうして突然消えたりしたのだろう。


 直樹は事件に巻き込まれたと心配していたけれど、沢山の人が集まった教会から無理やり雪香を連れ出す事なんて不可能だと思う。


 花嫁姿の雪香はとても目立つし、少しでも抵抗したら騒ぎになって誰かが気がつくはず。


 雪香は、何らかの事情で自分の意志で姿を消したのかもしれない。


 雪香の身に、一体何が起きたのだろう。結婚式の当日に今までの自分の生活の全てを捨てるような行動を、何故とらなくてはならなかったのか。


 いくら考えても分からなかった。長い間離れていた事も有り、私達は姉妹だというのにお互いのことを理解していない。


 雪香の交友関係も、殆ど知らない。一人だけ、雪香の口から頻繁に聞く名前は有ったけれど、その人物とも私は面識がない。



 雪香も直樹も、この先どうするのだろう。


 雪で湿ったコンクリートの地面に視線を落としながら考えていると、背後から肩を掴まれた。


 驚き振り返ると、目の前には、長身の若い男が立っていて、険しい表情で私を見下ろしていた。


「倉橋沙雪だな?」


 いきなり詰問されるように言われ、私はムッとして言い返した。


「あなたは誰なの?」


 私の言葉に、男は目を細めながら低く響く声で答えた。


「鷺森 蓮」


 それは、雪香から何度か聞いた事がある名前だった。


 目の前の男をまじまじと見た。


 私より頭一つ分以上高い長身に、細身で長い手足。

 切れ長で、意思の強そうな茶色の瞳が印象的だ。


 客観的に見て美形で、雪香が気に入っていたのも、納得がいった。

 けれど、この人が何故私に声をかけるのだろう。

雪香の姉というだけで、面識の無い私に何の用があるのだろうか。


 警戒する私に蓮は苛立ったような声を出した。


「名乗ったのに、何も言わないつもりか?」


 その声に、私は考えを中止すると、冷静に答えた。


「私に何か用ですか?」

「……倉橋沙雪か? って質問したんだけど?」


 低い声で言う蓮に、私はイライラとしながら答えた。


「そうですけど、雪香の知り合いなら、答えなくても分かると思いました。あなたの名前は雪香に聞いた事が有ったから」

「双子って割には似ていないから確認したんだ」


 何の遠慮もなく発せられた蓮の言葉は、直樹と争ったばかりで過敏になっていた私の神経を逆撫でした。


「……それで何の用ですか?」


 苛立ちを堪え、私は努めて冷静にそう言った。


 蓮の無神経な言葉に、怒り傷ついていたけれど、それを表に出したくなかった。雪香に対して劣等感を持っている事を、絶対に知られたくない。


「ちょっと、聞きたい事があって」


 軽い口調で聞いて来る蓮に、私は固い表情のまま答えた。


「なんですか? 私、もう帰りたいんですけど」


 言外に迷惑な気持ちを滲ませても、蓮は気にする様子もなく話を続ける。


「雪香が消えたと聞いたんだけど、本当か?」

「……本当だけど」


 私は、拍子抜けしながら答えた。冷静に考えてみれば、彼が私に声をかける理由なんて他に無い。それなのに、何かもっと面倒な話をされるのかと身構えてしまっていた。


 声をかけて来た時の蓮の表情が、あまりにも険しくて……まるで敵を見るような目をしているように感じたから、深読みし過ぎてしまった。


「詳しい事は、雪香の父親に聞いて下さい、私もよく分からないので」


 すっかり警戒を解いて、そう言いながら立ち去ろうとすると、「待てよ」と蓮に道を塞がれた。


 冷たい目で、私を見下ろす蓮の目を見た瞬間、深読みなんかじゃない事を確信した。理由は分からないけれど、彼は私に敵意を持っている。本能的に危険を感じ、一歩後ずさると、蓮はすぐに距離を縮めて来た。


「……そこ、どいてよ!」


 声を荒げながら言っても蓮の表情は変わる事なく、私を威嚇するような低い声を出した。


「雪香が消えたのはお前が原因だろ? 雪香に何をしたんだ、答えろ!」


 蓮は断言しながら鋭い視線を向けて来た。私の言い分など聞く気も無いようだった。


「私は何も知らない、言いがかりは止めてよ」

「言いがかりじゃない。雪香が言ってた、沙雪に恨まれてると。雪香はかなり悩み弱っていたんだ」


 蓮の言葉に、私は内心動揺した。

 雪香は私の前では、少しも悩んでいるような素振りは見せなかった。幸せそのものだった。


「雪香が悩んでいるようには見えなかったけど。そんな事だけで疑われても迷惑、早くどいて!」


 もうこれ以上、話したくなかった。うんざりする気持ちを隠しもせずに言っても、蓮は退かずに私を睨んだ。


「……お前、雪香が消えたって聞いた時笑ったろ、見てたんだよ……何で笑った?」


 非難するような強い口調で私を追求してくる。


 何もかも見透かすような目で見据えて来る蓮を、私は逃げる事なく見返した。


 この男にごまかしや、偽りは通用しない気がした。それなら取り繕う事はせずに、言いたい事を言おう。


「笑ったけど、だから何? 妹の失踪を悲しまなかったからって犯人扱いなわけ?」


 別にこの男にどう思われようが構わなかった。本音を言って軽蔑されたところで、二度会うことも無いんだろうし、何の問題も無い。


 どうでもいいような態度で言うと、蓮の顔に怒りが浮かぶのが分かった。


「何で笑ったのか聞いたんだ、答えろ!」

「……さっきから命令口調で偉そうだけど、何様のつもり? 質問には答える気は無いし、これ以上話す事も無いから、そこどいてくれる? 退かないなら大声上げるわ」


 先ほどからの蓮の態度に、忍耐の限界が来ていた。


 私が強く言うと、蓮は舌打ちをしながらも、諦めたようで道を空けた。


 けれど終わりではなかった。


「これで終わりだと思うなよ」


 脅しのような言葉をかけられて、私は身が竦むような思いになった。


 それでも、動揺を表には出さずに済んだのは幸いだった。私は何事も無かったように、振り返る事もなく蓮から遠ざかった。



「なんなの、あの男!」


 家までの道のりを、私は怒りにまかせ止まる事なく歩き続けた。鷺森蓮の事を思い出すと、イライラとしてどうかしそうだった。初対面でこれ程嫌悪感を持った相手は初めてだった。


 雪香に聞いていた鷺森蓮の印象は、優しくて頼りになるとても出来た人というものだった。


 けれど、実際は全く違っていた。

 偉そうで、無礼で思い込みが激しい、はっきり言って最低な男だと思った。


 雪香は、蓮のどこが良かったのだろう。あんなに性格が悪そうなのに……。


 それとも雪香の前では、別人のように優しいのだろうか。


 蓮の態度は最低だったけれど、雪香の事を心配してるのだけは確かだと感じたからあり得る事だった。


 鷺森蓮も雪香を大切に思っている。


 別にあんな男に好かれたい訳じゃないけど、皆に大切に思われている雪香を妬ましく感じた。


 どうして、雪香ばかりが愛されるのだろう。


 直樹は二年も付き合った私より、会って間もない雪香を迷う事なく選んだ。


 先ほど私に向けた蔑みの目。思い出すと思惨めな気持ちになった。


 怒りで高ぶっていた気持ちが、一気に沈んでいく。



 立ち止まり大きな溜め息を吐いたとき、バックの中からスマホの振動が伝わって来た。


 挙式だからとマナーモードにしていて、戻すのを忘れていた。


 急いでスマホをら取り出した私は、画面を見た瞬間、驚きのあまり手から落としそうになった。


 液晶画面には、雪香の名前が表示されていたから。


 まさか私に、雪香からの連絡が入るとは思わなかった。動揺しながらも、応答ボタンを押す。


「……はい」

「沙雪? 私……雪香」


 震えているような、頼りない雪香の声が聞こえて来て、私は言いようの無い不安を覚えた。


「雪香、何してるの?! どうして居なくなったの?」


 雪香が居なくなっても、心配すらしなかった私が、連絡を受けてひどく動揺している。


 おかしな話だけれど、電話越しの雪香の雰囲気が、普通じゃなくて、まるで何かに怯えているようで、それが私を不安にした。


「私もう戻れない……だからお別れを言おうと思ったの……今までありがとう。そして、直樹の事ごめんなさい」


 大声で言う私に、雪香は消え入りそうな声で答えた。


「戻れないって、どうして! 何があったの?」

「戻っても決して許されない……私、決めたの。何もかも捨てるって」


 弱々しいのに意志の力を感じるその声に、私は返す言葉を失った。


 許されないと雪香は言った。でも、何を許されないと言うのだろう。


 私に対する罪悪感?……違う!


 頭に浮かんだ考えを、私はすぐに否定した。


 雪香は私に謝罪をした。雪香は謝っても許されないと思い姿を消すのだから、その相手に連絡なんて出来るはずがない。


「沙雪」


 考え込む私の耳に、雪香の声が聞こえて来た。同時に、大きな鐘の音が鳴り響く。私は信じられない思いで目を見開いた。


 背後の教会から響く鐘の音は、スマホからも聴こえて来るのだ。


 雪香はまだ教会にいるというの? 皆であれほど探して見つからなかったのに、 ……どういう事なのか。


 呆然とする私の耳に、雪香の別れの言葉が届く。


 引き止める間もなく通話は切られた。

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