守られる人
「……薫君?」
秋穂は話が見えないようで、戸惑いながらミドリを見ている。
「今から話す事は、秋穂もちゃんと聞いていて」
秋穂は、眉をひそめながらも口を閉ざした。それを見届けると、ミドリは私をまっすぐ見つめながら話し出した。
「沙雪の言う通り、秋穂には雪香のやった事を話していない」
「……なぜ?」
私が低い声を出すとミドリは一瞬、顔を強張らせた。
「……兄から口止めされていたんだ」
ミドリはそう言いながら隣を見た。
「秋穂、兄の不倫相手は沙雪の双子の妹の雪香だったんだ」
「え?……どういう事?」
秋穂は話が見えないようで、混乱した様子だった。
「ここにいる沙雪は、兄とは関わりは無い、会った事も無いんだ。雪香が嘘をついて沙雪の名前を名乗っていた」
「じゃあ……徹も私を騙してたって事? あの人は話し合いの時沙雪って言ってたのよ。それにメールでも彼女に沙雪って呼びかけてた」
「……兄も初めは騙されていたんだ。浮気が秋穂にばれた時、初めて彼女が身分を偽ってた事を知ったそうだ」
「どうして、そんな嘘つき女と切れなかったの? それに私にはずっと離婚して沙雪と付き合いたいって言い続けてた。どうして?」
ミドリに言い募る秋穂はよほどショックを受けているのか、血の気の無い顔で今にも倒れてしまいそうだった。
「兄は、雪香を守ろうとしたんだ……秋穂に雪香の身元を知られたく無かったから……倉橋沙雪だと思わせていた方が都合が良かったんだ」
「そんな……ひどい!」
秋穂のつぶらな瞳が、傷ついたように揺れた。
秋穂が私にした事は許せないけれど、今、彼女が受けた痛みは理解出来た。
信用した人に裏切られた苦しさはよく分かる。しかも、自分の敵とも言える浮気相手を庇う為の裏切りだなんて、プライドも傷付いたんだろう
ミドリの兄とは会った事も無いけれど、彼の行動に怒りを感じるし、軽蔑する。そんな兄の言う事を聞き、黙っていたミドリも。
「ミドリのした事、最低だよ」
怒りのまま私がそう言うと、ミドリの整った顔が大きく歪んだ。
「そんな事、沙雪にわざわざ言われなくても分かっている」
リーベルで会った時とは大違いの冷たい態度で、私を睨みながら言う。
「ちょっと何その言い方、私はね……」
散々巻き込まれて、迷惑している。そう言おうとした私の言葉は、秋穂のヒステリックな声に遮られた。
「部外者は黙っててよ!」
私はこみ上げる怒りを飲み込み、口を閉ざした。
よく部外者なんて言えるものだ。自分の行動を忘れたのだろうか。
「薫君、家に帰ってからちゃんと説明して! 徹が今どこに居るのかも、説明してくれないなら、私お義父さん達に言うから!」
「分かった……秋穂、ちゃんと話すから落ち着いて」
ミドリは私に対する態度とは正反対の、気遣い溢れる口調で、秋穂を宥める。
イライラしながら黙っていた私は、ついにしびれを切らして口を開いた。
「ねえ! 家に帰るなんて簡単に言ってるけど、私への説明はどうなってる訳?」
キツい口調で言うと、ミドリと秋穂はハッとした様子で私を見た。
「今、それどころじゃ無いの!」
秋穂の態度に、不快感でいっぱいになった私が言い返そうとすると、ミドリまでが、面倒そうな顔をして言った。
「悪いけど今は無理だ。沙雪には後で説明するから」
……この二人、私を何だと思っているのだろうか。
「そんな事、通用すると思ってるの? ちゃんと説明しないとこの人の事、通報するからね」
秋穂に目を遣りながら言うと、ミドリが冷たく、蔑むような目で私を見た。
「沙雪、秋穂がした事は僕が謝る。だけど証拠が無ければ警察は何もしない。脅しても無駄だよ」
その態度は、私の事を敵として見ているようで、以前会った時とは別人に見えた。
「秋穂、移動しよう」
私が黙ったのを見て、ミドリは秋穂に優しい声をかけて立ち去ろうとする。
このまま行くなんて許さない!
「証拠なら有るけど! 彼女からの手紙は全部保管してるし、今日、私のポストでやってた事、全て動画で撮ったから」
咄嗟に出た嘘だったけれど、ミドリと秋穂は顔色を変えて私を見た。
「……撮ったって……嘘よ、そんなの」
秋穂が震えながら言う。
「本当だけど。あなたの行動すごく怪しかったから、直ぐに声をかけずに観察してたの」
観察してたのは本当だから、私は悪びれずに言った。
「嘘だろう? 咄嗟に動画を撮るなんて無理だ。普通そんな事思いつかないはずだ」
秋穂よりも冷静さを保っているミドリに言われ、一瞬言葉に詰まりそうになる。けれど、負けていられない。
「雪香が居なくなってから、いろいろな事が有ったから私も用心してるの」
焦る気持ちを抑えながら言うと、ミドリは信じたようで険しい表情になった。
「……どうすればいいんだ?」
ミドリは諦めた様に言う。
秋穂を警察に突き出されたくないから、私に従うしかないと悟ったようだった。
「私が今から聞くことに、正直に答えて……誤魔化してると思ったら、警察に行くから」
二人を睨みながらそう言うと、ミドリは仕方無さうに頷いた。
私は頭の中で、素早く考えをまとめた。
「まず……手紙の事だけど、リーベルで話した時はミドリが出したって言ってたけど、あれは嘘? 最初からこの人が出してたわけ?」
私は秋穂にチラッと視線を向けながら言った。秋穂は何も知らない様で、困惑の表情を浮かべている。
「そうだよ、沙雪の言う通りだ」
「自分がやったって嘘をついたのは、この人を庇う為?」
「……そうだ、鷺森蓮が会わせたい人がいると接触して来た時、沙雪の事だろうと予想した。雪香が消えたのは知っていたからね、それに秋穂が手紙を出したのかもしれないと考えていたから」
ミドリは観念したのか、誤魔化す事なく私の言葉を肯定していく。
「じゃあ、雪香に出した手紙、あれはどういう事? この人に雪香の事教えて無いのにどうして出せたの?」
今度の質問には、ミドリは躊躇うように黙り込んだ。秋穂の様子を気にしているようだった。きっと彼女には、聞かれたく無いのだろう。
ミドリの心情に気付きながらも、私は質問を取り下げはしなかった。
ミドリは苦痛そうに顔をしかめてから口を開いた。
「雪香の持っていた手紙は、秋穂が今日の様に沙雪に宛てた物だ」
「……は?!」
何を言っているのだろう。
「薫君……どういう事?」
秋穂もミドリに詰め寄った。
「不倫が発覚した後、秋穂が嫌がらせの手紙を出していた事、兄も雪香も知っていたんだ……だから秋穂が沙雪のポストに手紙を入れた後、雪香が回収していた。雪香の部屋に手紙が有ったのはその為だ」
「嘘!! そんな事って……徹は知っていながら私の行動を黙って見ていたの?」
興奮した様子の秋穂に続いて、私も疑問を口にした。
「話は分かったけど、そんな都合良く回収出来るものなの? 一年中私のポストを見張る事なんて無理でしょ? 全て回収出来る訳無いと思うけど」
現実的に考えて、絶対に無理だと思う。けれどミドリは、首を横に振り否定した。
「出来たんだ、兄達は秋穂の行動は完全に把握していた。まあ、それでも初めの一回だけは沙雪に手紙が渡ってしまった……でもなぜか沙雪は気にしなかったみたいで何のアクションも起こさなかったみたいだけど」
思いがけないミドリの話に、私は驚愕し息をのんだ。手紙が来た事なんて有ったのだろうか。
必死に過去の記憶を探るけれど少しも思い出せなかった。
「薫君……私の行動が分かってたって、どういう事なの!」
考え込む私の耳に、興奮した秋穂の声が入り込んで来た。
「秋穂……兄は不倫が発覚した後、雪香を守る事だけを考えていた。秋穂の動向に目を光らせていたし秋穂の行動は簡単に読めた。幼い子供を抱えた秋穂は簡単に外出出来ない。遠出するには子供を親に預けないといけないからね」
ミドリの言葉に、秋穂は血の気を失い何かに耐えるように目を閉じた。
「ごめん黙っていて、でも兄の事で傷付いている秋穂に追い討ちをかけるような事言えなかった。本当は言う気は無かったんだ」
ミドリは言いながら、非難を込めた目で私を見た。
まるで、私が悪いとでも言うように。
どうして私が、そんな目で見られるのだろう。無関係だというのに、被害を受けて迷惑してるのはこっちなのに。
体の中から怒りが湧き上がって来て、私は二人の会話に割って入った。
「次の質問だけど、歩道橋で私を突き落としたのもあなたって事でいいのね?」
決めつけて言った私に、けれど秋穂は話が理解出来ないような態度をとった。
「何それ? へんな言いがかりしないで」
本当に何も知らない様子だ。先程からヒステリックな秋穂が、器用に嘘は吐けないだろう。
困惑して考えが纏まらなくなった。それなら一体、誰があんな事をしたと言うのだろう。
全く分からない。仕方なく質問を変える事にした。
「……今、お兄さん達がどこに居るのか本当に知らないの?」
「知らない、兄から何も聞いてなかったし連絡も無い……これは本当だよ」
「分かった……」
私は頷き息を吐いた。もう二人に質問したい事は無い。
私は動揺したままの秋穂に目を向けた。
「質問は終わりだけど……緑川秋穂さん」
名前を呼ばれたからか、秋穂はビクッと顔を上げた。
「あなたは不倫されて騙された被害者だろうけど、その後の行動ははっきり言って最低だと思う。陰険な手紙送ったり、今だって義弟の陰に隠れて、謝りもしないけど反省はしてない訳?」
一気にそう言うと秋穂の顔が紅潮した。屈辱を感じたのか、私を恨むように睨んでいる。完全に逆恨みだ。
「沙雪、言い過ぎだろ!」
ミドリが秋穂を庇うように言って来たけれど、すぐに言い返す。
「どこが? 言い足りないくらいだけど。ミドリはこの人の事が大切過ぎて客観性が無くなってるんじゃないの?」
大切な……と言うところを強調して言うと、ミドリは動揺したように、目をそらした。
さっきから思っていたけれど、ミドリは秋穂に義姉以上の感情を持っている気がする。
それが今の反応ではっきりとした。
目の前の二人に無性にイライラとした。
「もう二度と私の家に来ないで」
苛立ちをぶつけるように言うと、私はその場から立ち去った。
気持ちが収まらないまま、アパートへの道を勢いよく歩いた。
建物が見えて来ると、私はすっかり暗くなった星の無い空を見上げた。
秋穂には同情するところは有る。
信じていた夫に、酷い裏切られ方をされたんだから。
でも、だからといって秋穂のした事は許せない。
辛いからって何をしてもいい訳は無い。
私だって直樹に裏切られて、心が粉々になってしまったような思いだったけれど、一人で耐えた。
秋穂は私に比べたら、ずっと恵まれている。
秋穂も雪香も、二人とも想いが叶わなかったのかもしれないけれど、それでも想ってくれる人がいる。
近くに守り、助けてくれる人が居る。
二人は誰もいない私と違い、守られる人だ。
考えると果てしなく気持ちが、沈んで行くような気がする。
私は考えるのを止め、アパートの階段に向かって行った。
手すりに手をかけようとしたその時、
「倉橋沙雪」
建物の影から若い男が現れ呼び止められた。




