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真犯人

 

 月の中でも最も忙しい月末のある日、普段は音沙汰無しの派遣会社の営業が突然来た。

 

「すみません、お待たせしました」


 こんな忙しい日に来なくても……そんな気持ちを顔に出さないよう意識しながら、営業の座る打ち合わせテーブルの前で足を止めた。


「あっ、倉橋さん、お疲れ様です」


 スケジュール帳に何か書き込んでいた営業は、私の声に顔を上げ、辺りに響く高い声を出した。


「最近、お仕事はどうですか? 何か困ってる事ありませんか?」


 営業は大袈裟な程の笑顔を浮かべながら言う。


「いえ、特には……」


 そう答えると、営業はホッとしたような表情になった。


「では問題無いという事で、来月は更新時期になりますが、継続という事でよろしいですね?」


 スケジュール帳を捲りながら、確認するように言う営業の言葉に、私は眉をひそめた。


 社員登用の話はどうなっているのだろうか。

 進捗の報告をくれない営業に不信感を持ってしまう。


「あの、以前に正社員として直接雇用になる話がありましたよね? その後どうなっているんですか?」


「ああ、社員登用の件、そうでしたね……すみません、今回は見送りという事になりました」


 少し気まずそうな表情を浮かべながら答える営業の言葉に、落胆しながら言う。


「そうですか……駄目だったん理由を教えて貰えますか?」


 真面目に勤めて来たつもりだった。それなのに認められないのなら、この先どうすればいいのだろう。


「倉橋さんには何の問題も無いんですよ、ただ今は不景気なんで企業様も採用には慎重になってるようなんです」


 それなら次回更新をして、今よりもっと一生懸命働いても、ずっと正社員にはなる事は出来ないのだろうか。


 失望が広がって行き、私は力なく俯いた。


「倉橋さん、三ヶ月更新という事で大丈夫ですか?」



 私の沈んだ気持ちなんてお構いなしに、営業はさっさと話を切り替えた。


「……はい」


 短く答えた後、営業と必要な会話をしてから席を立った。


 気持ちが沈む。このままこの会社に居ても派遣社員のままだろうし、いつ契約を切られるか分からない。


 先の事を考えるなら、不安定な派遣でいるより、正社員の仕事を探すべきだ。


 でもどうやって?

 平日は仕事が有るから、昼の時間に就職活動する事は無理だ。かといって仕事を辞めたら、収入が無くなり生活が厳しくなる。


 少しの貯金は有るけれど、無職の期間が続けばアパート代等であっという間に無くなってしまうだろう。


 もっとお金が有ったら……そんな事を考えている内に、父が亡くなった時の事を思い出した。


 

 一年前に父が亡くなった時、遺産と言えるものは殆ど無かった。元々病気がちで高額な保険には入れなかったし、入院生活が長かった為貯金も使ってしまっていた。


 葬儀を終えた後に残ったお金は、掛け捨ての保険からおりた二百万円。


 受取人は法定相続人となっていたから、私と雪香で半分に分けた。


 見苦しい事をしたくなかったから、文句を言わずに雪香に渡したけれど、内心は納得出来ずに不満が募っていた。


 ずっと父と暮らし、家事や入院生活中や世話をした私と、何もしなかった雪香がどうして同額なのか。


 突然現れて、当然の顔でお金を受け取る雪香を厚かましいと思った。


 しかも雪香は私よりずっと裕福なのに……雪香はあのお金をどうしたのだろう。


 今はどうやって生活しているのか、生活費はどうしているのだろう。一緒に居るであろうミドリのお兄さんも、突然失踪したのだとしたら、まともに働いているとは思えない。


 あの時のお金を今、使っているのだろうか。


 虚しい気持になりながらも、担当分の仕事をこなした。



 アパートに帰ってポストを開ける。今日もミドリの手紙が入っていた。


 部屋に入りチェストに手紙を仕舞い、夕飯の支度を始めた。


 気が付けば、クラシックの音色が聞こえて来る。


 徐々に大きく耳障りになっていく音楽に、私は眉をひそめた。あの常識の有りそうな三神さんのやる事とは、思えない。

 壁の向こうを透かすような気持ちで見ると、まるで気付いたように、音楽はピタリと止んだ。



 何の就職活動も出来ないまま数日を過ごした。


 決まった時間に仕事に行き、日によっては残業してから家に帰る。少しも充実していない毎日なのに、時間だけは足りなかった。


 来月には誕生日が来て、二十三才になる。


 このまま過ごしていたら、二十四才になるのもあっとい

う間だと思う。

 焦る気持ちは有るのに、具体的な行動は出来ないでいた。



 その日は、珍しく外出の仕事を言いつけられ、出先からそのまま帰る事になった。


 運良く仕事はすぐに済み、いつもより早く自宅の最寄りの駅に着いた。


 途中スーパーに寄って、数日分の食材を買ってからアパートに帰った。


 今日も手紙が来ているのだろうか。


 憂鬱な気持ちになりながら歩いている内に、視界にアパートが入って来た。その時、


「……誰?」


 異変に気付いた私は、独り言のように小さく呟きながら足を止めた。


 アパートの住人用のポストの前に、小柄な女性が立ち尽くしていた。


 見慣れない女性だと思ったけれど、私はアパートの住人全てを把握している訳じゃないから、普段なら気にする事じゃない。


 それなのに、女性から感じる何か異様な雰囲気が私に警戒心を持たせた。


 私が見ている事には気付かずに、女性は動き始めた。肩にかけていた鞄から、何か白い物を取り出すと、それをじっと見つめてからポストに入れた。


 その様子を、私は息をのみ見つめていた。


 冬は日が落ちるのが早いから、辺りは薄暗かったけれど、それでもはっきりと見えた。


 女性は白いものを、私のポストに入れたのだ。


 あれは、連日のように届けられていた手紙だ。


 あの手紙は、ミドリからじゃなかったの? どうして?!


 呆然として体が固まってしまったように動けないでいると、女性がその場を立ち去ろとして向きを変えた。


 私と向かい合う形になり、自然と視線が重なり合う。その瞬間、女性は小さな悲鳴のような声を上げ顔を歪めた。


 酷く動揺して逃げ出そうとする女性を、やっと体が動くようになった私は夢中で追いかけた。


 逃げ出そうとする女性の腕を掴んで、動きを止める。私の手を振り切ろうと抵抗するのを、力を入れて押さえ込んだ。


「どういうつもり?!」


 息が上がっていたけれど、構う事なく大声を上げた。


 私の剣幕に恐れを感じているのか、女性の腕は小刻みに震えていた。けれど、気遣う余裕なんて私にも無い。更に声を荒げて追求した。


「何のつもりで手紙を入れてるの? 私に何の恨みが有る訳? だいたいあなた誰なの?!」


 私より少し背の低い女性を、上から睨むようにしながら言った。


 体の全てが小作りで華奢な女性は怯えたように顔を歪めていたけれど、私の言葉を聞いた瞬間、その顔に激しい憎悪を浮かべた。


「恨まれる様な事するから悪いんでしょ?! 自業自得じゃない!」

「自業自得って……何の事? 私が何をしたって言うの?」


 訳が分からない。こんな人、私は知らないし、人に恨まれる覚えも無い。


 これ程の憎悪を向けられるなんて……そこまで考えて、私はハッとして女性を凝視した。


「ねえ……もしかしたら私の事、雪香と間違えてない?」


 そうとしか考えられなかった。


 だけど私の言葉は、女性の怒りを更に煽ったようだった。


「何言ってるの? 間違える訳無いでしょ、あんた倉橋沙雪でしょ!」

「そうだけど……私、あなたに恨まれる覚えなんて……」


 女性の狙いは、雪香ではなく私だった。でも一体どうして……。


 もう一度、女性の顔をじっと見る。怒りか不安かどちらかは分からないけれど、震えながら目には涙を滲ませている。冗談ではなく、本気で私を恨んでいる目だった。


 私の混乱はどんどん大きくなって行く、そしてそれは苛立ちに変わって行った。


「あなたが何言ってるのか意味が分からないけど、あなたのやってる事は犯罪よ! あんな手紙毎日のように送って来て……ちゃんと事情を話さないなら、今から警察に突き出したっていいんだからね!」


 イライラとして大声で脅すように言うと、女性はビクッと体を震わせた。


「そんな……警察って……」


 明らかに動揺した女性の腕をキツく掴み、私は更に言い募る。


「嫌なら私の質問に答えて、まずあなたの名前は?」


 女性は諦めたように、肩を落としながら言った。


「……緑川秋穂」

「緑川……え? まさか……」


 ミドリと同じ名字。もしかして、この人はミドリの言っていた、兄嫁なの?


 私は少し悩んだ末、私は緑川秋穂に、ミドリと連絡を取るように言った。


 彼女は初め躊躇っていたから、軽く脅すような事も言った。


 秋穂は、連日脅迫めいた手紙を送るという大胆な事をしていた割には気が小さいようで、血の気の無い顔で明らかに脅えていた。


 私の言う事に従い、大人しくスマホを取り出しミドリに電話した。


「あっ……薫君、私……どうしよう……」


 すぐにミドリと繋がったようだけど、秋穂は動揺しているせいか、まともな話を出来そうになかった。


 たまりかねて、秋穂に変わって欲しいと言い、強引に電話を奪い取った。


「秋穂! 何が有ったんだ?!」


 携帯電話を耳に当てると、ミドリの焦ったような声が聞こえて来た。その様子に少しの違和感を持ちながら、私は固い声を出した。


「彼女が動揺してるみたいなんで、電話変わったんだけど」


 私がそう言うと、電話の向こうのミドリは息をのみ、警戒したような声を出した。


「あんた、誰だ?」


 ミドリは、電話の相手が私だとは思いもしないようだった。


「倉橋沙雪だけど」

「……え?」


 私が素っ気なく名乗ると、ミドリは間の抜けた声を出した。


「沙雪……どうして秋穂と?」


 ミドリは困惑しているようだった。けれど、


「あなたの兄嫁が、私のポストに手紙を入れてたんだけど知ってた?」


 私の言葉に、事態を察したのか、急に態度を変えてきた。


「それで秋穂と居るのか、彼女は怯えてるようだけど何かしたのか?」


 まるで私を責めるようなミドリの言葉に、苛立ちを感じた。被害を受けたのは私なのに!


「警察に行くって言ったんだけど、当然でしょ?」

「警察? 沙雪、待ってくれ!」


 強い口調で言うと、ミドリは慌てながら止めてきた。


「この人を警察に突き出されたくなかったら、すぐに来て。私のアパート近くのファミレスで待ってるから」

「……分かった、三十分で行く」


 秋穂の身を案じているのか、ミドリは私の言葉に従った。


 電話を切った後、私は緑川秋穂を連れてファミレスに向かった。秋穂が逃げないように見張りながらも、内心は怒りでいっぱいだった。


 ミドリは明らかに秋穂が何をしていたのか、知っていたようだった。その上で庇っていた。


 もしかしたら一番初めに来た手紙も、ミドリが出したんじゃ無かったのかもしれない。


 リーベルで会った時も、ミドリは秋穂の事を殆ど語らなかった。多分、最初から彼女を庇っていて、私に知られたく無かった。自分がやった事にして事を収めようとしたんだ。


 私はイライラしながら、ファミレスの扉を乱暴に開けた。


 私の事を心配する振りをして騙したミドリが許せなかった。


 さっきからビクビクしているくせに、自分がやった事を謝りもしない秋穂も許せないと思った。



 ミドリが来るまでの時間を、私達は気まずい沈黙の中で過ごした。


 決して私と目を合わせようとしない秋穂を、さり気なく観察する。


 丸い顔に、肩迄の柔らかなウェーブのついたヘアスタイル。


 全体的に小作りな顔のパーツで、小動物のような、守ってあげたくなるような雰囲気の人だと思った。


 ミドリが庇いたくなる気持ちも分かる。だからと言って、怒りが収まる事は無いけれど。


 一言も会話を交わす事も無いまま時間は過ぎ去り、この状況でのストレスが限界近く迄高まった頃、ミドリが慌てた様子でやって来た。


「秋穂、大丈夫か?」


 ミドリは私には見向きもせず、秋穂の隣に座ると心配そうな声を出した。


「薫君……」


 秋穂は心底安心したようで、体から力を抜くのが分かった。


「もう大丈夫だからな」


 ミドリが労るように言うと、秋穂は涙目になって頷く。


 そんな二人のやり取りを黙って見ていると、ようやく思い出したようにミドリは私を見た。


「……沙雪、悪かったね迷惑かけて」


 バツが悪そうに言うミドリに、私は少しの笑顔もみせずに言い返した。


「どういう事か説明してくれない? あの手紙は何な訳? この人は何で雪香じゃなく私を恨んでる訳?」


 不機嫌さを隠さない私に、秋穂が突然反撃して来た。


「人の夫に手を出して、その態度は無いでしょ?! 私と子供の生活をめちゃくちゃにしたくせに!!」


 騒がしいレストランの中が、一瞬静まり返ってしまうような大声を上げて、私を睨んだ。


 私は驚き、秋穂を凝視した。彼女はもしかして……疑惑が浮かぶ。


 しばらくして、自分の中での疑問に結論を出した私は、斜向かいに座るミドリに軽蔑の目を向けた。


「雪香が私の名前を名乗っていた事、この人に言ってないの?」


 秋穂は雪香が偽名を使っていた事を知らない。そうとしか考えられなかった。


 秋穂の夫もミドリも、彼女に真実を知らせていない。不倫はとっくにばれていたのに。


 なぜかは分からないけど、ミドリは完全な嘘つきだった事がはっきりとした。


 信用はしていないけれど、悪い人じゃないと思っていたのに。自分の人を見る目の無さに、うんざりする。



「……どういう事?」


 私の発言を聞いた秋穂が不安そうな声で、ミドリに問いかける。


 ミドリは僅かに顔を歪めた後、


「……沙雪の考えている通りだよ」


 覚悟を決めたような顔で、私を見つめ返して来た。

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