先は見えない
「雪香は不倫してたって言うの?」
それも私の名前を使って。不快感に顔を歪める私に、ミドリは頷いてみせた。
「そうだよ。と言っても雪香も最初は兄が既婚だとは知らなかったようだけどね、兄は雪香と付き合いたい一心で、独身だと嘘をついていたんだよ」
「お互い騙し合ってたって事?」
自分の身元を隠し嘘を重ねていった二人。そんな付き合いを続けて、何の意味が有ったのだろう。
「俺がお前に話をつけに行った時、そんな事一言も言って無かっただろ? なんで黙ってた?」
それまで黙っていた蓮が発言する。
「言っても信じないと分かっていたからね。君は雪香の言い分を鵜呑みにして、最初から喧嘩腰だっただろ?……カッとしやすいみたいだけど、少しは冷静さを持つようにした方がいいんじゃないか?」
馬鹿にしたように返され、蓮の目に怒りが宿る。
それでもミドリの言った事は図星だったのか、ふてくされたようにそっぽを向いた。
ミドリに会いに行った時の、蓮の様子が想像出来る。
蓮は思い込みが激しくて行動力も有るようだから、怒りのままミドリを問い詰めたのだろう。
私と初めて会った時も、雪香の失踪に私が関わっていると決め付けて、かなり攻撃的だった。ミドリの言う通り、何を言っても無駄と思えた。
私が同意見である事を察したようで、ミドリは満足そうな表情をした。
「沙雪は僕の気持ち、分かってくれたみたいだね」
「まあね」
控えめに頷くのと同時に、蓮が睨んで来る気配を感じた。
「それでミドリは雪香に、お兄さんに妻子がいる事実を伝えたんでしょ? その後二人は別れたの?」
蓮の事は放っておき、私はミドリに話の続きを促した。
「いや……」
ミドリは一端言葉を切り、眉間にシワを寄せた。
「お互いの嘘が発覚した後もすぐには別れなかった……むしろ二人の絆は強くなったようだった。それまで遊びでしか無かった雪香の態度も大きく変わったように見えた」
「でも結局別れたんでしょ? 雪香は直樹と婚約したんだし」
雪香と直樹が、付き合っていると知った日の衝撃が思い出され胸が痛んだ。私が低い声で言うと、ミドリは同情するように、目を細めた。
「別れたよ。兄の妻に気付かれてしまったから……そして、別れてすぐに佐伯直樹と婚約した」
「別れてすぐに?……それじゃあ、はやけになって直樹と婚約したみたいじゃない」
真実を知れば知るほど、雪香は直樹を真剣に愛して結婚を決めた訳じゃ無かったように思える。
私はそんないい加減な気持ちの人に負けたの?……気持ちが、際限なく沈んでいくようだった。
「沙雪大丈夫?」
ミドリの気遣うような声が聞こえて来る。私は平静を装いながら頷いた。
「とにかく別れたのなら、お兄さんと雪香はもう何の関係も無いって事ね?」
つまり、ミドリも雪香の失踪に関わっていないという事だ。振り出しに戻ってしまったような気がして、私は重い溜め息を吐いた。
「……いや、そうとも言えないかもしれないんだ」
「どういう事だ?」
蓮が不審そうな表情で問いかける。
「兄の行方も分からないんだ……雪香と同じように消えてしまった」
ミドリの低い声が、静かに部屋の中に響く。
「……じゃあ雪香は、あなたのお兄さんといるって事?」
「分からない、どちらとも言えないんだ。兄が姿を消したのは雪香の結婚式の一月前だから、無関係かもしれないし」
ミドリはそう言ったけれど、私には二人の失踪が無関係とは思えなかった。人が消える事は、そんなに簡単な事じゃないと思う。
全ての人間関係、仕事等、積み重ねて来たもの全てを捨てる事は、相当な覚悟が無いと出来ない。
深い関係だった二人が、そう違わない時期に姿を消したのに、無関係だなんて考えられない。
「私は、二人は一緒に居ると思う」
私がはっきりとした口調で言うと、横から蓮が口を出して来た。
「決めつけるなよ。雪香は無理やり連れ去られたかもしれないだろ?」
機嫌悪そうに、私を見ながら言う。
「そんな事有り得ない」
私がすぐに否定すると、蓮は怪訝そうな顔をした。
「なんで言い切れるんだ? 雪香とは双子だけど仲は良くなかったって言ったのはあんただろ? 雪香の考えなんて分からないんじゃないのか?」
ミドリも蓮と同じ気持ちのようで、探るような目で私を見ていた。
確かに肝心の雪香からの電話について黙っている私の言い分は説得力が無い。
「……言って無かったけど、私のところに雪香から電話が有ったの。その時、雪香は自分の意志で消えたと言っていた……事件に巻き込まれた訳じゃない」
私が二人の顔を交互に見ながら言うと、それぞれ違った反応が帰って来た。
「それはいつの話?」
ミドリは、初めて知る事実に純粋に驚き、
「お前、なんで黙ってた?!」
蓮は噛みつきそうな勢いで、私を睨みながら大声を上げた。
予想以上の蓮の剣幕に、私は怯み一瞬声が出なくなってしまった……早く話を終えて、この部屋を出よう。
何度も会って慣れたせいか警戒心が鈍くなっていたけれど、最初から蓮は私に対して攻撃的だった。
あくまでも雪香の立場でしか、物事を考えない。完全な雪香の味方。油断してはいけない。
私は冷静さを取り戻す為、大きく息を吐き出してからミドリの質問に答えた。
「……電話が有ったのは、結婚式の日、鷺森さんと会った後。黙っていたのは、雪香を探す邪魔になりそうだったし、信用出来ないから……雪香は戻っても許されないから、全てを捨てる事にしたと言ってたの。
私には直樹の事、ごめんなさいと言って来た」
今、思えば許されないと言うのは、やはり私への言葉だったのか。私の名を使っていた事の罪悪感だったのだろうか。
それとも、いい加減な気持ちで、直樹を奪った事への謝罪か。どっちにしろ雪香の言う通り、私は決して許す事が出来ない。
今、この場に雪香が居たとしたら、蓮以上の剣幕で怒鳴りそうだ。
蓮とミドリは、私の話にかなり驚いたようだった。
「雪香はお兄さんといる可能性が高いと思う。お兄さんさんが行きそうな場所に心当たり無い?」
私は、考え込むように黙るミドリに問いかけた。
「兄が失踪してすぐに、心当たりは全て当たったんだ、今のところ何の手がかりも無い」
「そう……」
ミドリの答えに私は落胆して俯いた。膝の上に乗せた手をじっと見つめたままこの先の事を考える。手がかりが無くなった今、雪香を見つけるにはどうすればいいのか。
思い悩んでいた私に、隣に座る蓮が、険しい顔で聞いて来た。
「お前、どうして雪香を探してるんだ? この前雪香に会って確かめたい事が有るって言ってたけど、それは何だ?」
本当にしつこい。
この前答えたくないって言った事、覚えていないのだろうか。
うんざりしたけれど、ふと気がついた。
そもそも雪香を探そうとしたのは、歩道橋から突き落とされそうになった事がきっかけだった。その後、脅迫のような手紙を受け取り、自分が雪香のせいで厄介な事に巻き込まれたんじゃないかと考えた。安心して暮らす為には、どうしても雪香を探し事情を聞かないと……そう思っていた。
けれど、ミドリの話を聞いた今、雪香を探し出す必要は無いように思える。私が何に巻き込まれたのかはっきりしたし、手紙に関しては差出人はミドリなんだからもう気にする必要は無い。
今考えるべきは、誤解から私を恨んでいる人達への対策だ。
この先の行動は決まったけれど、対策と言っても具体的にどうすればいいのだろう。考え込んでいると、蓮が急かして来た。
「おい、何ぼんやりしてるんだ? 質問に答えろよ」
「雪香が消えてから、いろいろとおかしな事が有ったから、何が起きているのか聞きたかったのと、私を巻き込むなって言うつもりだっただけ」
面倒さを隠さず言う私の言葉を蓮は眉をひそめながら聞き、ミドリは怪訝な表情をした。
「沙雪、おかしな事って手紙以外に何か有ったのか?」
「まあ、いろいろと」
「具体的には? 困っていることがあるなら力になるから話してくれないか?」
「ありがとう。でも、大丈夫だから」
「……どうして? 不安があるから雪香を探していたんだろう?」
確かにミドリの言う通り、これからの事を思うと不安がある。雪香の騙していた人達の中にはたちの悪い人も居たみたいだし、そんな相手が何か言って来たらどうすればいいのか正直言って分からない。
それでも、ミドリに全てを話して頼るという選択は有り得なかった。
なぜなら、私はミドリを信用する事が出来ないから。
「……今日初めて会った人に迷惑はかけられない。心配してくれたのは嬉しいけど……」
はっきりとは言い辛く、言葉を選びながら言う私の横で蓮が空気を読まない発言をした。
「お前が信用出来ないからだろ」
蓮の言葉に、ミドリは不快そうに顔を歪める。
「ちょっと! そんな言い方……」
事実とは言ってもストレート過ぎる。文句を言おうとすると、蓮は私より更に不機嫌そうな顔を向けてきた。
「違ってないだろ? だいたい俺には近寄るなとか信用出来ないとか、ズバズバ言って来たくせに、なんでコイツには気を使うんだよ?」
子供のような蓮の言い分に、私は内心溜め息を吐いた。
「相手を見て言い方を決めてるだけ。気を使ってくれる相手には私だってそれなりの対応をするの」
私は反論出来ずに顔を強張らせた蓮から、正面のミドリに視線を移した。
「言い方は悪いけど、この人の言う通りで、正直あなたを信用出来ない……今日会って悪い人じゃないとは思ったけど」
「信用出来ないのは、初対面だから?」
ミドリは、静かに聞き返して来る。
「……手紙の事も引っかかってる。私に警告してくれるのなら、普通に会いに来てくれれば良かったのに、わざわざあんな手紙を送って来るなんて……他に何か意図が有るのかって疑ってしまうし」
それに、もう簡単に人を信じないと決めているから。
ミドリは困ったように視線を落とした。
「確かに、沙雪の言う通りだね。おかしな行動と思われても仕方ない……でも僕としては意味の有る行動だったんだ」
言い訳をするようで気まずいのか、ミドリは居心地が悪そうに、ソファーに座る体勢を何度も変える。ミドリは何か隠しているような気がした。
問い詰めたかったけれど、私はそれ以上は何も言わなかった。言っても誤魔化されると思うから。
自然と私達の会話は終わり、それを待っていたかのように蓮が口を開いた。
「俺からも、まだまだ聞きたい事が有る!」
強い口調でミドリに言う蓮を横目で見ながら、私は静かに立ち上がった。
「沙雪?」
「何してんだ?」
ミドリと蓮が、すぐに気付き怪訝そうな顔をした。
「話も済んだし、帰ろうかと思って」
蓮は不満そうに顔をしかめた。
「送ってくから待ってろよ」
蓮の言葉にミドリも頷く。
「一人で行動しない方がいい。彼が不満なら俺が送るから」
「どっちも遠慮します。私は一人で平気ですのでゆっくり二人で話して。ミドリ、今日は情報をありがとう。鷺森さんもミドリと会うのに協力してくれて助かりました」
私は二人の申し出を拒絶すると、他人行儀に挨拶をして、部屋を後にした。
リーベルから出ると、人気の多い道を選び駅迄向かった。
時間と共に気温が下がり、コートの前をしっかり閉めているのに、体が凍えるような寒さを感じた。
沢山の見知らぬ人とすれ違っていく。
ミドリの話を聞いたせいか、人の目が必要以上に気になってしまう。誰も私の事なんて、見てるはずは無いと頭では分かっているのに、漠然とした不安を感じていた。
蓮とミドリには強気な発言をしたけれど、思いもしない誰かから恨まれているのかもしれないと思うと、とても怖かった。
本当は助けてくれる味方が欲しいけれど、あの二人には心を許せない。
かといって他に頼れる人もいない。自分がしっかりするしか無い。
それにしても、雪香は何を考えていたんだろう。
いくら私の名前を使っていたって、何のきっかけでばれるか分からない。相手によっては、とても危険な事だと思う。
あんなに恵まれた生活をしていたのに、どうして破滅的な行動を取ったのか。
雪香の事を調べても、ヤケになるような何かが有ったとは思えない。
蓮との関係はなぜか上手く発展しなかったみたいだけれど、その事で悩んでたのなら雪香の行動は逆効果のはずだ。
あの鷺森蓮は嫉妬深そうだから、他の男との付き合いがばれたら、ますます上手く行かない気がする。
そんな生活の中出会った、ミドリの兄との関係はどうなっているのだろう。今一緒に居るのだろうけど、雪香の気持ちはどうなのか。
本当に蓮からその男性に、気持ちが移ったのだろうか。
しばらく考えて、それ以上先を考える事を諦めた。
いくら思い悩んでも、雪香の気持ちなんて分からない。
誰よりも濃い血で繋がっているはずなのに、何一つ共感出来る事が無いのだから。
たった一つの共通点だった、直樹への恋も偽りだったのだし……直樹は今頃どうしているのだろうか。
今日聞いた話は、直樹には言えない。
裏切り者の直樹を憎んでいるはずなのに、真実を知って直樹が傷付く姿を見たくないとも思う。
自分の中に、矛盾した二つの感情が有るみたいだ。
白い息を吐きながら、星の無い空を見上げた。
私も雪香も直樹も、この先どうなって行くのだろう。
もう雪香と会う事は無いのだろうか。
先行きが見えなかった。




