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2018年/短編まとめ

犬を飼う(=犬に飼われる)

作者: 文崎 美生

カリッ、音を立てて爪を噛む。

右手人差し指の爪が醜く欠けるのが視界の端に映り、続け様に聞こえてきた言葉に、はぁ、と溜息にも似た相槌を打つ。

校舎裏の湿っぽい土の匂いが、どうにも居心地の悪さを増強させる。


「好きなんです」

「……はぁ」


かくん、と首を縦に振る。

真摯な態度が出来ないわけでもなく、かと言ってそれをする心の余裕もない。

難儀だ、と片目を眇めて、目の前の相手を見た。


黒い髪と黒い瞳に、ボタンを一つ外しただけのシャツとそれを隠すように引き上げられたネクタイ。

絞められたシンプルなベルトを見て、あぁ、と思うのと同時に、また、爪を噛む。


「好きだと言ってくれるのは有難いんですけれど……」


ものの数秒で歪んだ爪を見下ろしながら言えば、続く言葉も考えずに「それじゃあ!」と弾んだ声を出される。

どうにも、私はそれが苦手だった。

一抹の喜びすら与えてはいけないのだ、そう思ってならない。

故に、もう一度、爪を噛む。


「犬は好きですか?」


噛んだ爪をそのままに頬をぶつける。

視線を逸らしながらの問い掛けに、目の前の彼は「へっ?」と間の抜けた声を漏らす。


「犬です。好きですか?」


もう一度問い掛ける。

しかし、こちらの真意を汲み取ることが出来ずに、必死な笑顔を浮かべて「好きだよ!」と答えた。

これは良くない、そう思うと頭痛がする。

そうして、それが間違いでないと言うように、それを証明するように弾丸が打ち込まれた。


「ひゅうぅぅぅぅぅん!」


ドゴン、体が大きく傾くが、飛んできた弾丸が私を抱き留めているので戻る。

目の前では溢れ落ちそうなくらいに見開かれた二つの瞳があり、私はやはりそれから逸らすように体に巻き付いた腕を見た。


皺がある上に袖を折り曲げられた腕は、私のそれよりも一回りは余裕で太く、私よりも濃い肌色をしている。

筋張った筋肉を撫で、視線を腕の持ち主に向ければ、真っ黒なサングラス。


「ハナちゃん」

「わん」

「どうやって嗅ぎ付けたんですか」


予定と言うより、予想だ、予想よりも早かった、そう思うと自然と溜息が漏れた。

指先で存外シャープな顎のラインを撫でる。

うるうる、ぐるぐる、とハナちゃんは態々鳴いた。


「あ、あの……宮ノ(ミヤノモリ)さん」

「はい?」

「その、人、方、は……?」


口を開いたまま顎を震わせ、上手く定まらない指でハナちゃんを指差す彼に、あぁ、と小さく頷く。

やはり知らなかったのか、と思うのと同時に納得してしまった。

当然と言えば、当然だったのだ。


「宮ノ杜の犬って言えば分かりますかね?」

「へっ?」

「うちの学校ではそこそこ有名だと思うんですけど。ハナちゃんは、私の、犬、です」


腹部にぎっちりと巻き付いた腕を撫でる。

時間が経てば経つほどに、その腕は力を増して、加減を知らなくなっていく。

胃が押しつぶされ、内臓が口から飛び出しそうな不快感に息を飲み、告げる。


「犬が好きなら良いって訳でもないんですよ。選ぶのは、その犬なので」


片手をひらりと揺らすと、バウ、ハナちゃんが大きく一つ吠えた。

ぐるぐる、がるる、犬歯剥き出しな姿を見て、これまた、やはり、と思う。

今にも噛み付きそうなハナちゃんに、彼はすっかり怯え、腰が引けてしまっている。


仕方が無い、私はハナちゃんの頭に片手を置き、もう片方の手で顎を押さえ付けた。

すると、見事に唸る声が止まり、今度は頭の方に置いた手へ、その頭を擦り付け始める。

甘えるようなその仕草を横目に、ね、と小首を傾けて笑った。


「噛み殺されちゃう前にお引き取り下さい」


ハナちゃんの顎を一撫でしたその手で、彼を、それこそ虫を払うように追い返した。


***


宮ノ杜と言えば、学校の中でも外でも有名で、そもそも日本国内に居れば一度でも聞く名だろう。

簡単に言えば大財閥だ。

このご時世に珍しいもので、宮ノ杜家唯一の娘と言えばこの私、宮ノ(ミヤノモリ) 珠嗣(ミツグ)である。


「つぐつぐ〜」


ごすんごすん、音を立てて私の肩に頭をぶつけているのは私の犬だ。

広義にはヒト亜族に属する動物の総称であり、狭義には現生の人類を指す人である。

つまるところ、犬のような人間だ。


甘ったるそうなミルクティーピンクの髪は無造作に伸ばされ、線の細い猫っ毛の為にふわふわと柔らかく揺れる。

基本的に素顔を晒さない為に、常時サングラスが黒く光り――時折巫山戯た少女趣味少年趣味のお面を被っていた。


耳には千切れるのではと思うほどにバツバツとピアスの穴が開けられ、日替わりで多種多様な種類の光り物が輝く。

首周りにも必ずネックレスなどではなく、チョーカーが巻かれ、言葉を発する為に開かれ覗く口の中では、やはりピアスが光る。

常用アクセサリーと言えば、ピアスとチョーカーということだ。

因みに、サングラスやお面はアクセサリーではなく、最早顔の一部である。


だらしなくボタンを二つ三つと開けたシャツからは、大きめに窪んだ鎖骨と程良く焼けた胸板が覗く。

ワンサイズは大きく選ばれているカーディガンは、袖も大きくカラフルに彩られた爪が見え隠れしていた。


「つ〜ぐつ〜ぐ」


ゴッツン、私が反応しなかった腹いせか、とうとう私の頭に頭突きを食らわせてきた。

「痛っ!」と声を上げるが、傾いた体を支えるハナちゃんは「きゃっは」と笑う。


「ハナちゃん、危ないでしょう」


ズキズキと痛む頭に眉を寄せながら、前髪の隙間から覗く額を弾く。

大して威力の強くなさそうなパチンという音にも「きゃふんっ」ハナちゃんの反応は大きい。

しかし直ぐに「むむぅ」眉を寄せ「何?」私に顔を近付けてくる。


「ハナちゃ……あっ!」

「まむもむ」


目を剥く私に、ハナちゃんは私がデコピンに使用した指を口に含み、飴でも舐めているかのように転がす。

ぬらりとした舌が、指の腹を撫でていく。

「ちょっ」喉が引き攣り「ハナちゃん!」口元も引き攣る。

ハナちゃんの奇行は今に始まったことではなく、寧ろ出会った当初から割と変だった。


「あぁ〜」

「あぁ……デロデロのベロベロ……」


勢い良くズルンと吐き出された私の指は、見事にハナちゃんの唾液塗れで、糸を引いていた。

流石にこれは、と思う。


「ハナちゃん……。私の指は飴じゃないんですか、ら」

「あぁ〜い」


流石にと思えば苦言も出るわけで、溜息混じりに続けるはずの言葉が、空気を読み取るつもりのない間の抜けた返事で掻き消される。

そうして、眉を寄せた状態の私の目の前に差し出されるのは、持ち手が青いグラデーションに染められた爪やすりだ。

御丁寧にもカバーに入れられたそれは、普通の紙製のものに比べて値段が上がったガラス製である。


そんな爪やすりを持ったまま「わんわん」空いた手を拳に握り突き出すハナちゃん。

つまり、お手、である。

私が手も出していないというのに、自主的に手を突き出している。


「……はい」


私は差し出されている拳の下に、右手を差し出す。

ぽん、確認するようにハナちゃんの拳が置かれると、次の瞬間にはその拳が開かれ、私の手の平を引っ繰り返した。

手の甲を表に向けたハナちゃんは、そのまま爪やすりをケースから抜き取り、やすり部分を私の右手人差し指の爪へ添わせる。


「はいは〜い。しょりしょりしょりりん」


酷く弾んだ声が当たりに響く。

屋上手前の踊り場には私達しか居らず、私達が居ることを知っていて誰も来ない。

大財閥の一人娘とその犬が居る場所に、態々好き好んで来る人間の方が珍しいのだ。


妙な鼻歌交じりに私の醜く歪み欠けた爪を整えるハナちゃんを見ながら、ハナちゃんを私の犬にした経緯を思い出す。


***


未だ中学二年生の頃だ。

基本的に実家から送り迎えの車が出されている私だが、時折、例えば学校行事や委員会、係活動などで帰宅が遅くなることがあった。

その日もそう言った活動で帰宅が遅れるので、迎えは後で良いと朝の送りの時に言ったのだ。


活動が終わった頃、呼び出すのも面倒だな、と考えた私は久方振りに自分の足で帰宅することを決めた。

元々送り迎えが必要な程、軟弱な体はしていなかったのだ。

ただ、両親共にお手伝いさんの古参から新人まで、全員が見事に過保護だった。

息が詰まる程に過保護だった――因みに現在進行形である。


偶の息抜きだ、と若干小躍りしそうな足取りで校舎を出た私は、自宅までのショートカット用として公園の中を通って帰宅しようと考えた。

考えた結果「にゃんにゃんにゃ〜わんわんわぉぉぉん」珍妙な声が公園に響いたのだ。

「えっ……」大きく肩を跳ねさせた私は、直ぐに鞄を盾に振り返る。


公園は中学校と家の丁度真ん中辺りにあり、木々の目立つ森林公園だった。

そんな森林公園の自然の中に、古ぼけた段ボールが一つ、と、その中に収まり切らない男が一人。

私の表情筋が大きく引き攣った。


長い足が段ボールから飛び出しており、お尻が段ボールの中に収まっており、体を前後左右に揺らしながら、その男は歪なリズムで鳴き声を上げていたのだ。

異様も異様で、異質も異質だ。

鞄を握った私は、触らぬ神に祟りなしの精神で、足速にその場を立ち去ろうとした。


立ち去ろうとしたのだ。

結果、妙な鳴き声に気を取られ、足を止めて再度振り返ってしまった。

今よりも確実に短めの後ろ髪に対して、今よりも確実に長めの前髪だったその男が、歪なリズムで刻む鳴き声には身に覚えがあり――「あぁぁぁ!!」指を差した。


「ぷぎ?」


男がこれまた珍妙な鳴き声を上げ、私の方へと視線を寄越す。

サングラスも、更には巫山戯たお面もしていない素顔だった。

しかし、前髪は長い。


私は視線を向けられ、直ぐに両手で口を塞ぐ。

手を離した鞄は足元に落ちた。

「ぴいぃぃ?」男は見事に私へと視線を向けたままに、体ごと首も傾ける。


「……」

「ンなぁに?」

「……ま」

「ンまぁぁ?」

「迷子?です、か?」


歪なリズムを正常なリズムに戻せば、聞き覚えのあるものに変わる。

それで一つ浮かんだのが、迷子の歌だった。

口元を引き攣らせながら何とか吐き出したその言葉に、男はフラフラと体を揺らし、段ボールをガタゴトと鳴らす。

暫くするとそれがピタリと止まり「ブゥゥゥゥ」ブーイングを食らわされた。

それが出会いだ。


何度思い返しても不自然かつ不思議で異質で異常な出会いである。

「えっと、何をしているのかは分かり兼ねますが、その、満足したらお家に帰られるべきですよ」今思い返しても、あの時の私は良く声を掛けたものだ。

続けて「御家族が心配しますから」なんて言えば、二度目のブーイングを食らったが。


出会いも問題だったが、再会も問題だ。

何故か翌日、私の通う中学校の校門前に座り込んでいた。

他校の生徒がそんな事をしているだけで目立つと言うのに、男はチョーカーではなくベルトのような首輪をしており、そこから続く縄を自分で持っていたのだ。

良く通報されなかったものだと思う。


校門を出た瞬間に私に縄を手渡したその瞬間は、嫌と言う程に記憶に焼き付いて離れない。


***


「ピンポンピンポーン」


預けていた右手が何故か上に挙げられ我に返った。

目の前では記憶の中の男よりも、若干不審感が強まったように見えるハナちゃんがいて、私の右手を掴んだ状態で自分の腕も振り上げている。


「……ハナちゃん、終わった?」

「おういえあ〜!」


私の問い掛けに、ハナちゃんは更に私の腕を高く上げる。

座り込んでいた私は数ミリ浮く。

肩の骨が小さく音を立てたところで、ハナちゃんが手を離し、その数ミリを落ちる。

「ハナちゃん……」抗議を滲ませて呼び掛けるも、ピンポーン、を繰り返して爪やすりを仕舞い込む。


噛んで醜く歪んでいた爪は、見事な曲線を描き、綺麗に整えられていた。

滑らかな曲線は、制服の上を撫でても引っ掛かりは無い。

親指の腹で人差し指の爪を擦れば「んう?」ハナちゃんが顔を近付けて来る。


柔軟剤か、それともシャンプーか、はたまた香水なのか、甘い匂いがした。

鼻腔を擽るそれと、頬を掠めた猫っ毛に、ふふっ、と笑い声が漏れ出る。

しかし、その笑い声は直ぐに消え失せた。


「犬は好き?」


耳元で囁かれた言葉には、身に覚えしか無く、今度は苦い笑いが漏れ出る。

艶のあるお巫山戯のない声は、返答によっては飼い主の手を噛むどころか、喉笛を噛み千切ろうとしていた。


私は高く笑う。

踊り場は良く音を反響させ、私の笑い声も壁、天井、床とぶつかっては飛んでいく。


「えぇ。ハナちゃん、好きですよ」


首に手を絡めて抱き寄せれば、ハナちゃんは酷く愉しそうな笑い声を一つ漏らし、その後は直ぐに「わん!」いつも通り鳴いた。

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