閑話1 オーウェン=ベックフォードの独白
最近、少し面白いことになっている。
我が友人が、ちょっとした「賭け」を始めたというのだ。
その男は、今や社交界では名を知らぬ者がいないほどの有名人だった。
有力貴族の長男であり、頭が切れて、容姿端麗。立ち居振る舞いも完璧――そして、いまだ独身ときている。
ぜひ彼とお近づきになりたいと夢見る娘たちは数あまた。その両親もどうにか娘を売り込もうと躍起になるから、彼が参加する舞踏会や晩餐会は、まるで戦場のような様相を呈する。
この男、だがしかし、その実、色々と問題が多い。
まず第一に――そして致命的かもしれないが――性格がとことん悪い。
公式な場ではおくびにも出さないが、大抵の人間を下に見ている。そして他人に無関心だ。
ただし、女遊びはそれなりにやっている。美女でなければ相手にしないが、そのどれにも本気にはならない。稀に自分から仕掛けることもあるものの、手に入ってしまえば途端に興味を無くしてしまうという。
そんな男が始めたのが、「相手を自分に惚れさせられるか否か」の賭けだった。
最初にこの話を聞いたときは、また同じようなことを、と大して気にも留めなかった。
今の社交界で、こうした駆け引きを持ち掛けてくる女性は割合多い。わざと気のないそぶりを見せて、意中の男の気を引こうというのだ。少しこちらが熱を上げる「フリ」でも見せれば、女の方から簡単に落ちてくる。
だからこの賭けも、すぐに決着がつくものと思っていた。
それが蓋を開けてみればどうだ。
存外、キースはてこずっている。
聞いてみれば、相手はなんと、自身の婚約者の娘だというから驚いた。
いくらなんでもそこを狙うか、と、流石の私もあきれるしかない。
娘の方がそう簡単になびかないのも納得がいった。なんせ、母親の結婚相手なのだ。もしその誘惑に乗ってしまったら、母娘関係は壊滅的だ。趣味が悪いのもいい加減にしておけ、とキースに忠告はしたが。
奴は手を引くどころか、むしろますます「賭け」を楽しむようになっていった。
つれない女というのが物珍しいのだろうか。
確かにそれもあるだろう。――だが、きっとそれだけではない。
例の「娘」に会って、私は得心した。
このフィーリアという娘は、存外、面白い。
男が夢中になるような、女らしい魅力はほとんど見当たらない。
だが、逆に言えば、女性特有の面倒くささとは無縁のタイプだった。そして頭も悪くないし、本人の持つ空気感もなかなかに心地がいい。特にキースのように、四六時中女に狙われているような奴にとっては、彼女とのティータイムは安息の時間ですらあるかもしれなかった。
最近は特にそうだろう。
今、あいつは厄介な相手に付きまとわれている。
ドラモンド公爵の一人娘だ。
本人に大した魅力はない。だが、ドラモンド家といえば王族に次ぐほどの権力を持つ一流貴族である。大事な大事な一人娘とくれば、最高級の夫を手に入れんと一族で躍起になるのも頷ける。彼らに目をつけられてしまったというのは、気の毒なことだとしか言いようがない。
キースが別の女性と早々に婚約をしてみせたのも、一つには、ドラモンド家の魔の手から逃れる意図もあったのだろう。にもかかわらずダンスの指導など依頼してくるあたり、ドラモンド家も全くキースを諦めていないようではあるが。
「本当に、うんざりだ」
先日、久々に会ったキースは、不機嫌な表情をまるで隠そうともせずそう言い捨てた。
「最近では、ドラモンド家に行くたびに吐き気がする」
「そこまで言うか」
私は思わず笑ってしまった。
だが、本人にとっては冗談でも誇張でもなかったようで、鋭いひと睨みが飛んできた。
「なぜ私ばかりがこんな目に。君でも構わないじゃないか」
「実際、お前が降りると、火の粉がこちらに飛んでこないとも限らないからな。せいぜい長く引っ張ってくれよ」
「もう限界だ。あの一家、すでに私を婿のように扱って、気味が悪いことこの上ない」
「令嬢がデビューする舞踏会はいつ開催されるんだ?」
「あと一週間後と少しだな」
「なんだ、もうすぐじゃないか」
「それで話が済めばいいが、そういう訳にもいかない。確かにひとまずは落ち着くだろうが、その後どう立ち回るかが問題だよ」
「既成事実を作られないうちに本当に身を固めた方がいいんじゃないか。エレナ嬢とこのまま結婚するのはどうだ」
「他人事だと思って、気軽に言ってくれる」
「それともフィーリアに乗り換えたいなら、さっさと彼女を落とさないと、間に合わなくなるぞ」
「あちらはまだまだ時間がかかりそうだ」
「……今回のことは、これまでの報いだろうなぁ」
「お前に言われたくはない」
しかし実際、角を立てずにドラモンド公爵令嬢と縁を切るのは至難の業だ。それこそ、既に婚約しているエレナ嬢とそのまま結婚するくらいしか術はない。だがこの男は、そもそも結婚というもの自体に興味がないのだ。その道を選ぶ可能性はほぼないと見ていいだろう。
今、フィーリアを特に気に入っているという事実が、これからどう影響してくるのか。
「そういえば、フィーリアのところにはもう顔を出さないつもりなのか」
「今は時期じゃないんだ」
「と、言うと?」
「私が連日彼女のもとに通っていたのを、ドラモンド公爵も知っている。せめてダンス指導が終わるまでは大人しくしていた方がいいだろう」
「なるほどな」
あまりフィーリアに入れ込んでいる様子を見せてしまうと、彼女に迷惑がかかる可能性があるというわけか。
「フィーリアもきっと、お前を恋しがって……は、いないだろうな」
「私は非常に恋しいよ。ドラモンド公爵令嬢と過ごすより、フィーリアと過ごしている方がよほどいい」
「からかいがいのある娘だからな、彼女は」
「君は、ほどほどにしておくことだ。でないとフィーリアにすっかり嫌われてしまうよ――私のようにね」
ふっと笑ったキースの視線は、存外鋭いものだった。
奴にとってフィーリアがどれほどの存在なのかはまだ分からない。
この男は、例え相手が昔馴染みであったとしても、腹の内を明かすことを好まないのだ。
だが、私とて、何も分からないほど浅い付き合いを続けてきたつもりはない。本人の口からは冗談めいた言葉しか紡がれずとも、その心情を「察する」のは難しくなかった。
さて、これからどうなっていくのか。
なあ、キース。
お前が先に彼女に落ちたら、この賭けの行方はどうなるのだろうな?