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第5章

 まったく本当に、どういう神経をしているのだろうか。

 信じられない。ありえない。

 なにがといえば、もちろんセルダン伯爵その人である。


 先日、彼の知人の屋敷で開かれたサロンにて、立て続けに嫌な思いをしてしまった私は、やるせない気持ちと苛立ちゆえに、思いっきりセルダン伯爵にあたってしまったのだが。


 普通、次の日に、何事もなかったかのように現れるだろうか?


 帰りの馬車の中でなんとなく気まずい雰囲気になったから、それに懲りて、あの人もしばらくは身を潜めているだろうと思っていたのに。次の日のティータイムにちゃっかり姿を現すんだから、怒りを感じるというよりむしろ脱力してしまった。


 しかも、だ。

 今日までの一週間、欠かさず毎日やってくる。

 あの日、馬車の中で、脅しもしたし説得もしたし文句も言ったというのに、効果はまったく無かったわけだ。


「セルダン伯爵、あなた、相当ヒマなのね」

 呆れた声でつぶやいたが、目の前の青年は、まるで気にした様子もない。

「お互いさま」

 フッ、と嫌味な笑みを浮かべて、彼は紅茶を口に運んだ。


「……あのねえ。私はわざわざ、ティータイムの時間を『作って』いるの! そこへ毎日わざわざ馬車を出してちょっかいかけにくる、あ・な・た・が・暇人なんでしょ!」

「君に逢いたいと思うから、忙しい合間を縫ってこうして来ているのに。そんな言い方はないんじゃないかな」


 はあああああ、と、わざとらしく大きなため息をついてやった。わざとではあるけれど、本心からのため息だ。 


 まさか、こんな砂糖菓子のような甘い台詞を連日聞かされるハメになるとは、一年前の私に想像できただろうか。それも、相手はあのセルダン伯爵だ。あの頃の私にとっては雲の上の人、一生言葉を交わすこともないだろうと思っていたのに。

 世の中というのは不思議な作りになっているものだ。


「あなた、いいかげんに……」

「おや、きれいな細工のオルゴールだね」

 人の話を聞こうともせずに、いつの間にか席を立っていたセルダン伯爵は、チェストの上に飾ってあったオルゴールを手に取った。


 ――それは、私の父が、誕生日に贈ってくれた――


「触らないで」

 思わずきつい調子で言うと、セルダン伯爵はそのままたたずんで一瞬こちらを見たけれど、すぐに柔らかい笑顔を浮かべてオルゴールのぜんまいを巻きはじめた。

「丁重に扱うよ。どんな音色か聴かせてくれてもいいだろう? ……それとも、私のような穢れた男の手では触ってほしくない、と?」

 めずらしく自嘲気味に言う。

「そういうわけじゃ、ないけれど」

 そんな言い方をされては、強く言えないではないか。

「よかった」

 にっこりと極上の笑顔を浮かべる彼。この人は本当に笑顔の使い分けがうまい。


 そしてオルゴールの蓋は開けられた。

 私も、久しぶりにこのオルゴールの音を聴く気がする。手の込んだ作りになっているようで、幾重にも重なる可憐な音が、深い旋律を生み出していく。


「ビショフの『そよぐ風』か」

「……」

「昔の舞踏会では、この曲がよく流れたそうだよ」

「これで踊っていたの? ワルツにしたって、スローすぎじゃないかしら?」

「これはオルゴールだからね。聴きやすいように、わざとテンポを落としているんだろう」

 そう言いながら、セルダン伯爵は私の前までやってきて、手を差し出した。……なに、この手は。

 その手と彼の顔とを交互に見やっていると、

「一曲踊っていただけますか?」

 なんて言い出したから驚きだ。

 オルゴールの音色に合わせて踊ろうだなんて、とことん気障きざな男である。

「嫌です」

 当然のことながらきっぱりと断ったが、そんな一言であとに引くセルダン伯爵ではなかった。無理やり手を取って座っていた私を立たせると、そのまま部屋の真ん中まで引っぱっていく。


「ちょっと、オルゴールでなんて、踊れないわよ」

「大丈夫、誰が見ているわけでもなし、なんだっていいんだから」

「じゃあはっきり言わせて頂くけど、別にあなたと踊りたくないわ」

「いつか大切な男性と踊るための練習だと思えばいい。ね」


 ね、じゃないってば。

 けれど、久々に聴いたこの音色が私に魔法をかけたのか、それ以上拒否することはできず、流されるままに踊る姿勢を取った。


 こんなに近くに男の人がいるなんて、一体どれくらいぶりだろうか。


 何度か行った社交パーティーでは、入場の際のダンスやカドリールなど、せいぜい手が触れ合う程度のものにしか参加しなかった。そう、こうしたワルツを踊ったのは、社交界デビューの晩以来だ。今はその時よりも身体を寄せて、まるで抱きしめられているかのような体勢になっている。

 しかし、私の心にあふれ出たのは、気恥ずかしさよりも、胸を締め付けるような懐かしさだった。幼い私が、父にじゃれついたあの頃。広くて温かい父の背中は、とても安心できたものだった。なんだかもうずいぶん長い間、忘れていた感覚のような気がする。


「フィーリア?」

 耳元でささやく声が、父のものとは違う。

 そうだ、この人はセルダン伯爵なんだった。

「誰か、他の男のこと考えていただろう」

「……そうよ。世界で一番大切な男の人のこと」


 そうしてすぐに、オルゴールの音は止まってしまった。


・  ・  ・


 次の日。


 私は従者を一人だけ引きつれて、バラ園に遊びに来ていた。

 秋の空は高くて、どこまでも澄んでいる。


(キレイだなぁ……)


 ぼうっとしながらバラと空を眺め、ゆっくりと散策する。


 そんな私は、実は少し、良心が痛んでいた。

 というのも、今は、いつもならばお茶を楽しんでいるティータイムの時間なのだ。

 おそらくセルダン伯爵は、今頃私の家を訪れていることだろう。


 実は前々から、「ティータイムにわざと出かけてセルダン伯爵を放っておく」作戦は、密かに頭の中で考えていた。それで怒ってわが家に来なくなればいいな、と。

 でも、さすがにそれはすごく失礼なことのような気がして実行できなかったのである。まあ、セルダン伯爵が我が家に来る動機自体が不純なんだから、礼儀など気にする必要もないかと思ったりもしたけれど。


 今日それを実行してしまったのは、昨日のことが今更気まずくなったからだ。

 なんだか、とことんあの人のペースに乗せられている気がする。

 このままじゃまずい。いやいや、好きになっちゃいそう、なんてことは全く全然一切ないけれど、あの人と一緒にいると、いつも掌の上で踊らされている気がしてならない。それが嫌でたまらないのだ。昨日だって、結局ダンスをつっぱねることができなかったし。


(ま、今日は義母ははが家にいるから、訪ね損にはならないわよね)


 セルダン伯爵は私と会った後、義母が家にいれば彼女のところに寄っていく。だから義母は、セルダン伯爵が私の部屋に顔を出すのは、自分に会うついでなのだと考えているはずだ。自分との結婚を義娘に認めてもらうべく奮闘する恋人に、更に惚れ直しているかもしれない。


 でも、断じてそうではない。私もあなたも、ただあの男に弄ばれているだけなのよ。

 義母にはっきりそう伝えてやりたい。

 でも、それができずにいる。あの義母に私の言葉を信じてもらえるとは思えないからだ。それに、もし万が一私を信じてくれたとして、義母がどんなふうに心を痛めることになるのか、想像もつかなくて――少し怖い。


「……フィーリア、さん?」


 一人物思いにふけっていたその時、後ろから柔らかい女性の声で話しかけられた。

 驚いて振り返ると、そこには、社交界一の美少女と名高いステラ=エリソン嬢が立っているではないか!


 どうやら彼女もバラを楽しみに来ていたようで、数人の従者を連れてこちらへゆっくりと歩み寄ってくるところだった。


 繊細可憐、触れると消えてしまいそうな儚い姿は、噂どおり。いや、それ以上だ。

 遠目でしか見たことがなかったけれど、こうして近くで見ると、まさに息を飲むほどの美少女ぶりである。ふわりとそよ風に揺れる薄桃色のドレスは、彼女のために神様があつらえたかのよう。ああ、そういえば、この間もセルダン伯爵が、彼女は「ファッションセンスがいい」と褒めていたっけ。


「あら、突然ごめんなさい。私、ステラ=エリソンと申しますの。はじめまして」

「ええ、はじめまして」

 ふわりとした彼女の微笑みには、同性の私もくらりとしてしまう。

「このようなところでお会いできるなんて、思ってもみませんでしたわ」

「本当に、私も」

「この秋のバラはすばらしいですね。色も、香りも。ずっとここにいたい気分にさせてくれます」

「そうですわね」

 かなり上の空でバラを見ていたことは、とりあえず忘れておこう。


「実は私、フィーリアさんとはぜひお話ししてみたいと思っておりましたの」

「えっ、私と?」

 天使の微笑を浮かべて、彼女はうなずいた。

 どうしてこんな美少女が、私と話してみたいなどと思っていたのだろう? 私のことを知っていただけでも驚きだというのに。


「少し、二人きりでお話できませんか?」

 そう言って彼女はバラ園の奥の方を指した。

「……はあ」


 よく分からないけれど、せっかく社交界一の美少女に誘ってもらったのだから、少しくらいならいいか。そう思って、私は従者に馬車の近くで待っているよう言いつけた。ステラさんのお付きたちも、同じようにもと来た道を戻っていく。


 私はステラさんに導かれるままに、バラ園の奥へと進んでいった。どんどんバラの密度が深くなっていき、四方八方バラだらけ。バラの甘い芳香が強く漂ってくる。


 不意にステラさんは立ち止まり、こちらを振り返った。


「この時間に、このようなところにいらしてるなんて、とっても意外でしたわ」

 唐突なその台詞に私は混乱する。

「え?」

「だって、いつもはお茶を飲んでいる時間でしょう?」

 にっこりとして彼女は言った。……どうして知っているんだろう。

 私が戸惑っていると、さっと彼女の微笑みが消えうせ、突然真顔に戻ってしまった。とても冷たい表情を瞬時に浮かべたのだ。

「あの……」

「しらばっくれてもムダよ。知ってるんだから。毎日毎日、あなたがキースレイ様と逢ってること」


 ――え??


「冗談じゃないわ、私とはせいぜい週に一度しか逢ってくれないのに。いえ、最近はその一度すらも。――それなのにどうしてあなたには毎日、せっせと逢いに行くのよ!」


 な、なんだ、この豹変ぶりは。

 あっけにとられて何も言えずにいると、ステラさんは更に文句を言い続けた。


「いいこと? あまり調子に乗らないで! キースレイ様は、年頃になっても男っ気のないあなたに同情して相手をしてくださってるだけに決まってるんだから。本命は私の方なのよ!」


 キースレイ、つまりセルダン伯爵のことだ。

 どうやらステラさんは、彼が私と連日会っていることが相当気に入らないらしい。


 ……別に気にしなくても、そういうんじゃないのに。

 そう思ったが、ステラさんのあんまりな態度に腹が立って、思わずその喧嘩を買ってしまった。


「なによ、本当にあなたが本命なら、訪ねもせずに放っておいて、ほかの女のところに毎日通ったりするかしら?」

「なんですって」

「できれば、変わって差し上げたいところだわ。私なんかは、逆にちょっと困ってるくらいなのよね。毎日毎日押しかけてきて、甘い台詞ばかり囁かれるものだから」

 ふう、と肩をすくめてみせた。


 ――ああ、我ながら、非常に嫌味な対応をしてしまった。

 などとさっそく後悔していることは露も見せずにいると、ステラさんは肩をわなわなと震わせて声も出ないようだった。


「ふ……、ふざけないでちょうだい。初対面でその態度、どういうつもりなの!」

「それはこっちの台詞じゃないの!」

 可憐で儚いなんて嘘ばっかり。ものすごく根性の座った、たくましいお嬢さんのようだ。どうやら、いつもは猫を三匹も四匹もかぶっているとみた。


「……っ、ひどいわ」

 くちびるをぎゅっと噛みしめたかと思うと、とたんに大粒の涙が、彼女の大きな瞳からこぼれ落ちた。

「わたし、わたし」

「う」

 泣かないでよー! まるで私が悪者みたいじゃない! っていうか確かにどっちもどっちだとは思うけど!

「近頃やっと、エレナ=アーヴィングに飽きてきたみたいだと思って、喜んでいたのに。やっと、私だけを見てくれると思ったのに。そしたら、次はその娘? 冗談じゃないわ」

 そして彼女は私を鋭くにらみつけた。

 確かに冗談じゃなかろう。だがしかし、どうして怒りの矛先が私に向くのだ。どう考えても悪いのはセルダン伯爵ではないか。


「絶対、キースレイ様をあなたから取り戻してみせるから!」


 そう宣戦布告すると、ステラさんはきびすを返してその場から立ち去ってしまった。その勇ましい後姿といったら。彼女に夢中の男たちが見たら一体どのような感想を持つのだろうか。


 なんだかわけの分からない、突然の嵐が吹き抜けていった、そんな午後だった。

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